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一首を切り裂く(017:解)

(風天のぼ)
   この冬でいちばん寒い夜の月 「のぼちゃん?」 と呼ぶこえ解き放つ

 「のぼちゃん、のぼちゃん」と、さっきから優しい呼び声が聞こえて来る。
 あれは、お母さんの声。お母さんが優しく僕に呼びかける声だ。
 お母さんは、フーテンとなった僕のことが心配で、昇天も成仏も出来ずに、あの世とこの世の狭間を彷徨っている。
 そして、いつも夜になると、この僕に、優しくそして哀しく呼びかけて来るのだ。
 でもね、お母さん。僕はもう大丈夫だ。こうして歌も詠めるし、ひとり立ちして暮らすことも出来るよ。
 だから、お母さん。もう、僕のことは僕に任せて、あの天国に昇って下さい。
 でも、「この冬でいちばん寒い夜の月」を見ていると、何故か心配にもなる。
    〔答〕 解き放つべきか否かの母の声 今夜の月はあまりに寂し


(西中眞二郎)
   涙目の理由を誤解されぬようこれ見よがしに目薬を差す

 身辺に何か、作中の<わたし>が涙を流して当然と思われるような事態が発生したのであろうか。
 例えば、孫娘か誰かが、作中の<わたし>を冒涜するような挙に出たとか。
 もし、そうならば、<わたし>にとって、そうした事態は悔しくもあり、腹立たしくもあるから、涙の一粒や二粒ぐらい流れ出さないでもない。でも、その時に流した涙は、そのために流したのではなく、花粉症か老化現象ゆえの落涙である、とでも作中の<わたし>は言いたいのである。
 本作は、そうした人生の機微を捉えて詠んだ傑作である。
    〔答〕 当たらずと言えど遠くは外れざる 誤解にあればなお向きになる


(みつき)
   先生のネクタイ解いた理科室の 匂いは今もまだ覚えてる 

 部分的な不明箇所が一箇所在るのに加え、一首全体の意味も解らない作品ではあるが、鑑賞対象とするには十分な魅力を備えた作品ではある。
 先ず、部分的な不明箇所。
 初句「先生の」の「の」の文法的意味が曖昧である。「先生の」が「ネクタイ」に係る連体修飾語なのか、「解いた」を述語とする主語なのかが判らないのである。
 この作品を魅力ある一首にするか否かの鍵は、この「の」の解釈如何にかかっているのであるが、評者は善意の人であるから、この「の」を連体修飾格の格助詞として捉え、この一首を、教師と生徒とのタブーを犯した情事を描いた作品として読もう。
 「先生のネクタイを解いた」のは、作中の<わたし>。もしかしたら彼女は、本作の作者<みつき>さんご自身かも知れない。
 いや、もしかしたらではない。作中の<わたし>は、必ずや作者本人に違いない。
 あれから七年ほど過ぎた昨年六月、作者は高校での同級生・貢くんと結婚した。
 仲人は、あの時のネクタイ先生。
 人が好いだけが取り得の夫の貢くんは、我が妻・みつきさんの秘密を何も知らないのだ。
    〔答〕 ベンジンの匂いの染みたネクタイを外した彼の意外な躊躇
 あの時のあれは、徹頭徹尾、みつきさんペースで展開されたのである。


(久哲)
   水色の結び目を解く夏肌に仏法僧の夜鳴くところ

 またもや情事。
 この度は、「仏法僧」啼く聖域での真夜中の情事だ。
 「水色の結び目」とは、久哲和尚の着ていた法衣の紐のそれかも知れないし、生臭坊主の毒牙にかかった未亡人の着物のそれかも知れないが、いかにも真夏の深夜に展開された情事の主役の着衣らしい雰囲気を出している。
 当たるを幸いと、次々に女性を餌食にする和尚は、やがてこの哀れな未亡人をも、金蔓の一つにするに違いない。
    〔答〕 水色の文目(あやめ)も知らぬ真夜中に紐を解くやら爪立てるやら


