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『題詠2009』への投稿作品と作者自身によるその注釈(そのⅢ)

021:くちばし(鳥羽省三)
 くちばしの黄色い秋刀魚が新鮮と妻は秋刀魚を血眼で選る

 今から四半世紀ほど前までは、 「お前という奴は、くちばしの黄色い分際でよく口出しをする」などと言って私を叱ってくれる人が沢山居たが、彼らの大半はあの世に旅立ち、生き残っている人たちも今ではすっかり元気を失ってしまった様子だ。かつての厚顔の美少年の私もそれだけ年取ったということかな。
 人間と同じように、秋刀魚も取れ立てで新鮮なうちは嘴が黄色い。
 いや、そういう言い方は本末転倒だ。新鮮な秋刀魚の嘴が黄色いことから、年若い人間を貶して「お前は嘴の黄色い分際で」などと言って叱ったのだ。
 でも、嘴が黄色いことは秋刀魚の場合はいいことなのに、人間の場合は良くないことなのは、どうしてだろうか?
 とか何とか言って、例によってかなり原稿料を稼いでしまったけど、我が家の奥方は秋刀魚が大好きで、私の嫌いな秋刀魚の塩焼きをむしゃむしゃ食べる。そして、食べる秋刀魚が無くなると、毎日でも魚屋に通って秋刀魚を買い求めて来る。
 魚屋のトロ箱から秋刀魚を選る時の奥方の目は真剣だ。少しでも嘴が黄色くて大きいものを、との一心で、血眼をして秋刀魚の識別をする。そういう時私は、秋刀魚の黄色い嘴と奥方の血眼とを、冷たい目をして見比べている。何を隠そう、ローマン主義的な歌ばっかり作って笑われている私の実態は、冷静な観察者なのだ。
 秋刀魚を選る時の奥方が血眼になる理由は二つ。
 一に、秋刀魚が好きだから。二に、亭主の私が無職、無収入だから。
 いや、「亭主の私が無職・無収入」というのは少し言い過ぎだ。こんなやくざな私でも、毎年毎年、減額されて行くばかりだけど、公務員共済会本部から二ヶ月ごとに送られて来る、年金ってものがあるからさ。だから、無職ではあっても無収入ではないわけだ。
 でも、それだけでは、とてもじゃないけどやって行けないから、最近、奥方はお犬様のご衣裳作りに励んで居られる。でもでも、お犬様のご衣裳は、作っても作ってもさっぱり売れないし、結局は友人や親戚の人などにただで進呈してしまうことになるから、自分が大好きな秋刀魚を選る時の奥方の眼は血眼になるわけさ。
 そういうわけだよ。これで奥方と秋刀魚のお話はおしまい。


022:職(鳥羽省三)
 「有職」は「故実知る」の意、世に謂へる「無職」とふ語の対義語でなし
 
 初稿は、「涜職に汚職に無職・管理職 職の付く語は碌なもの無し」という、かなり創作意欲を喪失した状態で作ったもので、それをそのまま投稿した。
 しかし、トラックバックをし終えた瞬間、憎悪感覚だけで作り、まるで反吐を吐くようにして詠み捨てたその作品に嫌気がさし、掲出作品のように改めて再投稿したのだが、時すでに遅く、再投稿作品は「題詠2009」の再投稿規程の範囲を越えているから、主催者の五十嵐きよみさんに見つかったら怒られるかも知れない。
 でも、五十嵐きよみさんを怒らせるのも面白いかも知れない。あの美人(?)が血相変えて怒って、スパニッシュ訛りか何かの日本語でまくし立てたら、どんなに怖いことだろうか。家内の妹の愛犬のクロちゃんだったら、震え上がってションベンちびるかも知れない。
 閑話休題。「有職」は<ゆうそく>と読み、「貴族社会や武家社会などの古くからのしきたりや行事に関する知識(を知ること、または人)」の意。通常は「有職故実」という四字語として用いられる。
 自慢して言うわけだけれど、筆者は、その昔、河鰭実英氏というその道の最高権威から、「有職故実」学を学んだ。
 その最高権威者の直弟子が、有職の反対(ではない)の無職とは、とほほほほほ。ああ、なんとなさけなや。
 

