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一首を切り裂く(047:警)

(緒川景子)
    ほっとするなんてことばで身動きをとれなくするとはさすが警察

 私を捕まえた警官は言う。 
 「本官はほっとしました。あなたが逃げなかったから。あなたのような美しい方を、本官は轢き逃げ犯人にしたくありませんからね」と。
 こうまで言われると、いくらスピード違反常習者の私も、今さら逃げるわけには行かなくなって、その場に自動車を止め、その警官の目を身動きもせずに見つめながら、調書を取らせざるを得なくなった。
 「さすが警察」、騙すのうまい。
     〔答〕 本当の気持ち漏らせば、逃げまくり大捕り物になるのもよかった  鳥羽省三


(花夢)
    幼少のころから母の警告は冷蔵庫にて冷やされている

 最初は、味も素っ気もない、即物的な解釈。

 母、「夢ちゃん、いらっしゃい。早く。早く。」
 夢、「なーに、お母さん。わたし、いま忙しんだけど。」
 母、「いくら忙しくたって、お母さんが買い物から帰って来たら、その品物を見るくらいは、娘としての最低のエチケットよ。どうだ、これが目に入らぬかー!」
 夢、「わーい、スイカだ。夢ちゃんのおっぱいより、ずーと、ずーと、ずーと大きいスイカだ。このスイカは、地球の子供みたいね。わたし、このスイカを井戸に吊るして冷やしてこよう。地球の子供を井戸に吊るして冷やしてこよう。ねえ、いいでしょう、お母さん。」
 母、「夢ちゃん、それはダメよ。スイカを井戸に吊るして冷やしたらダメ。だって、こないだだって、それで失敗したでしょう。ほら、焼き芋を井戸に吊るしてふやかしてしまって。だから、このスイカは、井戸に吊るして冷やすんじゃなくて、冷蔵庫に入れて冷やしなさい。スイカを冷やそうとして、井戸に吊るしたりしては絶対にダメ。これは、お母さんから、夢ちゃんへの警告。娘として、絶対に守らなければならない警告よ。」
 かくして、我が家の冷蔵庫には、あれからずーと、母の警告が冷やされている。

 次いで、もう少し増しな解釈。
 
 サッカーのイエローカードにしろ、一、二学期末に渡される通信簿の赤点にしろ、「警告」という行為に常に付き纏うのは「冷たさ」である。
 私は、高校教師として、幾多の怠惰な生徒に、五段階評価の<1><2>を与えて来たが、それは、私が本気になって怠け者の生徒を落第させようとしたのではなくて、あくまでも、「これ以上怠けたら、落第させるよ」という「警告」の意味を込めてのものであった。
 したがって、私が彼らに<1>や<2>を与えたのは、一学期か二学期に限られていた。
 それでも私は、彼ら、怠け者の生徒たちから、「鳥羽は爬虫類のように冷たい人間だ。彼は冷血動物だ」と思われていたらしい。
 彼らにそう思わせた原因は、一面的には、ドイツ人と見間違われる、研ぎ澄まされた私の顔のせいでもあろうが、究極的には、一、二学期末に私の与える警告点が、私以外の教師の数倍だったからに違いない。
 こうした「警告」という行為に伴う<冷たい>イメージから、本作の作者は、「警告は冷蔵庫にて冷やされている」という、やや奇矯な語句を導き出したのであろう。
 しからば、その「警告」が、「審判からの警告」でもなく、「教師からの警告」でもなくて、「母の警告」でなければならないのは、何故だろうか?
 それは、本作の作者<花嫁>さんならぬ<花夢>さんと彼女のお母さんとの、幼時からの不幸な関わり合いが原因となっている。
 花夢さんのお母さんは、わが子の花夢さんが未だオムツも取れない頃から、我が子に向かって、警告ばかりしていた。
 「夢ちゃん、ミルクを溢してはダメ。日本の食糧自給率の低さは、今や、先進国中ナンバーワン。
そんなことばかりしていたら、今にたちまち飢餓時代が到来します。警告一回」
 「夢ちゃん、いつまでもハイハイばかりしていてはいけません。自分で努力してタッチしないと、大きくなってからも花夢のままで、永久に花嫁になれませんよ。警告二回目」などと。
 そうしたことが積み重なって、お母さんからの「警告」は、いつの間にか、花夢さんのトラウマとなってしまった。
 かくして、「幼少のころから母の警告は冷蔵庫にて冷やされている」という、一見、前衛短歌風な傑作は、花嫁さんならぬ、花夢さんによって、巧まずして創作された。
 本作の作者・花夢さんは、決して才女なのではない。トラウマに脅える、ごく普通の女性なのである。
     〔答〕 右肩は<サロンパスA>で冷やしてる自転車事故で怪我をしてから  鳥羽省三

