スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一首を切り裂く(064:宮)

(庭鳥)
    場違いと身をこわばらせ足早に通り過ぎたの神宮前を

 私たち庶民にとって、渋谷区「神宮前」という地名は確かに「場違い」かも知れない。
 卑しくも、車馬下乗の明治神宮様の直前の土地なのだから。
 しかし、何も「身をこわばらせ足早に通り過ぎた」りする必要はあるまい。
 ところで、<庭鳥>が「身をこわばらせ」るとは、どんな様子を指すのだろうか?
     〔答〕 場違ひと身を竦めてぞ通り過ぐ原宿駅内皇室ホーム  鳥羽省三


(みぎわ)
    音立てて葉は舞ひ上がり降り沈み神宮外苑ひかりのシャワー
(岡本雅哉)
    さめやらぬ熱をかかえて歩いてるいちょう並木の神宮外苑

 二首とも、明治神宮外苑の公孫樹並木を詠んでいる。
 ものと取り様、見方は様々。
 ご贔屓のヤクルトが大勝した日には「ひかりのシャワー」と感じた神宮外苑の公孫樹並木も、ヤクルトが惜敗すると「さめやらぬ熱をかかえて」歩くことになる。
     〔答〕 外苑の公孫樹並木が呼んでゐる日清・日露のいくさ思へと  鳥羽省三

 
(ゆき)
    橘の小島の契り千年経り匂宮よいづこにおはす

 『源氏物語』五十一帖は「浮舟」。
 その浮舟を誘拐同然に連れ出し、強引にに関係するのが「匂宮」である。
 「橘の小島」とは、匂宮に誘われて宇治川対岸の隠れ家に向かう途中、浮舟が、今の自分の不安な心境を風景に託して詠んだ和歌、「橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ」に依る。
 「浮舟」に取材して歌を詠む場合は、通常、ヒロインの浮舟の境涯を哀れんだり、偲んだりして詠むのであるが、本作の作者<ゆき>さんは、ドンファン・匂宮を偲んでこの作品を詠んでいる。
 女性とは本質的に、「誘惑されたい、犯されたい」という願望を備えた生物であろうか?
     〔答〕 橘の小島の色はともかくもこの道ゆきの行方知らずも  鳥羽省三


(橘みちよ)
    み社の鳥居に木々に斎宮の記憶やどるか木霊は棲むか

 古典文学に取材した作品が続いて、国文専攻の「むかし男」としてはすこぶる嬉しい。
 こちらの取材源は、『伊勢物語』の「第六十九段」か。
 在原業平と想定される<むかし男>が伊勢に下向して、伊勢斎宮と密通するのが、『伊勢物語』「第六十九段」の概要である。
 本作の作者<橘みちよ>さんは伊勢神宮に訪れ、「み社の鳥居に木々に斎宮の記憶やどるか木霊は棲むか」と、在りし日の伊勢斎宮と<むかし男>との密通場面を偲んでいるのである。
     〔答〕 今のいま橘かほる女人あり むかし男と斎宮偲ぶ  鳥羽省三 

   
(emi)
    一日を子宮の底で考えるそんな日ばかりだった青春

 一応、男性のみ印を備えている私には、本作の意味を解することは永遠に不可能かも知れない。
 しかし、広いこの世の中には、ハートで感じ、脳髄で考えるのではなく、「子宮の底」で考える者が居たとしても不思議ではない。
 私の尊敬する夢野久作氏は、「脳髄は物を考える所に非ず」という意味不明な言葉を遺して死んだが、今となっては、この言葉は、彼の残した最高の名言として評価され、彼の名を一層高からしめている。
 それにしても、「一日を子宮の底で考えるそんな日ばかりだった青春」とは、どんな青春だったのだろう。
 そんな青春を抱えた女性とめぐり会っていたとしたら、私の青春はどうなっていたであろうか、と思う、この一瞬である。
     〔答〕 「やりたいなやりたいやりたいやりたいなドレメのお姉ちゃんと」と唄った青春  鳥羽省三


(ワンコ山田)
    女って自覚は染色体レベル子宮はなにもかんがえてない

 <ワンコ山田>氏は<emi>さんの敵か味方か?
 それはどうでも、「女って自覚は染色体レベル」という上の句の意味がイマイチ不明確である。
 「<女って>生き物は、自分が人間であるっていう<自覚>は<染色体レベル>しか持っていない」と、世の女性一般を貶したのであろうか?
 それとも、「私はいちおう女であるが、自分が女であるっていう自覚を、染色体レベルしか持っていない」と、自分自身の自覚の足りなさを卑下しているのであろうか?
 そのいずれであるかは不明であるが、それに加えて「子宮はなにもかんがえてない」とも述べているから、本作の作者は、本能的、本質的な女性蔑視主義者に違いない。
     〔答〕 男って自覚は少し有るけれど人たる資格は備えていない  鳥羽省三


