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一首を切り裂く(095:卓)

(中村成志)
    手遊びの花占いの花びらのごとく欠けゆく円卓の席

 人望の無い部長の送別の宴席の円卓から次々と去って行く同僚社員の有様を、特に批判視するでもなく、ただ茫然
と眺めているのである。
 「手遊びの花占いの花びらのごとく」という表現から推してみるに、「欠けゆく」のは、主に女性社員、しかも比較的に若い女子社員なのでしょう。
     〔答〕 手遊びに摘まれた花もありましょう鼻を明かしてやれと逃亡  鳥羽省三


(髭彦)
    円卓の歴史彩る騎士たちよ中華料理よ回転寿司よ

 巡る歴史、巡る円卓、巡る回転寿司でありましょうか。
作者は、かつて高校で歴史教師をなさっていた方。
 趣味傾向から推すに、日本史の教師ではなく、世界史の教師であったと思われる。
 連想の展開過程を想像してみると面白い。
 作者の目の前に、今、一冊のテキストが置かれている。
 それは、西欧、中世社会の出来事を写真や絵図を中心にして解説した瀟洒な書物である。
 その書物に載っている絵図は、騎士たちが一堂に会しての円卓会議の風景を描いたものである。
 その騎士たちの円卓会議の絵を見たことから、作者・髭彦氏の旺盛な想像力が刺激され、やがて彼は、先月、横浜の中華街で、円卓を囲んでの小宴の有様を思い起こし、その後、その帰途に立ち寄った、東京神田の回転寿司屋で食べ損なった上トロ寿司へと、彼の想像は馳せて已まないのであった。 
     〔答〕 円卓に並ぶ海老チリ・青椒肉絲(チンジャオ)に歴史教師のお腹ぐうぐう  鳥羽省三
         円周を成して流れる寿司皿に今しも髭が手を差し伸べた           々


(五十嵐きよみ)
    枕辺に残すほどではないメモを走り書きして食卓に置く

 「○○を冷蔵庫から出してチンして食べてね」といった程度の内容のメモか?
     〔答〕 オムレツはチンして食べて わたくしは今日も「指輪」を聴きに行くから  鳥羽省三


(都季)
    続かないラリーの隙間を埋めていく卓球台を転がる笑い

 「卓球台を転がる笑い」が、ピンポン玉の転がる様子と、その周囲の有様を想像させて面白い。
     〔答〕 温泉の一夜泊まりの卓球の転がる玉に転がる笑い  鳥羽省三


(美木)
    食卓の醤油を使い切るまでの長さで一人になったと感じ

 キッコーマンの例の小瓶に入った醤油を「使い切るまで」の時間の長いこと。
 我が家の別居中の息子などは、「あまり長く使っていないと腐ってしまうから勿体ない」と言って、行きつけの回転寿司屋の小袋に入ったヤツを持って来て使っているようだ。
     〔答〕 面倒だ勿体無いを口実にお風呂もたまに沸かすだけだね  鳥羽省三 


(ほたる)
    教わったうちのひとつが左手のブラインドタッチで電卓を打つ

 一首の意を正確に辿って行くと、「(かなり遅めの寿退職をしたお局さんからは、お小言と一緒に、実に多くのことを教わったが、)教わったうちのひとつが左手(の指を全部用いての電卓)のブラインドタッチで(あった。)(そこで、今朝は、教えてくださったお局さんの新妻ぶりを想像しながら、)電卓を(教わったブラインドタッチで)打つ」ということになる。
 それを一首にまとめてしまうのだから、ほたるさんの詠歌力(うたよみじから)はすごい。
     〔答〕 教わった場所の多くは給湯室 お湯沸かしつつ上司の悪口  鳥羽省三


(近藤かすみ)
    永遠に触れらるることなきままの√キー持つCASIO電卓

 四句目は、「るーときーもつ」と読むのか?
 「√キー」を「持つ」のは「CASIO電卓」だけですか?
     〔答〕 永遠に見ること出来ぬ我が背中 このごろ妻が洗ってくれる  鳥羽省三


(HY)
    初志貫徹手段選ばす貫いた江川卓のそれも人生

 江川卓の「空白の一日」は、あまりにも有名である。
     〔答〕 初志貫徹できずに負けることもあるそれでも江川は先発投手  

一首を切り裂く(094:彼方)

