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一首を切り裂く(078:アンコール)

(佐山みはる)
    暗黙のルールのごとくアンコール乞ふ手拍子のたかまりてきつ

 観客や聴衆の中には、いわゆる<さくら>が居て、彼ら、彼女らが、「アンコール乞ふ手拍子のたかまり」を煽っているんですね。
 そういうステージを観た後の気持ちの複雑さは、他人に説明しようも無い。
     〔答〕 客席でアンコール乞ふ手拍子を煽るが教師の役目とぞ知る  鳥羽省三

 わずか一首だけの観賞でしたが、「一首を切り裂く」の本年分の大トリは、<佐山みはる>さんの作品でした。
 アンコールにはお応え致しませんが、<佐山みはる>様はじめ皆様の、ご健康とご多幸をご祈念申し上げます。
 それでは皆様、佳いお年をお迎え下さい。

     〔答〕 <よい年を>してと笑われ貶されて「一首切り裂き」終盤まで来つ  鳥羽省三
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一首を切り裂く(077:屑)

(西中眞二郎)
    屑入れの見当たらざればポケットにゴミ入れしまま街を歩みぬ

 今から半世紀ほど前の松の内に、東京で学生生活を始めて一年足らずの私は、ある親戚の家にお年始に出掛けた。
 ひと通りのご馳走になった夕刻、その家の主婦が買い物に行くと言うので、私も帰宅がてらに社会見学のつもりで同行した。
 するとその主婦は、買い物先の手前の駅に立ち寄り、自宅から抱えて来たビニール袋に入った何かを駅前のゴミ箱に入れたのである。
 怪訝な顔をしている私に向かって、その主婦は、「お正月でゴミ回収の自動車が来てくれないの。こういうことは、あまりしたくないけど、自宅のゴミ入れが溢れそうだから、少しだけ失礼させて頂いたのです」と言うのだ。
 その主婦は格別に人柄の悪そうな人では無かったので、「この人をして、こういうことを為さしめる都会生活とは何ぞや。東京とは大変恐ろしい所だ。上京前には、生活ゴミの全てを自宅裏の塵塚に捨てて、堆肥作りをしていた私が、果たして、このような生活に耐えられるだろうか」と、私は、自分の前途に大いなる不安を感じた。
 「屑入れの見当たらざればポケットにゴミ入れしまま街を歩みぬ」。
 この一首に、高給官僚、いや失礼、高級官僚生活から退かれた、西中眞二朗氏のお人柄の一端が偲ばれる。
 現役当時は予算分捕り合戦をさんざん演じたであろう西中氏が、外出の途中でティッシュペーパーでも使われたのか、それを捨てようにも捨て所の無いまま、英国屋仕立てのコートのポケットに、汚れた紙屑を突っ込んだままでとぼとぼと歩いている様子が想い浮かぶ。
 高級官僚退職者の皆がみな、西中氏のようなご性格の方ばかりではなかろうが、この一首を読む時、私は、「日本のエリートたちも、必ずしも捨てたもんでは無いな」などと、甚だ失礼な思いに捉われる。
 作者・西中氏が、実際にこの作品をお創りになられた季節は判然としないが、この一首から私が思い浮かべるのは、私がこの記事を書いている<今日>のような、<大つごもり>の盛り場の風景である。
 西中真二郎さん、よいお年をお迎え下さい。
     〔答〕 年の瀬に捨て処なき紙屑をポケットの中で弄んでる  鳥羽省三 


(梅田啓子)
    まん中に屑入れのありみんなして投げ捨てしろき裾野をもてる

 一見、スルーしてしまいそうな地味な作品ではあるが、「しろき裾野をもてる」が秀逸。
 これは、屋外の風景だろうか、屋内の風景だろうか?
 梅田啓子さん、よいお年をお迎え下さい。
     〔答〕 ニッポンはゲイシャ・フジサン公園の屑入れも白き裾野持ってる  鳥羽省三


(理阿弥)
    ゴミ箱を屑籠と呼ぶ若者はたいがい祖父母と同居してます

 そういう見方にも一理があります。
 が、祖父母含めて三世代同居の家族は極めて少ない。
 家族が多いと何かとトラブルが絶えなく、特に女性が、そうした家族構成を嫌がるからである。
 が故に、「お年寄りは後期高齢者と呼ばれ、屑箱に捨てられる」とまで申し上げたら、我が連れ合いを先頭にした、世の女性たちの蔑視の標的にされること疑い無しであるから、これ位で筆を止めておきましょう。
 理阿弥さん、よいお年をお迎え下さい。
     〔答〕 お年寄りを後期高齢者と呼ぶは失礼千万飛んでも発奮  鳥羽省三
 
 「とんでもハップン(飛んでも発奮)」とは、「日本語の<とんでもない>と英語<never happen>の合成語で、<とんでもない><まさか>といった意味で使われる。もともと戦後の学生間で使われていた言葉だが、後に獅子文六が朝日新聞に連載した長編小説『自由学校』で使用。更に同小説の映画化の際も使用し、流行語となった。1980年代には派生語<飛んでも8分歩いて10分>という言葉も生まれている。」(『日本語俗語辞書』より抜粋)
 ことの序でに説明しますが、獅子文六作『自由学校』の舞台となったのは、私が過日の「さだまさし解剖学」で縷々述べた、あの<聖橋>から見下ろす、御茶ノ水駅ホームの向かい側の崖なのです。
 私が上京した当時は、あの崖には、ホームレスの方々のお住まいの掘っ立て小屋が建てられていて、夕方になると、さも自由学校卒業生といったような感じの方々が、お酒を酌み交わしながら、談論風発のひと時を過ごしておりました。
 お風呂なども有ったようですが、あの崖から、ホームレスの方々のお住まいが撤去されたのは、東京オリンピックの頃だったのでしょうか?
 一首の歌から、様々な事柄が呼び起こされるのが、理阿弥短歌の特質であり、美質なのである。


(ゆき)
    行く川のながれに藻屑となり果てし千の文殻万の花殻

 この作品も、「知ったかぶりをしゃがって」と思って、スルーしてしまいたくなるような作品ではあるが、少し立ち止まって見ていると、なかなか捨て難い魅力がある。
 歌い出しの「行く川のながれ」は、方丈記から想い付いたものであろうが、末尾の「千の文殻万の花殻」は、作者の心の中に浮かんだ心象風景であろう。
 即ち、この一首の意味は、「作中の<私>は、片思いの恋人に当てて、千通にも万通にも余る恋文、ないしは恋情を託したメールを送ろうとした。しかし、気弱で引っ込み思案の<私>には、それを実際に送ることが出来なかった。そこで、恋人への<私>の思いは、あたかも、千も万もの色鮮やかな色紙やはなびらが川面に浮かぶようにして流れ行き、そして、藻屑となって消えた」というのであろう。
 ゆきさんも亦、よきお年をお迎え下さい。そして、よき恋人のゲットも。
     〔答〕 くさぐさの想ひ流るる飛鳥川あすは元日謹賀新年  鳥羽省三


(龍庵)
    真っ直ぐに君に当たって砕け散る光の屑を拾い集める

 一首の意は、要するに「あなたは美しい。その美しいあなたに、私は憧れている」ということでありましょう。
 この一首から、その意を読み取るのはそんなに簡単なことではありませんよ。
 感覚的に捉えて、なんとなくそのように解する人は居るにしても。
 龍庵さん、よいお年をお迎え下さい。
     〔答〕 春の日の光に当たる君なれば我は眩しとたじろぐばかり  鳥羽省三 


(蓮野 唯)
    屑籠のような住いが映ってるテレビ眺める午後三時半

 「午後三時半」で逃げるのは良くないとは思ったが、蓮野邸のガラクタテレビに映る庶民たちの「住い」が「屑籠」のように感じられる時刻として最適なのは、「午後三時半」頃であろうから、それも已む無し、である。
     〔答〕 屑籠のような住まいに住む屑のような歌人の屑歌多し  鳥羽省三
 と、申しても、それは蓮野さんや蓮野さん作のことを申しているのではありませんから、お気になさらずに。
 蓮野唯さんも、佳いお年をお迎え下さい。


(さかいたつろう)
    パン屑をこぼして歩く女の子 笑って付いていく男の子

 現代版『青い鳥』というところか。
 「パン屑をこぼして歩く女の子」は立ち食いの常習者。
 「 笑って付いていく男の子」は、そうした「女の子」をつまみ食いしようとしているのだ。
 さかいたつろうさん、佳いお年をお迎え下さい。
     〔答〕 ホコ天で現代風俗眺めてるさかいたつろうさんは冷徹  鳥羽省三


(田中彼方)
    「パン屑を森の小鳥に食べられて帰れないから、泊めてくれない?」

 これ亦、現代版『青い鳥』。
 「パン屑を森の小鳥に食べられて帰れないから、泊めてくれない」などと言う者は、男性にしろ、女性にしろ、純情さの欠片も持たないヤツだから、一晩中、チルチルミチルの芝居をさせて、徹底的に鍛え直さなければダメ。
 田中彼方さん、よいお年をお迎え下さい。
     〔答〕 見え透いた手段で以って願っても年越し村では泊めてくれない  鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
    ときどきは子供っぽさを覗かせるパン屑ひざの上にこぼして

 それが、彼一流の<手>だったりするから、五十嵐きよみさんと言えども安閑としては居られない。
   〔答〕 雪を見て<ゆひら>と叫ぶ男など油断も好きもありはしないさ  鳥羽省三


(ほたる)
    アスファルトに貼りつく花屑ももいろで踏まれても春、踏まれても春

 この作品も一度はスルーした。
 だが、もう一度見直してみると、それなりの味わいの在る作品だったので選ばせていただいた。
 「踏まれても春、踏まれても春」は、種田山頭火の句、「分け入っても分け入っても青い山」に取材したものであろう。
 これ見よがしに引用したり、取材したりするのは、馬鹿のやること。
 こうして、さりげなく目立たなく、名句から取材するところに、本作の作者の実力と教養が感じられる。
 「花屑」は「ももいろ」とあるから、梅の花だろうか?
 華やかさもほどほどの都会の春景色である。
 ほたるさん、よいお年をお迎え下さい。
     〔答〕 引用は鳥羽省三に解るほど誰でも解れば面白くない  鳥羽省三


(本田鈴雨)
    大鋸屑に海老棲むものと信じゐき鮨屋のやんちや息子五歳は

 「大鋸屑」を、<おがくず>と読める人が少なくなったのは寂しいことです。
 輸入物の魚介類が少なかった頃、「海老」は大鋸屑入りのトロ箱に入れられていたものでした。
 本作の作者の本田鈴雨さんのご生家は「鮨屋」さん。
 お羨ましいことです。
 私の長男は、まだ二十歳にならない頃、よく「俺は鮨屋の息子に生まれれば良かった。上トロ鮨が大好物だから」などと言っていたものでした。
 末尾を「息子五歳は」としたところに、本田鈴雨さんの長年の短歌歴と技巧が感じられます。
 こうした点は、ほたるさんなども大いに学ぶべきでしょう。
 本田鈴雨さん、よいお年をお迎え下さい。
     〔答〕 大鋸(おが)を挽く木挽きの捨つる大鋸屑に柔く包まれ海老は眠れる  鳥羽省三  


(村本希理子)
    赤緑黄の糸屑が絡まつて成長するのよ裁縫箱は

 無類の手芸好きの連れ合いの裁縫箱を観察して、「赤緑黄の糸屑が絡まつて成長するのよ裁縫箱は」の現実性を、私は確認しました。
 鋏や針や目打ちなどの裁縫道具の他に、裁ち切れや糸屑やトレーシングペーパーなど、実にいろいろな物が入っているものですね、あの裁縫箱には。
 村本希理子さん、良いお年をお迎え下さい。
     〔答〕 ユザワ屋の会員カードも入ってた妻の使へる裁縫箱に  鳥羽省三


(bubbles-goto)
    蹴らないでください、胴の継ぎ目からおが屑がこぼれてしまいます

 一見、何に詠んでいるのか、どういう状況を詠んでいるのか解らない方の方が多いでしょう。
 私は、市松人形を数十体持っている。
 その市松人形の中の、比較的に安価なものの本体は、大鋸屑を固めて造型した上に胡粉を塗って仕上げたものである。
 そうした市松人形の古くなった物の胴体と脚の継ぎ目から、大鋸屑がこぼれ出すことがある。
 本作の作者は、「<そうなっては困るから、どうか>蹴らないでください、胴の継ぎ目からおが屑がこぼれてしまいます 」と言っているのである。
 ここまで、読んでもらったら、作者としても本望でしよう。
 他の評者なら、碌々読みもしないでスルーしてしまうかも知れませんよ。
 <bubbles-goto>さん、よいお年をお迎え下さい。松が取れれば直ぐに市松さんの出番ですよ。 
     〔答〕 大鋸屑がこぼれるようになったならジェームス・ボンドで固めよ胴を  鳥羽省三 

一首を切り裂く(076:住)

(理阿弥)
    駅舎への近道みつけ驚けり住み慣れたこの街去る朝に

 たとえ「この街去る朝」であったとしても、駅舎への近道」を見つけたのは、非常に幸運なことです。
 私などは、「この街去る朝」どころか、人生の去り際になっても、どの道も見つけられないで居ますから。
     〔答〕 日が暮れて道まだ遠し駅舎から最終電車が今発車した  鳥羽省三 


(わだたかし)
    住んでいる街を聞ければ親密になれた気がする研修旅行

 言っていることは他愛無いことですが、その気持ちはよく解ります。
 「住んでいる街を聞ければ親密になれた気がする」のですから、お名前の一字が共通してでもいると、親戚になれたような気がするものですよ。
     〔答〕 穿いているパンツの柄が似てたから風呂屋を出てから一緒に飲んだ  鳥羽省三


(蓮野 唯)
    居候言い方変えておまけさん住んでいるのは玄関の脇

 「おまけさん」が傑作。
 尻取り短歌も、ここまでこじ付けられれば表彰ものです。
     〔答〕 居候どうもがいても居候玄関脇の部屋で泣いてる  鳥羽省三 


(原田 町)
    三十年住みて余所ものこの在の祭囃子が風に聴こゆる

 祭囃子の太鼓の音は、「テンツク、テンツク、よそ者出て行け、よそ者去れ去れ」と鳴っているのである。
 わずか三十年しか住んでいないのに、村落社会に根を下ろせると思うのは大間違いである。
     〔答〕 三十年住んで故郷の江戸捨てた平手の造酒は酒に溺れて  鳥羽省三 


(石畑由紀子)
    君の住む街の天気を先にみる癖がつきました お元気ですか

 我が連れ合いの見る天気予報は、首都圏のと、北東北のと、大阪のと、北海道のと。
 首都圏は私たち二人と次男の現住地。
 北東北は連れ合いの母親の居住地。
 大阪は単身赴任中の長男の居住地。
 北海道は長男のパートナーのご両親の居住地である。
 五句目の「お元気ですか」は、単なる付け足しではない。
     〔答〕 大阪は明日も雨天だ長(おさ)の子よこうもり傘の用意忘るな 


(だや)
    図書館の住人に教室で会う 君と眼鏡を交換したい

 <だや>という恍けたハンドルネームに相応しく、恍けた味の短歌である。
 そう、そう、近頃はたくさん居ますからね、「図書館の住人」が。
 部活に熱中するでもない、クラスメイトと馴染むでもない。
 思えば、不思議な彼らですが、あれで仲間同士はなかなか団結力が堅く、「君はいいメガネを掛けてるね。こんなにハイカラなメガネは、本の虫の君には勿体無いから、僕のと交換しよう」などと話しかけでもしたら、たちまち仲間が集まって来て、痛い目に遇うこと必至。
 近頃の図書館住人の中には、元空手部なんてヤツも居ますからね。
     〔答〕 教師にも職員室に寄り付かぬ図書館族居て彼らの仲間  鳥羽省三


