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一首を切り裂く(046:常識)

(jonny)
    常識に振り回された一日の僕を壊してみる夜がある

 「今日という今日は、身も心もへとへとに疲れてしまった。朝から晩まで、くだらない<常識>に振り回され通しで。だから今夜は、この常識家の自分を徹底的に壊し、徹底的に痛めつけてみよう。今夜は思いっきり非常識なことをして過ごすのだ」などと思うことがあるだろうか?
 もし、あるとすれば、その日は、どういう常識に振り回され、その夜は、どういう非常識なことをして、自分自身を徹底的に壊すのだろうか?
 今日の午前中、私は病む右肩の治療の為に、Y総合病院のリハビリ室に行った。
 その途中の欅通りで、私は犬を連れて散歩しているS夫人に出会った。
 お犬様連れのS夫人に出会ったら、ご当人には勿論、お犬様にもお愛想しなければならない、というのが、常々家内から耳に胼胝が出来るほど聞かされている、我が家の憲法の一条であり、常識である。
 そこで私は、夫人の美貌に一応の敬意を表した上、お犬様の黒ちゃんにも、その豊かな毛並みを撫でながら、「まあ、黒ちゃん。そのおべべの、何とお体にぴったりですこと」などと、お愛想をべらべらと並べ立てた。
 すると、黒ちゃんは、私のそんな見え透いたお世辞を見透かしたような顔つきで、いきなり「ワン」と吠え、私の手に噛み付こうとした。
 かくして、家内に教わった常識通りに振舞おうとしたため、私の心は朝一番から傷付き、体も少なからず疲れてしまった。
 リハビリ室での治療が終わった後、私は、医療費を払おうとして自動支払機の所に並び、順番が来るのを待っていた。
 すると、私が並んでいるのとは反対の側から数人の人が割り込んで来て、その病院にたった三台しかない自動支払機を占領してしまい、世間様の常識に倣って並び、自分の順番が来るのを待っていた私は、二十分以上も待たされる結果となってしまった。
 私の心はまたまた傷付き、体の方も更に疲れてしまった。
 午後二時過ぎ、私は、家内と一緒に近所のスーパーに行った。
 夕食のおかずにと、一階の食品売り場に行き、焼き豆腐一丁、国産の霜降り牛肉ひとパック、下仁田ネギ三本などを買った。
 焼き豆腐と霜降り牛肉を買う時、家内はいつも通りに、陳列ケースの一番手前から品物を取り出してレジ籠に入れた。
 数年前の朝日新聞で、「スーパーの食品売り場で、日付の新しい品物を漁って、陳列ケースをやたらにかき回す輩が多いが、みんなでそんなことをしていると、日付の古い品物が最後まで残ってしまい、結局は廃棄処分しなければならなくなる。事が一スーパーの損失で済めばよいが、先進国中最も食糧自給率の低い我が国に於いては、それでは済まない。何故なら、そんな輩の存在を許すことは、我が国に食糧危機を齎すことになるからだ。したがって、スーパーの食品陳列ケースをかき回して、日付の新しい品物を漁る輩は、亡国の徒であり、常識を解しない輩である」という趣旨の投書を読んだ。
 それ以来、私の家内は、いつもその投書子のいう常識的なやり方で買い物をしているのだ。
 ところが今日に限って、彼女の常識的買い物は、エンゲル係数が異常に高い我が家に多大なる損害をもたらしてしまったのだ。
 何故なら、陳列ケースの最前列から買って来た、焼き豆腐と国産霜降り牛肉の賞味期限が今日だったからである。
 我が家では、すき焼きをする場合には、少し奢って、国産の霜降り牛を使う。
 その代わり、すき焼きの回数は毎月二回を限度とするという決まりが在り、この十年間、それを我が家の常識として守り、ただの一度として、その常識に逆らったことはない。
 その、毎月たった二回きりのすき焼きパーティのうちの一回が、今となってはその名すら忘れてしまった、朝日新聞の投書子から指示された常識に振り回されて、だいなしになってしまったのだ。
 私と家内とは、「今日の肉や焼き豆腐には大腸菌が入っているかも知れない。もしかしたら、新型インフルエンザのウイルスだって」などとこぼしながら、そのすき焼きを恐る恐る食べた。
 薄気味悪い思いをしながらの食事が済んだ後、私はトイレに駆け込み、その隙にと、連れ合いは珍しいことに私より早く風呂に入った。
 選りも選って、家内が入浴していて、私がトイレの中で、<大>の方を出そうとして懸命に唸っていた時、電話のベルが鳴った。
 たった二人だけの家族の片方が入浴中で、もう片方が用便中に電話のベルが鳴ったり、来客があったりした場合、男女を問わず、用便中の者がそれに対処する、というのが我が家の常識である。
 そこで私は、お尻の穴を窄めながら電話口に行き、受話器を耳に当てて、「もし、もし」と呼び掛けてみた。
 ところが先方は、「うん」でも「はい」でも無く、いきなりガチャンと音を立てて電話を切ったのだ。
 その電話は、間違い電話であったかも知れない。
 その電話に応えたのが男声であったため、先方は直ぐに間違い電話をしてしまったことに気付き、ものも言わずに受話器を置いてしまったのかも知れない。
 しかし、たとえ間違い電話であったとしても、夜間、他人の家の電話のベルを鳴らしてしまったら、「すみません」のひと言ぐらいは言うべきではないだろうか?
 それが常識というものではないだろうか?
 かくして、今日という今日は、私は一日中、<常識>というやつに振り回され、身も心もへとへとに疲れ果ててしまった。精も根も尽き果ててしまった。
 挙句、「誰が作ったかも判らないくだらない常識に縛られ、振り回されていた今日の私は馬鹿だった。こんな馬鹿な私は、この際、徹底的に虐められ、破壊されなければならない」とばかりに、私は、常識に振り回され続きの今日の自分を処刑するため、普段はコツプ一杯しか飲まないのが常識の、「吟醸・月の桂」の発泡濁り酒を、一升まるまる空けてしまった。
     〔答〕 常識的見地に立てばこの歌にこんな批評は非常識だよ  鳥羽省三

