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一首を切り裂く(039:広)

(西中眞二郎)
    六本木 ビルの広場の夏祭 田楽踊りしずしずと出づ

 「六本木ビルの広場」と「田楽踊り」との取り合わせが面白い。
 現代科学や建築技術の粋を尽くして創出された「六本木ビル」の「広場の夏祭」の中に、中世の農民の間で行われた「田遊び」が起源とされる「田楽踊り」が「しずしずと出づ」。
 このミスマッチ。このアンバランスな光景の持つ意味をいち早く感知して、それを、このユーモラスな一首に仕立て上げた、西中眞二郎氏の慧眼と文章力とに深く敬意を表したい。
 この場合の「田楽踊り」は、魂を持った一個の生命体なのである。一人格なのである。
 実景としての「田楽踊り」は、笛、太鼓、鐘などを手にした囃子方と、木と木を打ち合わせて鳴らす古楽器・ビンザサラを、「シャラリ、シャラリ」とうち鳴らしながら踊る、幾人かの<踊り手>から成る集団であろうが、それを観て、「田楽踊りしずしずと出づ」と詠んだ時の作者の頭の中では、その集団は、魂を備えた一個の生命体、即ち<一人格>として捉えられているのである。。
 その一人格が、観客の一人である・作者・西中眞二郎氏に語り掛ける。
 「あなたから視ると、この私は、このビルの、この夏祭の登場人物として、最も相応しくない人物のように思われるでしょう。だが、それはあなたのとんだ思い違い。このビルの、この広場の、この夏祭りの主役として、最も相応しいのは、この私なんですよ。これは、このビルが完成する前からの約束事。歴史的、運命的な<定め>というべきものなんです」と。
 田楽や田楽踊りは、かつては寺社に属し、その庇護を受けて存続していたものであるが、現在では、財界や財界人たちの拠出金で以ってその経費が賄われ、細々とその生命が保たれている、とも聞いている。
 森ビルのオーナーは、伝統芸能「田楽踊り」の存続に力を貸している、財界人の一人なのではないでしょうか?
 この作品を読みながら、私は、かつて、新宿の花園神社の境内で行われていた、アングラ芝居を思い出した。
     〔答〕 新宿の花園神社の境内の「腰巻お仙」いまも懐かし  鳥羽省三
         標的は花園神社の紅テント状況劇場撃ちてし止まむ   同


(小早川忠義)
    この部屋は独り住むには広くありされば出で行くなと諭されぬ

 「この部屋は独り住まいに広過ぎるだから出て行くなと諭された」と言えば済むところを、「これはなんとまあ、苔の生えたような言い方をしたものだ」と、作者の一徹さと、その言語感覚に感動している。
 作者は、他ならぬ名人上手の小早川忠義氏であるから、そこの辺りの計算は、とうの昔にお済みでしょうが。
 否定しようとは思うのだが、一概には否定し切れない、不思議な魅力を湛えた作品である。
     〔答〕 この国は独り立ちには脆過ぎるだから結んだ安保条約  鳥羽省三


(星野ぐりこ)
    広すぎる部屋に住んでるせいだろう今年の風邪が治らないのは

 私の愛する歌謡曲、「私鉄沿線」「積木の部屋」「神田川」などの主人公である恋人たちは、四畳半や六畳といった狭い部屋に寝起きして、愛を紡いでいた。
 だが、彼・彼女らとは異なり、未だ、<恋に恋する人>である、我らが<星野ぐりこ>さんは、五十疊間、百畳間の住人であられましょうか?
 その故かあらぬかは知らねど、ぐりこさんの風邪はなかなか治らない。
     〔答〕 台風の被害者収容体育館、あまり広くて風がびゅうびゅう  鳥羽省三


(チッピッピ)
    亡くなった父の形見を分け合えば箪笥の広い隙間が哀し

 亡母の形見の着物を、残された姉妹が分け合うという話はよく聴くが、亡父の形見を分け合うという話はあまり聴いたことがない。
 して、空になった箪笥に入っていた物は、何だったんだろう?
 刀・掛け軸・尺八・古銭・危な絵・責め具・借金証文の下書きなどは、亡父の形見の箪笥の中身として、よく聴く話ではある。
 今から四十年ほど前に亡くなった、私の父の場合は、その形見のガタピシの箪笥の中に、売れない絵師が怨念を込めて書いたと思われる地獄絵二十五枚と、祭灯篭一張と、虫食いだらけの道中記一冊を残して行った。
     〔答〕 亡き父の形見の品の道中記 明治伍年と角書(つのがき)にあり  鳥羽省三