(今泉洋子)
    うちひさす都へと子は移り住み葉桜春の余白うめゆく

 「うちひさす都の夜にともる灯のあかきを見つつこころ落ちゐず」。
 今さら申し上げるまでも無く、齋藤茂吉作・『死にたまふ母(改選版)』<其の一>の四首目の歌である。
 「うちひさす」という言葉が、「都」などに掛る枕詞であることを知ったのは、この短歌に接した時であった。
 近代短歌通と見受けられる今泉さんのことであるから、上掲の作品を創るに際しては、必ず、斉藤茂吉作のこの短歌を頭に置いたことであろう。
 茂吉作が創られたのは1913年であるから、それから百年近くも経った今年、本作の作者の今泉さんは、母の臨終を看取るために茂吉が捨てた東京に、ご愛息を送り出したわけだ。
 「うちひさす都へと子は移り住み」、ここに母としての今泉洋子さんの心に「余白」が生じた。 
 その心の「余白」を「うめゆく」のは、花の散った後の「葉桜」なのだ。
 「葉桜」は花ならざるが故に、幽かな翳をその身に湛えている。
 葉桜が心の余白を埋め行こうとも、母親・今泉洋子さんの心の中には幽かな翳が射していることであろう。
     〔答〕 うちひさす都に往にし子の母よ佳き新年をお迎へ給へ  鳥羽省三


(ほたる)
    絵に描いた未来予想図塗りこめる住宅展示場に降る雨

 この超不況下に生きる庶民の夢を具現しているのが「住宅展示場」である。
 その「住宅展示場に」「降る雨 」は、脆くも<ほたるさん>の夢を打ち砕くのである。
 でも、夢を見るのは青春(?)の特権だから、いついつまでも夢見ることを忘れないで。
     〔答〕 絵に描いた餅でも食べてほたるさん素晴らしい年お迎え下さい  鳥羽省三

一首を切り裂く(075:おまけ)

(bubbles-goto)
    CMのおまけみたいな番組が地デジ対応テレビに映る

 昨今は、テレビ業界にも不況の大波が押し寄せ、スポンサーは下りる、広告収入は減少するのと、テレビ放送開始以来の大騒動となっているらしい。
 そのために、番組のスポンサーになったり、スポット広告を出したりする会社は、サプリメント通販業者などの特定の業者に限られるのである。
 彼らの目的は、言わずと知れた薬百層倍の大量販売だけ。 
 いや、毒にこそなれ薬にはならぬ、怪しげなサプリメントの押し付け大量販売だけが目的。
 「CMのおまけみたいな番組が地デジ対応テレビに映る」のは、そうした彼らの悪辣な商策の証しなのである。
 本作の作者の手柄は、ご家庭の茶の間と直結しているテレビ業界の深刻な事情を、短歌という形式にしてリアルに詠み上げたことにある。
 ニ百名に余る「題詠2009」の参加者たちが、お題「おまけ」の折り込みに四苦八苦している中にあって、本作の作者だけが、よくその難関を乗り越え得たのである。
 欲を言えば、「CMのおまけみたいな番組」が映るのは、「地デジ対応テレビ」というよりも、その受像機を通して視られる、BSの民間局にチャンネルを回した場合なのである。
 作者の<bubbles-goto>氏に其処までの詠み込みを要求するのは、評者が欲張りだからであろうか?
     〔答〕 チャンネルを替えても替えてもCMでおまけにそれはサプリメントの  鳥羽省三 


(ほたる)
    Re:だけで続くメールに添えられたおまけのような絵文字が笑う

 インターネットでメールを交わし始めた当初は、受け取ったメールに返事をやろうとする時にお目にかかる「Re:」に、どんな意味があるのだろうなどと素朴なことを思ったものであるが、今では、その「Re:」の上得意さま。
 面倒臭がり屋の当方が、「Re:」付きのメールを送るとそれへの返事も「Re:」付きで、時には「Re:」「Re:」「Re:
「Re:」「Re:」と、「Re:」付きメールが首都圏と北海道の間を、五回も六回も往復することがある。
 本作の作者の手柄は、インターネットを通じての歌会である「題詠2009」への投稿作品の中に、メール通信とは切っても切れない関係の、「Re:」及び「絵文字」を折り込んだこと。
 「おまけのような絵文字が笑う」には、普段は仏頂面の鳥羽省三も笑っちゃいました。
 それにしても、<ほたるさん>って、頭のいい女性だなー。
 もしかすると、来年の角川短歌賞の受賞者は彼女かも知れないぞー。
 あっ、でも、彼女はかなり董が立ってるから、彼女に賞を呉れても、出版社側には何もメリットが無いかな?
   〔答〕 三行半(みくだりはん)をメールで送ってやったなら返事は「Re:」付きで返って来るかな  鳥羽省三 

(ひいらぎ)
    おまけでもいいから箱から取り出してここにいること気付いて欲しい

 「ほたる」「ひいらぎ」と続くのが当番組のゴールデンアワー。
 今や、このご両人は、当ブログの花形女性スターなのである。
 このご両人の、何物にも替え難い素晴らしさは、その若さと素朴さと、時折り見せる爽やかなエロティシズムに在る。
 年取っていてもいいのなら、上手い女流歌人はいくらだって居りますよ。
 お名前を挙げては悪いけど、五十○さんだって、近○さんだって、原○さんだって、梅○さんだって、○泉さんだって、それぞれ歌巧者で、ぞろぞろざくざく目白押し状態ですよ。
 今回こそ尻り取り短歌で身を窶して居られるけど、あの蓮○唯さんだって、あれでなかなかの閨秀歌人なんですよ。
 そろそろ本題に入りましょう。
 「おまけでもいいから箱から取り出してここにいること気付いて欲しい」と仰っておられますが、これは、どなたに向かって、どなたのことを仰っているのかしら。
 作者ご自身は、先年、目出度くご夫君をゲットされ、可愛いお子様ランチ付きらしいから、もしかしたら、これは、リプトンかグリコかのおまけたちを代弁して言っているのかしら。
 でも、ご自身のこととしてもいいよ。
 「おまけでもいいから箱から取り出して」とは、「ほんの時たまでもいいから外食などに連れ出して」ということ。
 「ここにいること気付いて欲しい」とは、「あなたには、私という絶世には少し足りない美女がついていますよ。それを忘れないで」ということ。
 何よりも、そのしおらしさが宜しい。
 彼女がこうしたしおらしい姿勢をくずさない限り、ご夫君は絶対に浮気しない。
     〔答〕 「おまけ付きにグリコを出すのは年老いた証拠ですよ」と孫に言われた  鳥羽省三

 
(美木)
    この話おまけだけどと言っている実は一番言いたい話

 そういう事って、確かにありますよね。
 日本人は、特に日本人の男性は本質的にテレ屋だから、最も言いたいことを後回しにするのだ。
 最もやりたいことをやらずに、それほど緊急を要さないことを先行させる。
 これは、私の旧友のK氏のことであるが、その頃、横須賀の小学校の教壇に立っていた彼は、ある時、同僚の女性教師を三人連れて三浦海岸にドライブに行った。
 この頃、軽自動車しか買えなかった彼のマイカーの定員は四人。
 同行した三人の女性教師の中の一人が彼の本命であり、その日のドライブの狙いもその辺に在ったのだが、そこは典型的な日本人であった彼のことだから、マイカーの後部座席に本命と準本命とを座らせ、自分の隣りの助手席には、全くのお邪魔虫の年増独身女性教師を座らせたそうだ。
 そのドライブから帰った後、本命でも準本命でも無い、そのお邪魔虫の独身年増女性教師が、彼の世話を甲斐甲斐しくすることすること、それこそ、手取り足取り中足取りのお世話女房振りであったそうだ。
 そこで彼はとうとう泣きの涙で陥落してしまい、今では娘二人と三人の孫持ちの退職校長となってしまったのである。
     〔答〕 追伸が本命で出す写メールの返事もやはりそこが本命  鳥羽省三

一首を切り裂く(074:肩)

(みつき)
    とどめおくことかなわざる春の雪 見送る君の肩に舞い落つ

 二句目までのひらがな書きにどんな意味があるのでしょうか?
 また、二句目「かなわざる」の「ざる」は、文語の打消しの助動詞「ず」の連体形ですから、本作は文語短歌と看做されます。
 そこで、仮名遣いを文語に統一して、「とどめ置くこと叶はざる春のゆき見送る君の肩に舞ひ落つ」としたらいかがでしょうか。
 また、一首全体を口語にして、「とどめ置くことの叶わぬ春のゆき見送る君の肩に舞い落ち」としても宜しいでしょう。
 いずれにしろ、文語と口語のごちゃ混ぜや無意味なひらがな書きは、不誠実な手抜きと看做されましょう。 
     〔答〕 留め置くこと叶はざる君の肩をりから降れる春の淡雪  鳥羽省三


(髭彦)
    根つめて翻訳なせる吾妹子の肩をもまずに一日(ひとひ)終はらず

 幕末の岡山で万葉調の歌をよくした平賀元義は、<吾妹子歌人>とあだ名されていた。
 彼は、今日的な物差しで計れば必ずしも愛妻家とは言えないが、一種の恋愛至上主義者、男女平等論者であって、彼の作る和歌の中には、頻りに<吾妹子>という語が使われていたのである。
 その<吾妹子>という語を用いた彼の和歌を一首紹介すると、「五番町石橋の上にわがまらを手草(たぐさ)にとりし吾妹子あはれ」。
 この和歌は、彼が岡山・五番町の石橋の上に立って立小便をしていたところ、その橋の畔の屋敷の女中が悪戯心を起こして、彼の男根をギュッと握り締めたので、それに取材して詠んだのだと言う。
 これ(元義作)とあれ(髭彦氏作)とを比較してみると、幕末と平成との世相の違いや歌人の暮らし向きの違いなどが浮き彫りにされていて、興味深いものがある。
 即ち、幕末の吾妹子歌人・平賀元義は池田侯の家臣ながら、妻子を捨て置いて女中と戯れている。
 平成の吾妹子歌人・髭彦氏は、長年の教師生活から退いた後、「吾妹子の肩をもまずに一日終はらず」という奥様孝行振りを発揮している。
 奥様も奥様なら髭彦氏も髭彦氏である。
 幕末の吾妹子歌人は、女中に魔羅をもみもみされる。
 平成の吾妹子歌人は、奥様のお肩をもみもみする。
 もみもみしたりされたりする箇所の違いも大きいが、「する」と「される」の違いも大きい。
 この差異は、時代の違いがもたらしたのであろうか?
 人柄の違いがもたらしたのであろうか?
     〔答〕 吾妹子の肩を手握りもみもみす亭主かたなし髭彦あはれ  鳥羽省三  
    
 
(原田 町)
    肩凝りをこぼせば腰痛うったえてトクホン貼りあう偕老同穴

 こちらは共同作業であるから、髭彦さん宅よりはいくらか増し。
     〔答〕 「肩凝りに腰の痛みにサロンパス」トクホン貼っても痛み取れない  鳥羽省三 


(佐藤羽美)
    ねえタツさんそろそろうちへ帰りましょう雪絵の肩にかかる木漏れ日

 「雪絵の肩にかかる木漏れ日」は、何の前兆か?
 関口夫妻の前途危うし。
     〔答〕 「ねえ雪絵、そろそろ眠たくなっちゃった」「それは嘘でしょう、寝たいのでしょう」  鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
    天使への昇級試験を待つような肩甲骨が浜辺にならぶ

 肩甲骨の尖がり具合が「天使昇級試験」の合否を左右するのである。
     〔答〕 天使への昇級試験を終えたあと沈む夕陽に受験者が泣く  鳥羽省三  


(虫武一俊)
    なで肩がこっちを責めていかり肩が空ろに笑う面接だった

 面接試験の面接官は、常に二人組。
 漫才同様に、片方が突っ込み役で、もう片方は呆け役なのである。
     〔答〕 なで肩はいかり肩より下っ端で合否の判定権限は無し  鳥羽省三


(南 葦太)
    その肩にその指先にその頬に 触れてく風に嫉妬していた

 人間は風にそよぐ葦である。
 故に、風吹けば風に泣き、雨降れば雨に泣く。
     〔答〕 頬撫でる風に嫉妬をする勿れ明日は葦太の風が吹くのだ  鳥羽省三


(しおり)
    幼子と繋ぐ貴方の左手は夕べわたしの肩を抱いてた

 片手だけで女性を抱いてはいけません。
     〔答〕 幼子と繋いだ片手で肩を抱きもう一方で乳房まさぐる  鳥羽省三


(磯野カヅオ)
    オクターブ差のある声で「靴が鳴る」交互に歌ふ肩車かな

 鬼才・磯野カヅオ氏の堕落、ここに至れり。
 家庭の平和は芸術の敵だ。
     〔答〕 肩車されてるボクがソプラノでしているパパがテナーで唄う  鳥羽省三  

一首を切り裂く(073:マスク)

(久哲)
    クリスマスクイーンを飾り立てるため蛍は雪が降るまで生きた

 お題<マスク>を折り込んだ短歌の創作に苦しんだ挙句、その中にお題の<マスク>を含んだ「クリスマスクイーン」なる魅力的な言葉を編み出した久哲氏の歌舞伎町の風俗店経営者紛いのご努力には、正直頭が下がります。
 ところで、久哲氏はご存じないでしょうけど、昨今の競馬界に<クリスマスクイン>なる牝馬がいて、現在、万馬券を連発中とのこと。
 その<クリスマスクイン>の栄光を讃え、彼女の業績をことさらに「飾り立てるため」に、「蛍は雪が降るまで生きた」のだとしたら、その「蛍」は偉い。
 どなたかの持ち歌に「冬の蛍」という曲があったような気がしますが、その曲は、「雪が降るまで生きた」「蛍」の偉業を讃えたものでありましょうか?
     〔答〕 雪が降るまでも生きたる蛍こそ冬の蛍と讃えられもすれ  鳥羽省三


(駒沢直)
    一年中マスクをつけて歩いても不自然でないことのおかしさ

 言われてみれば「なるほど、それもそうだね」と言うしかない。
 でも、何時、何処で、どんな外敵に襲われるかも知れない現代の日本社会に於いては、春だろうが夏だろう秋だろうが冬だろうが、のべつ幕なしにマスクを着けているしかありませんね。
     〔答〕 プロレスラー・タイガーマスクは自宅でもマスク外さず過ごしてるとか?  鳥羽省三


(西中眞二郎)
    マスクしても瞳やさしき人ありて向かいの座席に揺られておりぬ

 マスクをすれば強盗と間違えられる、私のような悪相の者も居ますが、マスクをしていても何処と無く優しそうな感じの人も居ます。
 作中の「マスクしても瞳やさしき人」は、きっと西中眞二朗さん好みの女性だったのでしょう。
 「惚れてしまえば瞳も野添」とは、即興で作った格言ですが、その「瞳やさしき人」が、「向かいの座席に揺られておりぬ」となったら、<義を見てせざるは勇無きなり>てなことにはなりませんか?
     〔答〕 据え膳を食わぬも勇気の一つだと揺られるままに放っておいた  鳥羽省三 


(梅田啓子)
    冬空にマスク一つが干されをり独り居好みし父に似てきて

 紛れも無い佳作ではありますが、四句目を「独居好みし」として、字余りを避ける手もありますが、そうしなかったのには、きっとそれなりの理由がお有りなのでしょう。
 それとは別に、「独り居好みし父に似てきて」という下の句と「冬空にマスク一つが干されをり」という上の句とを因果関係で捉えると、「独り居を好んだ父に似ているので、冬空にマスク一つが干されております」などと解釈してしまいそうになります。
 でも、作者としては、そういった解釈をされるのは全く予想外のことであり、「生前の父は独り居を好んでするような人だった。その父の娘である私もまた、この頃は独り居を好むようになった。そんな一人居の冬の今日、この寒空にマスクが一枚干されている」といった解釈を予測していたのでありましょう。
 いずれにしても、上の句と下の句とが程よく響き合っていて、梅田啓子さんならではの傑作です。
 坪田譲二氏に『風の中の子供』という童話がありますが、本作はさしずめ『風の中のわたし』といったところでしょうか?
     〔答〕 冬空に糸切れ凧が舞ひ上がる家居ばかりの私を笑ひ  鳥羽省三