 
(ぽたぽん)
    「そのくらい常識だよ」が口癖の上司が上司に叱られている
(伊藤夏人)
    常識が毎日上司のあなたから創造されて行くんでしょうね

 <ぽたぽん>氏作と<伊藤夏人>氏作とを並記したのは、両者が呼応関係にあると判断されたからである。
 即ち、<ぽたぽん>氏が、「『それくらい常識だよ』が口癖の上司が上司に叱られている」と呼び掛けると、<伊藤夏人>氏が、「常識が毎日上司のあなたから創造されて行くんでしょうね」と応えるのである。
 したがって、私の下手な返歌は必要ないとは思われるが、一応は示そう。
     〔答〕 常識はかくして無能の上司らの頭の中で創られるて行く  鳥羽省三


(中村成志)
    常識の結界内に辛うじて収まりひらくブルーシートが

 「範囲内」と言えば済むところを、スタイリストの中村成志は「結界内」などと難しい言い方をなさる。
 だが、こうした表現の綾も亦、常識の範囲を大きく逸脱したものではないから、一首の観賞には、それほどの支障もない。
 とは言え、「結界」という語の本来の意味に拘って解釈すれば、本作は、上野公園のブルーシート・ゾーンの住民たちの暮らしに取材して詠んだのではないだろうか?
 更に想像を逞しくして申せば、中村成志氏は、その「結界内」の住人ではないだろうか?
 と思われるが、これは私の深読みでしょうか?
     〔答〕 常識の結界内に判ずれば中村成志は公田さんかも  鳥羽省三



