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一首を切り裂く(063:ゆらり)

(西中眞二郎)
    篝火のはぜる音小さくなりしとき太郎冠者ゆらりと現れ出でぬ
 
 「ゆらりと」は、「太郎冠者」の登場を表わすのに最も相応しい擬態語であり、擬態語でありながら、擬声語的な効果も発揮されている。
 また、「太郎冠者ゆらりと」という字余りも一首の内容に相応しい緩急的なリズムを醸し出している。

 ところで、「太郎冠者」の「太郎」とは、もともと長男のことで、「冠者」とは、本来は元服して間もない若者を指すのであるが、狂言に登場する「太郎冠者」は、大名や主人などに従う下人である。
 しかし、狂言に於いての彼らは、そうした身分であるのにも関わらず、<のほほん>として明るい性格の人物として描かれ、主人たちに叱られ、叩かれ、虐げられながらも、時には主人をやり込め、竹箆返しを喰らわせ、多くは、狂言中の主人公役、即ち<シテ>として登場するのである。
 お題「ゆらり」は、多くの出詠者たちにとって、使い方が限定された扱い難い言葉であったかと見受けられ、軽口批評を旨とする私の目で以って観ても、この語を活かし、観賞に耐え得るような作品に仕立て上げたのは、二百余首中のわずかに十首足らずであった。
 そうした中にあって、本作の作者は、この厄介な語を狂言舞台の特定の場面と結び付け、その登場人物の性格や登場の仕方とも結び付けて、この語の持つニュアンスを十分に活かした作品に仕立て上げているのである。
 能興行の能と能との間に行われ、こちこちに固まっている観客の緊張を解くのが狂言。
 その狂言の中でも、特に笑いの要素が強く、幽玄能の世界に縛られて極度の緊張感を覚え、或いはストレスを感じていないでもない見所の人々の緊張を解き、ストレスを解消するのが「太郎冠者物」と呼ばれる、太郎冠者をシテとした百余曲の狂言なのである。
 本作の題材となったのは、「薪能」と呼ばれる、夏季に寺院などの野外で行われる興行舞台。
 舞台を照らし、見所を照らす、「篝火のはぜる音」が次第に「小さくなり」、場内に一刹那の<静>が生じた瞬間、その<静>を破るような破らないような感じで、本舞台のシテ役の「太郎冠者ゆらりと現れ出でぬ」。
 これこそまさに、狂言舞台の醍醐味であり、選ばれた者にしか与えられない至福である。
 評者は、時と所と人とを得てこの傑作をものした作者に、限りない羨望を感じる。
     〔答〕 太郎冠者、太郎冠者居ぬか灯り召せ、灯り召さではあまりに悔し  鳥羽省三 


(梅田啓子)
    湯のなかの柚子をしぼれば油膜たちわれの巡りをゆらりとかこむ
 
 凡庸な評者などは、ついうっかりすると「湯のなかの」を「湯のなかに」にしてしまいがち。
 しかし、本作の「の」と「に」の違いは大きく、一場の景色を大きくし、豊かにするのが、「湯のなかの」の「の」なのである。
 その豊かな湯槽の中に浮かぶ柚子を、その豊かな湯槽の中に身を浸したまま、手にとって「しぼれば」、その柚子の香が湯槽いっぱいに立ち込め、その香を含んだ「油膜たち(が)われの巡りをゆらりとかこむ」のである。
 「ゆらりと」が、「油膜たち」の「われの巡りをかこむ」有様を表わすと共に、芳醇な香と共に「ゆらりと」浮き上がって来る有様をも表わすのである。
 本作の作者も亦、前作の作者同様に、至福の時を持たれたらしい。
     〔答〕 柚子の香のふんわり浮かび湯の中に私はとても美しくなる  鳥羽省三


(蓮野 唯)
    ゆらりんと坂のてっぺん柳の木風に何度も頷いている

 こちらの作者には、至福の時は永久に訪れない。
 いや、そもそも本作の作者は、至福などの埒外に生きようとしているのである。
 「坂のてっぺん」の「柳の木」が「ゆらりん」として「何度も頷いている」のは、「そうだよ、そうだよ、極く当たり前の生活をしている人たちには、至福の時なんて上等なものは、訪れなくてもいいんだよ。その代わり、子供たちが健やかでお利口で可愛くていらっしゃるからね。」と言っているのである。
     〔答〕 ゆらりんと構えてるのは唯ひとり平成不況柳も揺れる  鳥羽省三