(夏実麦太朗)
    そのかたち自由自在に変えながら空の彼方へ行くレジ袋

 「レジ袋」は「そのかたち」を「自由自在に変えながら」「空の彼方へ行く」のではなくて、<自由自在に変えられながら>空の彼方へ行くのである。 
 その昔は、材料がポリエチレンであることから<ポリ袋>と呼ばれていた例の「袋」の呼び名が、昨今では、「レジ袋」と呼ばれるようになった。
 つい最近、私が、この袋のことを、レジ袋では無く<ポリ袋>と呼んだら、「そんな言い方をしたら、警察官が持っている袋と間違われるから、ここは偏見を捨てて、ポリ袋と呼べよ」と嗜められた。
 そういうことですから、「レジ袋」という、この呼び名は、このまま定着してしまうに違いない。
 材料がポリエチレンでなくなっても、呼び名を変更する必要が無いからでもある。
 ところで、昨年辺りは、エコ社会に対応するためにレジ袋の廃止運動が盛んに行われような気配を見せていたのだが、いつの間にかその運動も凋んでしまった。
 作中の「レジ袋」の行方も気になるが、<レジ袋廃止運動>の行方はそれ以上に気になる。
     〔答〕 そのかたち勝手気ままに変えられて風に漂うレジ袋かも  鳥羽省三


(小早川忠義)
    出会ふ前のまたは離れてしまひたる友とは何の彼方にをらむ

 「離れてしまひたる友」は、今はともかく、離れる前には紛れも無い「友」であったのだが、「出会ふ前」の「友」は、まだ出会っていないのだから常識的には「友」とは言えない。
 それなのに「友」と呼んでいるところに、本作の作者のロマンティズムが認められる。
     〔答〕 山の穴 山のあなたの空遠く 未だ出会わぬ友が住むのか  鳥羽省三
 拙作の冒頭の「山の穴」については、今さら解説を要さないであろう。
 

(佐藤羽美)
    彼方まで気球観測しておりぬ妹に深い渓谷のあり

 作中の「妹」の胸の中に存在する「渓谷」は深くて広い。
 故に、妹は「彼方まで気球観測して」いるのである。
 気宇壮大は、何も男子の気構えの大きさだけを形容する語句ではない。
     〔答〕 彼方までアドバルーンなどぶち揚げて誰の渓谷覗くのか鳥羽  鳥羽省三 


(虫武一俊)
    彼方から髭のひとりも現れてあきらめなさいと言ってくれぬか

 「髭のひとり」の誰彼を、いろいろと詮索してみるのが面白い。
 髭と言えば、大国主命の髭、聖徳太子の髭、明治天皇の髭、伊藤博文の髭。
 彼らは、髭の所有者なるが故に紙幣の図柄となっているのだ。
 髭の彼らを図柄とした日本銀行券は、「鳩山くん、マニフェストの実現は、もうあきらめなさい」と言ってくれるのだろうか?
     〔答〕 髭立てず腹も立てずに鳩山の由紀夫は何時まで持つのだろうか  鳥羽省三


(振戸りく)
    此方から彼方に変わる瞬間の場所と時間を教えてください

 私の連れ合いは、夜遅くまでテレビを観ていたりしている時、時計が十二時を回ると、「ああ、もう明日になってしまった。いや、間違った。今は今日であって明日ではない。私たちは明日という日に巡り会うことが、永久に出来ないのだ」などと言って洒落めかす。
 そう、我が連れ合いの言うが如く、「明日」は「今日」を基準としての「明日」であって、今日になってしまえば、それは明日では無いのである。 
 それと同じように、「彼方」は「此方」を基準としての「彼方」である。
 故に、「彼方」に行ってしまえば、其処は「此方」であって「彼方」ではないのである。
 だから、此方と彼方の境目となる「場所」や「時間」を特定することは永久に不可能である。
 ところで、昨今の世間では、<元カレ>という変な言葉が跳梁跋扈している。
 その<元カレ>とは、<現役の彼氏>に対しての<退役の彼氏>を指して言う言葉であろうが、そもそも、彼女の対象者であるところの男性は、あくまでも<彼氏>であり、世間には、<現役の彼氏>の略語としての<現カレ>と言う言い方は無いから、それと相対的な関係になる<元カレ>という言い方は成立しないはずである。
 成立しないはずの言葉<元カレ>を成立させるために、世間の馬鹿どもは、その相対語として、最近、<今カレ>という、<元カレ>に更に輪を掛けたようにして意味不明な言葉を急浮上させ出した。
 自分の居る時間軸が常に<今日>であるように、彼女と相対する者は、常に<彼>ないし<彼氏>である。
 だから、<今カレ>とか<元カレ>とかいうような言葉を、何の疑問も無しに使っている者は馬鹿としか言えない。
 仮に、<カレ>という言葉の対義語がどうしても欲しいのならば、それは、<元カレ>では無くて<非カレ>であろうか。
    〔答〕 今日明日の狭間と言うと思い出す江川卓の空いた一日  鳥羽省三 


