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一首を切り裂く(020:貧)

(ひぐらしひなつ)
   朝の風にそよぐのだろう貧弱な胸を包んだ白きレースも

 「貧弱な胸」とは、作中の<わたし>の胸である。
 その<わたし>の「貧弱な胸を包んだ白きレース(に縁取られたブラジャー)も」、今朝の冷たい「風にそよぐのだろう」と、作中の<わたし>は、何かの理由で夕べしまい忘れ、ベランダの物干しにかけられたままになっているブラジャーに思いを馳せているのだが、この際は、作中の<わたし>は何処に居てそのように思っているのだろうか、とか、夕べ洗濯物をしまい忘れたのは何故だろうか、などと、余計なことを詮索する必要は一切無い。
 作中の<わたし>が、その朝の風を冷たいと肌で感じ、その冷たい朝風にそよいでいる自分のブラジャーに堪らない愛しさを感じているだろうことを想像すれば充分である。
 その白いレースに縁取られたAAAカップのブラジャーに感じた愛しさは、それに包まれていた自分の貧弱な乳房に対する愛しさであり、それはまた同時に、ちっぽけな自己存在に対する愛しみの情であることは言うまでも無い。
 ナルシスト<ひぐらしひなつ>の面目躍如。
 ところで、初句を、「朝風に」とせずに「朝の風に」としたのは、どういう意図なのであろうか。
    〔答〕 貧乳を包みしレースのブラジャーが二月の朝の風にそよげる


(久哲)
   そこここにある貧困を友とせず敵ともせずすごくくやしい

 一見、何を言っているのか解らないが、少し我慢の児で立ち止まって見てみると、その実態が少しずつ解ってくるのが久哲短歌の特徴の一つである。
 作者・久哲さんとほぼイコールの関係にある作中の<わたし>は、要するに、それほど貧しくもないがそれほど満ち足りてもいない自分の境遇に、それほど不満を感じても居ないがそれほど満足感を感じても居ず、そこのあたりのご自身の境遇の不徹底さと、そうした境遇に対する自分の気持ちの不徹底さが、「すごくくやしい」と言っているのである。
 それが悔しければ、どちらか一方に我が境遇を徹底し、どちらか一方に気持ちを徹底すれば良さそうなものであるが、それが出来ないのが久哲さんの久哲さんたる所以であり、また、そうなればそうなったで、「すごくくやしい」と感じるのが、久哲さんのみならず人間共通の思いであろう。したがって、つまるところは、久哲さんもまた、普遍的典型的人間なのである。
 そうしたありふれた人間境を迷い迷い歩み、悩み悩み詠み続けて行くと、やがて、歌人・久哲は、あの山崎方代を越える歌人として評価されるであろう。
 久哲さんが佳作をものする要諦の一つは、「解ってもらおう」などというさもしい根性を棄てることにある。「解ってもらおう」という姿勢は、読者に媚びる姿勢である。解らぬまま、迷えるまま、ご自身の心のままに詠んだ時、一世一代の傑作が現出することであろう。
    〔答〕 棄てきれず貪り切れぬが悔しくて悔しく思うことも悔しい


(梅田啓子)
   「みんな貧乏がわるいんや」岡林の歌ひし人たち住む家はあり

 作者・梅田啓子さんの作品は「一首を切り裂く」に再三採り上げられ、いささかならず、ご迷惑とは拝察されるが、何分、私の観察するところでは、梅田さんは、「題詠2009」に参加者中屈指の歌人と思われ、本作もまた、私の批評意欲をそそる作品であるので、俎上に載せさせていただく。悪しからず。
 作中の「岡林」とは、言うまでも無く、「フォークの神様」という愛称で知られた岡林信康。従って、作中の上の句の「みんな貧乏がわるいんや」とは、彼・岡林が作詞・作曲してヒットさせた「チューリップのアップリケ」の中の一句である。
 今、その中の関係部分をコピーして記すと以下の通りである。