(佐山みはる)
    ゆらりんと呼ばれし友も胴太き中年となりマイク離さぬ

 ここにももう一人の「ゆらりん」がいらっしゃった。
 その「ゆらりん」も、今では「胴太き中年となり」、カラオケの「マイク離さぬ」。
 先進国中最大の借金大国、年末にはまたぞろ「年越しテント村」必至などと言いながら、こうして「胴太き中年」が、カラオケ「マイク」を離さないで居たりするから、あの鳩山のお坊ちゃまが、「ゆらりん」と揺れながらも、開発途上国に一兆円以上もの援助を約束したりするのだ。
     〔答〕 ゆらりんとうろたえつつも由紀夫くん幸か不幸か幸(みゆき)と一緒  鳥羽省三


(原田 町)
    十億の飢餓人口があるというゆらりゆらりと寿司皿まわり

 そうです。
 原田小町さんの仰る通りですよ、由紀夫君。
 田園都市線<ノクチ>の回転寿司屋、蔵寿司が今日から上トロ寿司が一皿210円、イクラてんこ盛りの軍艦巻きも一皿210円の出血大サービス。
 この夏、大井町線のターミナルにもなった溝の口駅は乗降客でごった返しになり、彼の蔵寿司の回転台は急速度でくるくる回り続けるだろう。
 だが、巷には失業者が「ゆらりゆらり」と当ても無く彷徨っている。
 本作の面白さは、「十億の飢餓人口」の相方として、銀座の三ツ星寿司屋「すきやばし次郎」などを持って来ずに、
「ゆらりゆらりと寿司皿まわり」の回転寿司屋を持って来たことである。
 麗人乍ら、原田町さんはやはり我ら庶民の味方なのだ。
     〔答〕 十億の飢餓人口はなんのその今日はこれから蔵寿司行きだ  鳥羽省三


(だや)
    薄闇の電車をひとつ見送ってゆらりゆらりと手を振ってみる

 「だや」というハンドルネームもなかなかであるが、本作も亦、なかなかの出来である。
 「だや」氏は、「薄闇の電車を」を、何処かの開かずの踏み切りで「見送って」いるのであろうか?
 「ゆらりゆらりと手を振ってみる」という下の句から推してみるに、平成の逸民「だや」氏は、どうやらかなりご酩酊のご様子、いくら待っても、その踏み切りは開きませんよ。
 それに、さっき見送った、あの「薄闇の電車」は終電ではなかったのですか?
     〔答〕 暗闇で立ちしょんをして気がついて「もう真夜中だや」とびっくりしてる  鳥羽省三


(久哲)
     「朝霧は行方不明さ」一昨年の鬼灯市でゆらりと姉は

 「朝霧」とは、駆逐艦の名称か、それとも、「一昨年の鬼灯市でゆらりと」とよろめいたきり、「行方不明」となってしまった「姉」のお名前か?
 察するに、「朝霧」とは、駆逐艦の名称であり、「姉」の愛称でもありましょう。
 私は久哲氏の策略に乗り、本作の解釈を危うく間違えるところであった。
 本作の登場人物である「姉」は、「一昨年の鬼灯市でゆらりと」とよろめいたきり、「行方不明」となってしまったのではなく、「一昨年の鬼灯市」の帰路、「ゆらりと」プラモデル屋に立ち寄り、駆逐艦「朝霧」のプラモデルを買い、それ以後は、その組み立ての虜になってしまったのである。
     〔答〕 恨むのは鬼灯市の帰り道 姉はあれからシンナー塗れ  鳥羽省三
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No title

お褒めにあずかり恐縮です。この歌、実は実風景ではなく、過去のかすかな記憶をもとにした想像(?)の風景です。多くの歌につき、ここまで緻密に解釈、分析されておられる鳥羽さんに、あらためて敬意を表します。

ゆらりずむ

省三様
ありがとうございます。

まあ、意図的に腰折れ歌です。
朝霧は公式記録では、撃沈されておりますので
行方不明扱いではありません。

あ、省三様もタミヤのプラモデルで(そんな昔からあったのか?)
栗田艦隊全部作ったりしてた??

女子のスキルじゃないですよ。プラモ作りは(皆無では無いが)

そう言えば耐震偽装してたのは姉なんとかと言う人でした 久哲

No title

引用していただき有難う御座います。
飲んでいても飲まなくても、歌と同じくふらふらしております故。
様々にイメージしていただいて、有難う御座いました。
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