(みずき)
   解きほぐす夜の水髪さやさやと孤独の影へ触れて雫くを

 同じ真夜中でも、こちらの真夜中は静寂そのもの。わずかに聞こえるのは、三尺に余る黒髪から滴る雫の音と、さやさやと吹く夜風の音だけ。
 この一首は、一応は、「雫く(水髪)を→解きほぐす」と倒置法めいた体裁とはなっているが、「夜の→水髪→さやさやと→(孤独の→影へ)触れて→雫くを→解きほぐす→夜の→水髪」と、循環式に何処までも続いて行くのであり、その循環のリズムに心を同調させて行くと、その流麗にして玄妙な文意も、何と無く理解されて行くのである。
    〔答〕 解きほぐす妙の一首のさやさやと孤高の影に触れて響くを 


(梅田啓子)

   なめくぢの這ひたるあとの光りをり友と和解し夜道をゆけば

 推してみるに、「友と和解し」た後、作中の<わたし>は一人で「夜道を」歩いていたのであろう。
  もしそうならば、本作の五句目は「夜道をゆけば」ではなく、「夜道を来れば」或いは「夜道帰れば」が、より実態に即した表現となるのではないだろうか?
 それにしても、「なめくぢの這ひたるあとの光りをり」という上の句の発見と叙述とには脱帽である。。
 私の現住居のアネモネの花壇の周りにも、蛞蝓の這った跡と思しき痕跡が一メートル以上に亘って見受けられるが、今朝見ると、その痕跡は雲母状に少し輝いていた。
 あの這い跡が夜になると、人の目を導き癒やすようにして、光り輝くのであろうか。
 作者・梅田啓子さんの歌才には、インターネット歌壇の蛇蝎とも噂される、あの慧眼の士・黒田英雄さんも、夙にご注目の様子と見受けられ、たまたま今朝披いた彼のブロク『安儀素日記』の昨日の記事、「陽の当たらない名歌選」に、「めがねの奥の小さき眼をしばたたき高野公彦氏美女のかたへに」という、梅田啓子さんの傑作が掲載されていた。
 この傑作をものされた時、作者の梅田啓子さんは、歌材となった高野公彦氏に対して格別な含みを持たれないままに実写されたのであろう。
 だが、梅田さんと較べると人格が二段も三段も劣る私は、この傑作の世界と、某著名女流歌人のご息女が某短歌新人賞を受賞された時の高野公彦氏の常軌を逸した行動などとを重ね合わせ、大変興味深く観賞させて頂いた。
    〔答〕 蛞蝓も歌人・高野の這い跡も目ざとく見つけ恐い眼差し


(jonny)
   美しい言葉をいつか紡ぎたい 雪解け水のような言葉を

 本作の作者の<jonny>さんはニューヨーク市五番街生まれなので日本の山村の事情には疎く、本作の表現に於いても、それ故の決定的なミスを犯している。
 「美しい言葉をいつか紡ぎたい」という上の句はまず好い。問題は、「雪解け水のような言葉を」という下の句に在るのである。
 そもそも、作者<jonny>さんの分身と思われる作中の<わたし>が、「美しい言葉をいつか紡ぎたい」という切なる願望を抱いているのは、どんな理由があってのことであろうか?
 いちいち説明しなくても解りそうなことを、いちいち説明しなければならないところに、評者は、自身と読者との間に厳然として存在する理解力の差を感じてしまうのであるが、言っても解らない、言わねばなお解らないのが読者の常であろうから、ここは、ぐっと堪えて説明しておこう。
 ニューヨーク生まれの歌人<jonny>さんの分身に他ならない、作中の<わたし>が、「美しい言葉をいつか紡ぎたい」と願って已まない理由はただ一つ、それは、その「言葉」で以って、人を慰謝し、この世の中を、少しでも明るいものにしたいと願うからである。
 人を慰謝し、世の中を明るくするに足る「言葉」は、単に「美しい」だけの言葉であってはならない。美しさに加えて、温かさと和やかさ。轟々と音を立てて谷川を流れる「雪解け水」に、温かさと和やかさを求められようか?
    〔答〕 轟々と谿をどよもす雪解けの水には人も魚も棲めず


