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一首を切り裂く(034:序)

(詠時)
    終業時工具箱へと丁寧に一日(ひとひ)のカオス秩序に還す

 職場での一日の仕事を終え、その仕事に用いた工具と共に、今日一日の混沌とした気持ちをも工具箱に返し、仕事やお金に追われている我ではなく、本来の我を取り戻すことを、「一日のカオス秩序に還す」と述べたのでありましょうか。
 今日一日の混沌とした仕事や人付き合いの苦しさと共に、作者ご自身の職場や工具に対する敬虔な気持ちまでもが表現されております。
 紛れも無い傑作ですが、欲を言えば、初句の「終業時」に、わずかばかりの不満を覚えました。
     〔答〕 ロッカーに濡れたつなぎを掛けたとき我のカオスは秩序に還る  鳥羽省三


(小林ちい)
    待ちぼうけ食った仕返し本棚の秩序を少し乱して帰る

 こちらも秩序。
 その昔、怠惰と倦怠の日々を紛らわすべく、京都丸善のフロアーに、売り物の美術書を積み上げ、その天辺に檸檬一顆(万引きしてきたのかな?)を載せて逃げた作家志望の青年がいたそうだ。
 昨今の文学少女(?)は、「待ちぼうけ食った仕返し」にと、「本棚の秩序を少し乱して帰る」のかな?
 もし、そうならば、近頃の書店経営者は、万引き対策に加えて、こうした悪戯を防ぐ対策も構じなければならないから、安閑とはしていられない。
 作中主体の無秩序は憎いが、「本棚の秩序」は洒落ている。
     〔答〕 待ちぼうけくらった夜の仕返しと毛糸買い来てひざ掛けを編む  鳥羽省三   


(蓮野 唯)
    花冠投げ合う娘(こ)らは無秩序の美に守られて無知の快楽

 「無秩序の美」というものが在るのならば、それを守護する<美神>も<スポーサー>も在るのでしょう。例えば、バロック芸術とそれを支えた西欧の爛熟し腐乱した市民社会などはその一例でしょうか。
 「花冠投げ合う娘ら」とは、渋谷・原宿などの盛り場にたむろする無軌道で無秩序な若者たちのことでしょう。彼や彼女たちを支えるのは、行き詰まって行き場の無い、我が国の現代社会。だが、行き詰った現代社会は、「花冠(を)投げ合う娘ら」を追い詰めこそすれ、決して、守ってはくれない。したがって、「娘ら」の浸る「快楽」は、「無知の快楽」でしかないのでしょう。
 蓮野唯作のこの一首、作中に「冠」と「序」との二字を折り込んだ、単純な<しりとり短歌>に終わってはいない。
 本作の作者は、社民党党首の<福島のおばちゃん>などとは異なり、よほどの人生通に違いないから、私が、そこのあたりのことを指摘すると、「とんでもない、私は、ただ、課題となった二つの語を繋げば良いと思っているだけです」などと、笑って済ますかもしれませんが、その実、「さあ、有象無象の評者たちよ、この一首をなんと読む!」と、身構えているのかも知れません。
 「世に始末におえないのは、四十の大台に乗った女流歌人と、てのひらにくっついたチュウインガム」とは、今年、歌会始の選者に選ばれると噂の高い、あの歌人の弁ではなかったっけ。
 上の句「花冠投げ合う娘(こ)ら」が秀逸。
     〔答〕 娘らは終日(ひねもす)泥を投げ合ってセンター街にたむろしている  鳥羽省三


(西中眞二郎)
    咳をする人まだ残る場内にフィガロ序曲のやおら響けり

 モーツァルト作曲・歌劇「フィガロの結婚」の「序曲」を、気難しくせかせかした気性の指揮者が振ったら、まさに「やおら響」く。故に、風邪気味の観客などは、喉からこみ上げる「咳」を収める間も無く、慌てるに違いない。
 コンサート会場での一瞬の体験を一首にまとめたのはさすが。
     〔答〕 やかましくけたたましくも鳴り響き客ら慌てる『結婚序曲』
 

