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一首を切り裂く(074:肩)

(みつき)
    とどめおくことかなわざる春の雪 見送る君の肩に舞い落つ

 二句目までのひらがな書きにどんな意味があるのでしょうか?
 また、二句目「かなわざる」の「ざる」は、文語の打消しの助動詞「ず」の連体形ですから、本作は文語短歌と看做されます。
 そこで、仮名遣いを文語に統一して、「とどめ置くこと叶はざる春のゆき見送る君の肩に舞ひ落つ」としたらいかがでしょうか。
 また、一首全体を口語にして、「とどめ置くことの叶わぬ春のゆき見送る君の肩に舞い落ち」としても宜しいでしょう。
 いずれにしろ、文語と口語のごちゃ混ぜや無意味なひらがな書きは、不誠実な手抜きと看做されましょう。 
     〔答〕 留め置くこと叶はざる君の肩をりから降れる春の淡雪  鳥羽省三


(髭彦)
    根つめて翻訳なせる吾妹子の肩をもまずに一日(ひとひ)終はらず

 幕末の岡山で万葉調の歌をよくした平賀元義は、<吾妹子歌人>とあだ名されていた。
 彼は、今日的な物差しで計れば必ずしも愛妻家とは言えないが、一種の恋愛至上主義者、男女平等論者であって、彼の作る和歌の中には、頻りに<吾妹子>という語が使われていたのである。
 その<吾妹子>という語を用いた彼の和歌を一首紹介すると、「五番町石橋の上にわがまらを手草(たぐさ)にとりし吾妹子あはれ」。
 この和歌は、彼が岡山・五番町の石橋の上に立って立小便をしていたところ、その橋の畔の屋敷の女中が悪戯心を起こして、彼の男根をギュッと握り締めたので、それに取材して詠んだのだと言う。
 これ(元義作)とあれ(髭彦氏作)とを比較してみると、幕末と平成との世相の違いや歌人の暮らし向きの違いなどが浮き彫りにされていて、興味深いものがある。
 即ち、幕末の吾妹子歌人・平賀元義は池田侯の家臣ながら、妻子を捨て置いて女中と戯れている。
 平成の吾妹子歌人・髭彦氏は、長年の教師生活から退いた後、「吾妹子の肩をもまずに一日終はらず」という奥様孝行振りを発揮している。
 奥様も奥様なら髭彦氏も髭彦氏である。
 幕末の吾妹子歌人は、女中に魔羅をもみもみされる。
 平成の吾妹子歌人は、奥様のお肩をもみもみする。
 もみもみしたりされたりする箇所の違いも大きいが、「する」と「される」の違いも大きい。
 この差異は、時代の違いがもたらしたのであろうか?
 人柄の違いがもたらしたのであろうか?
     〔答〕 吾妹子の肩を手握りもみもみす亭主かたなし髭彦あはれ  鳥羽省三  
    
 
(原田 町)
    肩凝りをこぼせば腰痛うったえてトクホン貼りあう偕老同穴

 こちらは共同作業であるから、髭彦さん宅よりはいくらか増し。
     〔答〕 「肩凝りに腰の痛みにサロンパス」トクホン貼っても痛み取れない  鳥羽省三 


(佐藤羽美)
    ねえタツさんそろそろうちへ帰りましょう雪絵の肩にかかる木漏れ日

 「雪絵の肩にかかる木漏れ日」は、何の前兆か?
 関口夫妻の前途危うし。
     〔答〕 「ねえ雪絵、そろそろ眠たくなっちゃった」「それは嘘でしょう、寝たいのでしょう」  鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
    天使への昇級試験を待つような肩甲骨が浜辺にならぶ

 肩甲骨の尖がり具合が「天使昇級試験」の合否を左右するのである。
     〔答〕 天使への昇級試験を終えたあと沈む夕陽に受験者が泣く  鳥羽省三  


(虫武一俊)
    なで肩がこっちを責めていかり肩が空ろに笑う面接だった

 面接試験の面接官は、常に二人組。
 漫才同様に、片方が突っ込み役で、もう片方は呆け役なのである。
     〔答〕 なで肩はいかり肩より下っ端で合否の判定権限は無し  鳥羽省三


(南 葦太)
    その肩にその指先にその頬に 触れてく風に嫉妬していた

 人間は風にそよぐ葦である。
 故に、風吹けば風に泣き、雨降れば雨に泣く。
     〔答〕 頬撫でる風に嫉妬をする勿れ明日は葦太の風が吹くのだ  鳥羽省三


(しおり)
    幼子と繋ぐ貴方の左手は夕べわたしの肩を抱いてた

 片手だけで女性を抱いてはいけません。
     〔答〕 幼子と繋いだ片手で肩を抱きもう一方で乳房まさぐる  鳥羽省三


(磯野カヅオ)
    オクターブ差のある声で「靴が鳴る」交互に歌ふ肩車かな

 鬼才・磯野カヅオ氏の堕落、ここに至れり。
 家庭の平和は芸術の敵だ。
     〔答〕 肩車されてるボクがソプラノでしているパパがテナーで唄う  鳥羽省三  
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おじゃまします

鳥羽さま

「一首を切り裂く73・74」にてご指摘のことに関してですが・・

私は、基本的には現代仮名に統一しており、たまに文語で詠む時も変えてはおりませんでした。
そして逆に、口語短歌を旧仮名で表記する方も大勢いらっしゃいますね。

一首ごとに明確な意思をもって変えていらっしゃる鳥羽さまのご意見はご尤もとも思え
文語ならば旧仮名で、口語なら現代仮名で表記すべきだということですね。

ただ、歌集などにするとき、仮名遣いを統一しておいたほうがいいと思われている方が多い?
あるいはそのようにすべきだと教わった方が多いということでしょうか。

ありがとうございます

あけましておめでとうございます。
あしたの風を待っていたら、いつのまにか置いて行かれました。

口語文語、仮名遣いに関しましては、必然があるならば、どのような形式でも構わない、という立場を取らせて頂きます。適宜適当に、「自分のやりたいことに合っているもの」を選択すべきだと愚行致します。個人的には、主に文語の素養の問題と、普段使いの簡便さから口語現代仮名遣い一択にならざるを得ないのですが。

太宰府はいずれにしても春 東風も掴もうとしたあしたの風も(asita)

ありがとうございます

鳥羽さま

お久し振りです。
今回は歌を取り上げていただきありがとうございました。

ご指摘のこと、意識せずに詠んでしまいましたので、その通りだと思います。
お恥ずかしい限りです。

統一していただいた、
とどめ置くこと叶はざる春のゆき見送る君の肩に舞ひ落つ
はいいですね。
ありがとうございます。

今後ともどうぞよろしくお願いします。
プロフィール

鳥羽省三

Author:鳥羽省三
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