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今週の朝日歌壇から

○ 社員三人鬱病となしし社に勤め十六年をくたびれ果てぬ   (仙台市) 坂本捷子

「今日の世相そのものを体験に持った歌。作者も鬱情をまぬかれながら『くたびれ果てぬ』とうたう」と、選者の馬場あき子氏は評す。
 「社員三人鬱病となしし社に勤め」と言う上の句中で留意すべき語句は「なしし」である。
 「なしし」とは<過去に於いて為した>ということ。
 これに拘って、この一首を大袈裟に解釈すれば、作者は自分自身が十六年の長きに亘って勤務した会社の内情を暴露し糾弾していることになる。
 そのような会社に長く勤めていれば、自分とて無事で居られるはずはない。
 「自分は鬱病に罹りこそはしなかったが、この会社での十六年ですっかりくたびれてしまった」と作者は言っているのである。
 「十六年をくたびれ果てぬ」という下の句から読み取れるものは、「この十六年間、我慢に我慢を重ねて私は働いて来たが、今となっては、精も魂も尽き果ててしまった」という、作者の憤懣と諦念であろう。
 会社の実名こそ出してはいないが、この一首から、評者が、作者の内部告発的姿勢を読み取ったとしても、決して深読みとは言えないであろう。  
   〔答〕 鬱を病む社員三人首斬りて我が社の経営いよよ安泰   鳥羽省三 


○ 二羽の鳩三日つづけて訪ね来て四日目からは巣を作りおり   (町田市) 高梨守道

 「二・三・四と上ってゆく数詞の遊びが、鳩への親しみを楽しく伝える」とは、選者の佐佐木幸綱氏の評。
 単なる数字遊びに終らせず、「たった二羽でやって来て、しかもわずか三日通っただけで、四日目には、もう巣作りを始めてしまった。あの鳩たちの命の営みのなんと浅はかなことよ」といった、我が家の軒に巣を掛けた鳩たちに対する、話者のの驚きと憐憫の気持ちが表現されているのである。
 「四日目」から始まった巣作りの作業が終わると、やがてその巣の中には、五つの新しい命が誕生するはず。
 佐佐木幸綱氏の言う「数詞の遊び」は、<二・三・四>で終らず、そこに新たな<五>を加え、<六>を跳ばして、<七>にまで発展することが予測される。
   〔答〕 二羽で来て七羽で暮らす鳩たちの糞のこぼるる軒下を往く   鳥羽省三 


○ 渋滞の我が渋面を後続の運転席の顔で悟れり   (東京都) 佐藤利栄

 「渋滞」と「渋面」。
 <じゅう・じゅう>の渋くて重い音声の重なりが、交通渋滞への苛立ちの気持ちを表わしているのである。
 だが、ふと、バックミラーに視線をやったら、そこには「後続の運転席の顔」が映り、それは「渋面」であった。
 そこで作者は、自分もまた後続車のハンドルを握っている人と同じように、渋面を浮かべながら運転しているに違いない、と気が付いたのである。
 末尾の「悟れり」から、はっと気が付き、気を持ち直して「渋面」を止めようとした作者の気持ちの変化が読み取れる。
   〔答〕 後続の運転席の渋面をバックミラーに見つつ走れり   鳥羽省三


○ 冬空に池の金魚らじっとしてゼリーの中の蜜柑のように   (東京都) 古川 桃

 「ゼリーの中の蜜柑のように」という直喩が宜しい。
 「ゼリーの中」だから、ぎゅうぎゅうに縛られ、閉じ込められているわけではない。
 「ゼリーの中の蜜柑のように」という直喩は、単に、「冬空に」「じっとして」耐えている「金魚ら」の様子だけを表わすだけでは無く、その「金魚ら」を包む「池の水」の柔らかく白濁した様子と、晴れやらぬ「冬空」の様子をも表わしているのである。
 「ゼリーの中の蜜柑のように」は、視覚と触覚から発想された比喩なのである。
   〔答〕 冬空を映して清める池水の底にかそけき金魚の生きよ   鳥羽省三         


○ 開けたなら閉めて出てゆけわが猫よこごと言いつつ年暮れ果つる   (豊中市) 玉城和子

 「こごと言いつつ年暮れ果つる」という下の句は、老境に達した作者の暮らし振りと心境とを覗かせていて、それだけで十分に面白いのだが、その「こごと」を「わが猫」に言う所が更に面白い。
 因みに、「開けたなら閉めて」とは、還暦を幾つか過ぎた私の連れ合いが、古希に達した私に向かってよく言う言葉である。
 私は、玉城和子さん宅のニャンコ並みなのか?
   〔答〕 「開けたなら閉めて行って」とまた言われ猫の尻尾を踏んで仕返し   鳥羽省三


○ 東洋の粟散辺地にわれはいてモーツァルトの楽を楽しむ   (八尾市) 水野一也

 この<世界三位の経済大国・日本>を言い表わすのに、事もあろうに「東洋の粟散辺地」とは、何たる言い様。
 さすが、八尾の<あほんたれ>の言うことは、他の人のそれとは違う。
 その口して、あの楽聖<ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト>様の「楽を楽しむ」とは、とんでもない。
 それでも、どうしても音を聴いていたいのなら、村田英雄や中村美津子の歌声か、勝新太郎のダミ声の科白を聴いたらいかが。         
   〔答〕 大阪の粟散辺地の八尾に居てモーツァルト聴くとはうそのよな話   鳥羽省三 


○ うっすらと埃のようにつもるだろうみんなで笑った今日の記憶は   (佐倉市) 船岡みさ

 「楽しかった一日、それすらも埃のような記憶として『つもるだろう』と言う。時間の生理と言えばそうだが、どこか将来の儚い影を暗示するような歌だ」とは、選者・永田和宏氏の弁である。
 だが、その一面、永田氏の言う「将来の儚い影」を意識するあまり、<楽しかった一日>をそれほどにも楽しめず、「みんなで笑った」その笑いの中にも、十分には溶け込めなかった話者の心情が覗き見られるのではないだろうか。 
   〔答〕 塵埃の底に沈める面影のふと甦る今朝の初雪   鳥羽省三  
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ありがとうございました。

こんにちは。
題詠blog2009では、大変お世話になりました。
たくさんの拙作を取り上げていただき感謝しています。
お礼に、というわけではありませんが、ちょっとだけ
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ご覧いただけると幸いです。
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