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一首を切り裂く(032:世界)

(磯野カヅオ)
    フラクタル曲線終はりますやうに あなたのゐない世界はさびし

 「ぎざぎざの上に小さなぎざぎざがあり、その小さなぎざぎざの上にさらに小さなぎざぎざがあり、そのさらに小さなぎざぎざの上にさらにさらに……、とどこまでも複雑な構造を持っている。」「コッホ曲線は、マトリョーシカ人形に少し似ています。ただし大きな違いは、マトリョーシカ人形には最後の人形があるのに、コッホ曲線には最後のぎざぎざというのがないということです。 コッホ曲線はどこまでもぎざぎざなのです。もし、最後の人形がないどこまでも続くマトリョーシカ人形があれば、それはフラクタルとなります。」
 これは、代表的なフラクタルである、コッホ曲線と呼ばれる図形の説明です。
 「題詠2009」(032:世界)に寄せられた、百首余りの短歌を読んでいて、その余りの不出来さ加減に幻滅を感じ、観賞文執筆を止めようと思った時、たまたま上記の磯野カヅオ氏の作品に出で遇い、これらの作品群の中から、私が取り立てて論じるとしたら、この作品をおいて無い、と思った。
 しかし、肝心要のフラクタル曲線についての知識が足りない。そこで、私は、「Google」の検索窓に、「フラクタル曲線」と入力し、早速、検索ボタンを押してみた。
 その結果、得たのが上記の説明で、その説明文の上には、ご丁寧に、図形まで示されていた。
 無知な私に、フラクタル曲線について、懇切丁寧にお教え下さり、私に<磯野カヅオ>の難解歌を鑑賞させる勇気をお与え下さり、ブログ「そらはうたたね」の管理者の方、篤く篤く御礼申し上げます。そして、解説記事の無断引用を、深く深くおわび申し上げます。
 
 と、そこまでは良かった。磯野氏以外の詠進者の方のあまりの不振には失望したが、ともかく、観賞するに足る、磯野氏の一首を得て、私はひとまず満足していた。
 だが、その日から、私の肛門から真っ黒な大便が排出されるようになり、数日経つと口からも黒い液を吐き出すことになり、深夜、救急車で運ばれた名も知らぬ病院で、私は、十日余りも病床に臥す身となった。
 妻子や親戚の者は、日を置かず見舞いに訪れたが、入院中、病室の天井板に、私は幾度、果ても無いコッホ曲線を描いたことか。
 だが、真っ白な天井板にいくらコッホ曲線を描いても、私の侘しさは紛れようもなく、私の健康は一向に回復しそうにもなかった。
 生命の危機からは一応脱出し、私の入院生活は十日余りで終わったが、それからも身体の異常は続き、あの後、あの病院の在った街から、東京都を挟んで反対側の街に転居したが、住居を改めた今になっても、私は相変わらず、毎週三日の病院通いを続けている。
 その後、中断していたブログの更新を再開出来るまでの状態となり、こうして、今夜もPCのキーを叩いているが、真っ白い天上のクロスに、果てし無いコッホ曲線を描くのは、夜毎の私の哀しく空しい作業となってしまった。
 という訳で、今の私には、「フラクタル曲線終はりますやうに あなたのゐない世界はさびし」と呟いた時の、磯野カヅオ氏のお気持ちが、手に取るように解る。
 「フラクタル曲線終はりますやうに」という上の句と、「あなたのゐない世界はさびし」との繋がりは、論理的には今ひとつ不確かではあるが、これは、俳諧で言う「匂ひ付け」のようなものであろうか。
 「フラクタル曲線終はりますやうに」という、祈りとも呪詛ともつかない言葉が、「あなたのゐない世界はさびし」という、侘しい情念を導き出し、同時にまた、「あなたのゐない世界はさびし」という貧しく侘しい情念は、呪詛と祈りとを伴った、「フラクタル曲線終はりますやうに」という言葉を呼び起こすのであろう。 
 かくして、フラクタル曲線を描くという、磯野カズオ氏の空しい作業には終わりがなく、私の寓居の天上の真っ白いクロスの上のコッホ曲線も、果てし無く描き続けられる。
 
 ところで、磯野カヅオ氏の言う「わたし」とは、ど゜なたか特定の女性を指すのでありましょうか?
 私の場合の「あなた」は、入院中、日を置かず見舞いに訪れた妻子や親戚の者を指すのではなく、ましてや、他のいかなる人間や動植物、私たち夫婦が空しく二束三文で人手に渡した東北のさる街の山小屋風の旧居を指すものでもなく、さりとて、日々失われて行く、私の健康や若さを指すものでもない。
     〔答〕 果てし無きコッホ曲線の如くにて何処まで続く己(おの)が空洞 


(五十嵐きよみ)
    受け継いだ良識に似て古びても捨て得ぬ『世界文学全集』

 プロ歌人・五十嵐きよみ氏の手馴れた技に学ぼうとして引用させていただいたが、五十嵐氏のいつもながらの手わざは、破綻が無いだけに、魅力にも乏しい。
     〔答〕 着馴らした更紗にも似て日々読めど飽きることなき五十嵐短歌
 私も、少しは丸くなって、胡麻磨ることを覚えたのかな。
 先日の朝日新聞の記事に依ると、「人間が丸くなるということは、鬱病に一歩近づいたこと」であるそうだ。
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おはようございます。

磯野カヅオです。

コメント、ありがとうございます。

体調を崩されていたのですね。回復なさったようで、良かったですね。

この「世界」の歌は、フラクタル(曲線)がどんなものかイメージできれば、歌意そのものはとてもシンプルです。この歌を詠んだ時、僕には僕のフラクタル(曲線)のようなものがあり、それゆえに下の句のような心情でありました。"さびし"まで言ってしまっているのは、愚直なまでにストレートに詠んでおきたかったからです。ちなみに、"あなた"は、特定の人でした。

鳥羽様は、ご病気中にこの歌がお解かりになったとのこと。そのシチュエーションを読んで、鳥羽様のようなフラクタル(コッホ)ももちろんあるのだろうなと、感じました。"終わりますように"と願う何かを抱えている人というのは、意外にたくさんいるのかもしれないですね。

それでは、失礼いたします。
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鳥羽省三

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