(jonny)
    順序よく空から落ちてくる雨のそれぞれにある最終着地

 「空から落ちてくる雨」は、ほぼ均質かつ一粒一粒が同量であろうから、「順序よく」落ちて来ると言うのは道理。
 利き目は、「それぞれにある最終着地」という下の句か。
 <jonny>短歌の良さは、軽薄めかして、その実、重厚なこと。本作もその例外ではない。
     〔答〕 才のほど世間知ほどの順序にて天下りして行くキャリァ官僚


(星野ぐりこ)
    序章からやり直したい人達の背中に埋まるリセットボタン

 その「リセットボタン」は、自分の手の届かない「背中」に在り、かつ「埋ま」っているから、いくら「序章からやり直したい」と思っても、当人が押すことは不可能。
     〔答〕 人生にやり直しはない あそこの角はこうしか曲がれぬ  鳥羽省三
         買う度に知恵の輪ばかりが現れて始末におえぬグリコのおまけ  同


(夏実麦太朗)
    生まれつき口の達者な人達に壊されてゆく年功序列

 「年功序列」は、閉鎖的な日本のサラリーマン社会にのみ見られる制度として、その解体が叫ばれてから久しい。したがって、仮に、政治家なり、経営者なり、労働者なりが、その制度解体の推進役を果たしたとしたら、その者は、建前的には、進歩的改革者として、世間の人々から尊敬され、喝采されるはずであるが、現実の日本社会に於いては、それほど単純に事が運ばない。
 かかる故に、一見、時代遅れで滑稽な言とも思われかねない、夏実麦太朗氏の「生まれつき口の達者な人達に壊されてゆく年功序列」という弁もまた、一面の真実を言い当てている。
 夏実氏の年齢が、このような皮相な歌を詠ませるのであろうか。なかなかである。
     〔答〕 生まれつき口下手だから出世せずブログ短歌に身を窶してる  鳥羽省三


(久哲)
    ああっ春が蠢いていて大堰川行幸和歌序のノズルを握る

 907年9月10日の宇多法皇の大堰川御幸の際に、紀貫之・凡河内躬恒ら六人の歌人が随行し、彼らは六十三首の和歌を詠み、法皇に詠進したと伝えられる。だが、その和歌は、その後、散逸してしまって現存しない。
 作中の「大堰川行幸和歌序」とは、その詠進歌六十三首に、随行者であり、詠進歌の一人でもあった歌人・紀貫之が付した「仮名文の序」を指すものであろう。
 鬼才・久哲氏が、その衒学趣味も十分に発揮して、私たち鑑賞者を煙の巻こうとしたものであろうが、そうは問屋が卸さない。
 鳥羽僧正ならぬ私・鳥羽省三が、散逸したと伝えられる六十三首の中の一首を復元してご披露に及び、にっくき久哲をギャフンと言わせたい。
 宇多法皇の大堰川行幸が、春ではなく、秋たけなわであったことに留意しなければならない。
     〔答〕 見渡せば楓(かえで)橡(くぬぎ)をこき混ぜて錦に紛ふ嵐山かな  鳥羽省三

 宇多法皇の「大堰川御幸」が行われたのは、紅葉の季節であるから、『大堰川行幸和歌序』のノズルを握っても、そこからは何も噴出することはないだろう。花の盛りの春の行幸ならばともかく。

 
(秋月あまね)
    さんざめく帝都の夜の無秩序もたぶん秩序の枠は越せない

 「さんざめく帝都の夜の無秩序」の中に棲息する若者たちの、一見、無秩序・無軌道とも見受けられる行動も亦、閉塞する現代日本社会の、支配者、権力者たちの張り巡らした「秩序の枠を越せない」のでしょうか。げに恐ろしきは、閉塞社会支配者たちの陰謀としての秩序。
     〔答〕 恢恢と張り巡らせし天の網 邪き秩序は越すに越せない  鳥羽省三


