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一首を切り裂く(007:ランチ)

 冒頭から荒れまくるようで申し訳ないが、題詠企画の必須文字を<お題>と称する習慣からして気に食わない。
 これは、あの正岡子規にこっぴどくやっつけられた旧派の歌人たちが、自らを権威づけるために使った、俗臭糞々たる言葉なのである。
 それなのに、その歴史的意味も、使われた場面での姑息な役割も知らない現代社会の似非歌人たちが、題詠などという、本来、否定されるべき詠歌スタイルを一六銀行のお蔵から出して来るに当たって、これは便利な言葉とばかりに無批判的に使っているのは、一体どうしたことだろうか。
 これでは、御歌所派歌人の因循姑息に対抗して短歌改革ののろしを上げた正岡子規大先輩が泣くだろう。戦後いち早く、因習からの脱却を志向した近藤芳美先輩の霊魂が浮かばれないだろう。
 どうせそう言いたいのなら、思い切って、もう一段格を上げ、<御題>とでも称したらどうだろうか。
 
 その論はさて置いて、そのお題とやらが、「ランチ」と決まった瞬間から当然予想されていたことであろうが、今回の投稿作品は、昼食の差別用語である<ランチ、ランチ、ランチ>、ランチのラッシュ。それに加えて、その同族の<お子様ランチ・ブランチ・ランチボックス・ランチョンマット>などもかなり目だった。
 これは、好みの問題でもあるだろうが、お題としてでも、食べ物としてでも、目の前に<ランチ>を突きつけられたら、「私はそのランチではなく、別のランチを食べてみたい」という気になるのが人情の常というものではないだろうか。
 それに第一、いくら三ツ星レストランのランチであったとしても、そう立て続けに食わせられたら、仕舞いには糞詰まりになったり、腹下りを起こしたりしてしまうだろう。
 そこで、今回は、昼食の差別語である<ランチ>と、その同族どもを題材にした作品については、徹底的に粗探しをしてやろうと思い、そうでない作品については、ほどほどに褒め称えてみようとも思った次第である。
 誤解が無いように言っておくが、仮に粗探しをするにしても、私は、それらの作品を格別に見下しているわけではない。「これが私の短歌だ」と主張して威張れる作品であることは勿論、超辛口派の私にも、何程かの恵をお与え下さった有り難い作品なのである。
 また、私がほどほどに褒め称える作品も、超一級の作品とまでは言えない。「ランチラッシュの激流に巻き込まれずによく身をかわし得たので努力賞を与える」ぐらいのつもりで、称揚するのである。
 それでは、論に入ろう。
 

(村本希理子)
   菜の花のパスタでしたよ本日の日替はりランチは 春はすぐそこ

 作者の村本希理子さん。私が本日の犠牲者第1号にあなたを選んだのは、私があなたに対して格別な恨みを抱いているとか、御作が本日のランチの中でいちばん美味しくなかったとかといった理由に因るものではない。むしろその逆である。
 この作品の粗探しをするのはかなり難しい。だが、敢えて蛮勇を奮って指摘させていただくと、いかにも作者好みの、「菜の花のパスタ」の鮮度と、それに四句目の字余りくらいかな。
 鮮度の問題と言うのは、パスタの添え物の菜の花のそれについてよりも、むしろ、短歌に使用する言葉としての「菜の花」や「パスタ」のそれについてである。
 あなたぐらいの詠み巧者ともなると、なにも他の人にさんざん使われて、すっかり萎れ切ったり、乾き切ったりしてしまった、「菜の花」だとか「パスタ」だとかといった言葉を使わなくても、ランチメニューの一品や二品を仕立てるのは、お茶の子サイサイというところだろう。だから、敢えて申したまでのことである。
 「菜の花のパスタでしたよ本日の日替はりランチは 春はすぐそこ」。
 なかなかいいではないか。食べ終わって、無農薬野菜使用レストランから出て来る先客が、自分と入れ違いに入って行くお客に、優しく説明してあげている、といった感じの口調もまた佳し。
 字余りの問題については深入りしたくない。
    〔答〕 前菜は旬のイチゴとエスカルゴ 珈琲紅茶はお代り自由