(理阿弥)
    赤い眼と大きなマスクをした僕に返す釣銭かすかな震え

 初句の「赤い眼と」が、やや理に落ちた感じであり、字数合わせのような感じでもあります。
 「赤い眼」は、「僕」が「大きなマスク」をしている理由ではありましょうが、その僕に釣銭を返す店員の「かすかな震え」の理由にはならないと思うからです。
 理阿弥さんとしては、極く軽く流したような感じの作品ではありましょうが、他の方々の作品と比較して、一言二言、私が述べるに値する作品かと思って、選ばせていただきました。
     〔答〕 釣銭が無かった場合は「レシートのお返しです」と言いつつ震え  鳥羽省三
 私は、コンビニやスーパーのレジの人の言う「レシートのお返しです」という決まり文句が大嫌いなのです。
 彼、彼女らのお客あしらいには、その他にもいろいろと不満がありますが、特に、「いらっしゃいませ、こんにちは」「明太子おにぎり、百五十円の方入ります」「レシートのお返しです」といった、理屈に外れた、紋切り型の応対には、大きな軽蔑感と嫌悪感を覚えます。


(萱野芙蓉)
    逢つたでせうダマスクローズの香る庭、惨劇の夜が明けるペルシャで

 嫌悪感と言えば、私は、発想からして、明らかに口語調短歌なのに、「逢つたでせう」などと、作中の動詞や助動詞などの仮名遣いを、ことさらに<古典仮名遣ひ>にしている作品には、嫌悪感を覚えるというほどではありませんが、少なからぬ疑問を感じて居ります。
 それは、私の性格の我儘さにも起因することでしょうが、<古典仮名遣ひ>を金科玉条として、「投稿作品の全ては古典仮名遣ひにしなければならない」などという、時代錯誤の社是を掲げている結社や、その結社の方針に盲従している同人や会員の方々にも問題がありましょう。
 世の中の変化と共に、歌人の目や心も変化して行くものです。
 それは、「世の中がどんなに遷ろうとも、私の心は遷らない」などという、一個人の偏頗な心構えの問題などでは無く、歴史的必然性といった問題なのです。
 まさに、「明治の歌は明治の歌なるべし、平成の歌は平成の歌なるべし」なのです。
 本作について言えば、「逢ったでしょう」と書くべきところを、「逢つたでせう」と書いても、作品の内容は少しも良くならないどころか、作者の教養の浅薄さをも露呈してしまうことになりましょう。
 そもそも、本作の作者は、口語的発想に立脚して本作を創っているのですから、その表現も口語文体にすべきなのです。
 仮に作者本人が、所属結社の社是如何に関わらず、徹底した文語主義者であるとするならば、本作は、「逢つたでせうダマスクローズの香る庭、惨劇の夜が明くるペルシャで」としなければならないのです。
 それなのに、その覚悟も方針も無くて、ただ作品の一部だけを、装飾的に「逢つたでせう」などとするのは、「愚の骨頂も此処に至れり」といったところなのです。
 現代社会に於いては、中山エミリさんだろうが、クルム伊達公子さんだろうが、綾小路きみまろさんだろうが、萱野芙蓉さんだろうが、口語で考え、口語でもの言い、口語で行動しているのです。
 かく言う私も、時には、作品の内容に合わせて文語を用いますが、それはあくまでも、作品内容や発想が文語表現を要求している時だけのことで、決して、口語と文語のごちゃ混ぜ短歌は作りません。
 かつて、某短歌会同人のかなり著名な女流歌人が、「お亡くなりになられた○○先生は、拙い私の作品に、何一つお手を入れられず、そのまま掲載して下さいました。私は、先生亡き後も、それを徳として、斯道に邁進して行く覚悟です」などと、仰ったことがありましたが、<お手を入れられ>ようにも何も、母親の後を引き継いで結社主となっただけのその先生には、弟子たちの作品を添削出来るような経験も実力が無かったから、結社誌の方針をそのようにしているだけのことなのです。
 因みに、その結社の方針は、「口語、文語のごちゃ混ぜ許容」でした。
 前置きが長くなりましたが、そうした点に於いて、本作は必ずしも私好みの作品ではありませんが、仮名遣い以外の点に於いては申し分の無い作品なので、一方的な言い掛かりを付けつつも、敢えて選ばせて頂きました。
 作者の萱野芙蓉様に於かれましては、何卒、私の我儘をご許容のうえ、今後はなるべく<口語文語のごちゃ混ぜ短歌>をお作りになられないようにして下さい。
 そろそろ本題に入りましょう。
 本作の魅力の一つは、それらしい雰囲気が漂っている点に在るのではないでしょうか?
 薔薇の原種とされる「ダマスクローズ」は、ブルガリア産のものが持て囃されてはいますが、その昔、ペルシャと呼ばれていた、現在のイラン辺りの王侯貴族もその趣を愛好したと伝えられておりますから、彼らの邸宅の庭やイスラム寺院の庭に、この花が生えていたとしても何ら不思議ではありません。
 また、それが、花卉としてのそれでは無くて、体臭や口臭などを除去するために使われる、<ダマスクローズオイル>であったとしても、その香りの漂う庭には、いかにも亜熱帯らしい雰囲気が醸し出されていて、ニ、三句の「ダマスクローズの香る庭」は、優れた用語選択であったかと思われます。
 その「ダマスクローズの香る庭で、あなたは私と逢ったでしょう」と問い掛け、更に念押しするように、「惨劇の夜が明けるペルシャで、逢ったでしょう」と、彼女は彼に問い掛けるのである。
 作中の「惨劇の夜が明けるペルシャ」は、<イラン・イラク戦争>に明け暮れた頃のイランを指すのでしょうか?
 それとも、美しい姫君たちを連れた王侯貴族たちが闊歩した、近代以前のペルシャを指すのでしょうか?
 或いは、帝国主義と民族主義とが激しく争った近代のペルシャ地域を指すのでしょうか?
 そのように、いろいろなことが考えられ、その実情が分からないところにも、この作品の魅力があります。
     〔答〕 「また逢おう、今度は平和な天国で」ダマスクローズの香の中で言う  鳥羽省三 


(bubbles-goto)
    あの頃は面白がって眺めてた尊師(グル)のマスクで踊る人たち

 「グル」とは、梵語で「指導者・教師・尊敬すべき人物」などを意味する単語であるが、現代の日本社会では、「オカルト教団の指導者」などと、かなり否定的な意味の語として使われている。
 現代の日本社会の「グル」と言えば、その代表は、あのオウム真理教の導師の麻原彰晃(氏)あたりか?
 その「グル」の健在の頃、「グルのマスクで踊る人たち」を、作中の<私>は「面白がって眺めてた」と言うのであろうが、私には、オウム真理教の信者たちが、グルのマスクを着けて踊っていたという記憶がない。
 もしかしたら、この一首は、ひと頃の原宿の少女たちの狂態をモデルにしたのではないか、とも思っている。
 それはどうでも、この作品は「グル」を登場させるなど、かなり派手めな内容かと思われましたが、よくよく考えてみると、平凡な一人の人間が、平凡な過去の思い出を回想しているに過ぎません。
 極彩色に見せかけながら、実はモノクロ。
 短歌の極意はその辺に在るのではないか、と納得しました。
     〔答〕 中国に徒党数百引き連れて大名旅行の彼はグルかも  鳥羽省三


(田中ましろ)
    あの甘いマスクの裏に広々とある下心収納スペース

 小さなマスクの裏に隠した大きな下心。 
 「広々とある下心収納スペース」が秀逸。
 あのベン・ケーシーも、あの「甘いマスクの裏に」、大きな大きな「下心」を隠していたのかも知れませんね。
 ああ、マスクは恐ろしい。
     〔答〕 総裁の谷垣某のマスク顔見え隠れする黒い企み  鳥羽省三  


(ほたる)
    ためらわず噛まずに言ってさよならはアイマスクつけたままで聞くから

 不実な男が、失明の危機に遭遇して入院中の恋人に引導を渡そうとしている場面だろうか。
 打算尽くめで気の小さいその男の気持ちが、今のところ恋人のままの女性には、アイマスクを着けたままでもよく分かるのだ。
 「ためらわず噛まずに言ってさよならは」という、その女性の言葉は、未練から発するのでは無く、その男と共有して来た過去の時間のことを思って、真の意味の愛情から発する言葉なのだ。
 その女性の掛けている「アイマスク」はただの目隠しではなくて、<愛マスク>なのだ。 
     〔答〕 男性は口にマスクしアイマスク掛けた女性に「サ・ヨ・ナ・ラ」と言う  鳥羽省三
 この男性は、眼病が口から感染すると思っているような馬鹿なのだ。
 こんな馬鹿男と過ごした青春の時間が勿体無かったね。
 でも、これも勉強だ、と思って諦めなさい。


(千坂麻緒)
    電車では三人ほどがマスクして冬の日差しが淡くやさしい    

 この一首も淡白でいいね。
 ただ、見ただけ、感じただけの事を書いてるに過ぎない。
 短歌は所詮<短い歌>に過ぎない。
 わずか三十一音の中に盛り込むべき情報は、それだけで充分なのだ。
     〔答〕 小流れにメダカが三尾泳いでる千坂麻緒氏は昼餉の仕度  鳥羽省三 


(里坂季夜)
    内側の汚れは誰にも見せぬようぎゅっと結んでマスクを捨てる

 この一首も亦、日常生活の中のなささやかな出来事を詠んでいるに過ぎないが、どなたも注目しないようなところに目を着けた点が素晴らしい。
     〔答〕 内側の乱れが誰にも判るよう亀井静香の大口叩き  鳥羽省三  


(わらじ虫)
    うつさないためにマスクをする人と公園までを並んで歩く

 誠実な人と過ごした、充実したひと時でした。
 「うつさないためにマスクをする人」との公園行は、これからも忘れられない思い出として残ることでしょう。
     〔答〕 映らないためにパンストで顔隠し共犯者らとコンビニに行く  鳥羽省三


(橘みちよ)
    追悼号に載りし茂吉のデスマスクためいきつくごと口すこし開く

 今回の転居に際して、私は、『アララギ』の<斎藤茂吉追悼号>を捨ててきましたので、「追悼号に載りし茂吉のデスマスクためいきつくごと口すこし開く」の真偽を確認できませんでした。
 でも、私のかすかな記憶の中にも、斉藤茂吉のデスマスクが残っているような気がします。
     〔答〕 人間は食事の時に口開くそのデスマスクは鰻召す時  鳥羽省三

今週の朝日歌壇から

 永田和宏選の末尾に、ホームレス歌人・公田耕一へのオマージュめいた作品が二首も掲載されている。
 「冬のタイガのデルス・ウーザラ想ふ時重なる姿は公田耕一」(千葉市・甲本照夫)、「カップ麺買わずに朝刊買ひしとふ歌にて我の投稿始まる」(加古川市・湯田摩耶)。
 これら二首が、わずか十個しかない永田和宏選の入選枠に納まるような傑作かどうかについての判断は保留して置くとしよう。
 しかし私は、このことから推して、ホームレス歌人・公田耕一氏の作品を賛美する朝日歌壇への投稿者の多いことと、「叶うならば、夢よもう一度」と、公田耕一氏の朝日歌壇への復活を願っているかの如き朝日新聞社の姿勢、及び朝日新聞社から投稿作の選定を委託されている、当歌壇の選者たちの姿勢などを伺い知ることが出来、いろいろと興味が尽きない。
 ところで、これは言わずもがなのことかも知れないが、引用した二首の作品のうち、<加古川市・湯田摩耶>氏作の仮名遣いが混乱しているのではないだろうか?
 作中の「カップ麺買わずに朝刊買ひし」の部分は、かつての公田耕一氏の入選作からの引用部分かと思われるが、その中の「買わ」と「買ひ」との二語は、共に動詞「買う」ないしは「買ふ」の活用形であろう。
 湯田摩耶氏の作中には、これらの語とは別に、「といふ」の省略形である「とふ」が用いられているから、前述の二語の中の「買わ」は「買は」と訂正すべきかも知れない。
 何故ならば、かつてあれほどの短期間に、ほとんど毎週のように傑作を寄せられ、数十万、或いは数百万の読者たちを感動させた、あのホームレス歌人・公田耕一氏が、そのような初歩的な文法ミスを含んだ作品を投稿したとは思えないからである。
 また、仮に公田耕一氏がそうした文法的ミスを含んだ作品を投稿したとしても、歌壇の名だたる目利きである、選者諸氏が、それを見逃して入選させたとは思われないからである。
 私のそうした推測が正しいとすると、当該作品は明らかに朝日歌壇の入選作とするに相応しくない。
 にも関わらず、これを入選作に加えた永田和宏氏はどうかしていらっしゃる。
 永田和宏氏と言えば、同氏は「歌会始の儀」の撰者のお一人でありましょう。
 近頃の永田氏は「歌会始の儀」への投稿歌の選定に追われて居られ、朝日歌壇ごときの投稿歌の選定には、心が向かわれなかったのかも知れません。
 
 前置きが長くなりましたが、そろそろ本題に入りましょう。 

○  「結婚は、どちらでもいい、七割」の朝刊広げ足の爪切る (東京都) 二村吉光

 括弧書きされた「結婚は、どちらでもいい、七割」は、朝日新聞朝刊の見出しであろうか?
 もし、そうならば、朝日新聞社もなかなか抜け目ないし、それと知ってか知らないでか、本作を入選作とした、高野・佐佐木両氏も亦、なかなかである。
 新聞記事などの見出しを、そのまま歌中に折り込むという離れ業は、かく言う私もよくやることではあるが、成功の確率は極めて低い。
 考えてみるに、その失敗の理由は、それと組み合わせる、引用部分以外の表現の魅力の無さにあるのではないだろうか。
 本作の場合は、「朝刊広げ足の爪切る」という下の句の軽妙な味わいが、上の句の引用部分を引き立てているのである。     
     〔答〕 朝刊の折込付録を切り抜いてお年玉袋を作れり妻は  鳥羽省三
 本日の朝刊に掲載されたヤマト運輸など三社の全面広告がそのまま、正月用のポチ袋を作れるような体裁になって居りました。 


○  テレビに映る観客席の片すみに亡き夫がいてラグビー見おり (東京都) 木田治子

 配偶者に先立たれた女性の、日常生活の一端を覗き見たような気がした。
 境遇の如何に関わらず、私たちがテレビのスポーツ放送を観ている時は、試合のみならず、時折り映る観客席をも注視しているのだ。
 ましてや、熱烈なラグビーファンであったご夫君に先立たれた作者の場合は、なおさらなのだ。
     〔答〕 長男に其の面影が通ふとて野茂のファンになりにき妻は  鳥羽省三 


○  いさかいし夜温かき缶コーヒー飲むためだけの家出しており (和泉市) 星田美紀

 初句の「いさかいし」の係りがやや不明確である。
 夫婦喧嘩の挙句、「わたし、そんなあなたとはこれからやっていけませんから」などと、大見得切って家を出て来たものの、駅前のベンチに座って、自動販売機で買った「温かき缶コーヒー」を飲んだだけで帰ってしまった、などというのはよく聞く話だ。
 ご夫君の方も、長い間の経験から、そのような顛末になることを知っているから、後を追わなかっただけの話だ。
     〔答〕 ときたまに「クロの顔見て来るから」と妹宅へ行くは家出か?  鳥羽省三
 「クロ」とは、徒歩、約ニ十分の距離の<美しが丘西>に住んでいる、妻の妹宅の飼い犬である。


○  枇杷の花ひしめき咲けば思い出す子ら多き日の押競饅頭 (福山市) 武  暁

 私の考えでは、「枇杷の花」の属性は、下記の二点である。
 一点目は、咲いても目立たないから、いつ咲いたのか分らないこと。
 二点目は、無数の小さな花が群がって咲くこと。
 本作は、上記二点の中の二点目に着目しての作である。
 一首全体、なかなか宜しいが、「押競饅頭」が特に宜しい。
     〔答〕 一クラス六十人も居た頃の我らを詠める作かもこれは  鳥羽省三 


○  あのころは壁の向こうの月の出も「東」のニュースのように見ていた (ドイツ) 西田リーバウ望東子

 本年は、「ベルリンの壁崩壊・二十周年」という記念すべき年だそうですが、その記念すべき年も、残す所あと三日。
 その今年を、「あのころは」と回顧してみる時が訪れるのだろうか、私たちに。
     
     〔答〕 あの頃はフォークソングに夢中にて井上陽水追っかけていた  鳥羽省三

 ベルリンの壁が崩壊したのは1989年。
 その1989年は亦、井上陽水の『最後のニュース』がシングルカットされた年でもありました。


      『最後のニュース』     井上陽水作詞・作曲

    闇に沈む月の裏の顔をあばき 
    青い砂や石をどこへ運び去ったの
    忘れられぬ人が銃で撃たれ倒れ 
    みんな泣いたあとで誰を忘れ去ったの
    飛行船が赤く空に燃え上がって 
    のどかだった空はあれが最後だったの
    地球上に人があふれだして 
    海の先の先へこぼれ落ちてしまうの

