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今週の朝日歌壇から

○  下茹でを終へて真白き大根をおでんの中に沈めゆくかな         (京都市) 才野 洋

 煮込みおでんに懸命な<私>が居て、それを眺めている<わたし>がいる。
 <わたし>が<私>に話しかける。
 「あんたは、この頃ずいぶん腕を上げたが、それは何か、定年離婚を想定しての勉強かね」と。
 <私>が<わたし>に応える。
 「そうでもあるとも言えるが、そうでもないとも言える。下茹でされた、この大根の沈んで行く様をゆっくりと見てみろ。これは大根役者の登場では無くて、千両役者の登場だ。身体を揺すり揺すりしながら、おでん鍋という花舞台の一番真ん中に座を占めるようにして、ゆっくりゆっくり沈んで行くのだ。これを見つめている、今という時間が貴重なのだ。定年後のことなどは、二の次、三の次さ」と。
     〔答〕 糸コンがふるる震えて沈むとき竹輪の穴はしとど濡れてる  鳥羽省三
 

○  マネキンはマネキンなれど怖々とスカート覗く少年がゐる        (東京都府中市) 市川きつね

 その昔、「十代の性典」という映画があったことを思い出しました。
 主役は、たしか若尾文子。
 インターネットで調べてみたら、1953年製作とありました。
 その年、わたくし鳥羽省三は十三歳。
 健気にも、光座という大映映画専門の二番館の硬い椅子に腰掛け、数十年後の参議院議員選挙に泡沫候補として立候補される女性の半裸体に見とれて居りました。
     〔答〕 マネキンはマネキンなれば怖々とスカートめくるまではせざりき  鳥羽省三 
 


○  何ごとか背広に赤子背負いたる主任が部長室におりたり         (調布市) 水上香葉

 「おりたり」は、「居りたり」とも「降りたり」とも解釈できる。
 もし前者ならば、話者の<私>は、取締役営業部長の女性秘書という想定なのか?
     〔答〕 仕事着に赤子背負った主任来て暇な部長とひそひそ話  鳥羽省三 


○  ノルマ果たせぬ友が気負いし忘年会泥鰌すくいのしみじみとして     (吹田市) 小林 昇

 ご本人が一所懸命なだけに、友人として見ても居られない無残な光景なのでしょう。
     〔答〕 安来よいとこ、あらエツサッサ、褌はずれて鯰が顔出した  鳥羽省三


○  ゆるやかに残像回る 天を突く大観覧車ありし虚空を          (岡山市) 光畑勝弘

 岡山市にも不況の波が押し寄せ、遊園地の「大観覧車」が撤去されたということを知って驚きました。
 瀬戸内の浜に打ち寄せる波はさざ波だとばかり思っていたのに。
 「天を突く大観覧車」が撤去された後も、ついうっかり元の観覧車の在った辺りの空に視線をやり、その時、失われたはずの「大観覧車」が「ゆるやかに」回っているように感じた、ということはいかにもありそうなことです。
 「虚空」とは、単なる空間を指すものではなく、「天を突く大観覧車」が失われた「虚しい空」の意。
     〔答〕 ゆるやかに波打ち寄せる砂浜に影を落として回れ観覧車  鳥羽省三 


○  酔い痴れて真夜の階段のぼるとき冥き底より綾蝶(ハブラ)舞い来たり   (奄美市) 浜田ゆり子

 本作を入選作とされた高野公彦氏は、この作品について「酩酊感の象徴のような綾蝶」と述べて居られる。
 私も、高野氏の弁と同じような感想を覚えるが、もう一つ付け加えると、本作での「綾蝶」とは、美しい翼を持った蝶を指す「綾蝶」であると同時に、沖縄地方独特の弦楽器、「綾蝶」と呼ばれる三線の音色とそれに合せて唄われる「綾蝶節(エエ四)」では無いかと思われます。
 もしそうならば、作中の<私>が、真夜中に酩酊状態で酒場の階段を昇っている時、下階の闇の底から、綾蝶節の妙なる調べが聞こえて来た。酒に酔い痴れた状態でその音を聴いた<私>は、かつて目にしたことのある、翼の美しい「綾蝶=ハブラ」が暗い闇の底から舞い上がって来るような感じだと思った、と言うことではないでしょうか。
     〔答〕 酔い痴れて綾蝶(ハブラ)叩けば舞い上がるリュウキュウアサギマダラの蝶が  鳥羽省三    