(陸王)
   アンティークドォルのごとく澄んだ眼をランチタイムのカフェでみつめて

 「アンティークドォル」「澄んだ眼」「ランチタイム」「カフェ」といった使い古された道具立てと、「アンティークドォルのごとく澄んだ眼 」といったありふれた比喩とが気に食わない。
 これで短歌として十分に通用し、ひょっとしたら朝日歌壇の巻頭ぐらいには行けるかも知れないだけに問題なのだ。
 あなたぐらいのレベルになると、世俗の塵に汚れた言葉ばかりを使って一首を仕立てていてはいけません。
 一語一語がキラキラと輝いていて、その輝く言葉同士がカチンと衝突して、一瞬に大阪の街を焼き尽くすような火花を散らす短歌を作って下さい。(なんちゃって、それは無理カモ)
 あなたがそうだと言うのではないが、カタカナ語を二つか三つ並べればそれらしくなるのは、短歌という文学ジャンルが持っている世俗性以外の何物でもない。誤解の無いように言っておくが、世俗性が必ずしも全面的に否定されるわけではない。
 そうそう、たった今、気が付いたことだが、あなたのハンドルネームは「陸王」。
 その昔、私は、あなたのハンドルネームと同じ名前のオートバイのハンドルを握っていました。排気量は確か1100㏄でした。
 私が「陸王」を噴かして街を飛ばすと、かっくいガールどもが投げキッスを呉れたものでした。今から五十年も前の話ですが。
 インターネット界の陸王さん、あなたはかつての我が国に、あなたと同じ名前の、「陸王」というオートバイが在ったことを知っていますか。
    〔答〕 陸王はバイクの名前 そのかみの鳥羽省三の愛車なりしを


(みずき)
   ふたたびの夏を真向ふランチして少女はおとなの顔になりゆく

 この作品は二句切れである。作者が何と言おうとも、断然二句切れである。
                 (裏の声)「そんなに意気がるな。作者は何も言ってないぞ。」
 井上陽水の若書きに「いつの間にか少女は」という作品がある。それともう一つ、こちらは井上陽水作曲、小椋佳作詞だが、「白い一日」という作品がある。
 <みずき>作品の雰囲気は、これらの歌のそれと酷似しているのだ。
 誤解が無いように言っておくが、私は何も、みずき作品がこれらの歌の模倣作だ、などと言っているのではないぞ。私は、井上陽水の若い時の作品が大好きだから、みずき作品も好きだと言いたいのだ。
 上の句の「ふたたびの夏を真向ふ」がいい。
 「昨年の夏に続いて今年の夏をまた、私はこのレストランで、この少女と間向かうことになった。 私の座席の真向かいの座席に掛けた少女は、この二度目の夏景色の中を、ランチのフォークを可愛い口に運ぶことに懸命である。このような美しい景色に囲まれたレストランの中で、このようにして、ランチ料理などを口に運びながら、この少女は大人の顔になって行くんだなあ」といったところか。
 通釈をしながら気がついたのであるが、前述の井上陽水の歌に感じられた「飢餓感」が、みずき作品には全く感じられない。
 これは、時代の為さしむるところなのか、井上・小椋らと<みずき>の生活感覚の違いの為さしむるところなのかは、私の知り得るところではない。
 こっぴどく貶すつもりで書き始めたのであるが、いつの間にかベタ誉めしてしまった。私という人間は、本当に節操に欠ける。
 再度言っておくが、この作品は二句切れだよ。そこのところがこの作品の生命線なのだ。
 動詞「真向ふ」は四段活用なだけに終止形と連体形の区別がつき難い。
 この作品の場合も、「真向ふ」を連体形と取り、「再び迎えることになった夏に真向って行くためのランチを食べて~」などと奇怪な解釈をして、挙句の果てには、「二句目<夏を真向ふ>の<を>は、<に>でなければならない」などと、指導にならない指導をする宗匠が居たりするから注意。
 田舎の結社の話ではないよ。同人・会員、千人を越える人気結社にだって、そんな選者が居るよ。
    〔答〕 ふたたびの夏を真向ふ少女にて顎のあたりにはつか髭ある


