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どこからが

どこからが空かと思う 熱気球の籠のあたりはまさしく空だ     省三

 新年の五日と十二日の二回に亘って、結社ひとり氏がそのブログで奥村短歌について言及している。五日は「ボールペンはミツビシがよく~」について、十二日は「どこまでが空かと思い~」についてであるが、両日とも結社ひとり氏の舌鋒はいつになく冴え渡り、他人にも自分にも厳しいことで有名な、作者の奥村晃作氏を大いに喜ばせた。
 今や<ただごと短歌>の教祖と崇めても過言ではない、あの奥村晃作氏をあそこまで喜悦させたのは、結社ひとり氏の文章のどの辺であろうか。私が思うには、例えば五日分について言うと、「ボールペンに書き味を求めるこの歌の社会的背景はすでに消滅している。それにもかかわらず、この歌に斬新さや活力を感じるのは、読み過ごしてしまう飛躍を感じさせない飛躍にある」と述べた辺り、また、十二日分では、「『どこまでが空か』と問われれば、ほとんどの人は、無限の彼方をイメージして答えるだろう。天文学者は、『空』を『宇宙』と同義として、『ビッグバン後、膨張し続ける宇宙の百数十億光年の果て』と答えるのではないか。しかし、この歌は、読者にはるか遠く高くをイメージさせて、一転、足元の地面までの空間を『空』と、とんでもないことを言っている」と述べた辺りではないだろうか。
 十二日の記事の末尾で、結社ひとり氏は、「『空』を、頭上の空間としてではなく、眼下の地表を境界とする空間として、『結局は 地上スレスレまで空である』という表現は、リアリズムを超えたリアリティがある。この歌は、短歌史上に残るスーパーリアリズムの名作だ。守旧派を前衛と祀る歌壇の読みは、奥村短歌にまだ追いついていない」と断じているが、これは、奥村氏の作品とそれについてのご自身の読み以外の何者をも容認しないという言い方で、大言壮語とも言えるこうした言い方は、私を含めた極く少数の奥村短歌ファンには大いなる爽快感を感じさせるが、その他大勢の歌壇の諸々からは、またあの結社ひとりが大口を叩いたと蔑視され、唾棄されるのかも知れない。
 上掲の、奥村晃作氏の「短歌史上に残るスーパーリアリズムの名作」の本歌取り紛いの腰折れは、ひとえに、そうした名作をものした奥村氏と奥村氏の名作の名作たる所以を正確に言い当てた結社ひとり氏との計り知れない才能に激しい嫉妬心を抱いている私の、<ごまめの歯軋り>とでも思っていただければ、幸甚この上ありません。
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