   
(伊藤真也)
    僕たちは言葉少なになってゆく刻一刻と 夕闇の泥警

 お母さんとの約束の、門限の五時がもう直ぐ。
 夕闇が刻一刻と深さを増す。
 「泥警」に興じる「僕たち」は、夕闇の深さに比例して、次第に「言葉少なになってゆく」。
 もう少し経つと、「泥警」の警察役の正哉君ではなく、本物の警察がやって来て、僕たちは、お目玉を喰らうかも知れない。
 もしかしたら、人攫いがやって来て、マドンナの眞子ちゃんを誘拐して行くかも知れない。
 帰りたいけど、帰れない。
 帰りたいけど、帰らない。
 
 映画『三丁目の夕焼け』の一コマか?
     〔答〕 二人とも言葉少なになって行く 君は<中ニ>で僕は<中三>  鳥羽省三


(天国ななお)
    ピピッ 美人婦警さんから警告をうける軽トラおやじの笑顔

 「ピピッ美人」「婦警さんから」「警告を」「うける軽トラ」「おやじの笑顔」と、句跨り、句割れの技法を巧みに用いた傑作。
 この「軽トラおやじ」にしても、私・鳥羽にしても、同じ「警告」を受けるなら、おやじ警官からよりは、「美人婦警さん」から受ける方がよい。
 「軽トラおやじ」も、<天国ななお>さんも、私・鳥羽省三も正直者。
 心中の思いを、つい顔に表わして、他の者に判られてしまう。
     〔答〕 ピピツ、尻の穴から漏れた爆音が腸の調子を知らせてくれる  鳥羽省三 


(春待)
    警報を期待するうち朝は来て悔しい青空台風一過
 
 台風の「暴風警報」「大雨警報」が予測される時の気持ちは、それほど単純ではない。
 我が居住区域が台風の真っ只中に立たされ、暴風が吹き荒れ、大雨が降り続くことを期待する思いが無いでもない。
 しかし、当然、それとは裏腹な気持ちにもなる。
 そんな複雑な気持ちのままに朝を迎えてしまった。
 風は、期待し、恐れていたほどには吹かなかった。
 雨も、恐れ、期待していたほどには降らないままに終わってしまった。
 そんな「台風一過」の朝空の青さは、何故か「悔しい」。
 人間誰もが抱く、深層心理を抉り出して表わした作品である。
     〔答〕 半鐘がおじゃんと鳴ればまた逢える八百屋お七は正直娘  鳥羽省三


(ジテンふみお)
    近づけば警官でなく警備員 俺も怪しい顔しているが

 「俺も怪しい顔しているが」が好い。
 この自覚有れば、名にし負う<埼京線>に乗っても、痴漢の嫌疑を掛けられることはない。
 それにしても、近頃の「警備員」の服装は、「警官」のそれとよく似ていることよ。
 かく言う私も、「警備員」を「警官」と見間違えて、びくついたことは一度や二度ではなかった。
 いえ、決して悪いことをしているわけではありませんよ、私は。
 それに「顔」も、<ジテンふみお>氏よりはよほど。
     〔答〕 近づけば桂冠でなく茨の冠(かん)ゴルゴダの丘喘ぎつつ行く  鳥羽省三