(五十嵐きよみ)
    忘却の彼方ですけどリカちゃんと昔はおなじ年齢でした

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用であるが、「リカちゃん(Licca-chan)はタカラ(現タカラトミー)製の着せ替え人形玩具。フルネームは香山リカ(Licca Kayama )。日本人らしい身長や顔立ちで、親近感が沸くように作られている。累計出荷数は5000万体を超える」、「誕生日:5月3日/年齢:11歳(小学5年生)/血液型:O型」である。

 本作の作者の五十嵐きよみさんが、「リカちゃん」と「おなじ年齢」であったのは、一体、何年前のことであろうか。
 <十年ひと昔>という言葉が在るが、その言葉に従えば、五十嵐きよみさんは、ひと昔やふた昔では無い、ずーっと、ずーっと昔のことを話しているのである。
 ことの序でに、例の知ったかぶりで、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から仕入れた知識を披瀝すると、日本人とフランス人との間に生まれたハーフとして設定されたリカちゃんは、当時、ハーフの少女タレントとして人気絶頂だった、高見エミリさん、現在の鳩山エミリさんをモデルとして設定されたのだそうだ。
 だとすれば、現役宰相の実弟の鳩山邦夫氏は、友だちの友だちがアルカイダだったり、お母さんから数億円を貰ったり、奥様がリカちゃん人形のモデルだったりして、現代、類い希な幸せ者であろう。
     〔答〕 往年のリカちゃん人形のモデルさん今の首相の義理のいもうと  鳥羽省三


(近藤かすみ)
    雲間より光の降りて山の端の彼方に見ゆる天使の梯子

 五十嵐きよみさんがリカちゃん人形を語れば、近藤かすみさんは「天使の梯子」を語る。
 共に、叶わぬ夢を語りたくなるようなご年配であられましょうか?
 でも、「雲間より光の降りて」来ることもありましょうから、今年一年、またがんばって下さい。
 近藤かすみさんが撤退してしまえば、「題詠2010」は闇夜になりましょうから。
     〔答〕 闇を行く想いしながら歌を読む時折り出会う秀歌頼みて  鳥羽省三


(蓮野 唯)
    鼻先で閉じた扉が語ってる心はとうに彼方へ去った

 こちらは、リカちゃん人形とも天使の梯子とも、縁もゆかりも無い蓮野唯さんの作品でありますが、少々意味の解り難いところが在ったとしても、それは尻取り短歌のせいでありますから、勘弁していただきましょうか。
 それにしても、その「先」で扉を閉じられるくらいの「鼻」とは、一体どんなに高い鼻なんでしょうか?
 その正確な寸法は分かりませんが、そんなに高い鼻の持ち主だから、貴女は彼に逃げられるんですよ。
 「心はとうに彼方へ去った」などと、ふて腐れて居ないで、そんな鼻などは自分でへし折って、大急ぎで彼を探してきて、もう一度彼とやり直しなさい。
 決して、諦めてはいけません。
 彼は案外近くにいるのですから。
 目と鼻の先に。
     〔答〕 鼻先で笑っていても泣いているとうの彼方に去った心が  鳥羽省三


(今泉洋子)
    瑠璃色の空の彼方にむなしさをひとつおきさり闌けてゆく秋

 こちらの作者は、お年も欲望もお忘れになられたお方の作品である。
 でも、ご本人のご力量から推してみて、いかにも投げやりな作品と思われ、「題詠」全盛の新古今時代に紛れ込んだような感じが致します。
     〔答〕 投げ遣れば実も蓋も無きダイエーの特価売り場に買ふ物のなし  鳥羽省三


(ほたる)
    彼方より空耳がしてスキップで渡る横断歩道の鍵盤

 しんがりは、お年に不足(?)のほたるさん。
 だんだら模様の「横断歩道」をピアノの「鍵盤」に見立てたのが、この作品の手柄でしょう。
 それで以って、初めて、「スキップで渡る」という表現も生きて来るのである。
 意識したり計算したりしないで、そうした効果的な表現が出来る所に、本作の作者の強みがある。
     〔答〕 彼方には蛍狩りの児まっている摑まえられて一夜光りな  鳥羽省三
        蛍狩りは子供では無く大人にて尻を剥かれて光らせられた   同

一首を切り裂く(093:鼻)