(五十嵐きよみ)
   避暑地には避暑地の作法 朝食を兼ねたランチをベッドの上で

 あなたが朝食と昼食とを兼ねようが、ランチをベッドの上で食べようが、それはあなたにはあなたの作法があるのだから構わないが、私が気に食わないのは、最近のあなたが、自分の土俵を守るばかりで、ただの一歩もその外側に踏み出そうとしないことだ。
 避暑地だとにフランスだとか、いつもバリアフリーされた場所で、いつも手馴れた手法で、平均点を少し上回った程度の歌を詠む。
 利に聡いのは世の常だから、そんなあなたがいつの間にか歌壇のスターに押し上げられてしまう。
 これでは世の中真っ暗闇ではございませんか?
 最近のあなたの歌には、言葉と言葉の衝撃的な衝突も、奇想天外な比喩も、かつてのフーコー短歌賞の受賞者としての矜持を示すものは、何一つ見られないではありませんか。
 そこが、今ひとつ物足りないのです。あなたの作品の熱烈な読者である私には。
    〔答〕 避暑地には避暑地の仁義 朝食の残りのパンは小鳥にあげな
        主催者が<お題>を逃げずに詠むは好し そこのところが取り得か御作


(羽根弥生)
   チューブ入りお子様ランチをポケットにコロニー脱出する夢みてる

 五十嵐きよみさんの昨今の立脚地は、言わば、本作で言う「コロニー」。
 本作の作者の羽根弥生さん、どうかお願いですから、五十嵐きよみさんの手を携えて、一緒にコロニーの脱出を企って下さい。いつまでも「夢みてる」だけでは駄目ですから。
 でも、糧食が「チューブ入りお子様ランチ」だけでは心配。途中で干上がらないように、アクエリアスか何かを、しこたま仕込みなさいよ。でも、「ポケット」には入らないか? 
    〔答〕 コロニーの脱出なんてそりゃ無理だ羽根が無いから弥生翔べない
        でも飛びな。<心頭滅却何事か成らざらん>だよ、信じて翔びな。


(鹿男)
   同僚と1000円もするランチより一人松屋の豚飯がいい

 「1000円もするランチ」とある。他の人の作品に出てくるランチの値段は最低でも千五百円なのに。
 鹿男さんも、なにもここまで自分の貧しさを他人に暴露しなくてもいいじゃないか?今どき、千円では鹿センベイも買えないよ。それに、松屋の豚飯ばかり食べていたらメタボになっちゃうよ。
 でも、このような恥かしい内容の歌を平気で投稿するのも、彼のサービス精神の表れなのだ。誤解が無いように説明しておくが、彼はマゾヒストでは無く、ヒューマニストなのだよ。 
 そうそう、いま気がついたのだが、「題詠2009」の主催者の五十嵐きよみさんに、私が望むのはこれだ。
 五十嵐きよみさんも、いつまでも避暑地などに滞在していないで、鹿男さんの生息している地点まで降りて来たらいいのだ。そして、鹿男さんと一緒に、松屋の豚飯の味に取材した作品を詠んだらいいのだ。
 鹿男さんよ、お願いだから、いちど五十嵐さんを松屋に誘ってあげて下さい。五十嵐さんと一緒の時は、特盛りを止めて並み盛りにしてね。その代わり、お新香とサラダを採ったらいい。
 つい、調子に乗って、君のような善人をからかってご免。私も君と同じで、「千円のランチより松屋の豚飯を食べたい」と言うくちだ。
    〔答〕 松屋なら特盛り豚飯サラダつきそれでも千円かかるはずなし
 