(萱野芙蓉)
    をとめらは序曲のなかに閉ざされて始まらぬ夏みづみづと待つ

 「序曲のなかに閉ざされ」た「をとめら」とは、因習的呪縛を逃れ、青春に羽ばたこうと身構える少女らと、生々しいその魂のことでしょうか。
 そんな可憐な彼女たちは、自分自身の香り高い肉体とその魂を、「夏」の扉の向こう側に投じようとして、透き通る羽を広げ、「みずみずと待つ」のだが、夏の扉はあまりに堅く、一向に開こうとしない。
 ここにも亦、現代社会の病根を憂いて詠う繊細な歌人(うたびと)がいる。
 「みづみづと」のしたたるような潤いに脱帽(剥げ頭丸出し)。
     〔答〕 むぐらなす萱野の中に生ひ立てば芙蓉の花は人に知られず  鳥羽省三


(志井一)
    長いこと読まれていないコミックは順序正しく並んでいます

 こうして言われてみると、「なるほど、そうだ」と納得します。
 私の場合は、コミックではなく、池波正太郎の剣客商売シリーズ、鬼平犯科帖シリーズなどの文庫本ですが。
 そうそう、今、思い出しましたが、二人の息子たちが小学時代に熱中したコミック・『ドラえもん』と『三国志』も全巻捨てずにダンボール箱に入れてあるはずです。
     〔答〕 『ドラえもん』四十五巻を棚に並(な)め巣立ちし子らの訪れを待つ  鳥羽省三              『三国志』六十巻も捨ててない長男坊よ孫連れて来い          同


(今泉洋子)
    順序よく阿修羅像へと進みゆく闇に塗香(ずかう)を匂はせながら

 作者は、「阿修羅像」とのデイトに備え、蘭麝待(笑)でも焚いて、御身を清めたのかしら。それとも、「塗香」は、「阿修羅像」から漂って来るのかしら。そこのあたりのところが、今ひとつ明白ではないが、展覧会場の様子や雰囲気に加え、大勢の観覧者の一人としての作者ご自身の心理まで詠み込んだ傑作と思われます。
 今、行われている、「興福寺国宝特別公開2009 お堂でみる阿修羅」も、雰囲気があってなかなかのものだそうですよ。今泉さんは出かけられますか。
     〔答〕 出番待つ楽師のごときこころもて阿修羅像への列進み行く  鳥羽省三
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有り難うございました

 鳥羽省三さま

 拙作を採りあげて頂き、身にあまる評まで頂き感謝申しあげます。

 ・出番待つ楽師のごときこころもて阿修羅像への列進み行く

上の句が絶妙ですね。鳥羽さまはお歌も鑑賞のほうもベテランでいらっしゃるんですね。深いお歌だとおもいました。

 私の歌は、鳥羽さまの評のとおりです。阿修羅展に行った時、柵で仕切られた所を指示通りに進まないといけませんでした。塗香は
阿修羅さまとデートするために身を清めるのと、人の集まるところの
邪気を払うのに効果があるそうです。私の心理状態まで深くよんでいただき、感謝申しあげます。九州に住んでいますが、先日京都へいきました。奈良も行きたかったのですが、日程の都合でいけませんでした。行き当たりばったりでいきましたが、特別公開があっていて、初めて公開された西方寺の「阿弥陀如来像」と六道珍皇寺の百年ぶりに修復された「熊野観心十界図」をみることができました。
思いがけなく採りあげていただき、何だか元気をいただきました。今後とも宜しくお願い申し上げます。

寒くなりましたので、鳥羽お身体を大切にお過ごしくださいませ。 

わかじょ

今、気がつきました。
省三様は恐ろしい読み手だ。

人がどれだけ、それっぽく見せようが・・・
「えーい これでいいやぁ」
と投げた歌は的確に流してしまい、拾っていただけない。

しかし、どれだけヘンテコリンな歌でもそれなりに魂を込めれば
読んでいただける。ありがたい。しかし、恐ろしい。

この歌もそう
「序」ってノズルに見える。
ここが魂である。

嵐山になんぞ仕掛けはないものか疑いながら寝ているオコジョ 久哲
プロフィール

鳥羽省三

Author:鳥羽省三
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