(伊藤夏人)
   解説のようなものなどいりません 答えは変わらないのでしょうか

 昨日の夕刻、さいたま市の盛り場を流して歩く納豆売りの声を聞いた。
 「ナットー、ナットー、国産大豆百パーセント、手作りの納豆は要りませんか。血栓を溶かし、血液の流れを良くし、動脈硬化を防ぐ食品、ナットウですよ。長生きしたい人は、どうぞお買い上げ下さい」と叫びながら、飲み屋街を軽自動車で流して歩くのである。
 地元の人の話によると、その納豆販売車は昼間は住宅街、夕方近くになると盛り場を流して回るのだそうだ。
 納豆売りの声が聞こえて来ると、灯りを点して開店の準備を始めたスナックや縄のれんなどから、厚化粧したお姐さんたちが出て来て、「あたいに納豆一つちょうだい。超ねばねばしたヤツをね」などと言って買い求めるのであろうか。
 納豆売りと言えば、その昔は、その呼び声が朝の風物詩であった。彼らは、ただひたすら「なっとー、なっとー」と、独特の呼び声で振れ回るだけで、風に乗って聞こえて来るその哀切な呼び声は、時には泣き声にさえ聞こえた。
 ところが、現代の盛り場を流して回る納豆販売車の呼び声は、「ナットー、ナットー、国産大豆百パーセント、手作りの納豆は要りませんか。血栓を溶かし、血液の流れを良くし、動脈硬化を防ぐ食品、ナットウですよ。長生きしたい人は、どうぞお買い上げ下さい」などと、やたらに元気良く、やたらに解説的で能書きめいた呼び声なのである。
 「解説のようなものなどいりません」とは、評者の私が、その納豆販売車に言いたいセリフなのである。「答えは変わらないのでしょうか」とまでは言わないが。
 本作の作者の伊藤夏人さんも、私と同じ納豆販売車に遭遇したのであろうか?  
    〔答〕 能書きのようなものなど要りません一週間ほど味見させてね


(西野明日香)
   解(ほど)こうとしてあっけなくちぎれた糸 切れ端をまだぶら下げている

 「切れ端をまだぶら下げている」、これを未練と言う。
 その昔、伊東ゆかりという下手な歌手が居て、「あなたが噛んだ、小指が痛い。昨日の夜の、小指が痛い」などと、恋の未練をテーマにした歌を歌ってヒットチャートに乗ったことがあったが、あの歌手は、今でも未だ歌っているのだろうか。
    〔答〕 切れ端をぶら下げたまま今もまだ あなたは神田わたしは蒲田
 「蒲田」にはユザワ屋があるから行ったのです。赤い糸を買いに行きました。


(森山あかり)
   それぞれがやりたいようにやればいい愛さえあればどれも正解

 「パンケーキの焼き方は十人十色。でも、出来上がってみれば、どれもみなパンケーキの味」とも言う。
 だが、ここで忘れてならないのは、「出来上がってみれば、どれもみなパンケーキの味」がする、とは言え、そのパンケーキの色や形は必ずしも一様ではないことである。中には、黒く焦げ付いたのやら、醜く割れたのまである。
 「黒く焦げ付いた」のや「醜く割れた」のは通常の目で見れば明らかに不良品で、販売ルートには乗せられない品物である。
 こうした製品を不良品として棄ててしまわないで受け入れる条件が、今の世の中に備わっているだろうか。こうした製品を受け入れる余裕が、今の時代のパンケーキ職人にあるだろうか。そこが問題である。
 故に、「それぞれがやりたいようにやればいい愛さえあればどれも正解」とは、言い得て為し難いことである。
    〔答〕 それぞれがやりたいようにやったならいまごろ地球は満員札止め
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