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一首を切り裂く(014:煮)

(森山あかり)
   話し終え靄がかかった夕暮れをやり過ごすためシチュー煮てみる

 「夕暮れ」という時間帯に加えて「靄がかかっ」ているので、全景がよく見えない。
 ここは軽井沢の別荘地だろうか、それとも、あきるの市の団地だろうか。
 先程まで自宅の応接間で友人と会話を楽しんでいた作中の<わたし>は、友人が帰った後、折からの靄のかかった夕暮れの徒然に耐え切れない。そこで、彼女が始めたのは習い覚えのシチュー作り。彼女が得意なのはホワイトシチューなのだ。
 靄がかかって白濁した全景。鍋の中で煮えるホワイトシチューの白濁。そして彼女の記憶の中に巣食う得体の知れない白濁。
 事件は、この白濁の中で静かに幕を開けようとしている。
    〔答〕 白濁の闇に煮え立つシチュー鍋 玉葱人参はつか匂へる


(都季)
   嫌なことあったのだろうぐつぐつと君はひたすらカレーを煮込む

 こちらの彼女はシチューではなく、カレーの煮込みの真っ最中。
 性別の知れない誰かに後ろから眺められながら、ぐつぐつ「ぐつぐつと君はひたすらカレーを煮込む」。何か「嫌なこと」が「あったのだろう」か? 
 カレーの煮込みに集中すれば、その「嫌なこと」から解放されると思っているかのようにして、「ぐつぐつと君はひたすらカレーを煮込む」のだが、カレーの煮え行くほどには、彼女は嫌なことから解放されるとは思えない。「ぐつぐつと」いう音は、カレーの煮え立つ音ではなく、彼女の胸の中で何者かに対する憎しみの情が煮え立つ音なのだ。
 かくして、彼女の家の中と胸の中は、カレー鍋の中と同様に、黄色く濁って行くのである。
 事件のニ幕目は、東京都下、町田市の住宅街で始まろうとしていた。
    〔答〕 黄に濁る鍋に煮え立つジャガイモが募る悩みをいやましにする 


(蓮野 唯)
   カタカナは煮ても焼いてもカラカラと身軽に底の浅い響きで

 この作品を見つめていたら、私の頭の中に突然、ある光景が思い浮かんで来た。それは、給食なんて気の利いたものが未だ無かった私の小学生時代のこと。
 確か二年生頃から午後まで授業が行われることになり、私たち学童は弁当持参で登校することになった。
 ところが、私の弁当のおかずは、いつも前の日の晩のおかずの残り物。前の日の晩飯のおかずが秋刀魚の天麩羅であれば、その日の私の弁当のおかずも秋刀魚の天麩羅。前の日の晩飯のおかずが肉じゃがであれば、その日の私の弁当のおかずも肉じゃがだった。
 その頃の私は、今の私とは違って面の皮が人一倍薄かったから、それがとても恥ずかしく、お昼休みの時間が耐え難くてならなかったのだ。
 そこで私は、昼休みになると学校の裏山に上って、一人淋しく、前の日の晩飯の残り物をおかずにした弁当を食べるのだった。
 蓮野唯さん、あなたの今回の作品は、私がいちばん思い出したくないと思っていた光景を、強引に思い出させたのだ。
 蓮野さん、あなたはやっちゃいましたね。今回の投稿作品は、前回のお題「カタカナ」の残り物ではないか。そのけち臭い根性が、元紅顔の美少年の誇りを傷つけたのだ。事件の三幕目の舞台はあなたの家のリビングルームかも知れないぞ。
 と、ここまで書いて来て、私はあることにハタと気が付いた。
 そうか、あなたは投稿作品の中で、お題のしり取りゲームをやっていたのだ。私は、これまで、あなたの作品を、一首残らず詳細に鑑賞して来て、その出来にむらがあることに気がついていた。そして、蓮野唯さんというこの歌人は、人一倍の作歌能力を有していながら、少し情調不安定気味なのではないか、と思っていた。
 これは、失礼しました。大いに失礼致して居りました。平に平にご容赦の程を。
 それにしても、私は恥をかいた。自分の鈍感さをあからさまに暴露したばかりではなく、言わなくてもいい過去のことまで曝け出してしまって、大きな恥をかいた。ああ、恥かしい。穴があったら入りたい。
    〔答〕 お題二個一首の中に詠むならばたまには羽目を外してもよい
        お題二語一首の中に詠み込んで同行二人の彼岸への旅    
    〔答の答の答〕 檻の中にバンビ・コアラを閉じ込めて生態観察非情な女