(桑原憂太郎)
    シラカバの花粉の舞ひし学舎で生徒の嘘を鼻が感じる

 「シラカバ」が出て来ると、山の分教場みたいですが、それは評者の不勉強。
 最近は、都会の学校の校庭などにも白樺が植えられています。
 教育予算の削減続きの今日では、教室や職員室のサッシもガタピシ。
 そのガタピシの学舎の窓から、その季節になるとシラカバの花粉が舞い入って来る。
 本作の作作者・桑原憂太郎教諭は、そのシラカバの花粉にやられて苦しんでいる。
 時折り、くしゃみなどもするから、生徒達から、句洒魅先生なとどという風流なニックネームなども奉られている。
 その句洒魅先生の鼻が、生徒のついた些細な「嘘」を感受したのだ。
 「一昨日、僕が遅刻したのは、通学に使っているチャリンコがパンクしていたからだ」と言った白場香くんの言葉は本当はウソで、「彼は、通学の途中で有馬記念の馬券を買いにいったのだ」と。
     〔答〕 くしゃみして生徒のウソを感受して実に多忙な先生の鼻  鳥羽省三


(西中眞二郎)
     けだるさは鼻風邪程度のことなれど そを口実に会うを断る

 「けだるさは鼻風邪程度のことだけどそれを理由に会うの断る」とすれば、<しなやか>な口語短歌になるんだけど、それをそうしないで、「けだるさは鼻風邪程度のことなれど そを口実に会うを断る」と、口語と文語の折衷体にしてしまうのは、西中眞二郎氏独自のご理論有ってのことだろうとはお見受けするが、少し<したたか>さをも感じます。
     〔答〕 したたかを装ってするしなやかさ西中短歌の神髄見たり  鳥羽省三


(理阿弥)
    革命の二百年記に歌はるる仏蘭西国歌(マルセイエーズ)が今朝の鼻唄

 こちら、理阿弥氏の作品は文語短歌ではあるが、使用している言葉が言葉だから、何の抵抗も無く、口語派にも受け入れられるであろう。
 「今朝の鼻唄」が「仏蘭西国歌(マルセイエーズ)」であるところに、本作の作者・理阿弥氏の教養と情熱が感じられる。
     〔答〕 鼻唄に「花街の母」歌ひつつ寅年初めの連休に居り  鳥羽省三


(伊藤夏人)
    鼻息を感じる程に近付けたそこで一気に行くべきだった

 ボクシングの内藤選手の反省の弁ですか。
 それとも、・・・・・・・・。
     〔答〕 鼻息を感じる程に近づけてそこで肘鉄喰らわす女  鳥羽省三 


(五十嵐きよみ)
    鼻と鼻こっそり合わせてみたかった従兄をまねて従兄の犬と

 詩人の<まどみちお>氏が、百歳のご高齢に達せられたとかで、松の内のNHKテレビに出ておられましたが、この一首を読み、先ず、最初に思ったのはそのことでした。
 「鼻と鼻こっそり合わせ」となると、ぞうさんとぞうさんとの象舎でのご挨拶みたいですね。
 でも、それを童話的世界に止まらせずに、「鼻と鼻こっそり合わせてみたかった」としながらも、すぐさま、「従兄をまねて」と、少し隠微な味わいを添える。
 そして最後に、「従兄の犬と」と、ウルトラW級の捻りを入れるところなどは、さすが五十嵐きよみさん。
 私如き凡才の及ぶところではありません。
 脱帽。
     〔答〕 くちびるを耳に近づけ伝へたし不倫の味も幽かに在ると  鳥羽省三


(近藤かすみ)
    鼻のわきの毛穴の脂を取るといふ黒き紙売るドラッグストア

 インターネツト・サーフィンをしていると、実に多くの<脂取りの紙>に出会いますが、その一つに次のような商品がありました。

 「あ-7.リトマス的あぶらとり紙」

 <レギュラーサイズ(左)>
 寸法:72×100ミリ
 入り数:50枚
 価格:350円(税抜き)
 
 <ビッグサイズ(右)>
 寸法:100×100ミリ
 入り数:50枚
 価格:380円(税抜き)

 吸って、判定して、笑顔になれる。
 あぶらを吸うことによって浮き上がる隠れキャラ(全60種類)の数で皮脂量をチェック。
 小学校の理科の時間にタイムスリップしたような
 リトマス感覚で…。
 あぶらを取るのが楽しくなります。

 私は、脂取りの紙を使ったことがないから解りませんが、脂取りの紙の広告に必ず書いてある「<レギュラーサイズ(左)>・<ビッグサイズ(右)>」などの「左」「右」には、どんな意味があるのでしょうか?
 どなたか、ご存じの方ご教授下さい。薄謝は<作品のべた褒め>。
 ところで、脂取り紙の<脂を取る側の紙面>は、本作では「黒」と特定していますが、黒に限らず、緑、ピンク、純白と、さまざまな色の品が在ります。
 それは只の装飾で、効能には関係が無いのでしょうか。
 この点についても、何方かご存知の方のご教授を請う。薄謝は<作品の添削及び改作>。