(久哲)
    ピーマンに唇寄せて中にいる種の立場に言う非常識

 これは亦、「非常識」な久哲氏。
 「紅いりんごに唇寄せて」とは、ナツメロにも在るが、「ピーマンに唇寄せて」は、聴いたことも見たこともない。
 そもそも、あんな変なスタイルの植物に唇を寄せるなんて変態性欲の表れではないか?
 その奔放初演の、「ピーマンに唇寄せて」、「中にいる種の立場」に立って、我らが久哲氏は、どんな「非常識」なことを言おうとしているのだろうか?
 「おーい、ピーマンよ。お前の名前の一部が、<マン>だから言うのじゃないが、お前の形は○○に似ているな。そこで、お前の空洞の真ん中に巣食っている<種の立場>に立って、私はお前に尋ねるのだが、お前は一体、トンガラシの仲間なのか、それとも、茄子キュウリの仲間なのか。お前の種である私は、来年の春、トンガラシとして芽を出せばいいのか、それとも、茄子キュウリとして芽を出せばいいのか?」
     〔答〕 ピーマンは<ナス科植物>、トンガラシ、キュウリも同じナス科植物  鳥羽省三


(振戸りく)
    時刻表通りに汽車が来ることを常識とする国に生まれた

 本作の作者が住む地方では、未だ「汽車」が走っているらしい。
 「汽車」とは、今ふうに言うと<SL>。
 したがって、この一首は見せ掛けよりはかなり難解。
 もしかしたら、作者は津和野地方に住んでおられるのでありましょうか?
      〔答〕 うっかりと電車のことを汽車と言うお齢が知れます振戸りくさん  鳥羽省三
 
 と、ここまで記し、そのまま〔公開〕したところ、一読者の方から私に、次のようなメールが寄せられた。
 タイトルは「汽車のこと」。
 その内容は以下の通り。

 こんばんは。
 東北、北海道あたりの方言では、レールの上を走るものは、なべて「汽車」と言いますよ。
 電車という言い方は、私は東京にきてから身につけました(笑)
 (九州でも同様にいう地方があるとも聞いたことがあります)
 というわけで、そんな出自の私は、振戸りくさんのこの一首、気にせずにすーっと読んでしまいました。
 日本の常識を詠んだ歌に方言が適しているかどうかは、ちょっと判断に迷うところですが。

 お寄せになられたメールの内容から拝察するに、<振戸りく>さん作の短歌に対する、私の観賞文や返歌を、メールをお寄せになられた方は、「辛辣に過ぎる」と感じられ、「これでは作者の方に気の毒だ」と感じられたのかも知れません。
 しかし、私が、この「一首を切り裂く」で採り上げ、それについて、時に批評気味な、時に迎合気味な、時にからかい気味な観賞文と返歌を記す作品は、それに対する観賞文の文体や内容がどんなものであれ、その<お題>に寄せられた数百首の作品の中から私が佳作・傑作と感じて選び、このブログで採り上げて論じ、作者の方のご創意やご苦労を顕彰するに値する、と判断した作品なのです。
 私は、観賞対象の作品の内容や、その時々の私自身の気分に応じて、作品への切り込み方や文体を、時に自然に、時には故意に変えます。
 したがって、観賞文や返歌の内容が、例え、風刺気味であったり、揶揄気味であったりしても、それは、それぞれの作品に対する、私ふうな<誉め言葉>なのです。最上級な礼賛の詞なのです。
 ですから、この私の文章をお読みになられる方は、ここにこんな変なやつが居て、この名作に対して、こんな変な誉め方をしている。彼の感じ方や言い方は、私とはかなり異なるが、でも、少なくとも、彼はこの作品に、人並み以上の魅力を感じ、人並み以上に身を入れて読んでいる、とでも解釈され、表現上のご無礼は、枉げてお許し下さい。
 ここで、先の振戸りくさん作及び、その観賞文に対して寄せられたメールについて申し上げます。
 私は、メールを寄せられたお方と同様に、振戸りくさんの作品を、ごく自然に、「すーっと読んでしまいました」。
 したがって、作中の「汽車」という語についてを中心とする、私の揶揄気味の観賞文や返歌は、振戸りくさん作の良さを引き立てようとしての、一所懸命な、私の試みに他なりません。
 私は、メールを寄せられたお方と同様に、我が国に於いて、主要交通機関としての汽車の位置が、電車にとって替わられた後も、レールの上を走行する乗り物は全て汽車だと解し、或いは、そうとまでは解さないまでも、それを汽車と呼んでいる方々が数多くいらっしゃることを、十分に知っております。 何故なら、他ならぬ私自身がその一人だからです。
 それともう一言申し上げますが、電車を汽車と言うのは、どこの地方の<方言>でもなく、それは、そう呼んでいる人たちの習慣に過ぎません。
 更に申し上げますと、上記の観賞文で、私が、「本作の作者が住む地方では、未だ『汽車』が走っているらしい」と記し、「作者は津和野地方に住んでおられるのでありましょうか」と記したのは、振戸作品を引き立て、読者を作品世界に誘うための一工夫、言わば、言葉の綾に過ぎません。
 また、「うっかりと電車のことを汽車と言うお齢が知れます振戸りくさん」という私の返歌も、それと同質の礼賛詞ですが、「電車」を「汽車」と呼ぶのは、ほとんど、ある年齢層の方々に限定されますから、あながち<的外れ>でもないかとは思われます。
 何はともあれ、私の拙い観賞文に対して<間髪を入れず>にお寄せになられた一通のメールは、勉強不足の私にいろいろなことを考えさせ、このメールから私は、いろいろなことを学びました。
 本作の作者及びメールの発信者の方、いろいろと失礼致しました。そして、いろいろと有難うございました。
     〔答〕 ことさらに電車を汽車と呼ぶなどと振戸りくさん歌詠み巧者  鳥羽省三  
    