(穴井苑子)
   語らない 日替わりランチにたどりつくまでの激しい葛藤の道

 鹿男さんの同類みたいなのが、ここにも生きている。
 「日替わりランチにたどりつくまでの激しい葛藤の道 」とあるが、他人に「語らない」と言うよりも「語れない」ほど、「葛藤」したのは、どんな理由があってのことだろうか?
 「日替わりランチ」の値段が「1000円も」もしたのか?
 それとも、メタボが気になるのか。穴井苑子さんという肥満体的ネーミングから判断すると、どうやら後者の方かな?
    〔答〕 聴かないよ日替わりランチに決めたのはどうせ予算のせいだろうから


(詩月めぐ)
   講座後の楽しみ友とランチする1500円分の楽しい時間

 気取るな! 講座後だってなんだって、「1500円」の「ランチ」は千五百円のランチじゃないか。
 公会堂の掃除のバイト後に食べる千五百円のランチは、講座後に食べる千五百円のランチより美味しくない、とでも言いたいのか!
 それに、講座後と言ったって、その講座の質が問題だ。
 君が聴講した講座は、どうせ、「韓流ドラマに於ける性場面の研究」とか何とかだろう!
    〔答〕 友とするランチは嬉し それよりももっと嬉しい乱痴気騒ぎ


(新井蜜)
   終末の知らせだろうか鳴り続くランチの時間過ぎたあとにも

 「ランチの時間過ぎたあとにも」お腹が鳴るとしても、何ら問題はない。君はどうせ、財布と相談して「ランチ」を食べなかったのだろうから。
 「終末の知らせだろうか」とは、少し大袈裟だよ。人間は二日や三日食べなくたって死にはしないんだから。
    〔答〕 終末の知らせだなんて大袈裟な地震予知報テスト中なの


(原田 町)
   コーヒーのお代わり自由この店のランチタイムはいつも混んでる

 超不況の今日、「コーヒーのお代わり自由」ぐらいは当たり前田のクラッカー、と来たもんだ。
 私の家の近所には、「コーヒーのお代わり自由+返金千円」という店だってあるんだぜ。
 それより何より気に食わないのは、手馴れた題材で、手馴れた手法で歌を詠もうとするあなたの怠惰な根性だ。歌人としていちばん警戒すべきは自己模倣ってやつだ。
    〔答〕 コーヒーのお代り自由 この店のランチの材料使い回しだ