023:シャツ(鳥羽省三)
 身に合ったシャツが無いから浴衣着て下から読んでも山本山は

 初稿は、「ネルシャツを寝るシャツなどと覚え居し息子も今は二児の父なり」であったが、いくらなんでも、と思って投稿しなかった。
 「作品中の<わたし>≠作者の私」というタブーを破ってまで、敢えて問わず語りをするが、我が家の長男は、中学時代のある日、誰から授けられた知識なのか、ネルのシャツを買って来て、すまして言う。「このシャツは最近流行のネルシャツだ。これを着ていないと女の子にもてないから買ったのだ」と。
 ところが、ある晩、その長男がその自慢のネルシャツをパジャマ代りにしてベットに入っているのだ。それを見た妻が、理由を訊ねると、「寝る時に着るからネルシャツと言うんだ」と、真面目な顔をして答えたそうだ。妻は私に、「あれは冗談ではなくて、本当にそう思っているから、そう言ったんだよ」と言って、一件の披露に及んだ。 
 話を投稿作品に戻そう。
 昨今話題の、体重四分の一トンの、あの大相撲力士・山本山が浴衣を着て出歩くのは、身の丈に合ったシャツを持っていないからではなく、「力士たる君らは、ジャージーやTシャツなどを着て出歩いてはいけない。外出する時はきちんと浴衣を着なさい」という、理事長や親方の言いつけを守って、そうしているのだろう。
 そうと知りながら、「身に合ったシャツが無いから浴衣着て」と言ってしまうところが、この作品の作者の恍けたところであり、この作品の面白いところでもある。
 それに続けて、日本橋の老舗<茶舗・山本山>」の宣伝文句である「下から読んでも山本山」を、そのまま下の句としたのも秀逸である。
 自慢して言うのだけれど、私は、「題詠2009」の投稿作品の中のせめて5%くらいの作品が、このくらいのレベルの作品だと、主催者の五十嵐さんは、たちまちラスベガスに別荘を持てるような金満家になれるだろう、と勝手に思っている。


024:天ぷら(鳥羽省三)
 天ぷらや命あっての武勇伝 鳶ノ巣攻めではほとほと死にき
 
 一見、継ぎ接ぎだらけで、なにがなんだか分らない作品ではあるが、テキストを凝視していると、次第にある光景が思い浮かんで来る。
 先ず、「鳶ノ巣攻め」と「命あっての武勇伝」から、あの天下のご意見番・大久保彦左衛門が導き出され、そして、五句目の「ほとほと死にき」からは、「万葉集巻15」所収の狭野弟上娘子が恋人・中臣宅守に贈ったとされる相聞歌、「帰りける人来たれりと聞きしかばほとほと死にき君かと思ひて」と、その作者・狭野弟上娘子が導き出される。
 作品中の語句で残ったのは、初句の「天ぷらや」だけである。「天ぷらや」の「や」は、ひらがな書きをしているからには、まさか「天ぷら屋」の「屋」ではあるまい。おそらくは、「松島やああ松島や」の「や」だろうから、この際は関係ない。
 「天ぷら」関係で何かないか。「天ぷら」とこの作品中の他の語句や、他の語句から導き出された事柄とを関連させてもいい。
 こうして、あれこれ思案しているうちに、「天ぷら」と、先ほど導き出された大久保彦左衛門との関連で、一人の重要な人物が浮かび上がる。
 その人物とは、徳川家康、東照大権現様である。徳川家康は大久保彦左衛門の主君。
 そして、後々「天下のご意見番」として、一方には頼もしがられ、他方には煙たがられた大久保彦左衛門が、自分の武勇伝として語った、「一番乗り、一番槍」の大手柄を立てたのは、徳川家康の旗本として出陣した、「鳶ノ巣・文殊山の初陣」に於いてのことであった。しかも、その大久保彦左衛門の主君の徳川家康の死亡を巡っては、「天麩羅中毒説」が囁かれている、ことに気が付く。
 これで決定。
 後は、この三つの要素を適当に繋ぎ合わせて行けばいい。つまり、この作品は、徳川家康、大久保彦左衛門、そして万葉の狭野弟上娘子のコラボレーションないしはパッチワークなのである。
 主役の<わたし=話者>は、勿論、大久保彦左衛門。掲出作品の中身は、この大久保彦左衛門のモノローグなのだ。
 以下、彦左衛門の独白。
 「天麩羅か。天麩羅も食いたいけど、命が惜しい。なにしろ、わしの主君の東照大権現様には、天麩羅に罹ってお亡くなりになられた、という噂があるくらいだからな。そうなるとわしたち、徳川家の家臣にとって、天麩羅はお家に仇なす仇敵というわけだ。わしは今でこそ、天下のご意見番などと呼ばれて、調子づいたら、あの徳川三代将軍、家光公にまで意見を申し述べたり、武勇伝を語ってお聞かせ申しているけど、それも命あっての物種。天麩羅など食わずに摂生しているからだ。」
 「命あっての物種と言えば、わしがいつも語り草にする、鳶ノ巣文殊山の初陣には、少し裏話があるのだ。あの鳶ノ巣攻めでは、わしが一番乗り、一番槍の大手柄を立てたことになっていて、わしはこないだも、家光公にその話を語り申して、公の近頃の不摂生をお戒め申したが、本当のことを言うと、あの時、わしは、<ほとほと死にき>という状態だったんだ。」
 「待てよ。わしは今、なんと言った。なに、<ほとほと死にき>だって。<ほとほと死にき>といったら、あの万葉集にある、狭野弟上娘子の歌ではないか。確か、『ほとほと死にき君かと思ひて』と言って、彼氏に贈ったというやつだ。つまりは、『死ぬ、死ぬ』というわけか。わしも『死ぬ、死ぬ』って言わせてみたいな。若い娘っこに。」とかなんとか。
 私の作品は、解り易いの唯一の取り得なのだが、たまには、こんな解り難いのが在ってもいいだろう。
  