(水口涼子)
    広場には馬蹄隊形とりながらカブスカウトが集う日曜

 評者の学童時代の同級生の中にも、地域のボーイスカウトに所属している少年がいた。
 で、彼らは一様に、何か異様な雰囲気をその身辺に漂わせていたのだ。
 エリート意識に似て、それとも少し異なる。
 衛生思想に似て、それとは少し異なり、危険思想と言っては当たらずと言えども遠からず。
優しそうだが、どこやら厳しく恐そうな面もある、といった、一種独特で、近づき難い何かが、彼らの身辺には漂っていたのだ。
 水口さんのこの一首に接して、私の脳裡には、先ず、私自身のそうした少年時代の記憶が甦って来た。
 そこで私は、インターネット辞書『Wikipedia』の「ボーイスカウト」の項目を参照してみた。
 すると、そこには、
 「スカウトとは斥候のことである」
 「第一次世界大戦が終わり、誰も予想できなかった莫大な戦死者の数によってヨーロッパ中に厭戦的な気分が蔓延しため、『少年の斥候兵(スカウト)』というやや戦争翼賛的な方向を修正し、国際的で平和的な野外活動に手直しされた」
 「しかし、本家であるスカウト運動には軌道修正がおこなわれたものの、この発想はその他の国々でさまざまなイデオロギーに転用されることとなった。第二次世界大戦以前のナチス・ドイツではヒトラーユーゲント(14~18歳男子)・ドイツ小国民団(10~14歳男子)・ドイツ少女連盟(14~18歳女子)・少女団(10~14歳女子)、ムッソリーニ政権下のイタリアではバリッラ少年団・戦闘ファシスト青年団(後に統合されリットリオ青年団となる)、エスタド・ノヴォ(新体制)下のポルトガルではポルトガル青年団、ルーマニアでは鉄衛団下部青少年組織のスタラヤ・タリ(祖国の歩哨)、ソ連ではピオネール、北朝鮮では朝鮮少年団、中華人民共和国では少年先鋒隊として、2,000万人からの子どもたちが赤いスカーフを首に巻いて活動した。また米国においてはボーイスカウト運動は優生学的施策を推進するのに貢献をなした。米国優生学協会会長のスター・ジョーダン博士は米国ボーイスカウト団の副団長に就任している」などなど、
 少年時代の私が、ボーイスカウトに所属する同じ年頃の少年たちに対して、本能的に感じていた何かが、必ずしも的外れではなかった事をうかがわせる説明がなされていた。
 そこで私は、この一首に対して、少なからぬ疑問を感じるのだが、この一首に描かれた光景は、ただ単なる平和な都会の、平和な日曜日の、平和な「広場」の光景なのだろうか?
 一見、長閑で平和そうにも感じられる、「広場には馬蹄隊形とりながらカブスカウトが集う日曜」という言い方を通じて、作者・水口涼子さんは、私たち読者に、何か特別な「日曜」を伝えたかったのではないだろうか。
 例えば、その「日曜」とは、2001年9月11日のことを指し、「馬蹄隊形とりながらカブスカウトが集う」「広場」の上空を、やがて某国のゲリラたちに乗っ取られた航空機が過ぎり、その航空機は、その「広場」からいくらも離れていない所に位置する、ワールドトレードセンターの北棟と南棟、及びアメリカ合衆国国防総省本部庁舎ペンタゴンに突っ込んで行く、といったような。
     〔答〕 広場にはドレス召されたワンちゃんが交尾するでもなく集う 朝  鳥羽省三


(野州)
    測られる広さのやうに鎮まりぬかの日の夏の雲映す水

 「かの日」と言ったって、人さまざまだから、それは、七月六日のサラダ記念日を指すこともあろうし、十一月三日の我が子の誕生日を指すこともあろう。
 だが、本作に於ける「かの日」とは、紛れもなく、広島に原爆が投下された日、即ち、昭和四十五年八月六日を指す。
 私の推測の正しさは、その前後の語句、「測られる広さのやうに鎮まりぬ」「夏の雲映す水」に依っても証明されることだろう。
 広島市は、広島湾に面し、太田川の三角州上に市街地が形成された<水の都>である。
 私は、過去三回ほど広島市を訪れたが、その一度は、一日中、太田川の堰堤に座り、水に映る夏雲の影に見とれていた。
 その日の太田川の水面にはさざ波も立たず、「かの日の夏の雲映す水」は、まさしく「測られる広さのやうに鎮ま」ってゐた。
 一首の意は、「この広島が炎々と燃え上がったあの日から、延々と流れ続け、今も尚、あの日と同じ夏の雲を浮かべて遠々と流れ続けている、この太田川の水面は、思えば、私の掌に載せて測ることが出来るほどの広さでしかない」と、悲劇の街・広島を流れる太田川とその水面に対する、慈しみと愛しさと哀しみの情を述べたものであろう。
 下の句の「かの日の夏の雲映す水」を、「かの夏の日の雲映す水」などとしたら、重大な失着であろう。
     〔答〕 太田川の水面に臨む社にて出雲神楽を観し日なつかし  鳥羽省三
 広島市を訪れた三回のうちの一回は、太田川近くの神社の境内で行われた出雲神楽の舞いと楽の音に痺れて半日を過ごしました。
 あの神楽は、単なる神社の祭礼の余興として行われたのではなく、何かの魂を鎮め、何かの実現を願うための催しに違いない、と感じながら、私は、見物者席に紛れていました。