 そろそろ本題に戻りましょう。
 体から分泌される脂肪は、何も「鼻のわきの毛穴」からだけ分泌されるわけではないでしょうのに、本作の作者は、分泌する箇所を敢えて「鼻のわきの毛穴」と限定している。
 その理由は、お題「鼻」にあるとも思われますが、それ以外の理由として、「鼻のわきの毛穴の脂を取る」と述べることによって、熟年女性の醜悪な面貌を連想させる効果があるとも思われます。
 つまり、本作の作者・近藤かすみさんは、「肉を斬らせて骨を斬る」という捨て身の戦法に出たわけでありましょう。さすがだ。
 それから、もう一点。
 下の句の、「黒き紙売るドラッグストア」もなかなか上手い。
 このドラッグストアでは、脂取り用の黒い紙に限らず何でも、白いお粉なども密かに販売しているように見受けられます。
 脂取り用の黒い紙や白いお粉を売っていそうなドラッグストアと言ったら、渋谷ではあの店。
 そうそう、近藤かすみさんは東京住まいではなかった。京都住まいだった。
 上方の人に箱根の関所の外側の話をしても、なんのことやらお解りになられないでしょう。
 ものの序でにもう一言。
 つい先ほど、私は本作について、「下の句」という言葉を使いましたが、その点については、「本作は、その重みの全てが、末尾の『ドラッグストア』に係って行く句切れ無しの作品だ。鳥羽の短歌知らずにも程がある」などとお思いの方も、きっといらっしゃることでしょう。
 でも、それはその方の認識不足です。
 「鼻のわきの毛穴の脂を取るといふ黒き紙売るドラッグストア」というこの一首は、実は、「鼻のわきの毛穴の脂を取るといふ」という上の句と、「黒き紙売るドラッグストア」という下の句から成る、二句切れの作品なのです。
 それなのに、これを、麺棒のようにやたらに長い<句切れ無し>の作品と誤解している人は、「取るといふ」の「いふ」の終止形が、連体形と同形であることを忘れているのです。
 もう少し詳しく説明すると、この一首の話者は、「鼻のわきの毛穴の脂を取るといふ」という所で少し立ち止まり、自分とは異なって、生まれつきの脂性体質のために「鼻のわきの毛穴」からいつも「脂」を吹き出しているような女性の顔を想い浮かべ、それから徐ろに視線をスクランブル交差点の向こう側にやる。
 すると其処に、彼の有名なドラッグストア<KS>があった。
 そこで、「鼻のわきの毛穴の脂を取るといふ黒き紙売るドラッグストア 」という一首全体の構想が纏まるのである。
 先ほどの説明を訂正するようではあるが、「取るといふ」の「いふ」は、終止形とも取れるが、連体形とも取れる。 だから、この一首は、「取るといふ」の所で、切れるようにも見えるが、切れずにその後に係って行くようにも見える。
 つまり、この一首は、<二句切れ>のように見せかけた<句切れ無し>の作品、<句切れ無し>のように見せかけた<二句切れ>の作品なのである。
     〔答〕 醜悪な女性の顔を強調し脂取り紙を黒と決め付け  鳥羽省三


(村本希理子)
    鷲鼻の父魔女鼻の母にして小さき鼻の三姉妹われら

 「鷲鼻の父」「魔女鼻の母」とあるから、本作の作者・村本希理子さんのご両親は、原っぱ系ではなく、ヨーロッパ系の顔立ちをした、その昔の美男美女であったことでしょう。
 その美男美女のご両親から産まれて、「小さき鼻の三姉妹われら」。
 作者は、「三姉妹われら」を「小さき鼻の」と言っているだけで、特別な醜女と言っているわけではない。
 つまり、作者たち「三姉妹」もまた美人なのだ。
 「鷲鼻」と「魔女鼻」を父母として産まれ育った、「小さき鼻の」美女「三姉妹」。
 わーい、これは小説のテーマにだってなるぞ。『若草物語』みたいな。
     〔答〕 鷲鼻も魔女鼻もみな欧州系ヤマトンチュウは鼻が低過ぎ  鳥羽省三  


(佐山みはる)
    目鼻立ち整ひしをとこ懐に黒皮かぼちゃまるまる抱けり

 「まるまる」の位置が大変宜しい。
 副詞「まるまる」を、この位置に置くことによって、「まるまる」とした「黒皮かぼちゃ」の形状のみならず、「目鼻立ち整ひしをとこ」の、「まるまる」とした風姿面貌、そしてその「をとこ」の「懐」の温かさまで解るのだ。
     〔答〕 目鼻立ち整はざりし鳥羽くんが半額弁当抱きてうろちょろ  鳥羽省三 
 

