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一首を切り裂く(008:飾)

(根無し草)
   着飾って 同窓会に 行ったけど 昔のアダ名 「ポチ」で呼ばれた

 私の知人には、「ブルドック」とあだ名されている男が居ります。「ポチ」ぐらいならば、可愛くていいじゃないですか?
 それにしても、かつて「ポチ」と呼ばれていたあなたが、今は自ら「根無し草」を名乗っていらっしゃる。そこまでに至るには、哀しくて永い物語があるんじゃないでしょうか? 
 「<ポチ>から<根無し草>まで」、なんだか小説にでもなりそう? そのうちに書こうかな。
 ところで、五句を一字空きで書いていますが、どうしてなのでしょうか。
 岡野弘彦氏の作品にしても、あなたの作品にしても、句毎の一字空きは不要と私は思います。短歌中の各語、各句は、お互いに有機的に結びついているものだと、私は思います。
 それに、口語短歌を一字空きにすると、それぞれの句の貧弱さが見事に露出され、作者までが軽く見えるような気がします。
    〔答〕 呼んだ奴にポチ袋でも呉れてやれ毛並みの良さを見せつけてやれ
        ポチというあだ名で呼ぶのは過去のこと今では天下の根無し草です


(みずき)
   明るむは小雨の窓か飾られし卓の向ふに空つぽの椅子
 
 纏まりに欠け、中心がぼけた感じです。詠いたいのは、「明るむ」「小雨の窓」ですか。「飾られし卓」ですか。それとも「卓の向ふ」の「空つぽの椅子」ですか。
 小道具を幾つも並べて、作者は欲張りです。
 作者はおそらく、「空つぽの椅子」を中心に据えて描こうとしたのであり、ご自身の心の空洞感をも詠おうとしたのでありましょう。
 もしそうならば、上の句「明るむは小雨の窓か」は全く不要と思われます。屋外の景色を描くとしたら、視覚的表現は避け、聴覚的表現にしたらどうでしょうか?
    〔答〕 飾られた卓の向こうは不在の椅子 風が雨戸を叩いているだけ
        飾られた卓の向こうは空の椅子 あの日に続く私の孤独


(うたまろ)
   夢などは 手の届かないものじゃなく 届かぬ棚に飾る置物

 初句「夢などは」の「など」が音数稼ぎみたいで目障りです。
 副助詞「など」には、<例示>の用法だけではなく、<婉曲>の用法もあるので、「夢などは」という表現そのものは文法的に正しいのですが、それでもまだ、置かなくてもいいものを、音数稼ぎのために置いているという感じが拭えないのです。
 それからもう一点、この作品の場合も、一字空きは不要でしょう。
    〔答〕 届かない棚には物を飾れない だから夢にも手が届くはず


(じゅじゅ。)
   きみの手で 剥がされるのを待っている 飾りの仮面 素顔のわたし

 一字空きを多用するのは、最近の短歌の傾向というよりも、インターネット短歌によく見られる傾向でしょうか。この歌の場合も不要な一字空きをしているような気がします。
 冒頭の「きみ」に対応して、末尾を「わたし」としたのは適切な措置と思われます。
    〔答〕 仮面など剥がしてみても何になる 剥がしたいのは君の衣裳だ


(五十嵐きよみ)
   飾らない言葉もあまいささやきも恋人からは聞かせてほしい

 相変わらずご自身のエリアから一歩も踏み出していないように思われますが、五十嵐さんと言えども、「題詠2009」の参加者の一人に過ぎないのですから、私が無理な注文をしていることになりましょうか。
    〔答〕 飾らない言葉と甘いささやきは二律背反 どちらか選べ


(秋月あまね)
   なだらかな丘かとおもう飾り窓に暴かれてゆく白きトルソー

 大正期の探偵小説の一齣みたい。
 「飾り窓に暴かれてゆく白きトルソー」の秘密とは何か?
 あの「なだらかな丘」の何処かに、犯人は、女優・春月あかねの死体を埋めたのだ。よれよれのマントに身を包んだ探偵は、不自由な足を引き摺りながら、一歩、一歩と丘への道を歩き出す。
    〔答〕 なだらかな丘に生えてる芝草の細い根と根が微妙に絡み 