(船坂圭之介)
   生くる身の余剰のごときかなしみは真夜キツチンのごつた煮のごと

 真夜中だというのにキッチンの瓦斯レンジの上で、野菜や魚や肉の「ごつた煮」が、ぐつぐつと煮えているのは侘しい風景である。
 作中の<わたし>は、ご自身の「生くる身の余剰のごときかなしみは」、その「真夜キツチンのごつた煮」のようだ、と言うのだ。
 それにしても、作者はどうして「かなしみ」を「生くる身の余剰のごとき」と評したのであろうか。
 人間が「かなしみ」を味わうのは、生きていればこそのことであって、死んでしまえば、「かなしみ」もへったくれも無い、と言うのだろうか。
 もし、そうならば、作者の船坂圭之介さんは、人間が生きていることや、生きているが故に味わうことになる「かなしみ」を肯定したことになる。そこに、この作品とその作者の救いがある。
    〔答〕 生きる身の余剰の如き一日に歌など詠みて薄笑いする


(jonny)
   煮てみてもおもしろいかもしれません みんな一緒にひとつの鍋で

 病気療養中の前作の作者がかろうじて肯定した人生を、本作の作者はまた、平気でないがしろにする。
 「煮てみてもおもしろいかもしれません」。何を煮ると言いたいのだ。
 「みんな一緒にひとつの鍋で」。「みんな」とは誰のことだ。まさか人参や玉葱のことではないだろう。
 <jonny>さんとやら。そこのお若いお方。そんな絶望的なことを言うんじゃねえよ。君の人生は、今始まったばっかりじゃないか。間もなく定額給付金が配られるじゃないか(笑い)。
 夢を持ちなよ、明るい夢を。
    〔答〕 入ってみても面白いかも知れません みんな一緒の社会の鍋に


(西中眞二郎)
   勧められて煮炊屋で飲む茶の熱し弥生時間のここには流る(吉野ヶ里遺跡)

 初句の「勧められて」がやや気になる。進んで飲む気はしなかったのだが、同行者に誘われて、それとは無しに飲んだ、ということであろうが、他に適当な五音が無かったのであろうか。
 二、三句目の「煮炊屋で飲む茶の熱し」は大いに好し。特に「熱し」は、作中の<わたし>の味わった満足感を余すところ無く表わしている。
 「弥生時間のここには流る」という下の句中の「ここ」とは、単に、「煮炊屋」という空間のみを指すものでは無く、その煮炊き屋で熱いお茶をふうふうと吹きながら飲む時間をも指すものであろう。
    〔答〕 弥生人の心の中を過ぎて行く時間の長さを風が知らせる


(小早川忠義)
   この眼なる水晶体も取り外し煮沸消毒したき夜なり

 とうとう目に来てしまったのですか。お気の毒様です。
 でも、いくらあなた様でも、「水晶体も取り外し煮沸消毒」することなどは不可能ですよ。精神一到何事か成らざらん、という世の中ではありませんから、とまで書いた時、私は、この歌について自分がとんでもない思い違いをしていることに気がついた。
 私は、作者の分身である作中の<わたし>が、眼精疲労でも起こしてやけくそになっているのではないか、と思っていたのであるが、それは、作中の<わたし>を、あまりにも作者の小早川忠義さんに引き付けて解釈した挙句の誤解なのであろう。
 察するに、作中の<わたし>は、とある時、小早川忠義さんの分身であることを忘れて、何か目にしてはならないものを目にしてしまったのであろう。
 彼の目にした、「目にしてはならないもの」とは何か?
 例えばそれは、TSUTAYAで借りてきた裏ビデオとか。
 その結果、彼は激しい自責の念に駆られて、一気に「この眼なる水晶体も取り外し煮沸消毒したき夜なり」とまで、自分を思い詰めるにまで至ってしまったのであろう。
 でも、さすがは小早川忠義さんの分身。ここでぐっと踏み止まって、これからは忠義一筋の道を歩まれることであろう。めでたし。めでたし。
    〔答〕 パソコンに<ちゆうぎ>と入力してしまい、変換したら<痴遊戯>となった。


(星野ぐりこ)
   憧れを煮詰めすぎたら恋になりちょっと後悔しているのです

 「恋になり」、「ちょっと後悔しているのです」と言うのは、理屈に合いません。
 「恋になり」、その恋が程なく破局を迎えようとしているからこそ、「ちょっと後悔している」のが、事の真相ではありませんか。ぐりこさん、そこのところを有耶無耶にしてはいけませんよ。
 懐メロにもあるじゃありませんか、<だから言ったじゃないか>と。
 あなたはぐりこ。おまけのぐりこ。ぐりこはぐりこのままに生きるべし。
 どうせおまけの人生だ。ならぬ恋でもしてみたい。それが破局の原因さ。
    〔答〕 憧れは遠きにありてすべきものそして淋しく諦めるもの