(原田 町)
    車間距離じゅうぶんあるに警笛を鳴らして過ぎる紅葉マークは

 「過ぎる」は<すぎる>とも<よぎる>とも読める。
 作者は、これをどう読ませたいと思っているのでしょうか?
 推測するに、作者の原田町さんは、これを、<すぎる>ではなく<よぎる>とご自身で読み、読者たちにも、そのように読ませたいと思っておられるのではないでしょうか?
 私のそうした推測の根拠は、一、二句の「車間距離じゅうぶんあるに」の存在。
 これは文語的な表現であり、これを口語的な表現に改めると、「車間距離がじゅうぶんあるのに」となる。
 いや、推測に基づいた、ここまでの私の説明は、十分な説明ではない。
 何故なら、一、二句の「車間距離じゅうぶんあるに」は、「口語的表現か?文語的表現か?」と、二者択一を迫られると「文語的表現だ」と言わざるを得ないが、<十分>の文語表記は<じふぶん>であって、<じゅうぶん>ではないから、一、二句を「文語的表現」と言い切った私の説明は、根本的な間違いを含んでおり、間違った言い方であるからである。
 このようにして考えると、一首の短歌を、<文語短歌なのか?口語短歌なのか?>と判別することは、それほど簡単ではない。
 さんざん遠回りして、読者諸氏の頭を困惑させた挙句、こんなことを言い出すのは可笑しいが、この一首は、口語短歌であり、「鳴らして過ぎる」の「過ぎる」は、<よぎる>ではなく、<すぎる>と読むのであろう。
 そして、私が<文語的な表現>と言い切った一、二句は、作者の原田町さんとしては、特別に文語表現を意識しての表現ではなく、この二句を、原田町さんが、「車間距離がじゅうぶんあるのに」とせずに、「車間距離じゅうぶんあるに」としたのは、単に、<字余り>を避けるための措置に過ぎないのであろう。
 文法学習が蚊帳の外に追い遣られた現在では、文語表現と口語表現との微妙な違いなどを言い出したら、「石をもて」叩かれ、たちまち、歌壇の外に追い遣られるのかも知れない。
 原田町さんの一首は、私に、このようなことを考えさせる機会を与えて下さった。
 これも亦、「一首の恩」であろうか?
     〔答〕 車間距離十分なのに警笛を鳴らされ通し姫トラックは  鳥羽省三  


(五十嵐きよみ)
    降る雨にヘッドライトも警笛も行き先さえもにじんで溶ける

 六月の雨に六月の花咲き、六月の雨は、六月の景色を溶かす。
 六月の雨はしゃぼんか?魔女か?
 六月の雨に降られて、「ヘッドライトも」「警笛も」行き先さえも」、「にじんで溶ける」。
 故に、諸君。
 六月の雨には要注意。
 特に、五十嵐吹き荒れる夜の雨には。
     〔答〕 降る雨にクリスマス・ツリーの光とけマッチ一本今夜は売れぬ  鳥羽省三


(ろくもじ)
    警報をかき鳴らせギター、これからもやっぱりひとりで生きるのだから

 「独身予測警報」というのが在るのかな?
 在るとすれば、その「警報」を鳴らすのは、気象庁でも消防署でもなく、独身が予測される、風采の上がらないギタリスト自身。
 〔答〕     
      君はギタリスト
      孤独なギタリスト
      
      今までも独り
      これからも独り
      ずーと、ずーと、独り
      永遠に独り
      ギター抱えて一人
      
      ギター爪弾け
      警報かき鳴らせ
      孤独なギタリスト

      夜は長いぞ
      孤独なギタリスト
      ロンリー・ギタリスト
      
      ギター爪弾け
      警報かき鳴らせ
      ロンリー、ギタリスト
      
      汝、孤独なる者
      たった一人の夜は長いぞ
      ロンリー・ギタリスト     
      
      ギター爪弾け
      警報かき鳴らせ
      ロンリー、ロンリー、ギタリスト
                    鳥羽省三詞 『ロンリー・ギタリスト』