(梅田啓子)
   人知れず消えてゆきたきこの夜はカサブランカを机に飾る
 
 作者には、「そんなつもりは・・・・」と笑われるかも知れないけれど、私はこの作品を思いっきり深読みしたい。
 私はこの作品の背景に、ハンフリー・ボガート及びイングリッド・バーグマン主演の、往年の名画、『カサブランカ』の幻を感じるのだ。
 舞台は、フランスの保護領でありながら、ドイツ第三帝國の影響下にあったモロッコの首都・カサブランカ。熱い砂漠に囲まれ、半ば砂に埋もれたような北アフリカの都市である。
 この街で酒場「カフェ・アメリカン」を営むアメリカ人男性リックのもとに、1941年12月のある日、反ナチス抵抗運動の指導者ヴィクター・ラズロが訪れる。ラズロの同伴者である女性を一目見て息を呑むリック。彼女こそ、かつてパリで愛し合い、そして理由も告げずに彼のもとを去ったイルザ・ラントであったのだ・・・・・・・・。
 砂に埋もれたような不毛の人生から消えて行きたいのは、映画の主人公も歌詠み女性も同じ。その歌詠み女性が、ある夜、映画『カサブランカ』の登場人物たちの三角関係と自分の人生とを重ね合わせて憂鬱を覚え、自室の机上に置かれた花瓶に、たった一本だけの白いカサブランカの華を飾る。
 翌朝、歌詠み女性が目を覚ましてみたら、カサブランカの華はすっかり萎れ、机上には、その形見であるかのように、茶色いカサブランカの花粉がいっぱい散り敷いていた。
 歌詠み女性は、机上に散り敷いたそのカサブランカの花粉を、自分の胸に押された運命のスタンプのように感じ、・・・・・・・・・。
 「人知れず消えてゆきたきこの夜はカサブランカを机に飾る」。五句目の「机に飾る」は「机上に飾る」がいいカモ。
 それはどうでも、本作の作者の梅田さんよ。人間はそう易々と「人知れず」消えて行くことなんか出来ないもんですよ。最近の統計に依ると、国民一人あたりの葬式代の平均は、なんと驚いたことに、二百三十三万円ですって。
 その統計は、金持ちの葬式代だけの平均ではありませんよ。あくまでも国民全体の平均。超リッチな梅田さんのも、超まるビの鳥羽のも含めての平均ですよ。二人とも未だ死んでいないけど。  
    〔答〕 はかなきは華カサブランカ 昨夜(きぞ)咲きて今朝は沙漠の砂に埋もるる


(行方祐美)
   飾磨紺のスカーフ風が攫うとき冷ややかに鳴る赤きケータイ

 「飾磨」は今の姫路市辺りの旧地名と言う。その地の染物業者が染めた布地の色の一種が、「飾磨紺」であるが、この色は別名「褐色(かちいろ)」とも言い、私の見た感じとしては、紺と黒との中間ぐらいの濃紺である。
 それともう一つ、本作の作者の姓「行方」のヨミは「ゆくえ」では無く「なめかた」。私は、この作品の作者の名前に接した時、一瞬嬉しくなった。「ああ、この姓はナメカタ。私は最初からこのヨミを知っていたのだ」と。
 それ程でもない自分の知識をひけらかすのが、ゴマンとある私の欠点の一つであるから、何卒、お許しの程を。
 閑話休題~あだしごとはさておきつ~、この作品は、上の句「飾磨紺のスカーフ風が攫うとき」の「攫うとき」が素晴らしい。
 「攫う」とは、「②人を無理やり連れ去る。誘拐する。〔盗賊に攫われたお姫様〕」と、鳥羽省三様ご用達の『大辞林』は解説してくれる。
 つまり、作中の「飾磨紺のスカーフ」は、ただのスカーフでは無く、言わば、姫路城のお姫様みたいな高貴な存在なのだ。その高貴なお方が攫われた。「さあ、大変だ」と思った瞬間、お姫様お付きの腰元みたいな「赤きケータイ 」が「冷ややかに鳴る」。「赤きケータイ」は鳴る瞬間までは、<お姫様お付きの腰元>みたいな存在であったが、その底から冷ややかな声が聴こえた瞬間、いきなり犯人に変身する。
 犯人の声は、「わたしたちラ・フランス革命党はお姫さまを攫った。お姫さまのお命おしくば、千両箱三つ、書写山円教寺の山門まで持って来い。暗号は、<くらきよりくらきみちにぞいりぬべきはるかにてらせやまのはのつき>。山門に着いたら、この暗号を三度となえて、直ちに立ち去れ」と冷ややかに言う。さあ大変だ、大変だ。 五月のそよ風が、天下の一大事を運んで来たのだ。
 またまた探偵小説の世界だ。
    〔答〕 飾磨紺のスカーフ飛べは事件だが黄色いハンカチ幸福の標
 と、ここまで、戯作風に書き綴って来たが、この佳作については、もう少し語っておかなければなるまい。
 作者、行方裕美さんは、お題「飾」に接した時、かなり悩まれたのではないでしょうか?
 行方さんには、この「飾」という文字を用いた取って置きの作品がある。その作品は、行方さんご自身も密かに自負するところのある傑作なので、かねてより、そんじょそこらの投稿誌などには発表したくないと思っていた。それなのに、「題詠2009」のお題として「飾」が出た。
 あの傑作をお蔵から出して風に曝そうか、曝すまいか? 
 その傑作の作者であり、「題詠2009」の参加者でもある行方さんは、さんざん悩まれたはずだ。そして、その挙句、ここにこうして、この傑作をインターネット歌壇に曝す結果となった。
 その行方さんのご苦労に報い、この傑作に敬意を表するためには、私はもう少し真面目に、この傑作と取り組まなければなるまい。
 先ず、「飾磨紺」という播磨地方独特の伝統的染め色の存在を発見し、それと「赤きケータイ」とをセットにして一首をものしたのが作者・行方さんのお手柄だ。
 ここに、歴史の襞の中に半ば埋もれかけていた「飾磨紺」が、行方さんの手によって、歴史の表面に見事に甦ったのである。
 風清き五月、飾磨紺のスカーフを風に靡かせて舗道を闊歩するお嬢さんは、作者の行方さんご自身でありましょうか? 
 世の中に数ある色の中から飾磨紺という色を選び出し、世の中に数あるスカーフの中から飾磨紺のスカーフを選び出して身につけている。そこに知性と教養が感じられる。
 と、すると、そこに一陣の風が吹いて来て、その大事なスカーフが風に巻かれて空に舞い上がる。  作中の<わたし>は一瞬、「攫われる」と感じた。<わたし>の大事な「飾磨紺のスカーフ」が攫われたと感じたのだ。
 と、その時、彼女が抱えていたハンドバックの中から怪しい音楽が聞こえて来た。冷静になって考えられる場面であるならば、その音楽とは、彼女が普段から聴き慣れている携帯電話の着メロに過ぎないのだが、その時の彼女は、言わば誘拐事件に遭遇していたのだから、その着メロは誘拐犯からの怪しい電話としか思えなかったのである。
 作中の<わたし>が愛着を覚えて身につけていた、飾磨紺のスカーフが風に舞い上がった時の驚きと、それと呼応するかのように、懐中の携帯電話が突然鳴り出した時の驚きが、一首の中に余すところ無く詠み込まれている。
    〔答〕 爽やかな風がわたしを攫うとき携帯電話の音も攫われ  