(都季)
   だってまだ大人になんかなれないしお子様ランチも食べたくなるし

    〔答〕 だってまだ寝小便(おねしょう)なんか漏らすから大人の仲間に入れてあげない


(ひいらぎ)
   寝坊して朝食兼ねたランチへと繰り出す二人の距離感が好き

    〔答〕 寝坊して朝食兼ねたランチへと繰り出すときはあんたが先に


(蓮野 唯)
   黄緑の水玉模様お出迎えランチ彩るテーブルクロス

    〔答〕 黄緑のテーブルクロスに迎えられ蓮野唯さん目玉白黒


(ろくもじ)
   どうでもいいことばっかりだ ブランチはフレンチトーストだっていうのに

    〔答〕 どうでもいいことばっかりは君らの歌 ランチ・ブランチ・ランチョンマット


(笹本奈緒)
   いまランチタイムの国はどこだろう 深夜ラジオはどこも演歌だ

    〔答〕 午前零時 時差十二時のロンドンで女王陛下のランチタイムだ


(さかいたつろう)
   さようならずっとあたしが好きだったお子様ランチの日の丸の旗

    〔答〕 こんにちは 前からわたしが好きだった両切り缶入り煙草のピース


(ぱぴこ)
   向き合ってランチメニューを選んでる わたし夜でもよかったんだよ

    〔答〕 向き合ってディナーメニューを選んだらそれで済むわけないじゃないのよ
        それで済む訳じゃないのは知っていたそれが何なのウブな鳥羽さん


(振戸りく)
   お手軽に得した気分になれるけどランチセットは注文しない

    〔答〕 お手軽はランチセットともう一つ「ランチ」お題の君の作品


(井手蜂子)
   草原にランちゃん(ミニチュアダックス)を放してホットドッグでランチ

    〔答〕 草原に田中好子を埋めて来てランちゃんミキちゃん気持ち好し好し


(ひろうたあいこ)
   寄り添って彼女がいられるその理由(わけ)はランチタイムに間に合ったから

    〔答〕 寄り添って彼と彼女が居るわけは二人三脚レースだからさ


(ほたるノオト)
   ランチよりディナーをしたい関係になれたら薄いタイツに変えて

    〔答〕 直ぐ脱がす気持ち丸見え まる見えはあなたの気持ち わたしのあそこ


(ジテンふみお)
   火曜日のランチのことは火曜日に話せよ今日はエビが小さい

    〔答〕 月曜の今日は昨日の残り物 明日は火曜日・大売り出しだ


(日向弥佳)
   へたくそな料理でいつもごめんねとランチョンマットに愛だけのせた

    〔答〕 愛だけを乗せたランチョンマットなら風が吹いたら飛んでしまうよ


(酒井景二朗)
   丘の上お子樣ランチの旗を立て君を待つその華奢な手足を

    〔答〕 丘の上お子様ランチの旗立てて兎と亀の競走みたい


(本田あや)
   諦めはつかないらしい 闇雲にランチョンマットを集めたりする

    〔答〕 闇雲にランチョンマットを集めても隠れた月は見えはしないさ


(梅田啓子)
   平日のランチにさざめく女たち職退くまでは知らざりしこと

    〔答〕 土曜日のランチに集ひさざめくもやはり君らのご年配だよ


(松木秀)
   日の丸と星条旗立て同盟はがんじがらめのお子様ランチ...

    〔答〕 モンゴルの国旗を立ててみたけれどお子様ランチはさっぱり売れぬ(国技館にて)


(ひわ)
   日替わりのランチメニューを選ぶのとさほど違わぬリアルさである

    〔答〕 日替わりのランチメニューを選ぶのと同じロマンもあるにはあるさ


(ezmi)
   屈託の十二時誰とどこへ行くランチボックス下げて遁走

    〔答〕 十二時が屈託なのはシンデレラ 硝子の靴が足につかない


(ひぐらしひなつ)
   良妻の振りにも飽きて八階の窓から投げるランチボックス

    〔答〕 八階の窓からランチボックスを投げたら君も人生投げる


(天野ねい)
   昼食のことをランチと言いたがる貴女がとても嫌いなのです

    〔答〕 昼飯と言えばいいのにカッコつけランチと言うのは俺も嫌いだ
        正餐は日本人には無い概念 だからディナーは話題にならぬ


(なまじっか…)
   食卓にふたりが居るのはなんのため ランチョンマットは汚されるため

    〔答〕 寝室に君と居るのはなんのため 白いシーツは汚されるため


(秋月あまね)
   (注文は全員ランチでいいんだろ。食ったらさっさと出て行ってくれ)

    〔答〕 支払いはどうせ月末なのだから全員ランチを七杯食おうぜ

 月並み俳句という言葉はしばしば聞くが、月並み短歌という言葉はほとんど聞かない。
 だが、お題「ランチ」をストレートに捉えた投稿作品の大多数は、<月並み短歌>そのものだった。
 「ランチ」を昼食の別称と捉えて歌を詠むこと自体、悪いことではない。だが、そのうえで歌を詠むには、それ相当の覚悟と工夫が必要であろう、と私は思う。
 かく申す私もまた、昼食の蔑称としてのランチを<お題>に据えて一首をものした一人であり、こうした場面で自作を披露する馬鹿は居ないだろうが、「かく言うお前の歌はどんな歌」という質問があると困るから、恥かし乍ら一首ご披露に及ぼう。