    今 あなたにGood-Night 
    ただ あなたにGood-Bye

    暑い国の象や広い海の鯨 
    滅びゆくかどうか誰が調べるの
    原子力と水と石油達の為に 
    私達は何をしてあげらるの
    薬漬けにされて治るあてをなくし 
    痩せた体合わせどんな恋をしているの
    地球上のサンソ、チッソ、フロンガスは 
    森の花の園にどんな風を送ってるの

    今 あなたにGood-Night 
    ただ あなたにGood-Bye

    機関銃の弾を体中に巻いて 
    ケモノ達の中で誰に手紙を書いてるの
    眠りかけた男達の夢の外で 
    目覚めかけた女達は何を夢見るの
    親の愛を知らぬ子供達の歌を 
    声のしない歌を誰が聞いてくれるの
    世界中の国の人と愛と金が 
    入り乱れていつか混ざりあえるの

    今 あなたにGood-Night 
    ただ あなたにGood-Bye

一首を切り裂く(072:瀬戸)

(野州)
    硝子越しに覗く立ち呑み酒場には瀬戸わんやめく禿頭並ぶ

 人間は頭が剥げて来ると、安酒場のコップ酒を飲みたくなるものです。
 「瀬戸わんやめく禿頭」と、お題「瀬戸」が必然的に導くはずの<瀬戸内海><瀬戸大橋><瀬戸物>といった常識的な言葉を用いなかったことが成功したのである。
    〔答〕 ガラス戸に覗く椀屋の剥げ頭朱塗り盃叩いて歌う  鳥羽省三 


(原田 町)
    なんとなく体に効くかと糠床に「瀬戸のあらじお」たっぷり混ぜる

 「身体に効くかと」という二句目の字余りを十分に生かした作品。
 「なんとなく」字余りにしてしまったのではない。
 原田町さんの口語短歌は完成の域に達している。
 文語表現に未練を残すこと勿れ。
     〔答〕 なんとなく文語を使うこと勿れ原田短歌は口語短歌だ  鳥羽省三


(はづき生)
    あかときに潮走りだし大瀬戸にふかきとどろき渦は生れたり

 <鳴門の渦潮>とは別に、「大瀬戸の渦潮」というのも在るのでしようか?
 堂々たる詠風、感服の至りです。
     〔答〕 春浅き瀬戸の朝空け冷ややかに真鯛の背鰭しほに濡れたり  鳥羽省三


(迦里迦)
    かなふなら音戸の瀬戸の日招きの無理強ひ真似たき 齢(よはひ)は没り日

 日本全国に散在する「日招き長者伝説」に取材した作品である。
     〔答〕 日を招く長者の果ては限り無く瀬戸に落ち行く奈落夕暮れ  鳥羽省三

一首を切り裂く(071:痩)

(蓮野 唯)
    痩せていくレコードの溝懐かしい指に冷たいCDの裏

 <豚短歌説>に早速反応して、お怒りのメールをお寄せ下さったのは蓮野さん。
 私は、蓮野さんを<豚短歌>作りの豚歌人だとは思ってはいませんよ、誓って。
 本題に入ろう。
 お題の「痩」と「CD」とをつないだ尻取り短歌を創るために、「痩せていくレコードの溝」を出したのはさすが。
 これを以ってしても、歌人・蓮野唯さんの凡百ならざるを知るべし。
 「指に冷たいCDの裏」も佳し。
     〔答〕 痩せて行く国の未来を知りつつも赤字国債増発必至  鳥羽省三
 

(久哲)
    銅鐸はきっと卑弥呼の痩身具 三日使った順に投げ出す

 渋谷天外な発想は久哲短歌の独壇場ではあるが、女王・卑弥呼の権勢を以ってすれば、「銅鐸」を「痩身具」として使うことも可能だったのではないだろうか?
 上の句はそのままで宜しいが、下の句は「三日使ってお払い箱に」とするべきではないだろうか?
     〔答〕 銅鏡は女王・卑弥呼の姿見で生涯使って副葬品とす  鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
    痩せ我慢しているときの表情がどこか少年めいて愛しい

 <同性愛+少年愛>の世界を詠めるか?
     〔答〕 痩せ我慢している君の食欲が解禁される時は恐ろし  鳥羽省三


(美木)
    「痩せたね」と気軽に友に言うことができなくなったと還暦の母

 若い人に対して言う時は、「スマートで格好よくなりましたね」というくらいの意味でしかなかった、「痩せたね」という言葉が、高齢者に対して言う時は、また別の意味を持つものとして解釈される恐れがある。
 友だち同士だという安心感から、ついうっかり気を許して、「痩せたね」などと声を掛けようものなら、「わたし、そんなに痩せたのかしら。いよいよあの世に旅立つ日も近いのね」と僻まれる可能性が甚大なのである。
     〔答〕 「痩せたね」も禁言だけど「肥えたね」と言うも出来ずに難儀している  鳥羽省三


(花夢)
    こんなにも痩せっぽっちな感情で大人になってしまうのかしら

 「痩せっぽっちな感情」が宜しい。
 子供が大人になる階梯には、知育徳育体育のみならず、感情的にも肥えて行く階梯が伴われなければならないのだろう。
     〔答〕 感情は身体の重さに比例して肥ゆるものでは無しとはぞ知る  鳥羽省三


(桑原憂太郎)
    父親の苗字の違う女生徒の入学願書に書きし痩せた字

 かつての高校入学願書には、両親の職業は勿論、その学歴を記す欄さえ在った。
     〔答〕 痩せた字で別れし父の名を記すとき女生徒は何を思へる  鳥羽省三


(今泉洋子)
    痩身の空也の像はいつ見ても何回みても心さはだつ

 仏門には、「ほとけ恋い」「阿弥陀狂い」という病いが存在するそうだ。
 歌人・今泉洋子女史もまた、その病いに取り付かれたのか?
     〔答〕 いつ見ても心騒立つ空也像 痩身われにさもよく似たり  鳥羽省三


(小林ちい)
    満月、ときみが笑ったあの夜から会えないままで痩せて幾月

 作中の「きみ」は、一体、彼女の何を見て「満月」と言ったのだろうか。
      〔答〕 逢へもせずいよよ痩せ行く胸なりき満月なりと言ふは戯れ  鳥羽省三


(髭彦)
    大のをとなほぼ二人分Konishikiの痩せてなほある三人分は
 
 髭彦氏の発想は相変わらず素晴らしい。
 作中の記述に基づいて、「Konishiki」の元の体重を概算すれば、大よそ三百キログラム。
 これには、あの山本山も真っ青になるだろう。
     〔答〕 <Konishiki>の今の重さの三分の一に足りない重さが理想  鳥羽省三

一首を切り裂く(069:隅)

(西中眞二郎)
    幹事なれば控え目なるがマナーかと記念写真の隅に立ちおり

 行事一切の手配りをして働いた挙句、酒食にも碌々与からず、いざ記念写真を撮る段に及べば、さりげなく席を外して、画面の片隅に映っている。
 幹事とは一体いかなる性向の持ち主なのか、と心配になってしまう。
 だが、余人のこうした心配とは他所に、彼らは彼らなりにあれで結構満足しているのだ。
 彼らにとっては、働きの割りには目立たないことが目立つことなのだ。
 人並み以上の負担をしたのにも関わらず、代償を求めないのが、より大きな代償を得たことになるのだ。
 記念写真の片隅に映っていたことが、まん中にドデンとして映っていたのよりも、ずっとずっと大きな存在価値を明かしたことになるのだ。
 幹事諸侯たちの一連の行動は、目立たないようにしてやっているのではなく、目立とうとしてやっているのだ。
     〔答〕 会長の挨拶もまた短きが佳しと幹事が隅で目配せ  鳥羽省三


(梅田啓子)
    パソコンを机の隅に押しやりて小さきスペースわが砦とす

 「歌詠みは爪を切っても怪我と言う」とは、即興に作った格言である。
 小説家が己の創作した小説世界の中の出来事に心痛を覚えたとしても、その小説の価値が高まるわけではない。
 画家が、自身の描いた風景に居たたまれなさを感じたとしても、その絵の価格が上がるわけではない。
 音楽家が、自分の奏でた音曲に鬼の蠢きを感じたとしても、その曲の崇高さが増すわけではない。
 稀に、小説や絵画や音楽について、そういう伝説が付与されることによって、その価値が高まることがあっても、それはあくまでも、その創作物の気高さがもたらした結果なのである。
 本末を転倒させてはいけない。
 狭い部屋の机の片隅を「砦」としてとじ籠もってやらなければならないものなのでしょうか? 短歌創作という遊びごとは。
 自分を追い込まずにやるところに創作の価値がある。
 自己を狭い世界に閉じ込めずに為すところに短歌創作の喜びがある。
 マゾヒストぶるのは已めよう。
 苦しがって見せるのは止そう。
     〔答〕 パソコンを机の隅に押しやって額押し当てうたた寝をする  鳥羽省三

 
(八朔)
    戒壇の四隅の天部ひたすらに見つめ続ける白蓮の恋 

 歌詠みという、ただの遊びごとを何か特別なことのように誤解して、婚家の人々を大騒動に巻き込み、自分自身の人生をも誤った見本のような存在が柳原白蓮女史なのである。
     〔答〕 階段の四隅のゴミを掃きもせず紅蓮の炎燃やす白蓮  鳥羽省三


(ことり)
    隅っこにばかり行くのが悪い癖ドッジボールもおうちのなかも

 これまた、一種の目立ちたがり屋なのであろうが、そうした自分の性格を正しく把握しないで、「悪い癖」と言って済ましているのは、彼女の「悪い癖」なのである。
 そこが、彼女の性格の最も大きな問題点なのである。
     〔答〕 わがままな自分の性格わきまえず悪い癖だと言って済ませる  鳥羽省三 


(珠弾)
    寄せ書きの輪から離れて隅っこに金釘流で書いた「元気で!」

 ここにもまた、屈折した目立ちたがり屋が独り居た。
 でも、歌人紛いの流麗な文字の「輪」の中に、独りだけ「金釘流で書いた『元気で!』」は、あまりにも目立ち過ぎますからね。
 少しは気を利かしたのカモ。
     〔答〕 寄せ書きを無視しまん中お家流これ見よがしに一首を書いた  鳥羽省三


(行方祐美)
    隅谷三喜男を開かないまま畢りそう労働という戦も知らずに

 本作中に登場する隅谷三喜男(1916~2003)氏とは、労働経済学を専門として東大教授などを務めた経済学者である。
 隅谷三喜男氏は、2003年に岩波書店から刊行された『隅谷三喜男著作集・全九巻』を初めとした多くの著書を遺したが、本作の作者は、彼の著書の中の幾冊かを所有していて、それらを碌々読みもしないままに自分の人生が終わりそうになってしまうことを感じて、この作品を詠んだのであろう。
 下の句の「労働という戦も知らずに」は、本作の作者が、ご自身の隅谷三喜男理解の一端を示そうとしての表現ではあろうが、「労働という戦」といった硬直した表現は、作者の尊敬する隅谷三喜男氏の価値を低めたり、作者ご自身の価値を低めたりすることがあっても、決して高めるはことはないのだから、可能ならば避けるべき表現である。
 我が国で出版される多くの書物の中で、耳慣れない硬直した表現が最も多く見られるのが労働関係の書物であるが、それは必ずしも、その書物の著者たちにとって自慢になることではない。
 彼らの高邁な思想や思考を、誰にでも解る言葉や文体で語れなかったところに彼らの弱みが存在するのであり、そうした点では、今は亡き隅谷三喜男氏もまた例外ではない。
 本作の作者が、せっかく求め得た隅谷三喜男氏の著作を「開かないまま畢りそう」なのは、案外、そこの辺りに原因が在るのではないだろうか?
     〔答〕 「労働」を「戦」だとする解釈は労働者たちを冒涜するもの  鳥羽省三 
         労働が戦に等しく無残ならもっと優しい言葉で語れ       同


(髭彦)
    金色の巨大なウンコ見上げつつ笑ひ下りぬ隅田の川を

 あれはアサヒビールの広告塔でしったっけ?
 竹芝桟橋から船出して隅田川を遡上する時、どうしても目にしてしまうのが、あの「金色の巨大なウンコ」。
 平常は、周囲の者が心配するくらい喜怒哀楽の情を表に出さない我が愛妻も、あの「金色の巨大なウンコ」を目にした時には、大声で笑っていました。
     〔答〕 金色の巨大なウンコを見た後でアブサン飲んで俺はふらふら  鳥羽省三


(ゆき)
    校庭の隅の百葉箱の中孵化せぬ夢の卵がねむる

 「校庭の隅の百葉箱の中」には、気象観測器具が入っているのであって、昆虫の卵が入っているのではありません。 もし、そういうことが在ったとしたならば、それは、理科担当教員の怠慢のせいです。
 事業仕分けで、その教員は早々に解雇。
     〔答〕 教員のサボリが生徒の夢育て<ゆき>氏は今や気象予報士  鳥羽省三


(原田 町)
    オルツィの『隅の老人』ひさびさに手に取り読めば活字小さき

 作中の「オルツィ」とは、ハンガリー出身でイギリスで活躍した作家・バロネス・オルツィ(1865~1947)のこと。
 歴史ロマンス作品『紅はこべ』シリーズや安楽椅子探偵の先駆けである『隅の老人』シリーズで人気を博した。
 「隅の老人シリーズ」は、東京創元社などから数冊刊行されているが、本作の作者が「ひさびさに手に取り読めば活字小さき」『隅の老人』という書は、それらの中の、早川書房から刊行された『隅の老人』というタイトルの一冊を指して言うのであろう。
     〔答〕 オルツィの『隅の老人』出して来て活字云々だけでは寂し  鳥羽省三


(冥亭)
    旱梅雨 法華の寺の一隅に捨て子の如き古りし墓石

 「法華の寺」とは日蓮宗の寺院。
 朝夕のお勤めの刻ともなれば、太鼓叩いて「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と、その五月蝿いこと、この上無し。
 「旱梅雨」の頃、その「法華の寺の一隅に捨て子の如き古りし墓石」が在ると言う。
 「捨て子の如き古りし墓石」が、周囲のかしがましさと隔絶されたような感じがして、哀れを誘う。
     〔答〕 空梅雨に法華の太鼓破れたり坊主お端折り水撒き騒ぎ  鳥羽省三


(久哲)
    少年に勲しよあれ真夏日の隅田八幡宮に降る蝉時雨

 作者・久哲氏のあまりのお人好しに呆れる。
 今どき、「題詠短歌」に投稿して来る若者たちの中の一体幾人が、二句目を「いさおしよあれ」と正しく読んで呉れるだろうか?
 その数は十指を余すこと確実。
 疑うならば数えても見よ。
     〔答〕 変人の久哲氏とて作品は読んでもらってはじめて本望  鳥羽省三


(佐藤羽美)
    黒板の隅のへのへのもへじまでしろく滲める春の教室

 三月期末に校内余す所なく掃除をしたのであるが、とある教室の黒板に描かれた「へのへのもへじ」の落書きだけは生消えのままに滲んでいる。
     〔答〕 黒板に「へへののもへじ」を書くヤツに萌えた青春淡いくち髭  鳥羽省三
 評者の郷里には、「へのへのもへじ」を「へへののもへじ」と呼ぶ習慣がありました。
 ある人の話によると、「へへの」とは「へへ野」のことであって、この町の町外れに在る「へへ野」には、花見時ともなれば、大勢のアベックが押し寄せて、あっちの桜の下で「へへ」をし、こっちの桜の下でも「へへ」をしていて、開けっ広げの「へへ」風景が展開されていたそうです。
 「へへ」とは何か? それは皆様の想像力にお任せ致します。


(ほたる)
    トーストの隅までジャムを塗る朝は内輪話をいつまでも聞く

 ほたるさんは相変わらず純情で、「あたい、へへなど一度もしたことないわ」といった顔つきで、「トーストの隅までジャムを塗る」。
 でも、私も大好きです「隅までジャムを塗」った「トースト」は。
 連れ合いは、目の健康の為にと最近は専らブルーベリージャム党ですが、私はオーソドックスな苺ジャム党です。
 そんな朝には、私たち二人も「内輪話」をよくします。
 いいえ、それは決して「へへ」の話ではありませんよ。
     〔答〕 べたべたと塗られたジャムが語らせる内輪話はお墓の話  鳥羽省三


(南 葦太)
    好きなもの:チーズ 嫌いなもの:トマト そんな記憶がまだ片隅に

 「:」を用いた表現が成功しています。
     〔答〕 「好きなこと:一首切り裂き」「嫌いなこと:お追従」そんな鳥羽ですどうぞ宜しく  鳥羽省三


(磯野カヅオ)
    吹き抜ける風の行方を追ふごとくプールの隅を蜻蛉の行く

 「風の行方を追ふごとく」が宜しい。
 秋の訪れが早い、避暑地の出来事ですか。
 磯野カヅオ氏としては珍しく、種も仕掛けも無い一首か?
 「風」や「蜻蛉」から、堀辰雄の小説世界を想い出したりもしますが。
     〔答〕 風立ちぬ、いざ生きめやも磯野氏よ岸打つ波の高らかなるも  鳥羽省三


(美木)
    飲み会の隅の二人の顛末は見てないようでみんな見ている

 「飲み会の隅の二人」は、言わずと知れた勘定書きの多寡を巡ってのひそひそ話である。
 「見てないようでみんな見てい」たから、一同、二千円ずつの足し前を支払って、めでたき「顛末」とはなった。
 ところが、その後でもう一つの意外な顛末が。
     〔答〕 顛末は二人だけでのホテル行き野郎同士で何をするのか?  鳥羽省三


(しおり)
    裏庭の隅にひっそり咲く花を手折らないでね気がないのなら

 と言ったって、あんまり可憐だから、つい摘まんでもみたくなる。
     〔答〕 裏庭の隅にひっそり咲く花を折って挿したい一輪挿しに  鳥羽省三


(遠藤しなもん)
    ひさかたの光のどけき春の日に電車の隅でいい夢をみた

 作者が期待したほどには、下の句のスッポカシが効いていないのではないでしょうか?
 でも、のほほんとしていて、なかなかいい雰囲気ですね。
     〔答〕 ひさかたの光のどけき春の日に昼寝するなよスリが狙ろてる  鳥羽省三


(睡蓮。)
    願わくば君の心の片隅に咲く一輪の・・・サボテンになる?