(ほたる)
    限界で溢れてしまう泣くことは鼻の奥だけなら許されて

 「題詠2009」に参加された<艶色四人熟女>、即ち、五十嵐きよみさん、近藤かすみさん、村本希理子さん、佐山みはるさんの後ろに配置すると、この頃は少し薹が立ち気味ではあるが、本作の作者<ほたる>さんの、ご年齢や作品の若さと清楚さとが強調される。
 それにしても、インターネットは便利だ。
 だって、インターネットで短歌を詠んだり、論じたりしている限り、ご本人のご年齢は勿論、ご容貌も、ご体重も、何もかも、少しも判らないんですからね。
 実物の<ほたる>さんは、本名・山中熊子、年齢・七十五歳、体重・75㎏、趣味は餅搗きだったりして。
 それは冗談、冗談、冗談、冗談ですよ。
 それと無く気品の漂う作品を見れば、この鳥羽省三には、何もかも一目瞭然ですよ。
 「限界で溢れてしまう」のは涙。
 決して、涎や鼻水ではない。
 「泣くことは鼻の奥だけなら許されて」ということは、ほたるさんはご両親から、「女はひと前で涙を流して泣いてはいけない。泣く時は、人に隠れて、鼻の奥だけで泣け」と、厳しく躾けられたわけである。
 素晴らしい。
 このご両親在りて、この娘在り。
 でもねー、ほたるさん。ご理解あるご主人でしたら、必ず、こうおっしゃると思いますよ。
 「ほたるー、泣きたい時は俺の胸にすがって泣けー。激しく声を出して泣いていいから」と。
 なんだか、倉本聰作のドラマ『北の国から』みたいになってきたから止めよう。
     〔答〕 泣く時は俺の胸にて思い切り涙流して声張り上げて  鳥羽省三 

一首を切り裂く(092:夕焼け)

(村本希理子)
    つぎつぎと発火する窓 夕焼けの空を巨きな船底がゆく

 上の句の「つぎつぎと発火する窓」とは、西日を受けて輝くマンションなどの窓を指しているのだとは思うのですが、「夕焼けの空を巨きな船底がゆく」の意味が、今ひとつ分かりません。
 「夕焼けの空を」ゆく「大きな船底」とは、或いは、夕焼け空を流れて行く大きな雲を指すのであって、それを「巨きな船」としないで、敢えて「巨きな船底」としたところに、本作の作者の工夫が見られるのであって、それは修辞学的な解明の対象にされるよりは、精神分析学的な解明の対象にされる方が、より相応しいのではないでしょうか。
 作者・村本希理子さんの浪漫的、瞑想的な姿勢が覗われて、大変魅力的な一首に仕上がっております。
     〔答〕 雷鳴はごろごろごろと転がりて友情たちを壊してしまう  鳥羽省三 

   
(佐藤羽美)
    遠慮なく夕焼けは来て僅少の文芸部誌を溶かしてしまう

 「遠慮なく」にやや違和感を覚えます。
 舞台となっているのは某高校の文芸部室。
 わずか三人しか居ない文芸部員の懸命の努力に、理解ある顧問教諭の協力なども手伝って、PTA予算から印刷費用の半額を補助させるという確約も取れたので、毎年一回発行の文芸部誌の刊行にこぎつけることが出来た。
 そして、その後、女生徒だけ三人の部員の更なる奮闘の甲斐あって、刊行時、三百部もあった文芸部誌も残りあとわずか数冊となった。
 その、残り数冊となってしまった部誌を囲んでの三人の部員の談話は、いつまで経っても尽きようとしない。
 そんな三人の気持ちを余所に、今日の日の「夕焼け」は「遠慮なく」やって来て、三人が囲んだ机の上に置かれた 「僅少の文芸部誌を溶かしてしまう」ような感じで、容赦なく輝く。
 何時まで話しても名残は尽きないが、さあ、夕方だ。
 そろそろ最終下校の時刻だ。
 残り三冊となってしまった、三人の部員の汗と涙の結晶の文芸部誌は、それぞれ一冊ずつ自宅に持って帰り、三人の友情の証とし、今日の日の永遠なる記念品としよう。 
     〔答〕 遮断機は遠慮会釈も無く閉まり少女のままに残れる三人  鳥羽省三 


(流水)
    夕焼けの踏切待ちで二人して轢かれ続ける影を見ていた

 「夕焼けの踏切待ちで二人して」「見ていた」「轢かれ続ける影」は、一体誰の「影」なのでしょう。
 その「影」とは、他でもなく、彼と彼女の二人の影なのだ。
 轢かれる前から既に傷んでいた二人の影は、かくして永遠に轢かれ続け、彼と彼女は、永遠に轢かれ続ける自身の影を、永遠に開かない「夕焼けの踏切」に立って、永遠に見つめ続けて行くしかないのだ。
     〔答〕 踏み切りの向こう側には何も無い二人は夢も希望も持たない  鳥羽省三
 