(小林ちい)
    急くことに疲れた神を眠らせる狭く静かな私の宮で

 一首全体の意味から推すに、男○は「神」であり、女○は「宮」であると、本作の作者は理解されていらっしゃるらしい。
 真実、「急くことに疲れた神を眠らせる」のは、「狭く静かな私の宮で」である。
     〔答〕 急くことに疲れることも無き今は狭く静かな宮に参らず  鳥羽省三 


(お気楽堂)
    愛される御名前なれば称号の敬宮など忘れてしまう

 敬宮愛子内親王(2001・12・1~ )は愛子様という御名前で呼ばれ、彼女に敬宮(としのみや)と言う称号が在ることを、私たち国民の大多数は意識していない。
 本作の作者<お気楽堂>さんは、ご尊名には似ず、平均的国民以上に皇室に対する尊崇の念が高い方であられましょうか。
 私たち国民の多くが、敬宮という称号の存在を忘れがちな理由を、愛子様というお名前が「愛される御名前なれば」と説明なさって居られるのであります。
 それも一つの見識でありましょうか。
     〔答〕 愛ちゃんと言えば卓球愛ちゃんでそれゆえ彼女を様付けで呼ぶ  鳥羽省三


(ezmi)
    いまもまだ会える気がして終点を確かめている宇都宮線

 本作の解釈は意外に難しい。
 そもそも、JR東日本・東北本線の一部とみなされる「宇都宮線」の存在を認めるかどうか、また、「終点」とは起点の反対概念に過ぎないから、仮に「宇都宮線」の存在を認めたとしても、その「終点」をどの駅と特定するかも問題なのである。
 仮に、本作の登場人物の「私」を、都内在住の男性としてみよう。
 彼は、餃子の街・宇都宮に行こうとして宇都宮線に乗ったのであるが、その途中の大宮駅から、彼好みの一女性が乗車して来て、彼の座席近くに座り、彼と一言二言、挨拶程度の言葉を交わしたのである。
 そのことは、彼女にとっては、さしたる意味も持ってはいなかったが、うぶな彼にとっては、それなりの意味のある体験であった。
 その為、彼は、ただの通りすがりに過ぎない彼女のことを忘れかね、「いまもまだ会える気がして」、「宇都宮線」の「終点」は何処か、と「確かめている」のである。
 彼は、人並み以下の常識しか備えていない男性なののかも知れない。
 彼女は、或いは宇都宮線の一方の終点である、黒磯在住の女人なのかも知れない。
     〔答〕 配偶者ある女とは思わずに今も忘れぬ黒磯の人  鳥羽省三


(今泉洋子)
    古宮の肥前鳥居に少年のはふりあぐる石中々のらず

 たまにはスルーしてしまおうとは思うのだが、今泉洋子さんの作品は、やはり無視し難い。
 「肥前鳥居」とは、どこか特定の神社の一基の鳥居を指して言うのではなく、主として、佐賀県内の神社の境内に建てられている、一定の様式を持った鳥居を指して言うらしい。
 ブログ逍遥の途上でたまたま出会ったあるブロガーの説明によると、その様式とは、「基本的に柱が三本継ぎとなっていて、下部が太く、笠木と島木が一体となり、これも三本継ぎとなっている」そうで、そのブロガーの方は、「室町時代の末期から江戸時代初期にかけて多く造られたそうです。ともかく、足腰が強そうで、どっしりとした素朴な姿をしています。貴方もその味のある容姿の虜になることでしょう。」との、懇切丁寧なご解説をもなさっている。
 大変よく解りました。無断引用、篤く篤くお詫び申し上げます。
 その、どっしりとした「肥前鳥居」が、今泉様ご一家が、ご先祖代々お住まいになって居られる寺院の一廓か何処かに鎮座する、「古宮」の境内に建っているのでありましょうか。
 その「笠木と島木との間の隙間に石を乗せると願望が叶う」という言い伝えがあるのか、今年、受験を控えたような年頃の少年が、時折りこの鳥居の下にやって来て、懸命な願いを込めて、石を放り投げるのだが、無情にも、石はなかなか笠木と島木の隙間に乗ってくれない。
 こうした風景を目のあたりにして、我が閨秀歌人は、「ああ、また失敗した。そんなにへまばっかりやらかしているから、君は必ず大学受験に失敗するぞ。今からでも決して早くはない。福岡に出掛けて予備校の手当てをしておきなさい。」呟いて居られるのでありましょうか?
 それとも、「ああ、また失敗した。可哀想。でも諦めないで、今度はもっともっと高く放りなさい。あの紙風船を大空高く高く舞い上げる時のように。」と囁き、何回やっても失敗ばかりしているその受験生の為に、ご自分のお寺のご本尊様の前に額づいてお祈りして上げるのでありましょうか。
 本作の作者のご人格が問われる場面ではある。
     〔答〕 古宮の肥前鳥居に出征前 石を投げてた特攻兵よ  鳥羽省三 