 「サボテン」の花はとても綺麗ですからね。
 棘なんか気にもならない。
     〔答〕 願わくば棘に刺されて死にたいねあの睡蓮に棘があるなら  鳥羽省三


(sora)
    老犬の定位置なりし玄関の右隅にゆくわたしの視線

 松井選手に低位置無し、「老犬」に「定位置」在り。
 本作の作者の視線は「老犬」の「定位置」なりし「玄関の右側」に、評者の視線は球場の外野の芝生に馳せ向かう。
     〔答〕 定位置にありける玄関右側に残る面影逝きし犬はも    鳥羽省三 
         定位置を求めアメリカ彷徨へる松井選手に定位置の在れ   同


(駒沢直)
    片隅に追い詰められた蜘蛛はただ静かにその日が終わるのを待つ

 「片隅に追い詰められた」まま微動だにせず、「ただ静かにその日が終わるのを待つ」「蜘蛛」の様子がよく描かれています。
 何か哲学者めいた「蜘蛛」。
 冷徹な観察者めいた「蜘蛛」。
 「蜘蛛」は「追い詰められた」己の運命を「静かに」観察している。
     〔答〕 片隅に追い詰められたその刹那ふわり糸吐き蜘蛛逆襲す  鳥羽省三


(今泉洋子)
    ぬばたまの地獄絵の隅紙抉(えぐ)るごと書かれたる心とふ文字

 この佳作、何故か判らないが、お題「068:秋刀魚」の項に投稿されていました。
 秋刀魚は炭で焼くものですが、隅を秋刀魚で焼いてはいけません。
 今泉さん、お寺詣でが過ぎて、少々お疲れなのかな?
     〔答〕 ぬばたまの夜昼分かずの寺参り挙句の果に隅を秋刀魚に  鳥羽省三


(佐山みはる)
    大川の身投げといえば吾妻橋隅田川下りの船にくぐれる

 「吾妻橋」から「大川」への「身投げ」と言えば、場所柄からして、藤沢周平でも山本周五郎でもない。
 ここはどうしても池波正太郎かな?
 池波正太郎の市井物は珍しいが。
     〔答〕 大川へ買わず飛び込む水の音 浅草松屋で買う人居ない  鳥羽省三
 

(わらじ虫)
    隅っこでうずくまってるものたちへ振りかざしたい掃除機がある

 作者の心情はよく解ります。
 会社であれ、教室であれ、家庭であれ、議事堂であれ、何処かの片隅に蹲ってばかりいて、いつも被害者づらをしている者たちには、私もまた、超強力な「掃除機」を「振りかざし」て、吸い込んでしまいたいような気がすることもある。
     〔答〕 隅っこで蹲ってるゴミたちを吸えば吸ったで目詰まりがする  鳥羽省三
         隅っこでそっぽ向いてる者たちに振りかざしたい大鉈がある   同

(久野はすみ)
    玄関の隅にひとはち置いてあるアロエのような男と思う

 アロエに棘有り、いがいがも有る。
 されど栄養満点である。
     〔答〕 キッチンの隅に一匹隠れてるゴキブリのよな男も居てね  鳥羽省三

一首を切り裂く(068:秋刀魚)

(kei)
    母の背で見ていた夕陽まっすぐに今日噛みしめる秋刀魚定食

 西日を浴びながら食べる秋刀魚定食。はらわたが苦い。秋刀魚のでなく自分の。
     〔答〕 幼き日ちちの背に見た苦しみを今は背中で子らに曝せり  鳥羽省三


(髭彦)
    青光る鰯に秋刀魚、鯵、鰹、食みつ生きたし日毎さばきて

 青魚さえあれば、本マグロが食べられなくなっても全然困りません。
     〔答〕 髭彦さんさかな召しませ青ざかな悪玉コレステロールいちころ  鳥羽省三


(七十路ばば)
    背徳の愛の苦みはありません夫と二人食す秋刀魚に

 「夫と二人食す秋刀魚に」と、特に強調して言わねばならないところが少し苦しい。
     〔答〕 背徳の愛の苦みも苦しみも在ってたまるか七十路ばばに  鳥羽省三


(春待)
    「残業」を言い訳にする君待たず私は秋刀魚を一人で食べる

 この不況で、残業はめっきり減りましたからね。今どき、その手は食わぬの三陸さんま。
     〔答〕 ありもせぬ不倫話に焼かないで秋刀魚を焼いて食べて下さい  鳥羽省三


(冥亭)
     「秋刀魚焼く七輪」既にイコンなりおとこやもめの苦きはらわた

 「秋刀魚焼く七輪」は確かに古き佳き日のシンボルみたいなものですからね。イコンでも、遺恨でもありますね。
     〔答〕 イコンとは魯国の聖画 七輪で秋刀魚焼く図がイコンとなりぬ  鳥羽省三


(久哲)
    さよならと言われた 瞳の天窓に冷凍秋刀魚差し込んだまま

 瞳は「さよなら」と言ったのか、言われたのか? 
     〔答〕 口ほどにもの言う瞳の天窓に冷凍秋刀魚刺すやつ居るか?  鳥羽省三


(虫武一俊)
    手始めに秋刀魚の背骨を取るように空白期間のことを訊かれる

 「秋刀魚の背骨を取るように」とは、「大胆に核心に迫る」といった意か。
     〔答〕 手始めは秋刀魚の小骨抜くようにじわりじわりと訊問すべし  鳥羽省三


(木下一)
     魚屋が秋刀魚と一緒に売り飛ばす君のパンティ栗色でした

 真面目に詠むのならばパンティ短歌だって悪くない。でも、パンティ短歌を真面目に詠むことはなかなか難しい。
     〔答〕 パンティの短歌百首を詠んだならそれはそれにて立派と言える  鳥羽省三


(酒井景二朗)
    突き刺さりさうな秋刀魚を買つてきた 今夜この部屋はロンドンになる
 
 霧の都ロンドンを急襲する秋刀魚二号。
     〔答〕 四句目の「は」の字が邪魔だ「は」を抜けば「今夜この部屋ロンドンになる」  鳥羽省三


(ほたる)
    日の暮れは茜の空とヒグラシと秋刀魚の焼けるにおいが合図

 季節の訪れを知らせる合図としての「秋刀魚の焼けるにおい」。
     〔答〕 お歳暮にジングルベルに煤払い第九紅白除夜の鐘鳴る  鳥羽省三


(帯一鐘信)
    テーブルを挟み無言の冷戦に秋刀魚のワタはかくまで苦し

 テーブルの此方彼方の間はわずかに一メートル弱なのに、今や、その距離は無限。
    〔答〕 冷戦は既に終わったベルリンの壁を崩して肩を抱き合え  鳥羽省三


(こゆり)
    待つ人があるふりをして買う秋刀魚そろそろ夜が寒くなります

 取って付けたような「そろそろ夜が寒くなります」は、誰に向かって言うのでしょうか?
     〔答〕 待つ人が在るふりをして買うケーキ待つ人ならぬ犬にやろうか  鳥羽省三


(吉里)
    キラキラと締まった秋刀魚いと安し秋の便りは家計の頼り 

 秋刀魚は、作者の故郷・三陸は吉里吉里国の名産。ふるさと「便り」が家計の「頼り」。
     〔答〕 吉里吉里から宅急便で海の幸さんま便りは家計の頼り  鳥羽省三


(遠藤しなもん)
    気を配らなくちゃいけないことがある あなたに小言 秋刀魚に小骨

 お互いにつまらないことに気を配らなければなりませんね。
     〔答〕 気を使わなくちゃならないこともある悪口書かぬ「一首切り裂き」  鳥羽省三 


(磯野カヅオ)
    恋心ともなき思ひ焦がるればダーツの的に秋刀魚飛ばせり

 思い焦がれて秋刀魚も焦げる。ダーツ酒場の一齣。
     〔答〕 出来ごころとも無き心おもむきてママをダーツの的にしちゃった  鳥羽省三


(美木)
    初物の秋刀魚の横でこないだの浮気を大根おろしが責める

 オロシガネで下ろされた「大根おろしが」「こないだの浮気を」ひりひり「責める」。
     〔答〕 初物の松茸いっぽん恨めしく自分の<なに>とつい較べちゃう  鳥羽省三


(花夢)
    あおぞらに秋刀魚のかたちの雲がゆく晴れときどきは泣きたくなあれ

 「なあれ」は花夢さん流。駄作ときどきはまあまあの作。
     〔答〕 大空に雪雲むくむく湧いて来るこのゲレンデに初雪ふうれ  鳥羽省三


(暮夜 宴)
    悪ぶってみても育ちのよさくらい秋刀魚の食べ方ひとつでわかる

 昨今の若者は育ちが悪くて秋刀魚一匹きちんと食べられない。
     〔答〕 馬鹿ぶってみても頭の悪さくらい馬鹿ぶりようで誰にも判る  鳥羽省三


(志井一)
    「スーパーで秋刀魚を買って焼いた」とかほんと簡単そうに言うよね

 秋刀魚焼くのも大変だからね。
     〔答〕 「スーパーで焼いた秋刀魚を買ってきた」とか飾りなく正直に言え  鳥羽省三


(葉月きらら)
    秋刀魚刺しネギとしょうがをのせられて旬なあなたに私は勝てず

 色気より食い気ですか。
     〔答〕 リムジンにいつもきららと乗っかって旬な葉月に秋刀魚は勝てず


(bubbles-goto)
    うつむいて家路をたどる男らが銀の秋刀魚の目玉に映る

 超微細な観察眼。
     〔答〕 解凍され売られて焼かれる秋刀魚らが母の瞳に映っているね  鳥羽省三


(今泉洋子)
    特別の拝観ならばと寺巡り歩き疲れて秋刀魚食べたし

 「物好き七分、信心三分」というところですか?
     〔答〕 生臭き息を吹きかけ寺巡り正気なのかよ今泉さん  鳥羽省三


(やすまる)
    艶やかな下半身には手をつけず横たえておく朝の秋刀魚を

 朝っ腹から秋刀魚一匹食べるのは、それはそれでご苦労なことですからね。
     〔答〕 濡れもせぬ上半身だけ攻め立てて肝心要のあそこ攻めない  鳥羽省三


(茶葉四葉)
    ひとを恋う気持ちに旬がありますか、秋刀魚は旬にいただきますが

 犬猫に交尾期あり。秋刀魚に旬あり。人はのべつ無く人を恋う。     
     〔答〕 雄猫が雌猫狙う春なれや秋刀魚を盗むことも忘れて  鳥羽省三


(田中ましろ)
    細長い秋刀魚だってさ使い方変えれば立派なオトナの遊具

 使い方をどう変えるのですか? 剣回しの奇術の道具にでもするのですか?
     〔答〕 冷凍の秋刀魚数匹持ち出して手裏剣遊びしてる子供等  鳥羽省三


(わらじ虫)
    しんぴんのタオルケットにくるまって眠りたい日が秋刀魚にもある

 タオルケットも新品は気持ちいいですからね。人間の私だって包まって寝て居たいですよ。
     〔答〕 秋刀魚ならサロンラップにくるまって冷凍庫にでも入って居なよ  鳥羽省三


(星川郁乃)
    秋刀魚一尾ふろふき大根ひときれで幸せになる日が来ようとは

 「来ようとは」とはまだまだ若い。人さまざま世もさまざまですよ。
     〔答〕 秋刀魚一尾夫婦二人で分け合って食べるその日が来るぞ必ず  鳥羽省三


(はせがわゆづ)
    紆余曲折経てひとりきりくろこげの秋刀魚を前に懺悔している

 黒焦げの秋刀魚を前に何の懺悔か?
     〔答〕 かくありし時過ぎてなほ独りなるさんま黒焦げ身も焦がれつつ  鳥羽省三

一首を切り裂く(067:フルート)

 大変申し訳ありませんが、本<お題>に寄せられた百九十余首の作品の中には、残念ながら、私がぜひ観賞したいと思うような作品はありませんでした。
 因みに、本<お題>に寄せた私の作品は、「ブルートがフルート吹けるブルーな日オリーブ嬢はお尻プリプリ」であった。
 しかし、これは、フルートという<お題>の始末にさんざん悩まされた挙句の苦肉の策ならぬ作でしかなく、意味も内容もない、ほとんど言葉遊びだけの代物であり、到底、人前に曝せるような作品ではありません。
 でも、せっかくの執筆スペースをこのまま捨ててしまうのも勿体無い話ではあります。
 そこで今回は、お題「フルート」やそれに関連する事柄にこと寄せて、しばらく遊んでみたいと思います。
 最初の遊び相手は、我が国の女性フルート奏者として人気随一の、あの山形由美さん。
     
       ドップラーの幻想曲を吹く時の山形由美の紅きくちびる  鳥羽省三
 
 私は、山形由美さんのリサイタルにたった一回しか行ったことがない。
 でも、彼女のアルバムを数枚持っているし、彼女がテレビ出演する時には、可能な限り見るようにしているから、彼女の奏でるフルートの音色はいつも私の脳裡に強烈に焼きついている。
 そんな私に言わせれば、彼女の人気の秘密は持ち前の美貌や温和な性格や幅広い教養などもさることながら、フルートを吹く時の、あの真っ赤な唇と、そして、女性としては必ずしも細いとは言えない、十本の指の悩ましげな動きなのである。
 上掲の作品の中の「幻想曲」とは、言うまでも無く、自分自身も傑出したフルート奏者であり、ウィーン宮廷歌劇場の首席指揮者でもあった、フランツ・ドップラー(1821~1883)作曲の『ハンガリー田園幻想曲・作品26』である。
 この作品は、数多いフルートの独奏曲の中でも、特に演奏が難しく、その魅力を余すことなく発揮する名曲として知られているので、山形由美さんのみならず、内外のフルート演奏家のリサイタルに於いては、ほぼ例外なく演奏されるが、私が訪れた只一回のリサイタルに於いても、山形由美さんはこの名曲を演奏し、聴衆から万雷の拍手を浴びたのであった。
 山形由美さんの、少しむくれ気味の唇はあくまでも赤く、そして怪しい。
 いや、その唇からは、何か邪悪な企みさえ感じられる。
 したがって、上掲の一首は、次のように改作しても宜しい。