025:氷(鳥羽省三)
 氷下魚(こまい)とてその身の白き魚あり凍れる海を割りて漁る

 初稿のまま投稿したが、投稿後に思いついた、「北洋に氷下魚とふ名の魚居て凍れる海を割りて漁る」と比較してどちらが勝るか。
 インターネット歌壇有数の論客として知られる水口涼子さんがわざわざメールを寄せられて、投稿作品の方に軍配を上げたから、そっちの方が良かったのだろう。
 

026:コンビニ(鳥羽省三)
 コンビニは真夜を灯して煌々と夢失ひし僕を誘ふ

 初稿は「『アノコンビニハカナワヌ』と遺書残し<かめの>は逝ったKⅠの朝」というお笑いネタだった。「かめの」は「鶴野」の裏。「KⅠ」については語るを要すまいが、空手ではないよ。お笑いだよ。
 初稿を作った時、私は、「コンビニ」と言っても「コンビニエンス・ストアー」の略称としての「コンビニ」ではない、カタカナの「コンビニ」は無いか、と無い知恵をさんざん絞った。その挙句、遺書の中身をカタカナ書きすればいいことに気が付いて初稿に行き着いたのである。
 でも、お笑いネタでは一笑に付してしまわれるだけだから、と思って没にした。
 掲出作品については、類想歌の存在が気になるが、コンビニエンス・ストアーの略称としての「コンビに」を詠めば、だいたいこんな内容のものになるだろうとも思う。
 コンビニの灯りは誘蛾灯の役割を果たしているのだ。目標を失ったコンビニ族は現代社会の「蛾」なのだ。
 作者の私は投稿作品を、「褒められもせず。苦にもされず」といった程度の作品か、と思っている。


027:既(鳥羽省三)
 「既往症無し」と記して澄ましてる未往症なら数え切れぬが

 うーん。分る。分る。世の中に病気持ちは多いからね。誰だって、病気の一つ二つを持っているからね。一つも持っていない奴は頭の病気とか。
 「未往症」とは、「未だ往かざる症(状)」ということで「未だ治っていない病気」のこと。
 これとは別に、「既発表になってしまうが気にせずに『2009』には佳作を出そう」という作品も作ったが没にした。吹けば飛ぶような作品を作って、「やれ既発表だ。未発表だ」などと、大真面目に騒いでいる、いわゆる「歌人ちゃん」たちを揶揄しようとしたのだが、その祟りが恐ろしいので止めたのだ。


028:透明(鳥羽省三)
 週末の息子はビニール身に纏ひ透明人間パパマン一号

 ああ、涙ぐましい。その昔、息子二人のために、私がやっていたことを、今、娘二人の親になった長男が夢中になってやっているのだ。その様を見ていると、私は、つい、「作中の<わたし>≠作者の私」という公式を忘れてしまうのだ。失態、失態。
 今日、家内の田舎に電話して、「<透明人間パパマン一号>の留守宅に、秋田こまち三十キロを送って下さい」とお願いした。勘定はもちろん、パパマン〇号持ち。
 透明人間パパマン一号は目下、大阪に単身赴任中。本当の透明人間になったのだ。

〔追伸〕 
 昨晩、透明人間パパマン一号宅から℡あり。孫娘二人も電話口に出て、「おいしいりんごありがとう。わたし丸ごと食べちゃった。それからね、昨日パパが大阪から帰ってきて、私のお弁当を作ってくれたの。でも、幼稚園では給食だったから、私二つとも食べちゃった」と次女。長女は「美味しいお米ありがとう。前に送ってもらったのがちょうど無くなりそうだったから、とても嬉しいと、ママも喜んでいたよ。りんごも美味しかった」と。
 小学二年生の子にお米の御礼を言われたのは初めてだ、と家内は喜ぶ。また送ってやろうかな。


029:くしゃくしゃ(鳥羽省三)
 くしゃくしゃの紙は丸めて捨つるより皺を展ばして尻拭くが良し

 少し汚かったかな。出た後は、よく手を洗っとけよ。
 これとは別に、「くしゃくしゃの人生だからと彼は言う ぐしゃぐしゃよりはいいではないか」という、惨めったらしいのも作ったが没。


030::牛(鳥羽省三)
 「うしの日にむなぎ召せ」とふ「うしの日」は「丑の日」にして「牛の日」でなし

 「石麻呂にわれもの申す夏痩せによしといふものぞむなぎとり召せ」という、万葉集の大伴家持の和歌に唱和したつもりであるが、果たしてどうか。 
 「十二支」の二番目の動物は、「丑」であって、「牛」ではない。それなのに、最近の鰻屋は「牛の日です。夏痩せしないように鰻を召し上がれ」などと書いた貼り札を貼っている。
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