(わだたかし)
   飾り付けなんて必要ないくらい散らかっている部屋で黙祷

 これも事件だ。葬式の飾り付けも出来ないくらい荒らされた部屋で被害者の弟、和田弘はとりあえずは黙祷した。それにしても、この散らかりようは只者ではない。
    〔答〕 <おくりびと>三人だけの葬儀ではいくらなんでも淋し過ぎます


(天国ななお)
   葛飾にバッタも見なくなったけど空はやっぱりうそみたいな青

 葬式が済んだと思ったら、今度は天国。全くタイミングがいいと言うのか、悪いと言うのか。
 私はこの頃、なぎら健壱著『日本フォーク私的大全』(1995年・筑摩書房刊)を愛読中です。
 この本の著者・なぎら健壱が『葛飾にバッタをみた』というLPレコードを出したのは、1973年だったそうです。あれから三十年以上も経ったが、葛飾の「空は(今でも)やっぱりうそみたいな青 」だと言う。
でも、「バッタ」は「見なくなった」と言う。
 本作の作者の天国ななおさん、あなたからこんな話を聞いて、私は少し嬉しく、少し淋しく思いました。
 あなたもフォークソングのファンなんでしょうか。もし、そうならば、一度か二度、演奏会場で袖を触れ合っているかも知れませんね。
 あの熱狂的な真夏の野外会場でね。
    〔答〕 葛飾天国一度はお出で♪♪(ルル) いちどと言わずなんどもお出で


(ひいらぎ)
   花一輪飾ってみよう一人でも産まれたことに感謝をしよう

 この作品を一読して、私は、「これは少子化時代を詠んだ作品かな」と誤解した。
 だが、次の瞬間、これは、未だ独身の女性が、自分に誕生日に臨んで詠んだ歌だと気が付いて、次のように解釈した。
 「自分は、未だ愛する人に恵まれないまま、孤独な生活をしているが、今日はそうした私の誕生日。たった一人だけの暮らしは、それはそれは淋しいものではある。でも、私は、今日の誕生日に臨んで、私自身がこの世に人として生まれたことに深く感謝しよう。そして、その感謝の印として、誕生日の今日は、たった一人だけの私のこの部屋に、一輪の花を飾ってみよう。おめでとう、ひいらぎ。誕生日、おめでとう」と。
    〔答〕 花一輪 見沼田圃の畔から ひいらぎさんの誕生祝し
 遅れ馳せながら、ひいらぎさん本当におめでとうございます。来年はきっときっとお二人でケーキの灯を点せますように。
 