       ドップラーの幻想曲を吹く時の山形由美の邪きくちびる   鳥羽省三
 また、
       ドップラーの幻想曲の譜を追ってあまりに速き山形の指
 また、
       ドツプラーの幻想曲を吹く由美の黒髪ゆるる午後八時半
 また、
       黄金の魔笛うち振り男(をのこ)らを罵る時もあるか由美さん
 また、
       「亜麻色の髪の乙女」を吹く時の山形由美の髪のウエイブ
 また、
       「亜麻色の髪の乙女」を吹く由美の老いての後の灰色の髪
 
 かくして、フルート奏者・山形由美への賛辞は果てし無く続くのであるが、あまり続けるとストーカーなる、昨今話題の輩に間違われるから止めよう。

       ランパルも山形由美も聴き飽きたパンは居ないかパン連れて来い  鳥羽省三
また、
       アポロンの竪琴パンのフルートと風に流れてニンフ目覚むる
また、
       ・パンは蛇使い女に化身してアンリ・ルソーの夢に現はる 
また、
       童画めくアンリ・ルソーの「蛇使い女」の吹ける黒きフルート

 フルートを吹いているというだけの理由で、長い間わたしは、あのアンリ・ルソーの名画「蛇使いの女」を、牧羊神パンを描いた作品だとばかり思っておりました。
 かほど然様に、私の頭の中では、パンとフルートが直結しているのです。

       「フルートとハープのための協奏曲・ハ長調・Kv.299」  鳥羽省三

 直ぐ上の括弧付きの奇妙な語群は、彼のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがギーヌ公の依嘱に応じて1778年4月から5月までパリで作曲した協奏曲の名称をそのまま記したものではあるが、私としては、お題「フルート」に寄せ、多分にサプライズ的気分を込めて創作した、短歌作品なのである。
 因みに、そのヨミをひらがなで記してみると、「ふるーととはーぷのためのきょうそうきょく・はちょうちょう・けっへるにひゃくきゅーじゅうきゅー」となる。
 下の句の字余りが気にならないでもないが、そこは内在律でカバーして、一首の短歌作品として認めてもらいたい。
 この一首と、上記「アポロンの竪琴パンのフルートと風に流れてニンフ目覚むる」とを関連付けて読めば、その上の一首で、「ランパルも山形由美も聴き飽きたパンは居ないかパン連れて来い」と、身勝手な鳥羽省三に怒鳴られた何方かが、「触らぬ鳥羽に祟り無し」と思って、早速、牧羊神<パン>を呼んだところ、パンは楽友のアポロンを伴ってやって来て、モーツァルト作曲、「フルートとハープのための協奏曲・ハ長調・Kv.299」一曲の協奏に及んだ、というわけなのである。
 いかがでしょうか?

     〔答〕 フルートの<お題>の歌を選ぶ宵 身にしむ歌の一首だに無し  鳥羽省三 
         フルートとふ語を折り込みて歌詠むはあまりに難くみな匙を投ぐ  同 
                 

一首を切り裂く(065:選挙)

 サプライズが欲しかったのである。サプライズが。
 お題が<選挙>で、最初からその方向性が決まっているようなものであったから、たいしたサプライズも期待出来なかったが、それにしても酷かった。
 衆議院議員の選挙、市会議員の選挙、学級委員の選挙と、出て来るもの出て来るものが、みな身の回りに転がっている俗な選挙話ばかりで、その処理の仕方も、立つとか立たないとか、行くとか行かないとか、まるで馬鹿男集団の、低級なエロ話紛いのものばかりだったのだ。
 マイカーの助手席に座る者に欠員が生じたからその候補者として立候補したいとか、立候補者を選挙するとかなどというのも数例あった。
 投稿者本人にしてみれば、それで大いなるサプライズを演じたつもりだったのかも知れないが、今どきの女性が、草食系男子の運転する軽自動車の助手席にしがみついているとはとても思えなかったから、そうした作品にも、即ご退席頂いた。
 「選挙」という言葉を折り込んで、選挙を詠まないことが出来ないだろうか。
 それが無理ならば、「選挙」という言葉で以って、選挙を風刺することが出来ないものだろうか、
 二百名に余る投稿者の皆さんには、そうした創意と工夫にに満ちた作品を詠んで頂きたかった。


(行方祐美)
    選挙なき春の静かな昼に読む『ひとさらい』という光る湖

 「選挙」という<お題>を折り込んで「選挙なき春」を詠んだのは、ささやかなサプライズと言えよう。
 その「選挙なき春の静かな昼に読む」のは、今年、明けたばかりの朝に、惜しまれつつ世を去った、サプライズ歌人・笹井宏之さんの第一歌集『ひとさらい』なのだ。
「歌葉賞」及び「未来賞」を受賞して将来を大いに嘱望されながら、僅か二十七歳で天国に召された笹井宏之さんは、いろいろな意味で「選挙」された人なのでありましょう。
 その「選挙」された人の歌集を、「選挙なき春の静かな昼に読む」というところにささやかなパラドックスが在る。
  
     からだにはいのちがひとつ入ってて水と食事を求めたりする  
     それは世界中のデッキチェアーがたたまれてしまうほどのあかるさでした
     吊り革に救えなかった人の手が五本の指で巻き付いている
     あやとりの東京タワーてっぺんをくちびるたちが離しはじめる
     「スライスチーズ、スライスチーズになる前の話をぼくにきかせておくれ」
     天井と私のあいだを一本の各駅停車が往復する夜
     完璧にならないようにいくつもの鳩を冷凍する昼さがり
     集めてはしかたないねとつぶやいて燃やす林間学校だより
     蛾になって昼間の壁に眠りたい 長い刃物のような一日
     表面に〈さとなか歯科〉と刻まれて水星軌道を漂うやかん
     水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って
     一生に一度ひらくという窓の向こう あなたは靴をそろえる
     ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす   
     骨のような犬がいたので分けてやる 大きな千鳥饅頭のあたま
     ウエディングケーキのうえでつつがなく蝿が挙式をすませて帰る
     簡潔に生きる くらげ発電のくらげも最終的には食べて 
     ゆっくりと国旗を脱いだあなたからほどよい夏の香りがします
     風という名前をつけてあげました それから彼を見ないのですが
     雨ひかり雨ふることもふっていることも忘れてあなたは眠る
     家を描く水彩画家に囲まれて私は家になってゆきます
     果樹園で風をむすんでいるひとと風をほどいているひとの声
     日時計のまわりでわらを編んでいるいのちがついにかたちをとった
                            (笹井宏之歌集『ひとさらい』より)
 などの、静けさと冷たさの中に温かさを湛えた抒情に接する時、若者ならではの口語を用いつつも、決して内在律を忘れていない作品たちを口ずさむ時、私は、歌集『ひとさらい』を「光る湖」として讃えた、本作の作者・行方祐美さんの悲しみに深い共感を覚えます。
     〔答〕 「ひとさらい来るよ」と母に賺されて影踏み止めしか笹井宏之  鳥羽省三


(のびのび)
    「久しぶり、元気にしてる?」とメール来て もうすぐ選挙なんだと気付く

 某政党の常套的選挙戦術はそれです。
 もっと許せないのは、独り身の中年男に女子大生がデイトの誘いめかしたサプライズ電話を掛けて来るという手です。
     〔答〕 元気にはしているけれど投票は私の自由意志に任せて  鳥羽省三


(ゆき)
    なぜなんだ安倍晋三があさつてを見てゐる選挙ポスターを見る

 親の七光りと、「これが大人の話す日本語か」と、サプライズを感じるほどの独特な口調を武器にして総理大臣に選ばれた挙句、大方の期待を裏切ってと言うか、大方の期待通りにと言うか、国民の生活と政権を投げ出してしまった無責任・無策極まりない政治家への批判と風刺、そしてそれに徹し切れない自分自身の姿勢に対するいらだたしい気持ちをも詠み込んでいる。 
 そう、あの安倍ちゃんは、いつもあさっての方に視線を向けていて、おとといの方から声を掛けて来る。
 でも、この時期に、自民党の総裁でもないあの安部ちゃんが、選挙ポスターが貼られているなんて不思議だ。
 そうか、本作の作者<ゆき>さんは、安倍ちゃんの選挙区、山口県の方なんですね。
     〔答〕 あさってはあしたの次の日のことだ今日を見ないで何故にあさって  鳥羽省三 


(お気楽堂)
    学校の睡蓮池の牛蛙探すチャンスだ選挙に行こう

 「選挙」とは、世俗の
 「学校の睡蓮池の牛蛙探すチャンスだ」という、サプライズ的言い方を通して、国民大衆の生活とは無縁の政治のあり方や選挙制度を批判しているとも受け取れるが、それは、「天に向かって唾を吐く」如くに、やがては自分自身にも跳ね返って来ることなのだ。
     〔答〕 積年の恨みつらみの仕返しのチャンス到来選挙に行こう  鳥羽省三



(佐藤羽美)
    霊園のぬるい木陰の昼下がり無人の選挙カーがまどろむ

 「選挙」とは世俗の最たるもの。
 「選挙カー」とは、その世俗の最たるものの具体であり、象徴でもある。
 故に、その「選挙」で選ばれようが選ばれなかろうが、人間全ての行き着く終点である「霊園の」、「ぬるい木陰の昼下がり」に、「無人の選挙カーがまどろむ」という言い方を通して、本作の作者は、選挙という世俗的な制度と、それに振り回されている候補者を初めとした人間たちを風刺しているのであろう。
 ところで、その「選挙カー」を無人にして、候補者や参謀や応援弁士やウグイス嬢や運転手は何処に消えたのだろうか?
 一級国道を挟んで、この霊園の向こう側に大きなファミレスが在る。
 そのファミレスの名物料理はバラエティーランチ。
 「選挙カー」を空にしてそのファミレスに出掛けた、その住人たちは今しもおのおの、そのファミレスの名物料理である、バラエティーランチを注文しようとしている。
 候補者は生卵入り納豆及び豚カツランチ。
 参謀は豚カツのみの大盛りランチ。
 応援弁士Aはハンバーグランチ。
 応援弁士BはAに同じ。
 ウグイス嬢は特盛りスタミナランチ。
 運転手はウグイス嬢に同じ。
 このファミレスを訪れた他のお客たちは、候補者とウグイス嬢とメニューの品定めに余念が無い。
     〔答〕 オーダーの仕上がる前に幾票を読んだか参謀ファミレス客の  鳥羽省三 


(近藤かすみ)
    選挙あれば夫婦の顔してわたしたち幸せさうに投票へ行く
 「選挙」とは亦、公民としての義務を果たす場でもあり、公民権を行使する場でもある。
 夫は会社人で妻は短歌人。
 仮面夫婦とは、彼と彼女の場合を指して言う言葉であろうが、この仮面夫婦たちは、公民としての義務を果たし、その権利を行使すべく、「夫婦の顔してわたしたち幸せさうに投票へ行く」のである。
     〔答〕 投票もみそひともじで相い済ませ終われば歌会へいそいそ出掛け  鳥羽省三


(里坂季夜)
    選挙カーの窓から鵺が手を振って過ぎる初秋の駅前通り

 候補者を捕まえて「鵺」と言う。
 里坂季夜さんは平成の源三位頼政なのであろうか、「選挙」や、選挙の主役である候補者たちをものともしていない。
     〔答〕 鵺が立ち狐と狸も立つ選挙獣の巣かも国会議事堂  鳥羽省三


(しおり)
    選挙カー通過する度手を振って礼儀正しき過疎の人々

(HY)
    市議選挙行かないだけで噂されこんな田舎はもう沢山だ

 <しおり>さん作について、
 「礼儀正しい」と言うか、もっと端的に申せば、彼ら過疎地の高齢者たちは暇を持て余しているんですね。
 また、選挙参謀の手配りが、そこまで行き届いているんですね。

 <HY>さん作について、 
 これもよく聞く話です。
 選挙の種類にもよりますが、「○○市の市議会議員選挙の投票率が98%であった」などというのは、きっとそのせいですね。

  <しおり>さん作と<HY>さん作とは、表裏一体の関係を成す。
     〔答〕 投票にお差し回しのバスで行き帰路はそのまま当選祝い  鳥羽省三


(扱丈博)
    がたのきた台車に載って選挙区の境界線で種を蒔く人

 選挙カーならぬ「がたのきた台車に載って選挙区の境界線で種を蒔く人」の行為は、何の風刺か?
 彼はそもそも何人なるか?
 彼は候補者なるか? 有権者なるか?
 「選挙区の境界線」とは不毛の大地の意。
 「選挙区の境界線で種を蒔く人」とは、不毛の大地に種蒔く人、即ち、愚か者の意。
 つまり、本作は現行の選挙制度への痛烈な批判であろうか?
     〔答〕 がたの来た祖国日本に乗っかって不毛の大地に種蒔く我ら  鳥羽省三

今週の朝日歌壇から

○  下茹でを終へて真白き大根をおでんの中に沈めゆくかな         (京都市) 才野 洋

 煮込みおでんに懸命な<私>が居て、それを眺めている<わたし>がいる。
 <わたし>が<私>に話しかける。
 「あんたは、この頃ずいぶん腕を上げたが、それは何か、定年離婚を想定しての勉強かね」と。
 <私>が<わたし>に応える。
 「そうでもあるとも言えるが、そうでもないとも言える。下茹でされた、この大根の沈んで行く様をゆっくりと見てみろ。これは大根役者の登場では無くて、千両役者の登場だ。身体を揺すり揺すりしながら、おでん鍋という花舞台の一番真ん中に座を占めるようにして、ゆっくりゆっくり沈んで行くのだ。これを見つめている、今という時間が貴重なのだ。定年後のことなどは、二の次、三の次さ」と。
     〔答〕 糸コンがふるる震えて沈むとき竹輪の穴はしとど濡れてる  鳥羽省三
 

○  マネキンはマネキンなれど怖々とスカート覗く少年がゐる        (東京都府中市) 市川きつね

 その昔、「十代の性典」という映画があったことを思い出しました。
 主役は、たしか若尾文子。
 インターネットで調べてみたら、1953年製作とありました。
 その年、わたくし鳥羽省三は十三歳。
 健気にも、光座という大映映画専門の二番館の硬い椅子に腰掛け、数十年後の参議院議員選挙に泡沫候補として立候補される女性の半裸体に見とれて居りました。
     〔答〕 マネキンはマネキンなれば怖々とスカートめくるまではせざりき  鳥羽省三 
 


○  何ごとか背広に赤子背負いたる主任が部長室におりたり         (調布市) 水上香葉

 「おりたり」は、「居りたり」とも「降りたり」とも解釈できる。
 もし前者ならば、話者の<私>は、取締役営業部長の女性秘書という想定なのか?
     〔答〕 仕事着に赤子背負った主任来て暇な部長とひそひそ話  鳥羽省三 


○  ノルマ果たせぬ友が気負いし忘年会泥鰌すくいのしみじみとして     (吹田市) 小林 昇

 ご本人が一所懸命なだけに、友人として見ても居られない無残な光景なのでしょう。
     〔答〕 安来よいとこ、あらエツサッサ、褌はずれて鯰が顔出した  鳥羽省三


○  ゆるやかに残像回る 天を突く大観覧車ありし虚空を          (岡山市) 光畑勝弘

 岡山市にも不況の波が押し寄せ、遊園地の「大観覧車」が撤去されたということを知って驚きました。
 瀬戸内の浜に打ち寄せる波はさざ波だとばかり思っていたのに。
 「天を突く大観覧車」が撤去された後も、ついうっかり元の観覧車の在った辺りの空に視線をやり、その時、失われたはずの「大観覧車」が「ゆるやかに」回っているように感じた、ということはいかにもありそうなことです。
 「虚空」とは、単なる空間を指すものではなく、「天を突く大観覧車」が失われた「虚しい空」の意。
     〔答〕 ゆるやかに波打ち寄せる砂浜に影を落として回れ観覧車  鳥羽省三 


