スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ブログ探訪(その4)

 あの黒田英雄氏が、ご自身のブログ「安輝素日記」の二月六日の記事で、「『短歌人』2月号・秀歌選」の一首として、あの斎藤寛氏の作品「処刑台、にはあらで此を瀧といふ あらがはぬものひたすらに落つ」を採り上げ、本日の記事では、それを鑑賞し、解説して居られる。(今や、黒田・斎藤両氏は〝あの〟付きである。)
 太っ腹な黒田氏のことであるから、何処かの誰かのように、「無断引用・転載禁止」などとは仰らないだろうから、先ず、その全文を転載してみよう。

 この歌の眼目は、普通、滝を処刑台だなどとは思わないことだ。確かに滝の水は、ひたすら上から下へと落ちる。これは、絞首刑の定義と一緒だ。あの滝の立てる轟音が、作者には、足元がぽっかり開き首吊りの縄が伸びるときの音ともとれたのかもしれない。
 現代歌壇に足りないものは、気骨と反骨である。この言葉は、歌壇においてはもはや死語と言うべきだろう。作者の歌には気骨を感じる。結句がいい。この結句にこそ、作者の反骨精神がみなぎっている。方法論先行の歌人が多く、まったく話にならない。
 歌には、もっと作者の個性というものが欲しい。出来不出来ではない。ああ、この人の歌なのだとすぐわかるような個性が欲しいのだ。

 
 黒田氏は、斎藤氏の作品を評して、「現代歌壇に足りないものは、気骨と反骨である。(処刑台という)この言葉は、歌壇においてはもはや死語と言うべきだろう。作者の歌には気骨を感じる。結句がいい。この結句にこそ、作者の反骨精神がみなぎっている。方法論先行の歌人が多く、まったく話にならない。作者の歌には気骨を感じる」と仰せられる。
 黒田氏と斎藤氏とのご関係を言えば、斎藤氏は、『短歌人』誌の二月号に「師匠は支障を生む」というエッセイを掲載したが、それを黒田氏がいち早く取り上げて褒め称えたのも、そこに斎藤氏の「気骨と反骨」を感じたからであろう。
 ところで、黒田英雄氏が「秀歌」と褒め称える斎藤氏の作品、「処刑台、にはあらで此を瀧といふあらがはぬものひたすらに落つ」から私は、「気骨と反骨」だけではなく、確かな「方法論」も感じるのであるが、そんなことを言ったら、私はあの黒田英雄氏から、「お前の眼はまだまだ節穴だらけ、豚のケツ」と笑われるのであろうか?
 「瀧」から「処刑台」を連想した比喩も見事だか、下の句の「あらがはぬものひたすらに落ち」は、真に「言い得て妙」である。
 高井有一氏に、『俄瀧』という短編小説がある。私は斎藤寛氏に、是非、この小説を読むようにお勧めしたい。
 それはそれとして、何処かの家の太郎君も、あまり「あらがは」ないで「落ち」て行けばいいのに。何しろ太郎君は、「堕ち」ても「落ち」ないから困る。


スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

鳥羽省三

Author:鳥羽省三
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。