    <ギャル曽根やランチ食うとき口開ける>空いた口から蝿が飛び込む    鳥羽省三 

 お題「ランチ」をストレートに捉えて作った上掲の拙作には、<月並み短歌>から脱却するための私なりの趣向が凝らされている。
 馬鹿は馬鹿なりに、少しは頭を使ったというわけである。
 初句「ギャル曽根や」の<ギャル曽根>とは、人も知るテレビ世界の大食いタレント。その見るも卑しき大食いタレントと風情を旨とした短歌世界とは、どのように考えてもそぐわない。そのそぐわなさを知った上で、彼女を短歌世界に取り込んだのが私の工夫の一つである。
 それともう一つ。拙作の上の句は、「<ギャル曽根やランチ食うとき口開ける>」と、カッコ・< >で括られているが、この部分は実は、今は亡き俳人・西東三鬼の人口に膾炙した名句、「広島や卵食ふとき口ひらく」の捩り句なのである。
 つまり、私は、一首の中に俳句を取り入れることによって、我が国伝統の二つの短詩形文学の合体を図ると同時に、従来の短歌観からは、その登場を絶対に許容されるはずの無い人物を登場させることによって、短歌世界の閉鎖性とその人物の棲息するテレビ世界の世俗性とを同時に風刺しようとしたのである。
 私のそうした企みがどの程度現実化し、この作品がどの程度評価されるかについては、私の知るところではない。
 ともかく、やるだけはやった。

 ところで、今回の投稿作の中には、お題「ランチ」を昼食の別名と解さないで、或いは、そのように解しはしたものの、故意にその解釈から身をかわして一首をものした作品が僅かながら在った。
 次に、それらの作品の中から、比較的に出来が良いと思われるものを選び、その鑑賞をさせていただこう。


(音波)
   サマランチ会長ほどの永遠を誓って君を吾が物にする

 すっぽかし組第1号は才人・音波さん。
 国際オリンピック委員会会長<フアン・アントニオ・サラマンチ>氏の巨大なお腹の中に、我らがランチ氏が生息しているとは、私も気付かなかった。
 音波さんの功績は大なり。以て金メダルを贈呈す。
 三句目と四句目とに跨って、「永遠を誓って」とあるが、その「永遠」がオリンピックの永遠の継続を表わすのか、サラマンチ氏自身の会長の椅子への永遠の在籍を表わすのか判らないのが、この作品の面白さ。
 それはそれとして、揚げ足取りを一つ。
 五句目「吾が物にする」の「物」に注目。作品の話者(=音波さん?)は、「サマランチ会長ほどの永遠を誓って」などと上手いことを仰りながら、その実は、彼女のことを「物」扱いしているのである。
 これは重大。とんでもない人権侵害。この作品の話者(=音波さん!)こそ全女性の敵だ。人間を物扱いにするなんて。依って、金メダルは没収。


(キャサリン)
   杉村春子のブランチの台詞「・・・どなたかのお世話になって・・・」演じたかった

 キャサリンさんの一首が、一首たり得ているかどうかは別レベルでの話として、テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』の主役<ブランチ・デュボア>の中に、<ランチ>を発見したのは、これまた殊勲甲。
 杉村春子さんの舞台は、森本薫作『女の一生』しか観ていないから、杉村春子演じる<布引けい>の姿は印象に残っているが、残念ながら<ブランチ・デュボア>の姿は知らない。ましてや、作中の引用部分「・・・どなたかのお世話になって・・・」の知識など皆無である。
 五句目に相当する語句、「演じたかった」は、作品の話者に託した、作者<キャサリン>さんの切なる思いであろう。.
 ところで話は突然変わるが、昭和22年9月15日に、我が国の関東地方や東北地方に、キャサリン台風という名の超大型台風が襲来して、甚大な被害をもたらしたことをキャサリンさんはご存じでしょうか。
 その頃は失礼なことに、毎年何回と無く襲来する台風に女性の名前をつけるのが習慣であった。歌人・キャサリンさんにとっては、本当に失礼で迷惑な話ですね。
 でも、メリーとか、ベスとか、アンとか、数多い女性名の中から、わざわざキャサリンを選んで、その怖い台風の名前にしたのは、きっと当時の人々の間に、キャサリンと言えば「怖い」というイメージがあったからかも知れませんね。
 あっ、怒らないで、歌人のキャサリンさん。怒らないでね。もう、こんな話やめるから。