 
(kei)
    団欒をしいんと聞いている守宮深まってゆく秋のベランダ

 秋が深まって行くベランダで、あの奇怪な格好をした「守宮」が家庭の「団欒」の語らいを「しいんと」耳を澄まして「聞いている」というのである。
 家庭の「団欒」と「守宮」とのアンバランスは確かに大きい。
 しかし、「守宮」が<家を守る>という意味を持つ言葉である以上、その「守宮」が、「深まってゆく秋のベランダ」で、家庭の「団欒をしいんと聞いている」という表現は、十分以上の説得力を持つ。
 言われてみればその通りであり、この程度の作品なら誰にでも創れそうであるが、現実的には、そう簡単には行かない。
 評者は、本作の作者<kei>氏の怪異小説作家的才能を愛する。
     〔答〕 床下で家主の吐息に耳澄ます冬毛纏ったぽんぽん狸  鳥羽省三 


(青山みのり)
    竜宮へかえらぬままの亀を飼い今年もひとつまた年をとる

 「竜宮へかえらぬままの亀を飼い」ながら、「今年もひとつまた年を」取ったと溜息をついている引き篭もり女性が、一体、この国に幾人いらっしゃることでありましょうか。
 評者の遠縁にも亦そうした女性が一人居て、彼女の生活はどんなに寂しいものであろうかと、気の優しさがたった一つの欠点と嘯いている評者を心配させてはいるが、彼女と同居している、その実姉の話によると、意外や意外、彼女の日常生活は、評者が心配しているほどに侘しいものでも、鬱屈したものでもないそうだ。
 「亀」という動物には、人の心を癒やす何物かが、その属性として備わっているらしい。
     〔答〕 永久に老いなき人に愛せられ竜宮城に帰れぬ亀は  鳥羽省三


(星川郁乃)
    あきらめのつかない愛を閉じ込める殯宮(もがりのみや)を思い出と呼ぶ

 「殯宮」とは、本来は「天皇・皇族の棺を埋葬の時まで安置しておく仮の御殿」を指して言うのであるが、本作の作者は、これを<墓所>などと捉えて一首を成しているのではないだろうか。
 とすれば、それは確かに、「あきらめのつかない愛を閉じ込める」場所であり、それを「思い出」と呼び替えることも可能である。
     〔答〕 諦めのつかない憎悪を閉じ込める場所が在りせばそを何と呼ぶ  鳥羽省三
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

感謝申しあげます

  鳥羽省三さま
 またまた拙作を採りあげて頂き、身にあまる評を頂き恐縮いたしました。いつも、やさしい鞭で指導していただくのが、このたびは美味しい飴で、やっぱり飴の指導はなお嬉しいです。
 実はこれは短歌を初めて二作目ぐらいに作った歌で、その石が載ったら願いが叶うとかは露しらず見たままを詠みました。初句を<年旧(ふ)りし>にしていましたが、宮のお題に困ってでっち上げた次第でした。肥前鳥居は、バナナに似ています。肥前に住みながら、あまりよく肥前鳥居の事を知らなかったので、勉強になりました。歌会にだしたら、数学の先生は放物線に投げたら載るのにと評されたのでなる程と思いました。投げていた少年は文系だったかも、、、。


☆出征の息子想ひて祖母が日々お百度踏みし青幡神社

いつもありがとうございます。

ありがとうございました

鳥羽省三さん
 拙歌をとりあげていただきありがとうございました。
返歌には苦笑してしまいましたが・・・。
昔、まだずっとずっと若かった頃、恋人に
「女は子宮でものを考える」
と言われたことがあります。
若かったその当時は、全くわからなかったのですが
そこには、当時の私の多くの言動が含まれていたのだと、今になってわかります。
簡単に言ってしまえば、「理性的」ではなく「感情的」ということ。冷静になって物事を考えることができず、「感じるままに」行動していた私とでもいうのでしょうか。
まあ、そんな直情的な青春の日々ということです・・・。
 そんな青春時代に出会っていたら?そうですねえ、わがまま娘に振り回されて閉口していたのではないでしょうか?

どうもありがとうございます。

鳥羽さん、明けましておめでとうございます!

この度は拙歌をとりあげていただきありがとうございました。
この歌は、学生時代に東都大学リーグの試合を見た帰り道を詠ったものです。当時大学生だった小久保裕紀選手のバットスイングの音が尋常じゃない迫力だったことを思い出します。

今後ともよろしくお願いいたします。

No title

鳥羽さま

ブログにコメントどうもありがとうございました。
随分と前にお知らせいただきながら、すっかり遅くなってしまいスミマセン。
どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。


神宮前を場違い・・・・・ですが、神宮前駅前にたむろしていた少年少女のファッションを見て感じたことでした。
ゴスロリとか何とか系という・・・・・・

それを見た庭鳥は、尾っぽを隠すようにして身をすくめながらNHKホールに向かったのでした。。。

プロフィール

鳥羽省三

Author:鳥羽省三
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。