(今泉洋子)
    わが知らぬ空襲警報ちちははの会話思ほゆ昭和の日なり

 一、二句の「わが知らぬ空襲警報」が、やや文意不明確。
 即ち、この一、二句は、「空襲警報が発令されたのにも関わらず、睡眠中か何かの理由で、作者は、そのことを知らなかった」とも解され、「未だ幼かった(未だ生まれていなかった)ので、作者は、空襲警報についての知識や実感がなかった」とも解される。
 一体、どちらでしょうか?
 それはともあれ、「<わが知らぬ空襲警報>のことを、生前の<ちちはは>がよく話していた。その<ちちはは>が、空襲に脅えて生き、そして亡くなったのは<昭和>。今日は、その<昭和>記念する<昭和の日>である」と、今は亡き御父母とその父母が生きて苦しんで亡くなった昭和時代とを回顧する、作者の心中がよく窺われる作品である。
 本作の作者が、「わが知らぬ」としてお詠みになられた「空襲警報」の記憶が、私には微かにある。
 昭和二十年七月のある一夜。
 空襲警報発令を知らせるサイレンに脅えながら、私たち一家は、裏山の防空壕に避難しようとした。
 家族の者を先に避難させた父は、幼い私を背負って避難しようとした。
 だが、その途中の雨に濡れた坂道で滑って転んで、肋骨骨折の重傷を負った。
 その重傷の父を、私はずるずると引き摺りながら、懸命に防空壕まで連れて行こうとしていた。 
 この事を、私は後々になってから、家族の誰かから聞いた。

     〔答〕 そのかみの昭和「天皇誕生日」今日「昭和の日」目出度さちう位  鳥羽省三
                            [注]  目出度さもちう位なりおらが春 小林一茶   


(Ni-Cd)
    水風船破裂粘液顔付着波浪警報瞬時勧告

 「みずふうせん・はれつ・ねんえき・かおふちゃく・はろうけいほう・しゅんじかんこく」と読むのでしょうが、下の句中の「瞬時勧告」は、「即時発令」と改めた方が宜しいかも?
     〔答〕 芹薺御形繁縷偽綸旨悪逆無道叡山法師  鳥羽省三
 を以って、一応の返歌とさせていただきますが、これも、作中の上の句を漢字表記とせずに、「せりなづなごぎやうはこべら偽綸旨悪逆無道叡山法師」とした方が宜しいのではなかろうかと思い、目下熟慮中です。


(磯野カヅオ)
    砂ぼこりまみれてオートリクシャーの言い値はなべて警戒すべし

 磯野カヅオの滞印中の作品がしばらく続く。
 「オートリキシャ」は、インドの街角の風物詩のような存在。
 本来は、後部客席にお客を二人乗せて走るのだが、時と場合によっては、五人も六人もの乗客を乗せて走るから、乗り心地はあまり良くない。
 インドと言えば、今や中国と並んで世界有数の経済大国として注目を浴びているが、一般庶民の生活レベルはまだまだ低い。
 したがって、典型的な一般大衆である、オートリキシャの運転手たちの中には、計算高く、日本人と見れば、法外な運賃を吹っかける輩もいる。
 と言うよりも、「オートリキシャには運転手の言い値で乗ってはならない」と言うことが、日本人旅行客にとっての常識。
 本作は、磯野カヅオの作品としては珍しく、一首中の何処を見渡しても、仕掛けらしい仕掛けが見当たらないから、かえって、そこのところを「警戒すべし」。
     〔答〕 黄塵を浴びつつ走るオートリキシャお客は磯野カヅオ氏以下五氏  鳥羽省三 
 

