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今週の朝日歌壇から

○ 晩秋の朝の茶房の湯の音を最初の客として聞いている   (京都市) 才野 洋

 斎藤茂吉の『白き山』(昭和24年刊)に、「晩餐ののち鉄瓶の湯のたぎり十時ごろまで音してゐたり」という作品がある。
 おそらくは大石田隠棲中の作品であろう。
 評者は、才野氏のこの作品に接した時、真っ先にこの茂吉作品を思い出した。
 「晩秋の朝の茶房」が、先ず落ち着いた雰囲気を醸し出している。
 その「茶房」の厨房に滾る「湯の音」を、作者は、その茶房の一番客として聞いているのである。
 身も心も休まる静寂。
   〔答〕 初雪の厨に入るる珈琲の香りけざやか今朝のキリマン


○ 秋の花植えてうれしい幼稚園何してんのと児等は寄り来る   (東京都府中市) 大久保春子

 作者は幼稚園の先生かしら。
 春子というお名前から推して、園長先生とお見受けする。
   〔答〕 先生とも園長さんとも呼ばせずに春ちゃんなどと児等に呼ばせる


○ テレビには「キモイ」と言わるる人映り笑われながら笑いておりぬ   (東京都) 白石 瑞紀

 「言わるる」を「言はるる」と、「笑われながら」を「笑はれながら」と、「笑いておりぬ」を「笑ひてをりぬ」と改め、文語短歌としたらどうでしょうか。
 文語と口語をごちゃ混ぜにした、仮名遣いも覚束無い短歌が横行しているが、これは何かの間違いだろう。
 受身の助動詞「る」の連体形を「るる」としたら、即、文語表現。
 完了の助動詞「ぬ」を用いていたら、これも即、文語表現。
 したがって、それ以外の箇所も、文語表現、「古典仮名遣ひ」にしなければならない。
 但し、俗語「キモイ」はそのままで佳し。
 口語と文語が混在する短歌も、そのことを弁えた上での創作なら、それはそれとして悪くないからである。
 要は、文語と口語との区別を知り、標準的表現と俗語的の区別を知らなければならない、と言うこと。
 そうした区別も知らず、さしたる方針も覚悟もないままに、ごちゃ混ぜ短歌を許容し、日本語も碌に弁えない輩を歌人面させている結社は、即、解散すべし。
 何処が其処とは言わないが。
 敢えて、この作品を例にとって、この事を述べたのは、白石氏作は、題材が宜しいだけに、こうしたつまらない失着が惜しまれるからだ。
   〔答〕 テレビには「キモイ」と言われる人映り笑われながら笑っているよ


○ 机上なる本に差し込む日のなかを野鳥がニ、三羽よぎりてゆけり   (栃木市) 飯塚 哲夫

 これぞ完璧なる文語短歌なる。
 天空を飛び翔ける野鳥の姿を直接描かずに、「机上なる本に射し込む日のなかを」としたところが斬新なのである。
 「机の上に置かれた本に日が射し込んでいる、その日に影を落として、野鳥がニ、三羽飛び過ぎて行った」のである。
   〔答〕 湖上なる枯れ木の枝を弧で囲い虹が架かれり真冬の虹が


○ 後向きに店内に立つケンタッキーおじさんを見た開店前の   (東京都) 夏川 直

 千載一遇と言えば少し大袈裟ではあるが、こういうチャンスはめったにない。
 「後向きに店内に立つ」が宜しい。
   〔答〕 前向きにそれでもぺこり舌出してペコちゃんが立つ銀座の不二家 
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