(はづき生)
    広島は世界の言葉ヒロシマになってしまった あの一瞬で

 普段はほとんど言挙げなどしない、私の連れ合いが、ある日、突然、「原爆で亡くなった広島の人々は、あまりにも悲惨な代償を支払いはしましたが、今になってみれば、この世にかけがえが無い遺産を残してくれました。広島や長崎は、自分たちの命と引き換えに、人類に尊い遺産を残してくれたのです」などと言い出した。
 連れ合いのこの弁に接した時、私は、我が連れ合いは、全くとんでもないことを言い出したものだ。私の暴言癖が災いして、私の連れ合いも亦、平気で暴言を放つようになってしまった。この責任は私に在る、と感じたものである。
 でも、戦乱で亡くなった人々の数は、広島・長崎の原爆の犠牲者の、おそらく数千倍、或いは数万倍も居られよう。
 そういった多くの戦乱の犠牲者たちの中にあって、核問題の解決が人類の最大の課題となった今日、ただ、広島・長崎の原爆の犠牲者たちだけが、その名を地球規模で永遠に記憶され、平和希求への永遠のシンボルとして、その名を人々の脳裡に刻むことができる。
 そのように思えば、我が連れ合いの暴言の罪も少しは軽くなり、我が肩に背負わされた責任も、幾分かは軽減されるのでないだろうか?
 そう、あの瞬間、日本の広島は、世界の<ヒロシマ>、いや、地球の<ヒロシマ>、いや、いや、全人類の<ヒロシマ>として再生されたのである、と思うのは、被爆国民としての私の、思い上がりであろうか?
     〔答〕 広島が未だ<広島>であったころ日本は世界の悪餓鬼だった  鳥羽省三


(中村成志)
    突っ伏せるだけの広さがあればいい個室の中はまだ午前2時

 動作主は、きっとネット喫茶かカプセルホテルの一室に居るのだろう。
 住めば都。
 「突っ伏せるだけの広さ」の、その「個室」は、動作主にとっては天国。
 時刻は「まだ午前2時」、たっぷりとお眠りなさい。
 明日はまた職探しですよ。
 靴の底をすり減らして、朝から晩まで、また職探しをしなければならないのですよ。
     〔答〕 明日泊まるだけのお金があればいい残金十円また職探し  鳥羽省三


(磯野カヅオ)
    夕暮れの神宮球場B席に修学旅行の子ら広がれり

 読売ジャイアンツのホームグラウンド・東京ドームのスタンドには、修学旅行生らしき集団は殆んど見受けられない。
 それなのに、ヤクルトアトムズのホームグラウンド・神宮球場のスタンドには、毎晩、決まったように、大勢の中学生、高校生の修学旅行生集団が陣取っている。
 これは何かの間違い。
 東京に修学旅行に訪れる生徒たちは、我が不滅な読売ジャイアンツより、あのチンケなヤクルトアトムズを好いているのかしら?
 だとすれば、彼らは、良く言えば<判官贔屓>、悪く言えば<マゾヒスト>に違いない、と私は思っていた。
 だが、そうした私の思いは、少し皮相な見方。
 彼らを神宮球場に連れて来るのは、旅行業者である。
 彼・旅行業者らが、数十枚、数百枚の入場券を、簡単に、安価で入手出来るのは、東京ドームでは無く、神宮球場なのだ。
     〔答〕 たそがれて空飛ぶカラス二羽三羽ヤクルトアトムズ今日も大敗  鳥羽省三


(志井一)
    六畳の特徴として六畳のわりに広いと感じてしまう

 着眼点が素晴らしい。
 それがどうしたと言う人は、眼も心も持っていない人だ。
     〔答〕 六畳の特徴としてもう一つ 六畳ひと間は歌にならない  鳥羽省三
    
  三畳一間の小さな下宿
  貴方は私の指先みつめ
  「悲しいかい」って聞いたのよ 
 

(近藤かすみ)
    消息を聞かぬは無事の証しなり八十九歳竹山広

 そう言えば、被爆者歌人・竹山広氏のお噂を最近はとんと聴かない。
 総合誌を見開いても、竹山広氏の作品にはお目にかかれない。
 第九歌集・『眠つてよいか』が、<ながらみ書房>から上梓されたのは昨年の出来事。
 総合誌「短歌往来」(ながらみ書房)が、「竹山広特集」を組んだのも昨年の出来事。
 竹山広さんは、確か1920(大正九)年のお生まれだから、今年で御齢八十九歳。
 竹山広さんは、私の連れ合いの母親の貞子と同年齢だ。
     〔答〕 短脚を今さら恥じる我がために妻上げくれしGパンの裾  鳥羽省三

