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短歌ふぉーらむ社企画・編集「馬場あき子の世界」を読む

 奥付に「1991年・初版発行」とあるからかなりの年代物であるが、この頃、暇に任せて、「短歌ふぉーらむ社企画・編集『馬場あき子の世界』」を読んでいる。
 馬場あき子氏ファンの一人である私としては、この方面の本なら何でも読もう、といった気持ちなので、刊行年がどうのこうのとは言っていられないのである。
 この本は、『早苗』から『月華の節』に至るまでの馬場あき子氏の歌集の中から、安永蕗子氏・大島史洋氏など、百八十人余りの著名な歌人が、任意に歌を選び、それぞれ気ままなスタイルで、解説し・鑑賞しているのである。限られた字数の中で要領よくまとめ、その意を充分に述べ尽くしたとおぼしき文あり。その逆とおぼしきもあり。
 そうしたなかで浅野美恵子氏は、歌集『早苗』から、「職安の歩廊の石の冷さを知りけむ子らよ卒業前に」を選んで解説、鑑賞している。
 浅野氏の文章は、最初からたどたどしいが、第二段落は、「就職難はきびしく、職安に人は列をなして並んだ。職安とは『公共職業安定所』の略である。職業紹介事業を中心に無料で公共に奉仕するため、職業安定法に基づいて国が設置している機関である。主に労働者の失業予防、失業者の生活安定、学生生徒の職業紹介などをしている。」と、歌中の語、「職安」の解説に費やしているが、その要領の悪さは、読んでいる私が気の毒に思ったほど。
 浅野氏は、職安という役所の役割を本当に理解してこの件を書いているのだろうか、と言うよりも、いっそのこと、浅野氏には、他人の作品を解説したり、鑑賞したりする文章能力があるのだろうか、とまで言ったら、私の勇み足になるだろうか?
 それはそのくらいにして、先を急ごう。
 浅野氏の文章の圧巻は、何と言っても、「『けむ』は過去の推量の助動詞で「……ただろう」の意味である。「けま・○・けむ・けむ・けめ・○」と活用し連用形である。(以下略)」と、歌中に出て来る、過去推量の助動詞「けむ」について解説した、第四段落である。
 止せばいいのに、その意味もろくろく知らないで引用した、「けま・○・けむ・けむ・けめ・○」という活用表が先ず良くない。
 どんな資料に基づいたのか、浅野氏は、未然形の位置に「けま」を置いているが、これは、助動詞「けむ」が、「け+マ行音」の形で規則変化して行くことから、仮に、これに未然形が在ったとしたら、「けま」という形だったろう、というだけの話で、それが問題となるのは、歌作のための古典文法といったレベルからはもう少し離れた話であって、現に、高校の国語の授業で使われている文法の教科書(副読本)や古語辞典の中で、未然形に「けま」を認めているものは一冊としてない。
 連用形の位置に、その活用形が存在しないことを示す「○」を記しながら、「『けま・○・けむ・けむ・けめ・○』と活用し連用形である。」と述べるのも、また間抜けた話である。
 馬場あき子氏の歌で、この「けむ」の位置は、「~~石の冷さを知りけむ子らよ」となっていて、「子らよ」の「子ら」という「体言」の前に置かれているのだから、これは疑う余地もなく連体形である。
 第一、浅野氏があげた、「けむ」の活用表では、連用形は存在しないのではなかったのか。
 連体形と連用形の区別もつかないで、と言うよりも、自分があげた助動詞の活用表の意味も理解しないで、文語体の短歌の解説わするとは、浅野恵美子氏もなかなかの剛の者である。
 この本が出版されてから二十年余り、浅野恵美子氏の文法力も、あの頃よりは少しは進歩しただろうから、短歌ふぉーらむ社よ、そろそろこの本の改訂版を出したらどうだ。その際は、浅野氏の鑑賞文は、隅々に亘ってまで書き改めるべきであろう。 
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