(八朔)
    我が裡に色づくものの衰えてふいに冷えたり夕焼けの空

 「我が裡に色づくものの衰えて」とは、身につまされる。
 ところで、「我が裡に色づくもの」とは何なんでしょうか?
 最も難しい言葉で言えば、「もののあはれ」。
 少し難しい言葉で言えば、「風情を愛する心」。
 最も易しい言葉で言えば、「助平根性」。
     〔答〕 我が家に色づくもののありとせば それは小判だ山吹色の  鳥羽省三


(梅田啓子)
    静脈の浮く手に黒き日傘さし夕焼けのなか橋わたりゆく

 道具立てを揃え過ぎてはいませんか?
 「静脈の浮く手」「黒き日傘」「夕焼け」「橋」、主役級の言葉が目白押しで、おのおの自己主張していて、なかなか纏まりがつきません。
 そして、「静脈の浮く手に→黒き日傘さし」という連文節と、「夕焼けのなか」という連文節とが、互いに対立しながらも同時に、「橋わたりゆく」という連文節に係って行くのだが、これでは、「橋」に懸かる重量が余りに重くて、「橋」が崩落してしまいます。
 この一首の基本構造は、要するに、この作品の<話者>が「橋」を「わたりゆく」と言うだけのことです。
 でも、それだけではもの足りないから、話者が橋を渡って行く背景として「夕焼け」を添えた。
 でも、それでももの足りないから、「夕焼けのなか橋わたりゆく」話者に「黒き日傘」を差させた。
 でも作者は、もっともっと欲張りだから、「黒き日傘さし夕焼けのなか橋わたりゆく」話者の手を、「静脈の浮く手」にしてしまった。
 短歌には<五七五七七・五句・三十一音>という長さの制限が在るから、いくら欲張りの作者でも、これ以上付け加えることは出来ませんが、もし、付け加えたとしたら、「伝へ来しDNAで肺を病み静脈の浮く手に黒き日傘さし夕焼けのなか橋わたりゆく」となりましょうか?
 ご希望とあらば、もっともっと長くして差し上げても宜しいのですが。
 雰囲気だけの歌は、作者ご自身はともかく、作者以外の鑑賞者には、あまり大きな感動を与えませんよ。
 そして、もう一点。
 底意地の悪い評者の挑発に乗ってはいけませんよ。
 冷静に、冷静に。
     〔答〕 鬱病に苦しむ者が二人して神経衰弱やってもつまらん  鳥羽省三
          

(近藤かすみ)
    熟し柿ほろろほろろとやはらかし二人並んで夕焼けを食む

 歌壇の一部には、擬態語や擬声語の、実験的、効果的使用に、積極的に取り組んでいる歌人たちがいらっしゃるが、
未だその成果が十分に上がっているとは言えません。
 本作の「ほろろほろろと」などは、まずまず成功した事例として讃えられましょうか?
     〔答〕 栗の実のばさらざさらと落つるとき伊賀か甲賀かとばかり思ふ  鳥羽省三


(中村成志)
    夕焼けにおびえたようなまなざしの君を見捨てて橋を渡った
 
 ムンクでしょうが、でも、イマイチですね。
 橋は出会いの場所でもあるが、別れの場所でもあるのでありましょうか。
 「君の名は」世代に少し不足している私としては、数寄屋橋の下を川が流れていたことまでは知りませんが。
     〔答〕 夕焼けに脅えて叫ぶ女居て<エドヴァルド・ムンク>のモデルとなりき  鳥羽省三


(nnote)
    謝ってしまいたかった夕焼けに缶コーヒーは冷えてゆくだけ

 「謝ってしまいたかった夕焼けに」謝らないままで居たが、その宙ぶらりんの時間の中で、復縁の仲立ちとなるはずだった「缶コーヒーは」「冷えてゆくだけ」であった、というだけのことであろう。
 <二人の仲が冷えて行く>と言わずに、そのことを表わしたのが手柄か?
     〔答〕 謝ってもらいたかった朝食時 夫は食べずに会社に行った  鳥羽省三

一首を切り裂く(091:冬)

(西中眞二郎)
    灯の点きしビルを背にして冬枯れの欅の古木泰然とあり

 私の散歩道の途中にも、古木とは言えませんが、かなり太い欅並木が在ります。
 散歩と読書とブログ逍遥だけを主な日課として私ですから、時には、一日二万歩以上も歩いてしまいますが、その欅並木の下を通る数分間は、生きていることをしみじみと実感します。
 つい先日まで、黄色く色づいた葉を地上にはらはらと落として、病気がちな私に命の短さを知らせてくれた、その欅並木も、今はすっかり冬木立となってしまった。
 その冬樹の細い枝々の一つ一つに、針のような新芽が密やかにしがみついていることを、昨日の病院帰りに、欅並木の下にしばらく立ち止まって、私は確認致しました。