(詠時)    
   発射ボタン押せど虚しき吾が裡のミサイルランチャー錆びて久しき

 芥川賞受賞作家・南木佳士の作品に、『ダイヤモンド・ダスト』という私の大好きな小説が在って、その中に、その小説の主人公が看護士として勤めている総合病院に、末期癌患者として入院しているアメリカ人の牧師さんが登場する。
 主人公の看護士は、この牧師さんの担当者として、一日に何回となく彼の病室に通い、時には話し相手にもなっているのだが、そうした場面の一つに、その牧師さんが既に性的不能者になってしまっている自分について、自分の身体の小型ミサイルは発射ボタンを押しても発射しない、と言っている場面がある。
 本作の作者<詠時>さんは、小説『ダイヤモンド・ダスト』を既にお読みになっているのでしょうか。未だ読んでおられなかったら、是非、ご一読をお薦めします。  


(虫武一俊)
   タランチュラの腕のごとく「おしごと」のことを問いくる伯母叔母従兄

 「タランチュラの腕」とは、毒蜘蛛・タランチュラ自体の腕のことだろうか? もし、そうならば、その腕(脚)は8本。太くて毒々しくて気持ち悪いこと、この上無し。
 その毒蜘蛛・タランチュラが独特の8本の腕を絡ませて人間に迫り来るように、作中の<わたし>の「おしごと」について、<わたし>の伯母と叔母と従兄は、<わたし>は訊問してくる、というわけ。
 「伯母叔母従兄 」が、<わたし>の「おしごと」について「問いくる」様子を、「タランチュラの腕のごとく」とした隠喩が的確。
 「おしごと」という言い方もまた、何か意味ありげである。
 「一俊さん、おしごとの方はいかが相成っておられるのですか。お母様はあの世で、あなたのおしごとのことを、いつも心配なさっておられるのですよ」というわけか。
 ああ、これではまるで毒蜘蛛だ。タランチュラ恐い。


(みつき)
   もし君に毒がなければ タランチュラ 躊躇いもせず抱き締めるのに 

 こちらはまた、ぐっと魅惑的なタランチュラ。
 『舞踏蜘蛛の王女(タランチュラ・プリンセス)』関連の一首であろうか?


(太田ハマル)
   ランチュウの沈む水槽遺伝子の綺麗な歪みはゆるくうごめく

 「ランチュウ」は、金魚の一種。その「ランチュウ」の体内にさえ「ランチ」は棲む。彼ら「ランチ」族は、その遺伝子によって、さまざまなものの体内に棲息することを運命づけられているのか?


(西中眞二郎)
   制服の乗組員に日の差してランチ埠頭を離れて行けり

 本作の「ランチ」とは、「港湾で本船と陸上との連絡などに使う、小さな蒸気船」と、『新明解・国語辞典(第五版)』に説明あり。
 さすれば、船舶なる「ランチ」にも「ランチ」が棲むのか。ランチ族の遺伝子のほんに恐ろしや。
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台風です。

あの~、、、はじめましてv-254
ちょっと名前が書きにくいのですが
キャサリンと申します。。。
キャサリン台風は全く知りませんでした。
その時は影も形も存在してなくて
教えてくださって、どうも、ありがとうございました。
(怖いんだ!名前かえようかな、あ!もちろん怒ってまへんよ^^)
この短歌はTBしてから失敗に気付きました。
今回は「題」を見て直感で作るようにしているので
失敗ばっかりしています(いつも失敗してるかなあ^^;)
こんなレベルですみません。取挙げてくださって、
どうも、ありがとうございましたv-207
プロフィール

鳥羽省三

Author:鳥羽省三
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