(理阿弥)
    日本間の障子格子は少年の人屋 祖母(おおば)の人形(でく)が警む

 寺山修司作・演出のアングラ劇を思わせる一首。
 祖母の形見の市松人形によって厳重に監視されている「日本間」。
 「障子格子」に囲まれた「日本間」。
 この「日本間」は、主人公の「少年」にとっては牢獄に等しい。
 母に捨てられ、病弱の身をかこつ少年は、この牢獄に繋がれている俘虜。
 「少年」はこの牢獄で欲情し、手淫に耽る。
 彼を捨てて家出した母に欲情し、手淫に耽る。
 浴場と手淫とは、この牢獄での彼の、たった二つの悲しい作業なのだ。
     〔答〕 市松の人形(でく)は虜に欲情し虜は母に欲情してる  鳥羽省三
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恋文

鳥羽省三様

 いつも採りあげて頂きありがとうございます。
お知らせをいただくと、デートのお誘いの恋文を貰ったように、わくわくとお邪魔しています。

 鳥羽さまも幼い頃に戦争の体験をされたそうですね。
お父さまと鳥羽さまのお話心に沁みました。戦争は悪ですね。
私は、戦後うまれで、父も出征していたので、実を言うと祖父母の会話です。
戦後進駐軍が尋ねてきた時に防空壕を指さして「あれはなんだ」と
いったそうです。「防空壕」と答えたら嗤ったそうです。「警」のお題から「空襲警報」や「防空壕」を思い出しました。戦争がひどくなったら、密柑山にある古墳の竪穴式住居に行く予定だったそうです。
結句は、鳥羽さまの仰るように「昭和の日」にそれを思い出したとも
とれますが、「昭和の日」にげんていしない「昭和の日々」ですので投稿後に「昭和ありけり」が良かったかなと思いました。

鳥羽さまの素敵な返歌にも感謝申しあげます。
開戦記念日が近づいて来ました。戦争の歌もできるだけ作っていこうと思います。

・未明とふ言葉教ふるに十二月八日を語りし国語教師

いつも、丁寧に読んで頂き身にあまる評を有り難うございます。
また、つきすぎなど悪い例でもご指摘いただけたら嬉しいです。
恋文お待ちしております。

No title

まさか、この歌を採っていただけるとは・・・!
完全に黙殺されていた一首だったので(笑)、
嬉しさひとしおです。ありがとうございます。

いま思うと、ヒトヤは分かりやすく「獄」と記したほうが
よかったかもしれません。

幼いころ祖母の家を訪ねると、人形好きの祖母のコレクションが
集まった部屋で寝るのが習慣だったことを、今でもよく思い出します。

文語口語

鳥羽様
 前にも文語、口語の入り交じりについてご意見いただきました。自分でも深く考えず作ってしまいました。文語体でゆくなら、
車間距離じゅうぶんあるに警笛を鳴らしつつ過ぐ紅葉マークは
とすればいいのでしょうか。

No title

原田町 様

 文語体の歌を作る場合は、ひらがな表記した自立語の仮名遣いにも留意しなければなりません。
 因みに、「仮名遣い」は、文語で言うと「仮名遣い」ではなく、「仮名遣ひ」となり、それを<ひらがな表記>すると、「かなづかひ」となります。
 副詞「十分(に)」は、単独では、口語とも文語とも看做されますが、これを文語として使い、<ひらがな表記>をする場合は、「じゅうぶん(に)」ではなく、「じふぶん(に)」と表記しなければなりません。
 したがって、副詞「十分」を<ひらがな表記>したうえでの、御作
は、「車間距離じゅうぶんあるに警笛を鳴らしつつ過ぐ紅葉マークは」ではなく、「車間距離じふぶんあるに警笛を鳴らしつつ過ぐ紅葉マーク は」としなければなりません。
 尚、「十分あるのに」という意味の語句を、準体助詞「の」を省略して、「十分あるに」とする言い方は、本来は文語表現なのでしょうが、そこまで細かく言っていると、口語短歌はなかなか創れなくなります。そこで、最近は、これを口語表現の範囲内に入るものと許容して、口語短歌でも、こうした表現がなされております。 