 「歩む日を疑はず妻が上げくれしズボンの裾のこの三センチ」(『眠つてよいか』より)は、最近の私の愛唱歌の一つです。


(今泉洋子)
    いつまでも生きざるゆゑに広沢の池の面(も)の月ほうと眺むる

 人は何故、広沢の池の水面に浮かぶ月を、「ほう」と声上げ、「ほう」と心澄まして、眺め入るのか?
 それは、その月が、いつまでも広沢の池の水面に浮かんでいるわけではないことを知っているからである。
 満ちては欠け、満ちては欠けするのが、月の定めであることを知っているからである。
 ある時は水面に影を映し、ある時は闇に沈むのが、月の定めであることを知っているからである。
 つまりは、月が無常であることを知っているからである。
 そして、また、「ほう」と声を上げ、「ほう」と心を澄まして、その月を眺め入っている自分の命もまた、眺められる月と同じく、無常であることを感じているからである。 
 五句目の冒頭の感動詞「ほう」が絶妙な働きをしている。
  広沢池の水面に浮かぶ月を見て感動して上げた、動作主の肉声を表わし、「ほう」と声上げた動作主の、澄み切った心の内をも表わしている。
 今は未だ、後期高齢者という、真に無機質で、真に失礼な言葉が生きているのでしょうか。
 その言葉で以って表わされるご年齢の方々は、「ほう」という感動詞をよく口にされる。
 夏の夜空に花火が弾けるのを観ても「ほう」。冬の朝、自宅の庭を白く染めた雪を視ても「ほう」。お孫さんの通信簿を見ても「ほう」と声上げる。
     〔答〕 今は未だ生きているから電飾に輝くビルを「ほう」と眺める  鳥羽省三

  「ほうと眺むる」の「ほう」を、私流の漢字で書くと、放下(ほうげ)の「放」であり、痴呆の「呆」である。
 何事も放下し、水面に揺れる月に酔い呆(し)れるのが、これからの私の仕事なのかも知れない。
 未だ十一月だというのに、新宿や汐留のオフィス街のビルは、クリスマスカラーの電飾に彩られ、煌々と輝いております。
     〔答〕 神持たぬ我が窓辺まで光(かげ)寄せて虚飾電飾メリークリスマス  鳥羽省三
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有り難うございます

 鳥羽省三様

 丁寧な評にいつもながら恐縮いたしております。

素敵な返歌も2首もいただき、有り難うございます。

安易に「ほう」と使ってみましたが、作者冥利につきる「ほう」の解釈

にお礼もうしあげます。

この歌は、歌会のだしたら「いつまでもいきざるゆゑに」を「いつか死

ぬ身の哀しさよ」でもいいのではといわれましたが、私は「いつまで

も、、、」好きです。あと9首ですが、鳥羽様にお採りあげ頂き

元気をいただきました。頑張ります。

鳥羽さま、昼夜の温度差が激しいのでくれぐれもご自愛くださいま

せ。 

No title

お取り上げ下さった上、私のブログにお知らせ頂き、どうもありがとうございました。作者の深層心理(?)にまで迫った御感想、ただただ敬服あるのみです。私の作品に限らず、選歌に加えて詳細・精緻な御鑑賞、それに返歌まで、とても真似のできない御苦労と御力量の産物と、かねがね敬服しているところです。とりあえず御礼まで。

こんばんは。その1

磯野カヅオです。
コメント、ありがとうございます。

僕が子どもの頃は、修学旅行のコースにナイター観戦なんてありえなかったのですが、野球人気低迷の余波は意外なところに意外な形であらわれているのだなと感じた、実景を詠みました。しかも、東京ドームより神宮球場の方が安いわけですね、なるほど昨今の修学旅行事情が見えてまいります。

ちなみに、席を埋めていたのは、全て東北の学校だったと思います。バックスクリーン(と言うのでしょうか?)に、学校名がずらずらずらっと紹介されていました。何校もまとめて来ていたのだと思うのですが。

それでは、失礼いたします。

No title

歌を取り上げていただきありがとうございました。
箪笥に入っていた父の形見は、
主にまだ着ることができそうなジャケットなどでした。
私や妹の夫へということで形見分けしました。
私の夫はそれをずっと愛用していて、
もう穴もあきかけているのですが
「ボロボロになるまで着るのが“供養”だろう」
と言いながら、毎日それを着て会社へ行きます。
プロフィール

鳥羽省三

Author:鳥羽省三
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