 「うちのお父ちゃん 暗いうちからおそうまで/毎日くつを トントンたたいてはる/あんな一生懸命 働いてはるのに/なんでうちの家 いつも金がないんやろ/みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや/そやでお母ちゃん 家を出ていかはった/おじいちゃんに お金のことで/いつも大きな声で 怒られはったもん/みんな貧乏のせいや/お母ちゃん ちっとも悪うない」

 私は、かつても今も、塚本邦雄とまぐろの赤身とフォークソングの大ファンであり、塚本邦雄の歌集をひもといた回数や回転寿司屋に通った回数と同じ数だけ、<高石ともや>や<岡林信康>の曲を聴いて来たのであるが、「岡林の歌ひし人たち住む家はあり」ということまでは気がつかなかった。
 さすがは梅田ケイコさん、大変見事なパラドックスです。一本取られました。ケイコ不足大いに恥じ入ります。
 考えてみると、「家出」する人は、出て行く家があるから家出することが出来るのである。
 そこ行くと、昨今話題のホームレス歌人・公田耕一さんは、出て行く家も耕す口分田も持たないからホームレス歌人なのである。
 その公田さんも、今や「朝日歌壇の広告塔」と言った感じである。そろそろ姿を現し、その作品を上梓なさったら、たちまち家の一軒や二軒ぐらい建つに違いない。
 その上で、本当に家出をなさったら、今度は<家出歌人・歌出家持>として更に儲かることであろう。
 冗談はさて置いて、梅田さんに一首の材料を提供した岡林信康の生家は、あのメンタームでお馴染みの近江兄弟社の創立者として有名な外人・ウィリアム・メレル・ヴォーリズが創設したキリスト教会であると言う。
 彼のそうした恵まれた生い立ちが、歌手としてデビューしてから後の、一見、世間知らずのわがままともとれる彼の言行にも影響したと思うのは評者一人ではないであろう。
 ところで、岡林が「チューリップのアップリケ」を歌っていた頃と同じように、昨今の世の中は史上稀に見る不況とかで、見るに見かねた政府も平成のお救い小屋を解き放ち、定額給付金を至急する運びとなり、私もまたその恩恵に浴した。
 そうした世相を鑑みるに、本作は、単に、「家出する者には家がある」というパラドックスを詠んだだけの作品とも思われない。
 作者・梅田さんは、「岡林の歌ひし人たち住む家はあり」という下の句中の「し」の働きに、特別の感慨を込めてお詠みになられたのであろうか。
    〔答〕 メンタームを塗れば治るか岡林信康いくたび浅き傷負ひ 
        切り裂いて評すに足らぬ歌ならば鳥羽省三とて切り裂きはせぬ


(はこべ)
   五条なる貧しき家に咲きし花 白扇にのせ光の君に 

 『源氏物語』<夕顔>の巻の冒頭部に取材した作品ではあるが、一首として屹立させるためには、もう一工夫も二工夫もしたいところである。
 本作の作者は、源氏物語のこのシーンから何を感じ、作品を通じて読者に何を訴えたいのであろうか。
 そうした点の検討を蔑ろにしたまま、「私だって、源氏物語ぐらい知ってるわ」といった感じで創作したものだから、せっかくの好材料を得ていながら、場面の紹介だけで終わってしまったのであろう。
 反省すべし。大いに反省すべし。
 この程度の作品で満足出来る<はこべ>さんではないはずだ。
    〔答〕 夕顔は姿いやしき花なれば白き扇に載せたてまつる 
        切り裂いて評すに足らぬ歌ならばあの鳥羽とても切り裂きはせぬ
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くく <<

省三様。
ありがとうございます。

この歌は、手前味噌ながら、縦書きだともう少し
良く見えるのですよ。

むしろ、横書きにして死んでしまったような気が
本人はするぐらい変わる(と思う)

「くく」がどうも座りが悪くて・・・

でも、これ以降は一旦、横書きにしてみる推敲を
するようになったし、横書きの遊び方も「→」や「職」
で試しています。(まあ、成功かどうかはさておき)

方代さんは、ありゃ先を越されたと思うことは多々
ありますが、むしろ意外な所で窪田(父)様の短歌
のほうが、好きだったりします。

それでは、一旦
久哲@くちばしがー でした
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