 
(bubbles-goto)
    少しずつ違う常識縒り合わせ親族たちは通夜に集うも

 「少しずつ違う常識」を「縒り合わせ」したのだから、まだ増し。
 同じ祖先から出ていながら、普段はめったに顔を合わせないのが、近頃の「親族」。
 その為、最初はそれほど違わなかった筈の「常識」が、時代が経つにつれ、家ごとに、人ごとに違ってくる。
 その、違う常識を備えた親族たちが一同に会して、「通夜」が行われ、葬式が営まれるのだ。
 喪主の家から、不幸の<知らせ>を正式にもらった親族・甲は、香典として、<金・参万円>を包んだ。
 正式な<知らせ>をもらわなかった親族・乙の包んだ香典は<金・伍千円>。
 正式な<知らせ>をもらいながら、親族・丙の包んだ香典は<金・壱万円>。
 正式な<知らせ>をもらいながら、親族・丁は、通夜にも葬式にも出席しなかった。
 親族共が、「常識」の「縒り合わせ」も碌々しないで対応したら、通夜や葬式の場は、たちまち修羅場と化してしまうだろう。
 一首全体から、「通夜」という、厳粛にして寂寞とした場面の雰囲気が、実によく感じられます。
 私は本作を、お題「常識」への投稿歌中の白眉として推奨したい。
     〔答〕 正式な知らせ受けたがわたくしは姉の葬儀に欠席しました  鳥羽省三
 

(内田かおり)
    昨日得た常識ひとつ更新し明日過去ログに落とす予感す

 昨日、メル友・Yさんからのメールで教えられた常識。
 「かおりさんさー。あんた歌手の<内田あかり>と名前が似てるからといって、いい気になってんじゃないよ。顔ならともかく、名前が似てるぐらいでは、最近は、そっくりショーにだって、出してもらえないじゃん。それが最近の世の中の常識ってもんさ。それに、内田あかりなんて歌手は、とっくの昔に、・・・・・」
 メールをもらった当初こそ、それが、この世の中の「常識」だと思っていたが、今夜、ベットに入って、じっくりと考えてみると、この常識は「常識」では無い。だいたいに於いて、あのメル友・Yが、あんなことを常識だとして、わざわざ私に教えたのは、親切から来るものでは無くて、嫉妬から来るものだろう。だから、このメールは、明日、「過去ログ」に落とそう。
     〔答〕 メル友が教えてくれた常識は常識的には常識でない  鳥羽省三
 

(近藤かすみ)
    常識の二つ手前は正直で 新明解の表紙くれなゐ

 そう、その通りです。
 「常識」の一つ手前が「定式」で、そのまた手前が「正直」です。
 但し、私の手元に在る、『新明解・国語辞典(第五版)』の表紙の色は「くれなゐ」ではありません。
     〔答〕 常識の五つ手前は情事にて私はそれに一瞥くれる  鳥羽省三