(穴井苑子)
   電飾でかざりつけてる金閣寺 そんな感じに見えてしまって

 ホント、「そんな感じに見えてしまって」。
 あのキンキラキンの金閣寺が建立される時代の片隅で、さりげなく詫び茶が芽生えつつあったなんて、室町時代はホントに不思議な時代だ。
    〔答〕 さりげなくあの金閣に忍び込み火を放ちたる青年僧よ


(佐藤紀子)
   フェルメールの耳飾りのごと乙姫の両耳たぶに真珠が光る(浦島太郎物語)

 中世オランタ絵画の世界と日本昔話の世界のミスマッチが面白いと言えば面白いが、でも、浦島太郎物語で百首も詠むのはなかなかの難儀と思われるなあ。
    〔答〕フェルメールの女の弾けるマンドリン乙姫さまの琵琶と同類


(水口涼子)
   二羽の鶴牡丹の花に飾られて祖母の形見の堆朱の箱は

 華やかな色彩あってこその「二羽の鶴」と「牡丹の花」とを「堆朱の箱」に彫ったのは、日本の工芸家の犯したミスマッチかも知れないが、実際はどんな感じだろうか。
 案外、すっきりした出来上がりかも知れないな。
 なにしろ、本格的な堆朱の箱ともなれば、相当な値段だろうからな。
    〔答〕 堆朱箱の朱(あけ)の静寂(しじま)に鎮もりて羽ばたきもせずつがひの鶴は


(湘南坊主)
   飾らないあなたのままのそのままをまっすぐすなおに愛しています

 ニ、三句目の「あなたのままのそのままを」が良く効いている。その後の「まっすぐすなおに愛しています 」に、真っ直ぐ素直に入って行けるからである。
 短歌の鑑賞は、目で見、耳で聴くのがその基礎であるから、「あなたのままのそのままをまっすぐすなおに愛しています」と書いているのを目で見て、それから、それをそのまま口ずさんでみることが必要なのである。目で見て好し、耳で聞いて好し、これが素晴らしい短歌の必須条件だ。
 漢字が「飾」と「愛」だけなのもいいね。この二字をひらがな書きにしたら駄目になる。
 作者の湘南坊主さんは落第坊主ではないな。
    〔答〕 飾らないはだかのままのそのママを僕はときどき愛しています
 こちらは昼下がりの譲二くんの作品だ。


(鹿男)
   飾らないアナタが好きよなんていう言葉で飾られてる純愛

 またまた出ました鹿男さん。馬が無いから馬鹿男じゃない。
 鹿男さんの作品は、見た目は軽くても中身はなかなか辛辣。そこが鹿男さんの作品のいいところだ。彼の頭脳はかなり精巧にできている。
 ホント、ホント。「飾らないアナタが好きよ」「なんていう言葉」の、なんと虚飾に満ちていることか。
 私の尊敬する鹿男さんは、この「飾らないアナタが好きよ」の秘密を見破ったのだ。鹿男さんのこの発見は、コロンブスによる「新大陸発見」に等しい。
 なにー、「そんなこと俺だって知っていたよ」だって。何を言うか!お前のような奴を、コロンブスの卵野郎と言うのだ!
    〔答〕 純愛の中身もこの頃とりどりで、<C>くらいなら「純」と言うべき
                          〔注〕 <C>とは、性愛の段階のうちの最終段階の意。

(天野ねい)
   お洒落では勝ち目ないからお手紙を一生懸命飾ってみます

 メール流行りの昨今、お手紙を書くとは殊勝なことです。天野ねいさんの真心も下心も、きっと先様に間違いなく届くことでしょう。    
    〔答〕 補って余り有るよな君のふみ お家流にて「愛してたも」と
                 〔注〕 <お家流>とは、別名、青蓮院流とも言う書道の流儀の一つで、近世、庶民階層にも普及して寺子屋の手本などにもなった。
                 〔注〕 <愛してたも>の「たも」とは、「たもれ=給へ」の省略形で、近世の女性の書いた手紙には、<お許したも><助けてたも>などと頻出する。


(英田柚有子)
   手折られて飾られるため生きてきた訳じゃなくって手折りたいんだ

 手折られても飾られるとは限らない。「手折ってポイ棄て」が横行する今日、先ず、「手折られて飾られるため生きてきた訳じゃなく」という前提が間違っていないかどうか、再検討をお願いします。
    〔答〕 手折るなら薄・刈萱・女郎花 秋の野花にして下さいな


(音波)
   飾らない女(ひと)が好きとか言っちゃって・・・じゃあ、すっぴんを見せてやるわよ
 
 「すっぴん」とは素顔のこと。そうすると、この女性は格別な露出狂ではなさそうです。
    〔答〕 どうせなら物はついでの例え在り、すっぽんぽんも見せておくれよ
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