○  酔い痴れて真夜の階段のぼるとき冥き底より綾蝶(ハブラ)舞い来たり   (奄美市) 浜田ゆり子

 本作を入選作とされた高野公彦氏は、この作品について「酩酊感の象徴のような綾蝶」と述べて居られる。
 私も、高野氏の弁と同じような感想を覚えるが、もう一つ付け加えると、本作での「綾蝶」とは、美しい翼を持った蝶を指す「綾蝶」であると同時に、沖縄地方独特の弦楽器、「綾蝶」と呼ばれる三線の音色とそれに合せて唄われる「綾蝶節(エエ四)」では無いかと思われます。
 もしそうならば、作中の<私>が、真夜中に酩酊状態で酒場の階段を昇っている時、下階の闇の底から、綾蝶節の妙なる調べが聞こえて来た。酒に酔い痴れた状態でその音を聴いた<私>は、かつて目にしたことのある、翼の美しい「綾蝶=ハブラ」が暗い闇の底から舞い上がって来るような感じだと思った、と言うことではないでしょうか。
     〔答〕 酔い痴れて綾蝶(ハブラ)叩けば舞い上がるリュウキュウアサギマダラの蝶が  鳥羽省三    


○  こんこんと眠る幼なのこんこんが聞こえてきそう冬の訪れ        (高槻市) 有田里絵

 雪国で暮らしていた者の実感として、「こんこんと眠る幼なのこんこんが」、本当に「聞こえてきそうな」冬の日があることを感じます。
 でも、作者の居住地が大阪府高槻市であることにはいささか奇異な感じを覚えます。
 私の弟一家も高槻市の住人ですが、大阪府の内陸部、摂津地方では、降雪が無くても急激な気温の変化などで、「冬の訪れ」が実感され、「こんこんと眠る幼なのこんこんが聞こえてきそう」な日があるのでしょうか。
     〔答〕 こんこんと眠りし子らも出で行きて暮れには帰り来んかとぞ待つ  鳥羽省三


○  二十余年英語の獄舎で和歌を詠む郷氏は英語も抜群にうまい       (アメリカ) 大竹幾久子

 私は今さら、「新聞は社会の公器だ」などという俗説を信じているわけではない。
 新聞社と言えども、ただの一営利企業に過ぎないから、社説やコラムで主張できないことを「声」欄や「歌壇」「俳壇」の投稿記事や作品に代弁させるようなことは間々在り得るに違いないが、それも程度問題であろう。
 ひと頃、朝日歌壇を賑わせたホームレス歌人の公田耕一氏の作品や、アメリカ西海岸の獄窓から投稿して来る、郷隼人氏の作品には、私も大いなる感動を覚えることがある。
 しかし、彼らとて短歌大明神の化身ではないから、時には欠詠することもありましょうし、投稿したけれども、選者のお眼鏡に適わずに掲載されなかった、ということもありましょう。
 そうした時、私は、「あれ、今週は公田さんのも、郷さんのも載ってない。公田さんは定職に就かれて、ホームレス歌人でなくなったのかしら。郷隼人さんは、この頃、アメリカ西海岸で悪性の風邪が流行っているらしいから、そのせいではないかしら」などと心配したりもする。
 そんな時、私の目に着くのは、彼らの境遇を哀れんだり、彼らの感情に共感を覚えたりしているような内容の作品や、彼らの作品に対するオマージュめいた作品である。
 そうした作品が、文芸たる短歌として、真に観賞に値するような作品ならば文句をつけようも無い。
 また、彼らの作品が掲載されていないとき、一種の話題作りめいた策略として、その種の作品が掲載されることは、新聞歌壇も一種の記事に違いないから、或いは許されることかも知れない。
 しかし、それも当該作品の出来如何であり、程度問題である。
 私が思うには、最近の朝日歌壇のやり口は、明らかにその程度を越えている。
 そして、その種の作品の出来栄えも、当歌壇の入選レベルに達しているものばかりとは、決して思えない。
 前口上が長引いてしまったので、そろそろ本題に戻そう。
 大竹幾久子さん作の上掲の作品に接しての私の感想は、「それもそうでしょうね。郷隼人さんの滞米生活もずいぶん長いから。でも、それでどうしたの。」といった程度のものなのである。
 何故ならば、其処には、優れた短歌作品として必要な、言葉と言葉との新鮮な衝突も認められないし、キラリと輝く新発見も認められないからである。
 それは、私の感性の鈍さに起因するものかも知れないし、好みの問題なのかも知れない。
 しかし、今日の私には、当該作品を本気になって推奨したい気持ちがいささかも無いのである。
     〔答〕 郷さんの薩摩訛りの発音が看守の耳に逆らひゐし日々  鳥羽省三

一首を切り裂く(064:宮)

(庭鳥)
    場違いと身をこわばらせ足早に通り過ぎたの神宮前を

 私たち庶民にとって、渋谷区「神宮前」という地名は確かに「場違い」かも知れない。
 卑しくも、車馬下乗の明治神宮様の直前の土地なのだから。
 しかし、何も「身をこわばらせ足早に通り過ぎた」りする必要はあるまい。
 ところで、<庭鳥>が「身をこわばらせ」るとは、どんな様子を指すのだろうか?
     〔答〕 場違ひと身を竦めてぞ通り過ぐ原宿駅内皇室ホーム  鳥羽省三


(みぎわ)
    音立てて葉は舞ひ上がり降り沈み神宮外苑ひかりのシャワー
(岡本雅哉)
    さめやらぬ熱をかかえて歩いてるいちょう並木の神宮外苑

 二首とも、明治神宮外苑の公孫樹並木を詠んでいる。
 ものと取り様、見方は様々。
 ご贔屓のヤクルトが大勝した日には「ひかりのシャワー」と感じた神宮外苑の公孫樹並木も、ヤクルトが惜敗すると「さめやらぬ熱をかかえて」歩くことになる。
     〔答〕 外苑の公孫樹並木が呼んでゐる日清・日露のいくさ思へと  鳥羽省三

 
(ゆき)
    橘の小島の契り千年経り匂宮よいづこにおはす

 『源氏物語』五十一帖は「浮舟」。
 その浮舟を誘拐同然に連れ出し、強引にに関係するのが「匂宮」である。
 「橘の小島」とは、匂宮に誘われて宇治川対岸の隠れ家に向かう途中、浮舟が、今の自分の不安な心境を風景に託して詠んだ和歌、「橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ」に依る。
 「浮舟」に取材して歌を詠む場合は、通常、ヒロインの浮舟の境涯を哀れんだり、偲んだりして詠むのであるが、本作の作者<ゆき>さんは、ドンファン・匂宮を偲んでこの作品を詠んでいる。
 女性とは本質的に、「誘惑されたい、犯されたい」という願望を備えた生物であろうか?
     〔答〕 橘の小島の色はともかくもこの道ゆきの行方知らずも  鳥羽省三


(橘みちよ)
    み社の鳥居に木々に斎宮の記憶やどるか木霊は棲むか

 古典文学に取材した作品が続いて、国文専攻の「むかし男」としてはすこぶる嬉しい。
 こちらの取材源は、『伊勢物語』の「第六十九段」か。
 在原業平と想定される<むかし男>が伊勢に下向して、伊勢斎宮と密通するのが、『伊勢物語』「第六十九段」の概要である。
 本作の作者<橘みちよ>さんは伊勢神宮に訪れ、「み社の鳥居に木々に斎宮の記憶やどるか木霊は棲むか」と、在りし日の伊勢斎宮と<むかし男>との密通場面を偲んでいるのである。
     〔答〕 今のいま橘かほる女人あり むかし男と斎宮偲ぶ  鳥羽省三 

   
(emi)
    一日を子宮の底で考えるそんな日ばかりだった青春

 一応、男性のみ印を備えている私には、本作の意味を解することは永遠に不可能かも知れない。
 しかし、広いこの世の中には、ハートで感じ、脳髄で考えるのではなく、「子宮の底」で考える者が居たとしても不思議ではない。
 私の尊敬する夢野久作氏は、「脳髄は物を考える所に非ず」という意味不明な言葉を遺して死んだが、今となっては、この言葉は、彼の残した最高の名言として評価され、彼の名を一層高からしめている。
 それにしても、「一日を子宮の底で考えるそんな日ばかりだった青春」とは、どんな青春だったのだろう。
 そんな青春を抱えた女性とめぐり会っていたとしたら、私の青春はどうなっていたであろうか、と思う、この一瞬である。
     〔答〕 「やりたいなやりたいやりたいやりたいなドレメのお姉ちゃんと」と唄った青春  鳥羽省三


(ワンコ山田)
    女って自覚は染色体レベル子宮はなにもかんがえてない

 <ワンコ山田>氏は<emi>さんの敵か味方か?
 それはどうでも、「女って自覚は染色体レベル」という上の句の意味がイマイチ不明確である。
 「<女って>生き物は、自分が人間であるっていう<自覚>は<染色体レベル>しか持っていない」と、世の女性一般を貶したのであろうか?
 それとも、「私はいちおう女であるが、自分が女であるっていう自覚を、染色体レベルしか持っていない」と、自分自身の自覚の足りなさを卑下しているのであろうか?
 そのいずれであるかは不明であるが、それに加えて「子宮はなにもかんがえてない」とも述べているから、本作の作者は、本能的、本質的な女性蔑視主義者に違いない。
     〔答〕 男って自覚は少し有るけれど人たる資格は備えていない  鳥羽省三


(小林ちい)
    急くことに疲れた神を眠らせる狭く静かな私の宮で

 一首全体の意味から推すに、男○は「神」であり、女○は「宮」であると、本作の作者は理解されていらっしゃるらしい。
 真実、「急くことに疲れた神を眠らせる」のは、「狭く静かな私の宮で」である。
     〔答〕 急くことに疲れることも無き今は狭く静かな宮に参らず  鳥羽省三 


(お気楽堂)
    愛される御名前なれば称号の敬宮など忘れてしまう

 敬宮愛子内親王(2001・12・1~ )は愛子様という御名前で呼ばれ、彼女に敬宮(としのみや)と言う称号が在ることを、私たち国民の大多数は意識していない。
 本作の作者<お気楽堂>さんは、ご尊名には似ず、平均的国民以上に皇室に対する尊崇の念が高い方であられましょうか。
 私たち国民の多くが、敬宮という称号の存在を忘れがちな理由を、愛子様というお名前が「愛される御名前なれば」と説明なさって居られるのであります。
 それも一つの見識でありましょうか。
     〔答〕 愛ちゃんと言えば卓球愛ちゃんでそれゆえ彼女を様付けで呼ぶ  鳥羽省三


(ezmi)
    いまもまだ会える気がして終点を確かめている宇都宮線

 本作の解釈は意外に難しい。
 そもそも、JR東日本・東北本線の一部とみなされる「宇都宮線」の存在を認めるかどうか、また、「終点」とは起点の反対概念に過ぎないから、仮に「宇都宮線」の存在を認めたとしても、その「終点」をどの駅と特定するかも問題なのである。
 仮に、本作の登場人物の「私」を、都内在住の男性としてみよう。
 彼は、餃子の街・宇都宮に行こうとして宇都宮線に乗ったのであるが、その途中の大宮駅から、彼好みの一女性が乗車して来て、彼の座席近くに座り、彼と一言二言、挨拶程度の言葉を交わしたのである。
 そのことは、彼女にとっては、さしたる意味も持ってはいなかったが、うぶな彼にとっては、それなりの意味のある体験であった。
 その為、彼は、ただの通りすがりに過ぎない彼女のことを忘れかね、「いまもまだ会える気がして」、「宇都宮線」の「終点」は何処か、と「確かめている」のである。
 彼は、人並み以下の常識しか備えていない男性なののかも知れない。
 彼女は、或いは宇都宮線の一方の終点である、黒磯在住の女人なのかも知れない。
     〔答〕 配偶者ある女とは思わずに今も忘れぬ黒磯の人  鳥羽省三


(今泉洋子)
    古宮の肥前鳥居に少年のはふりあぐる石中々のらず

 たまにはスルーしてしまおうとは思うのだが、今泉洋子さんの作品は、やはり無視し難い。
 「肥前鳥居」とは、どこか特定の神社の一基の鳥居を指して言うのではなく、主として、佐賀県内の神社の境内に建てられている、一定の様式を持った鳥居を指して言うらしい。
 ブログ逍遥の途上でたまたま出会ったあるブロガーの説明によると、その様式とは、「基本的に柱が三本継ぎとなっていて、下部が太く、笠木と島木が一体となり、これも三本継ぎとなっている」そうで、そのブロガーの方は、「室町時代の末期から江戸時代初期にかけて多く造られたそうです。ともかく、足腰が強そうで、どっしりとした素朴な姿をしています。貴方もその味のある容姿の虜になることでしょう。」との、懇切丁寧なご解説をもなさっている。
 大変よく解りました。無断引用、篤く篤くお詫び申し上げます。
 その、どっしりとした「肥前鳥居」が、今泉様ご一家が、ご先祖代々お住まいになって居られる寺院の一廓か何処かに鎮座する、「古宮」の境内に建っているのでありましょうか。
 その「笠木と島木との間の隙間に石を乗せると願望が叶う」という言い伝えがあるのか、今年、受験を控えたような年頃の少年が、時折りこの鳥居の下にやって来て、懸命な願いを込めて、石を放り投げるのだが、無情にも、石はなかなか笠木と島木の隙間に乗ってくれない。
 こうした風景を目のあたりにして、我が閨秀歌人は、「ああ、また失敗した。そんなにへまばっかりやらかしているから、君は必ず大学受験に失敗するぞ。今からでも決して早くはない。福岡に出掛けて予備校の手当てをしておきなさい。」呟いて居られるのでありましょうか?
 それとも、「ああ、また失敗した。可哀想。でも諦めないで、今度はもっともっと高く放りなさい。あの紙風船を大空高く高く舞い上げる時のように。」と囁き、何回やっても失敗ばかりしているその受験生の為に、ご自分のお寺のご本尊様の前に額づいてお祈りして上げるのでありましょうか。
 本作の作者のご人格が問われる場面ではある。
     〔答〕 古宮の肥前鳥居に出征前 石を投げてた特攻兵よ  鳥羽省三 

 
(kei)
    団欒をしいんと聞いている守宮深まってゆく秋のベランダ

 秋が深まって行くベランダで、あの奇怪な格好をした「守宮」が家庭の「団欒」の語らいを「しいんと」耳を澄まして「聞いている」というのである。
 家庭の「団欒」と「守宮」とのアンバランスは確かに大きい。
 しかし、「守宮」が<家を守る>という意味を持つ言葉である以上、その「守宮」が、「深まってゆく秋のベランダ」で、家庭の「団欒をしいんと聞いている」という表現は、十分以上の説得力を持つ。
 言われてみればその通りであり、この程度の作品なら誰にでも創れそうであるが、現実的には、そう簡単には行かない。
 評者は、本作の作者<kei>氏の怪異小説作家的才能を愛する。
     〔答〕 床下で家主の吐息に耳澄ます冬毛纏ったぽんぽん狸  鳥羽省三 


(青山みのり)
    竜宮へかえらぬままの亀を飼い今年もひとつまた年をとる

 「竜宮へかえらぬままの亀を飼い」ながら、「今年もひとつまた年を」取ったと溜息をついている引き篭もり女性が、一体、この国に幾人いらっしゃることでありましょうか。
 評者の遠縁にも亦そうした女性が一人居て、彼女の生活はどんなに寂しいものであろうかと、気の優しさがたった一つの欠点と嘯いている評者を心配させてはいるが、彼女と同居している、その実姉の話によると、意外や意外、彼女の日常生活は、評者が心配しているほどに侘しいものでも、鬱屈したものでもないそうだ。
 「亀」という動物には、人の心を癒やす何物かが、その属性として備わっているらしい。
     〔答〕 永久に老いなき人に愛せられ竜宮城に帰れぬ亀は  鳥羽省三


(星川郁乃)
    あきらめのつかない愛を閉じ込める殯宮(もがりのみや)を思い出と呼ぶ

 「殯宮」とは、本来は「天皇・皇族の棺を埋葬の時まで安置しておく仮の御殿」を指して言うのであるが、本作の作者は、これを<墓所>などと捉えて一首を成しているのではないだろうか。
 とすれば、それは確かに、「あきらめのつかない愛を閉じ込める」場所であり、それを「思い出」と呼び替えることも可能である。
     〔答〕 諦めのつかない憎悪を閉じ込める場所が在りせばそを何と呼ぶ  鳥羽省三