(ひいらぎ)
   もう少し煮詰めてみれば良かったね薄味だった二人の会話

 「薄味」の「会話」って、どんな会話だろうか?
 「ねえ、ねえ。明日の日曜、何処へ行こうか。もし、お天気だったら、代々木公園に行こうか。代々木公園では、隔週日曜日にフリーマーケットやってるから」
 「うん、それもいいね。もしも天気が良かったらね。でも、僕はせっかく代々木まで行くんだったら、浪人時代にお世話になった、駅前の予備校にも行ってみたい。コアラのマーチかなんかお土産に持ってさ」
 「それがいい。それがいい。それでは明日は、代々木公園のフリーマーケットと代々木ゼミナールに行くのね」
 「それでは明日九時に代々木駅のホームでね」
 と、まあ、お二人の対話はいつまで経っても代々木止まりで、その隣りの千駄ヶ谷方面へ向かおうとはしない。
 こんな会話を「薄味」の「会話」って言うんだろうか?
    〔答〕 代々木にはこれと知られたラブホなし 君らの恋も煮詰まってない


(わだたかし)
   「煮卵が得意料理」というキミの似てない兄はフレンチのシェフ

 「『煮卵が得意料理』というキミ」という言い方は、決して、その「キミ」の料理の腕を貶して言っているのではない。かと言って、特別に誉めようとしているわけでもないのだが。
 そこのあたりの微妙なところを把握できるかどうかが、この作品を鑑賞する上での重要な鍵なのである。
 昨今は、男女同権とか熟年離婚の流行とかの影響なのか、男性がダイニンクルームに立たされる場面が急激に増えている。
 そういう世相の表れとして、作中の「キミ」も何かと台所に立つ機会が多く、その得意料理が「煮卵」というわけなのであろう。
 私たち鑑賞者は、「『煮卵が得意料理』というキミ」を、馬鹿にしてかかってはいけない。あれはあれでなかなかコツが要るものなのである。
 「煮卵」と聞いて、思い出したことが一つある。それは、<ラーメンの味、関東ナンバーワン>と評判の高い、横浜市営地下鉄、センター北駅下車徒歩五分の<くじら軒>のことである。あの店のウリの支那そば(700円)は、麺好しスープ好しで、たった一杯の支那そばを食べるために延々一時間も待たされる苦労も厭わないが、たった一つ不満を言えば、トツピンクとして取る煮卵の不味さである。
 私は、人も知る煮卵好きなので、どのラーメン屋に入っても、必ず煮卵を別注するが、あの店の煮卵だけは二度と口に入れる気がしない。
 あれやこれやで、鑑賞の筆はさっぱり進まないのでここらで軌道を正す。
 「『煮卵が得意料理』というキミ」の「似てない兄はフレンチのシェフ 」ということであるが、この兄弟が似てない理由は、母親か父親が違うからではないだろうか。
 と言うのは、ある統計に依ると、離婚率が断トツに高いのは、飲食業及び風俗業に従事する男女だそうだ。
 この兄弟の場合も、両親のいずれかが離婚歴を持ち、その後、再婚相手との間に生まれたのが、作中の「キミ」で、「キミ」の生家の職業がフランス料理店なのかも知れない。
    〔答〕 フレンチのシェフが仕事のこの僕の義弟のキミは目下主夫業 


(行方祐美)
   ふっとりと茄子横たわる含め煮の大鉢のあり帰り来たれよ
 
 これは可哀相に、事もあろうに、あの<なめかた>さんのご主人が行方不明になってしまったらしい。「行方さんが行方不明」では洒落にもならないじゃないか。さあ、大変だ。
 「ふっとりと茄子横たわる含め煮の大鉢のあり帰り来たれよ 」とは、昔風に言うと、蔭膳据えてご主人のご帰還を待つ、ということであろう。とすれば、本作の作者・行方裕美さんこそ、貞婦の鑑である。
 と、あまりの驚きに、私は、本稿の公式である、「作中の<わたし>≠作者」という不等式を忘れてしまっていた。
 でも、まあ、いいや。
    〔答〕 ふっとりと肥えたわたしも待ってます。こっちのみずがずっと甘いぞ。  


(梅田啓子)
   ケータイに送られ来たる死をわきに置きてぬめれる里芋を煮る

 「ぬめれる里芋」。なんか陰湿で妖艶な感じさえする触感である。
 その「ぬめれる里芋を煮る」傍らに、「○○シス。カエルニオヨバズ」と記されたメールの入った携帯電話が置かれているのである。
 女は恐い。真に恐い。
 あのベルリン陥落の日に、ヘルベルト・カラヤン指揮の「歓喜の歌」を平然として聴いていたのも、あのドイツの女どもなのだ。
    〔答〕 しっとりと濡れてぬめれる里芋を口にし笑まふ君恐ろしや 


