スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今週の『朝日歌壇』から

 これらの秀歌はいずれも「作中の<わたし>=作者」という等式の中で作られたものと確信する。
 そこで私は、「作中の<わたし>」及び「話者」を、「作者」と呼んで稿を進めることにした。


○ 賜りし無職の日々を妻とわが夕餉にあまる鹿尾菜藻を刈る          (宗像市)巻  桔梗
 
 ものは考えようである。作者は、「無職の日々」を「賜りし無職の日々」と言っているのだ。
 そうした日々の中のある一日、作者は自分たちの貧しい夕餉のおかずにしようと思って、妻と一緒に鹿尾菜藻刈りにでかけた。ところがその日は、妻と自分の夕餉のおかずにしてもなお食べ余る程の大収穫があった。
 作者が「無職の日々」を「賜りし」と言っているのは、その日、彼らが、鹿尾菜藻を沢山刈ることができたからでもあろうが、それともう一つ、彼自身が、無職という境遇であれ、鹿尾菜藻の収穫であれ、現在、自分が当面している状態や事柄を神から賜ったものとして受け入れるような性格の持ち主だからであろう。


○ 寒風に水子地蔵の風車回る回らぬあるこそあわれ              (高崎市)石井 省三

 「回る回らぬ」が効き目。
 どなたの仕業か、「水子地蔵」には、よく「風車」が回っている。 


○ きさらぎの光を浴びて桃の木はももでありたきいっしんとなる         (福島市)美原 凍子

 「ももでありたきいっしんとなる」という下の句が、この作品を優れた一首にしているのだが、その意味は今ひとつ文明でない。
 「美味しい実をつけようと一心になっている」という意味なのか、それとも、「地中深く根を張り、天高く枝葉を茂らせようと一心になっている」という意味なのか、分からない。
 でも、その分からなさが、この一首の魅力なのかも知れない。
 「きさらぎの光を浴びて」と「いっしんとなる」の照応も見事。


○ 夢無くて浅間の噴火待ち望むそんな青春だったなわれも           (高崎市)門倉まさる

 その日、作者は、荒れている若者達について報道したテレビ番組を見たのかも知れない。
 「浅間の噴火待ち望む」が身につまされるが、この作品の作者に限らず、青春時代には、そういうことがありがちだ。


○ ここちよき定位置なのか川なかの岩にいつもの鵜があさひ浴ぶ       (浜松市)松井  恵

 鵜は鵜たらんと一心である。 


○ 着ぶくれて切符の在り処また探す集札口に妻を待たせて           (神戸市)内藤 三男

 「着ぶくれて」が佳い。私も、最近、こういうことがめっきり多くなった。


○ あと一つ足らぬ気がして見つめおり弁当箱のわずかなすき間         (盛岡市)白浜 綾子

       あとひとつ足らぬおかずは佃煮か弁当箱のわずかなすき間     省三 


○ 多摩川を越えれば東京東京に細く光りて東京の月             (小田原市)南雲長太郎

       荒川を越えれば東京東京に鈍く輝き東京の星             省三
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

鳥羽省三

Author:鳥羽省三
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。