完走いたしました。

  鳥羽省三さま

 昨夜、お陰さまで完走いたしました。

 度々、鳥羽さまに採りあげていただき有り難うございました。
とても励みになりました。

 このブログを拝読させていただき短歌の入門書いや上級篇と言った感じでいながらにして勉強させていただきラッキーでした。

そのうえに、個人的にアドバイスもしていただき感謝申しあげます。
今後とも宜しくお願いいたします。

はやいもので明日から師走で寒くなります。鳥羽さまお元気でおすごしくださいませ。

こんばんは。

鳥羽様、お久しぶりです。

 体調を崩されたとのことですが、その後いかがお過ごしでしょうか。
 
 こうしてまた取り上げていただくと「きたー!」といううれしさと「また私やってしまったかしら・・・」という不安の入り混じった思いでどきどきします。

 「暴風警報」の一首は、自分が幼い頃を思い出して作った歌です。、まだ災害などについてよくわかっておらず、休校を期待したり、非常食などの非日常に変な憧れを持っていました。
 「警報」に期待しながらテレビの前にいたのです。
 実際に被災された方には不謹慎な話ですね。
 でも「悔しい」と思ってしまった私は確かにいたのです。
 
 返歌ですが、いつもありがとうございます。
 八百屋お七に例えられるところにも、少し考えさせられました。
 自分だけしか見えない恋だから、半鐘を鳴らすことができるのかなと思いました。
 子供の頃は、まわりの被災状況をどこかで他人事として、警報を期待できたんでしょうね。


 ありがとうございました。

ありがとうございました

夢ちゃんと呼ばれてときめきました(笑)
素敵な鳥羽さんの物語、ありがとうございました。

井戸の話、思わず噴出してしまいました。
しかし、花夢から花嫁へ、そしてトラウマへと話が広がるにつれ、
鳥羽さん独自の物語のはずなのに、既視感が・・・・。

これは、作者の作歌意図としてではなく、ひとつの物語としてきいてほしいのですが、このような物語はどうでしょう?

私の家の冷蔵庫に冷やされていたのは、母と舅の確執からなる警告でございました。
幼少のころから、私はそれを目にし、それはいつも新鮮なまま冷蔵庫に鎮座しておりました。
そのように育った私は、母のトラウマからなる警告によって、今なおお嫁にいけないのでございます。

母の舅と言いますれば、私にとっては祖父にあたります。
その祖父とは、先日、鳥羽さんが選歌してくださったわさびの哲学を持った祖父のことではなかったでしょうか?

私の祖父は今年、他界いたしました。
雨の強く降る日でございました。
http://blog.goo.ne.jp/hana_yume/e/08e8298975093f44e2afb6c6991f3ae7

夜分に失礼いたします。

こんばんは。磯野カヅオです。
コメント、ありがとうございます。

鳥羽様のおっしゃる通り、この歌にはこれといった仕掛けもなく、詠んでいる内容も"フツー"そのもの。"警"&"インド"と、シバリが増えたことで、そのシバリの中で成立する歌を・・・という気持ちが働いたのだと思います。

ちなみに、ちょっとした事情(というか・・・仕掛け?)がございまして、この歌は「す」から詠み始めることになっていました。"シバリを重ね過ぎたな"ということも感じた一首です。

それでは、失礼いたします。

はじめまして

ブログのコメントを見て飛んでまいりました。
Ni-Cdと申します。
しばらくブログを見ていなかったため、ご挨拶が遅れ申し訳ありません。

鑑賞文ありがとうございます。
返歌までいただけて、歌詠み冥利に尽きます。
歌の読みはおっしゃる通りです。
「瞬時勧告」の部分は動くかしらと思っていたので、ご指摘いただけて非常に参考になりました。

返歌は個人的に漢字表記の方が質感が好きなのですが、ひらがなでも呪文のようで面白いですね。じゅげむを思わせます。
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