(葉月きらら)
    常識に捉われている私には海が青色にしかみえずに

 「海が青色に見えるのは、そう見る人の体に刷り込まれている<固定観念>が、そのように思わせるのであり、海そのものは、別に青色でも赤色でもなく、海は海でしかないのだ」といった説明を、最近読んだ本の中で、何方かが述べていた。
 とは言え、
     〔答〕 我もまた常識人であるためか海は青いと思うばかりだ  鳥羽省三


(村本希理子)
    常識の範囲の中で咲いてゐる向日葵畑の迷路ぢやないか

 昨今では、全国いたる所に存在する、「向日葵畑の迷路」は、意外感や恐怖感が感じられなくて、存外に面白くも可笑しくもない、ということでありましょうか?
 これが、秋になってからの、「コスモスの迷路」であったなら、いかに村本さんでも、歌に詠めずにキリキリ舞いをしてしまうでしょう。
 何故なら、コスモスの群落を、「畑」として捉える習慣も常識も、日本人には無いからです。
     〔答〕 常識の範囲を越えた傑作を詠んだ村本希理子じゃないか  鳥羽省三
 

(櫻井ひなた)
    常識の基準があたしになるような責任感を背負わされてる

 それはそれは、大変ご苦労様です。
 しかし、あなたご自身は、不動不変である必要はないし、「常識」を身につけるために特別な努力をする必要もないのです。
 何故なら、あなたはあくまでも「基準」に過ぎない。
 だから、仮にあなたが、あなたご自身が考えても少し「常識」に悖ると思われるような言行をとったとしても、それに伴って、常識人人口と非常識人人口との間に、多少の移動現象が生じるだけであって、あなたご自身は相変わらず「基準」のままで、世間の人々からは何ら非難されないからです。
     〔答〕 常識の基準の者の気がふれた。さあ大変だ、ぼく常識人  鳥羽省三
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汽車のこと

こんばんは。

東北、北海道あたりの方言では、レールの上を走るものは、なべて「汽車」と言いますよ。
電車という言い方は、私は東京にきてから身につけました(笑)
(九州でも同様にいう地方があるとも聞いたことがあります)

というわけで、そんな出自の私は、振戸りくさんのこの一首、気にせずにすーっと読んでしまいました。
日本の常識を詠んだ歌に方言が適しているかどうかは、ちょっと判断に迷うところですが。

二度目まして

どうも、一週間のうちに二度も取り上げていただいて、ありがとうございます。
しかも、僕が付け加えることがないくらい丁寧に鑑賞していただいた上に、ドギマギするくらいの誉め言葉、とてもうれしいです。ちょっと非常識な言い方をすれば、ひゃっほい、という感じ。
ちなみに僕は、「常識は人それぞれ違う」というのを常識にして欲しいなあと、常々思ってます。

ピーマンの肉詰めはおいしいです。

省三様。
毎度、ありがとうございます。
久哲です。

この歌は僕には珍しく、何らかの抗議を込めた風刺詠。

詠んだ当時は、某世界的組織に関西弁で言うところの「しばかれ」
そうで、夜も眠れなかった程です。(大嘘)

でも、いまだにピンピンしてます。何故?

それでは恒例の(か?)
パプリカが康隆君を見限って省三君に押し付ける胸 久哲

ありがとうございました。

続けてありがとうございます

このたびは「常識」の短歌を取り上げていただきありがとうございます。
その上、理阿弥さんのコメントのおかげで追加文を書いていただけて
楽しく読ませていただきました。
ありがとうございます。

それほど若いというわけではないですが
残念ながら私は列車を「汽車」と呼ぶほどの年齢ではありません。
(それにきっとSLの時代は今よりもかなりダイヤが乱れたことと思います)
この短歌について、もし、イメージしていただけるなら
「汽車」が現役で働いている遠く離れた国の
いつ来るともしれない「汽車」を待っているところをお願いしたいです。

鳥羽さんにも理阿弥さんにもすっと読んでいただけたこと嬉しく思います。
そして、もうしばらくイルカの「なごり雪」が世の中に流れるように祈ります。
プロフィール

鳥羽省三

Author:鳥羽省三
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