(髭彦)
   食むことの煮ても焼きても能はざる有象無象の世にぞはばかる

 そんな女の恐さと比較すると、男の恐さなんて知れたもの。「食むことの煮ても焼きても能はざる」なんて言っていますが、どうせ入れ歯の具合が良くないのでしょう。
 そういう時には、小林製薬の、あの入れ歯安定剤をお使いなさい。同窓会にも不安なく出席できますよ。
 「有象無象」はお互い様。せめて「世にぞはばかる」などと後ろ指指されないように注意しましょう。
    〔答〕 食むことの煮ても焼いても不可能な女にかかる苦労絶えなし
 ライトバース崩れと言うか、ニューウェーブ志願と言うか、軟派作品の横行する中に在って、髭彦さん、小早川忠義さんなどの硬派作品の健闘は顕彰に価する。
 評者なども、年齢に不足は無いのであるから、その陣営に組して、大いに気炎を上げるべきであろうが、生来の力量不足は如何ともし難し。 


(藻上旅人)
   捨てきれぬ君への想い鍋にかけ煮つめた後に残る焦げあと

 「煮つめた後に残る焦げあと」が好い。
 べっとりと身についた、その「焦げあと」の故に、二度目、三度目の挑戦を諦めるお方もあろうが、何度も何度も、トライ・エンド・エラーするが肝要。
    〔答〕 いく度も波間に揺るる藻に寄りて卵産まむと魚もチャレンジ


(水口涼子)
   煮崩れた野菜のように草臥れて朝の通勤電車を降りる

 本作の作者は、「煮崩れた野菜のように草臥れて」という、使い古された隠喩に頼って、喜んでおられるような初心者ではないことを評者は知っている。歌人は言語表現の開拓者でなければならない。 常にその気概を忘れないようにしたいものである。
 誤解が無いように言い添えておくが、私は、この作品を下手な作品だと思っているわけではない。逆に、あまりにも要領よくまとめられていて、「題詠2009」の鑑賞サイトを開設している何方も、秀作として推奨するに違いないから言っているのである。
 それに、いくら満員電車だからとて、朝から「草臥れて」いてはなるまい。気持ち一つで年齢の五歳や十歳は取り返せるはずだ。
    〔答〕 煮崩れた野菜料理は食えないよ 誰も見ぬ間に捨ててしまいな


(夏実麦太朗)
   引越すと水が変わるということを煮物の味で感じています

 作者の夏実麦太朗さんは、最近、関西から首都圏に転居なさったそうです。どっちの水が甘いのでしょうか?
    〔答〕 <たいたん>というお料理は<煮付け>です 関西料理は薄味ばかり


(原田 町)
   好き嫌い言えず食べてたあの頃の煮凝りという不可思議な味

 「好き嫌い言えず食べてたあの頃の煮凝り」には、昨今の馬鹿主婦が好んで使う、高価な<あご出汁>も<醸造味醂>も入っていなかった。
 ただの醤油に少しの砂糖を入れて煮た魚の残り汁が、「あの頃の煮凝り」であった。それなのに、なんという「不可思議な味」。 あの頃が懐かしいのは、本作の作者も評者も同じ。
 私はまた、「作中の<わたし>≠作者」という、本稿の公式を忘れてはしゃいでしまった。  
    〔答〕 好き嫌い言えてもいつも食べていた 昭和懐かし魚の煮凝り 


(ぷよよん)
   煮こごりが食べたいなんていわれても今夜は無理よ キスならいいけど

 こちらはまた、何と無粋で大胆な煮凝り。
 バターが入り、チーズが入り、牛肉も、豚肉も、大蒜も入った煮凝り。
 あまりにも栄養過多で、これでは凝る暇も無く、いつもぐにゃぐにゃ。
 こんな汚い煮凝りは、私食べたくない。
 キスもいや。
    〔答〕 凝るまで四十八手のサービスをせいと言うんかあなた<ぷよよん>


(英田柚有子)
   煮込まれて濁った鍋の中にいる辛うじてまだわたしのままで

 本作の作者の英田柚有子さん、あなたは茄子ですか、玉葱ですか、それともジャガイモですか。
 熱く「煮込まれて濁った鍋の中」に入れられていて、それでも、「辛うじてまだわたしのままで」頑張って居られるのは、本当に大変なことでしょう。
 でも、そんなにかんばらないで、他のものたちと一緒に、愚者愚者に溶けてしまうのも一つの生き方ですよ。
 そうなればそうなったで、すごく生き易いし、その上、他のものたちも生かすことになりますから、少し考えてみて下さい。
    〔答〕 煮込まれて濁った鍋に入れられて私はわたしの味を出してる


(暮夜 宴)
   その胸で煮くずれたいと泣きながら差し出すオニオングラタンスープ

    〔答〕    あなたの胸はスープ鍋。
           鐵の匂いがしています。

           あなたの胸に抱かれて、
           私は煮崩れ泣きながら、
           熱いスープになるのです。
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