 元・筑波大学教授の桑原博史氏のご監修になる、「新明解古典シリーズ・10・『徒然草』」の<第八十一段>以降は私の若書きですが、その<第百五十五段>に、彼の兼好法師は、「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて、芽ぐむにあらず。下より兆しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたるゆゑに、待ちとるついで甚だ速し。生・老・病・死の移り来ること、また、これに過ぎたり」と書いて居ります。
 もう間も無く、欅の新芽が膨らみ、赤く色づき、新緑の季節となり、緑陰の恋しき頃となり、それも束の間、黄葉した葉っぱが地上に散り敷いて、私をまた悲しませることでありましょう。
 私のいつも通る欅並木は、本作の欅とは異なって、「灯の点きしビルを背にして」いるのではありません。
 でも、ビルを背にした欅並木の美しさは、また一段と異なった風情が在るに違いありません。
 特に、葉のすっかり落ちた冬樹の頃は。
     〔答〕 故郷の一里塚なる欅古木降りしく雪に埋もれ居るらむ  鳥羽省三
 

(野州)
    乗換えの列車待つ間の長ながし冬の旅ならホッターを聴く

 ハンス・ホッターの歌う「冬の旅」は、私もLPレコードとして持っていて、盤が擦り切れるほど度々聴いた。
     〔答〕 汽車を待つ間合ひに聴きし「冬の旅」 郵便馬車のラッパの音す  鳥羽省三


(髭彦)
    通勤の途次に聴きけりiPodでフィッシャーディスカウの<冬の旅>をば

 こちら髭彦さんは、「iPodでフィッシャーディスカウの<冬の旅>」ですか。
 私の次男は、私の音楽好きを知っているのか、この頃、頻りに、「iPodを持っていると、車中でも、散歩中でも、音楽が聴けるから便利だ。お金が無かったら、自分が出してやるから、iPodを買いなさい」と言うのであるが、私は未だに、そのiPodとやらを買う気になりません。
 音楽というものは、アナログレコードで聴くのが一番だと思っているからです。
     〔答〕 「哀愁のトロイメライ」を観る今宵ディスカウの弾くピアニッシモせつなし  鳥羽省三
 

(青野ことり)
    柊の赤い実灯る路地裏に冬の白さを確かめにゆく

 「柊の赤い実」を燈火に見立てたのが手柄か?
 「柊」の燈火と対比されるのは雪景色の白さであろうが、雪が降らなくても、澄み切った冬の空気もまた「柊の赤い実」と対比される時、「冬の白さを確かめ」るに相応しい条件であろう。
     〔答〕 「ひいらぎ」に点る赤い灯 今宵またママが目当ての客集ふらむ  鳥羽省三 


(水風抱月)
    冬枯れる舗道の木立人気無く都会の肋からからと鳴る

 「冬枯れ」た「舗道の木立」を「都会の肋」とした隠喩は珍しい。
     〔答〕 煌々と燈火またたく肋骨冬の外苑ひと一人だに無し  鳥羽省三 


(近藤かすみ)
    菅直人が岸部一徳にふと見えて冬の窓辺は煙草のにほひ

 事の順序としては、菅直人がふと岸部一徳に見え、その瞬間、「冬の窓辺は煙草のにほひ」に満ちていることに気付いたのであるから、喫煙癖の持ち主は岸辺一徳の方だろうな?
     〔答〕 あの岸辺一徳ほどの悪相の政治家が欲し超絶不況期  鳥羽省三 
 

(鳥羽省三)
    伝承の最も酷き一つにてネズミ音せぬ天保の冬

 お題「冬」の末尾に自作を並べる気になったのは、この名作が、「題詠2009」に並み居る三百人余りの歌人の誰一人からも注目されていないからである。
 この作品を措いて鳥羽省三を語ること無かれ。
 哀れ、鳥羽省三は語る一方で、永遠に語られることが無いのであろうか。
 山背の吹く三陸地方を旅行していると、未だに、「天保の大飢饉」の悲惨さを語る古老に出会うことがある。
 飢饉続きであった天保年間には、蛇や昆虫は勿論のこと、ネズミやモグラまで人間に食べられてしまい、冬になってもネズミの走る音もしない年が、幾年も続いたそうである。
 親から子へ、子から孫へと伝えられた悲しい伝承が、現代まで脈々と流布されているのである。
     〔答〕 わたくしの歌に合せてわたくしが歌詠むことの酷さ悲しさ  鳥羽省三
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