○  こんこんと眠る幼なのこんこんが聞こえてきそう冬の訪れ        (高槻市) 有田里絵

 雪国で暮らしていた者の実感として、「こんこんと眠る幼なのこんこんが」、本当に「聞こえてきそうな」冬の日があることを感じます。
 でも、作者の居住地が大阪府高槻市であることにはいささか奇異な感じを覚えます。
 私の弟一家も高槻市の住人ですが、大阪府の内陸部、摂津地方では、降雪が無くても急激な気温の変化などで、「冬の訪れ」が実感され、「こんこんと眠る幼なのこんこんが聞こえてきそう」な日があるのでしょうか。
     〔答〕 こんこんと眠りし子らも出で行きて暮れには帰り来んかとぞ待つ  鳥羽省三


○  二十余年英語の獄舎で和歌を詠む郷氏は英語も抜群にうまい       (アメリカ) 大竹幾久子

 私は今さら、「新聞は社会の公器だ」などという俗説を信じているわけではない。
 新聞社と言えども、ただの一営利企業に過ぎないから、社説やコラムで主張できないことを「声」欄や「歌壇」「俳壇」の投稿記事や作品に代弁させるようなことは間々在り得るに違いないが、それも程度問題であろう。
 ひと頃、朝日歌壇を賑わせたホームレス歌人の公田耕一氏の作品や、アメリカ西海岸の獄窓から投稿して来る、郷隼人氏の作品には、私も大いなる感動を覚えることがある。
 しかし、彼らとて短歌大明神の化身ではないから、時には欠詠することもありましょうし、投稿したけれども、選者のお眼鏡に適わずに掲載されなかった、ということもありましょう。
 そうした時、私は、「あれ、今週は公田さんのも、郷さんのも載ってない。公田さんは定職に就かれて、ホームレス歌人でなくなったのかしら。郷隼人さんは、この頃、アメリカ西海岸で悪性の風邪が流行っているらしいから、そのせいではないかしら」などと心配したりもする。
 そんな時、私の目に着くのは、彼らの境遇を哀れんだり、彼らの感情に共感を覚えたりしているような内容の作品や、彼らの作品に対するオマージュめいた作品である。
 そうした作品が、文芸たる短歌として、真に観賞に値するような作品ならば文句をつけようも無い。
 また、彼らの作品が掲載されていないとき、一種の話題作りめいた策略として、その種の作品が掲載されることは、新聞歌壇も一種の記事に違いないから、或いは許されることかも知れない。
 しかし、それも当該作品の出来如何であり、程度問題である。
 私が思うには、最近の朝日歌壇のやり口は、明らかにその程度を越えている。
 そして、その種の作品の出来栄えも、当歌壇の入選レベルに達しているものばかりとは、決して思えない。
 前口上が長引いてしまったので、そろそろ本題に戻そう。
 大竹幾久子さん作の上掲の作品に接しての私の感想は、「それもそうでしょうね。郷隼人さんの滞米生活もずいぶん長いから。でも、それでどうしたの。」といった程度のものなのである。
 何故ならば、其処には、優れた短歌作品として必要な、言葉と言葉との新鮮な衝突も認められないし、キラリと輝く新発見も認められないからである。
 それは、私の感性の鈍さに起因するものかも知れないし、好みの問題なのかも知れない。
 しかし、今日の私には、当該作品を本気になって推奨したい気持ちがいささかも無いのである。
     〔答〕 郷さんの薩摩訛りの発音が看守の耳に逆らひゐし日々  鳥羽省三
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