一首を切り裂く(063:ゆらり)

(西中眞二郎)
    篝火のはぜる音小さくなりしとき太郎冠者ゆらりと現れ出でぬ
 
 「ゆらりと」は、「太郎冠者」の登場を表わすのに最も相応しい擬態語であり、擬態語でありながら、擬声語的な効果も発揮されている。
 また、「太郎冠者ゆらりと」という字余りも一首の内容に相応しい緩急的なリズムを醸し出している。

 ところで、「太郎冠者」の「太郎」とは、もともと長男のことで、「冠者」とは、本来は元服して間もない若者を指すのであるが、狂言に登場する「太郎冠者」は、大名や主人などに従う下人である。
 しかし、狂言に於いての彼らは、そうした身分であるのにも関わらず、<のほほん>として明るい性格の人物として描かれ、主人たちに叱られ、叩かれ、虐げられながらも、時には主人をやり込め、竹箆返しを喰らわせ、多くは、狂言中の主人公役、即ち<シテ>として登場するのである。
 お題「ゆらり」は、多くの出詠者たちにとって、使い方が限定された扱い難い言葉であったかと見受けられ、軽口批評を旨とする私の目で以って観ても、この語を活かし、観賞に耐え得るような作品に仕立て上げたのは、二百余首中のわずかに十首足らずであった。
 そうした中にあって、本作の作者は、この厄介な語を狂言舞台の特定の場面と結び付け、その登場人物の性格や登場の仕方とも結び付けて、この語の持つニュアンスを十分に活かした作品に仕立て上げているのである。
 能興行の能と能との間に行われ、こちこちに固まっている観客の緊張を解くのが狂言。
 その狂言の中でも、特に笑いの要素が強く、幽玄能の世界に縛られて極度の緊張感を覚え、或いはストレスを感じていないでもない見所の人々の緊張を解き、ストレスを解消するのが「太郎冠者物」と呼ばれる、太郎冠者をシテとした百余曲の狂言なのである。
 本作の題材となったのは、「薪能」と呼ばれる、夏季に寺院などの野外で行われる興行舞台。
 舞台を照らし、見所を照らす、「篝火のはぜる音」が次第に「小さくなり」、場内に一刹那の<静>が生じた瞬間、その<静>を破るような破らないような感じで、本舞台のシテ役の「太郎冠者ゆらりと現れ出でぬ」。
 これこそまさに、狂言舞台の醍醐味であり、選ばれた者にしか与えられない至福である。
 評者は、時と所と人とを得てこの傑作をものした作者に、限りない羨望を感じる。
     〔答〕 太郎冠者、太郎冠者居ぬか灯り召せ、灯り召さではあまりに悔し  鳥羽省三 


(梅田啓子)
    湯のなかの柚子をしぼれば油膜たちわれの巡りをゆらりとかこむ
 
 凡庸な評者などは、ついうっかりすると「湯のなかの」を「湯のなかに」にしてしまいがち。
 しかし、本作の「の」と「に」の違いは大きく、一場の景色を大きくし、豊かにするのが、「湯のなかの」の「の」なのである。
 その豊かな湯槽の中に浮かぶ柚子を、その豊かな湯槽の中に身を浸したまま、手にとって「しぼれば」、その柚子の香が湯槽いっぱいに立ち込め、その香を含んだ「油膜たち(が)われの巡りをゆらりとかこむ」のである。
 「ゆらりと」が、「油膜たち」の「われの巡りをかこむ」有様を表わすと共に、芳醇な香と共に「ゆらりと」浮き上がって来る有様をも表わすのである。
 本作の作者も亦、前作の作者同様に、至福の時を持たれたらしい。
     〔答〕 柚子の香のふんわり浮かび湯の中に私はとても美しくなる  鳥羽省三


(蓮野 唯)
    ゆらりんと坂のてっぺん柳の木風に何度も頷いている

 こちらの作者には、至福の時は永久に訪れない。
 いや、そもそも本作の作者は、至福などの埒外に生きようとしているのである。
 「坂のてっぺん」の「柳の木」が「ゆらりん」として「何度も頷いている」のは、「そうだよ、そうだよ、極く当たり前の生活をしている人たちには、至福の時なんて上等なものは、訪れなくてもいいんだよ。その代わり、子供たちが健やかでお利口で可愛くていらっしゃるからね。」と言っているのである。
     〔答〕 ゆらりんと構えてるのは唯ひとり平成不況柳も揺れる  鳥羽省三


(佐山みはる)
    ゆらりんと呼ばれし友も胴太き中年となりマイク離さぬ

 ここにももう一人の「ゆらりん」がいらっしゃった。
 その「ゆらりん」も、今では「胴太き中年となり」、カラオケの「マイク離さぬ」。
 先進国中最大の借金大国、年末にはまたぞろ「年越しテント村」必至などと言いながら、こうして「胴太き中年」が、カラオケ「マイク」を離さないで居たりするから、あの鳩山のお坊ちゃまが、「ゆらりん」と揺れながらも、開発途上国に一兆円以上もの援助を約束したりするのだ。
     〔答〕 ゆらりんとうろたえつつも由紀夫くん幸か不幸か幸(みゆき)と一緒  鳥羽省三


(原田 町)
    十億の飢餓人口があるというゆらりゆらりと寿司皿まわり

 そうです。
 原田小町さんの仰る通りですよ、由紀夫君。
 田園都市線<ノクチ>の回転寿司屋、蔵寿司が今日から上トロ寿司が一皿210円、イクラてんこ盛りの軍艦巻きも一皿210円の出血大サービス。
 この夏、大井町線のターミナルにもなった溝の口駅は乗降客でごった返しになり、彼の蔵寿司の回転台は急速度でくるくる回り続けるだろう。
 だが、巷には失業者が「ゆらりゆらり」と当ても無く彷徨っている。
 本作の面白さは、「十億の飢餓人口」の相方として、銀座の三ツ星寿司屋「すきやばし次郎」などを持って来ずに、
「ゆらりゆらりと寿司皿まわり」の回転寿司屋を持って来たことである。
 麗人乍ら、原田町さんはやはり我ら庶民の味方なのだ。
     〔答〕 十億の飢餓人口はなんのその今日はこれから蔵寿司行きだ  鳥羽省三


(だや)
    薄闇の電車をひとつ見送ってゆらりゆらりと手を振ってみる

 「だや」というハンドルネームもなかなかであるが、本作も亦、なかなかの出来である。
 「だや」氏は、「薄闇の電車を」を、何処かの開かずの踏み切りで「見送って」いるのであろうか?
 「ゆらりゆらりと手を振ってみる」という下の句から推してみるに、平成の逸民「だや」氏は、どうやらかなりご酩酊のご様子、いくら待っても、その踏み切りは開きませんよ。
 それに、さっき見送った、あの「薄闇の電車」は終電ではなかったのですか?
     〔答〕 暗闇で立ちしょんをして気がついて「もう真夜中だや」とびっくりしてる  鳥羽省三


(久哲)
     「朝霧は行方不明さ」一昨年の鬼灯市でゆらりと姉は

 「朝霧」とは、駆逐艦の名称か、それとも、「一昨年の鬼灯市でゆらりと」とよろめいたきり、「行方不明」となってしまった「姉」のお名前か?
 察するに、「朝霧」とは、駆逐艦の名称であり、「姉」の愛称でもありましょう。
 私は久哲氏の策略に乗り、本作の解釈を危うく間違えるところであった。
 本作の登場人物である「姉」は、「一昨年の鬼灯市でゆらりと」とよろめいたきり、「行方不明」となってしまったのではなく、「一昨年の鬼灯市」の帰路、「ゆらりと」プラモデル屋に立ち寄り、駆逐艦「朝霧」のプラモデルを買い、それ以後は、その組み立ての虜になってしまったのである。
     〔答〕 恨むのは鬼灯市の帰り道 姉はあれからシンナー塗れ  鳥羽省三

一首を切り裂く(062:坂)

(駒沢直)
    ここからはあそこの坂がよく見えるあの日あんなに辛かった坂

       学校を卒へて 歩いてきた十幾年
       首を回らせば学校は思ひ出のはるかに
       小さくメダルの浮彫のやうにかがやいてゐる
       そこに教室の棟々が瓦をつらねてゐる
       ポプラは風に裏反って揺れてゐる
       先生はなにごとかを話してをられ
       若い顔達がいちやうにそれに聴入ってゐる
       とある窓辺で誰かが他所見をして
       あのときの僕のやうに呆然こちらを眺めてゐる
       彼の瞳に 僕のゐる所は映らないだらうか!
       ああ 僕からはこんなにはっきり見えるのに              (丸山薫『学校遠望』)
     
     〔答〕 ここからは途中の何処も望めないまだまだ続く長い坂道  鳥羽省三
 

(今泉洋子)
    入寮の子を見届けて女坂卯月の風に抱かれくだる

 「入寮の子を見届けて」という上の句からは、作者の顔が見え隠れしているような感じである。
 見え隠れしているのは、母親としての顔か、それとも専門職を持った熟年女性としての顔か。
 その「入寮の子を見届け」た後、作者は、「これで一段落は着いた」という、一応の満足感と共に、「女坂」を「卯月の風に抱かれ」つつ「くだる」のである。
 〔答〕 たまものの卯月の風に包まれてをんな坂道そろそろ下る  鳥羽省三


(花夢)
    ひとりぶん生きられるだけの買い物をして夕暮れの坂道をゆく
 
 「ひとりぶん生きられるだけの買い物を」などと、わざわざ遠回りをして、なんと律義な花夢さんですこと。
 一首全体が口語調ですから、こういう場合は、今はやりの<ら抜き表現>を使って、「ひとりぶん生きれるだけの
買い物を」とした方が、ずっと良くなると思いますよ。
 それに、<ら抜き表現>の方が、何となく、あどけなくて可愛らしい感じがして、「そのお荷物、私がお持ちしましょう」などと、どこからか白馬の王子が現れ出る可能性も大きく、花夢さんが花嫁さんになれるような可能性だってありますよ。
     〔答〕 ふたり分あふれるほどの荷を積んで今日は引越しハイム山の手  鳥羽省三
 だといいけどね。 


(珠弾)
    なんだ坂こんな坂俺とチャリンコの正念場だぜ降りてたまるか

 チャリンコと同行二人の難行苦行。
 なんだ坂こんな坂へばらず登れ。
 登れば向こうに海が見えてる。
     〔答〕 チャリンコはPEUGEOTの特注 問題は君の脚力ひたすら漕げ漕げ  鳥羽省三  


(みなと)
    子規逝ける三巻にてぞ読み捨てき果てはいくさの『坂の上の雲』

 司馬遼太郎作の『坂の上の雲』は大河ドラマ化され、これから三年掛かりでNHK総合テレビで放送されるそうだ。
 これと並行してNHK総合テレビは、年明けからもう一本の大河ドラマ、『龍馬が往く』も放映するそうだが、その原作者もまた司馬遼太郎。
 NHKの司馬遼太郎贔屓は有名な話ではあるが、論壇や文壇の一方には、司馬遼太郎を毛嫌いする向きも在るから、この珍現象は、「何かを意図してのことかも知れない」と勘繰られもしよう。
 ところでその『坂の上の雲』を、国語教師であった私は、正岡子規に惹かれて読み、正岡子規の亡くなった三巻辺りで一度は止めようと思ったのですが、そうせずに読破しました。
 その当時の私は、日清・日露の二大戦争についての知識も碌に無く、まして好古・真之の秋山兄弟については、かろうじて名前を知っている程度のことでしか無かったのですが、『坂の上の雲』の読破を通じて、秋山兄弟のことばかりでは無く、明治大正期のいろいろな出来事に興味を抱くようになりました。
 とは言え、あの『坂の上の雲』の執筆目的は、やはり日露戦争を描くことにあり、折から勢いづいていた改憲論と何らかの関わりがあるのではないか、と私は今でも思って居ります。
     〔答〕 秋山の兄弟(あにおとうと)が主役にて子規は付け足し『坂の上の雲』  鳥羽省三  


(青野ことり)
    ベランダは音だけ花火 たまらずに坂の途中へサンダルでいく

 「音だけ花火」ってのもつまりませんね。
 昨年、一年間だけ暮らした仮住まいの辺りは、「音だけ花火」の銀座みたいな所でしたが、その音が聴こえて来ても、私も連れあいも「坂の途中へサンダルでいく」ことはしませんでした。
     〔答〕 心境に余裕が在っての揚げ花火 ドンと鳴っても気が動かなかった  鳥羽省三


(久哲)
    熟れすぎた登坂車線で兄様をあやめますので手伝いなさい

 久々の久哲短歌です。
 「熟れすぎた登坂車線で兄様をあやめますので」までは宜しいのですが、「手伝いなさい」が宜しくない。
 久哲さんは、いったい誰に「手伝いなさい」と言っているのですか。
 いくら「熟れすぎた」としても、「登坂車線」の途中で「兄様をあやめます」のは、相方に酷というものですよ。
 まして、「手伝い」は絶対に出来ません。
 それに、孤軍奮闘中の「兄さま」を殺めるのは、あまりにも酷い。
 兄さまにとっても相方にとっても、「あやめ」までするのはあまりに酷い。
 だからせめて、「兄さまを休めますので」ぐらいにしといて下さい。
 すると、合方だって渋々ながらも「手伝い」ますよ。
 「なーんだ、もうちょっとで行きそうだったのに」なんちゃって。
     〔答〕 皐月闇ほたる飛び交う登り坂あやめも知らぬ事故もある哉  鳥羽省三


(nnote)
    夢のなか下りつづける夏の坂振り返らない背中陽炎

 意味は良く解りませんが、「振り返らない背中陽炎」に惹かれました。
 この一首、あの「黄泉比良坂」伝説を意識されての創作でしょうか?

        『無縁坂』            作詩・作曲 : さだまさし
母がまだ若い頃 僕の手をひいて
この坂を登る度 いつもため息をついた
ため息つけば それで済む
後だけは見ちゃだめと
笑ってた白い手は とてもやわらかだった
運がいいとか 悪いとか
人は時々 口にするけど
そうゆうことって確かにあると
あなたをみててそう思う
忍ぶ 不忍無縁坂 かみしめる様な
ささやかな僕の 母の人生

いつかしら僕よりも 母は小さくなった
知らぬまに 白い手は とても小さくなった
母はすべてを暦に刻んで
流して来たんだろう
悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに
運がいいとか 悪いとか
人は時々口にするけど
めぐる暦は季節の中で
漂い乍ら過ぎてゆく
忍ぶ 不忍無縁坂 かみしめる様な
ささやかな僕の 母の人生

     〔答〕 追い駆けて来る陽炎は母に似て振り返っちゃダメ黄泉比良坂  鳥羽省三


(龍庵)
    漕ぐ力、坂の傾斜と拮抗し奇跡のように静止している

 物理的、力学的に、そんなことは在り得るのでしょうか?
     〔答〕 観る力、観られる力が拮抗し果てること無き「モナリザ」観賞  鳥羽省三


(原田 町)
    今年また定家葛の咲く坂を訪ね来たれりきみ在らなくに

 「定家葛」はキョウチクトウ科のつる性植物で、初夏に白い花をつける。和名の由来は、「式子内親王に恋い焦がれていた藤原定家が、死後も彼女への執着心を断ち切ることが出来ず、終には定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついた」という伝説に基づくという。
 そうした伝説を持つ「定家葛の咲く坂」と「訪ね来たれりきみ在らなくに」とは、いささか付き過ぎのような気もするが、現実の出来事であれば致し方の無いことでしょう。
 作者の原田町さんもまた、恋多く怨念多き女人なのでしょうか?
     〔答〕 づるづると定家葛の絡むほど執念き恋もせしか小町は  鳥羽省三 
         するならば定家葛の花ほどの淡き恋せよ原田小町は    同


(ウクレレ)
    北野坂しろいパラソルのぼりゆく右手は誰のために空いてる

 富士には月見草がよく似合い、北野坂には白いパラソルを差した若い女性がよく似合う。
 風見鶏が舞う北野坂を若い女性が上って行く。
 彼女の左手には「しろいパラソル」が、そして、彼女の「右手」は空いたまま。
 しかし乍ら、心配すること無かれ。
 何故なら、空いたままであっても、右手だけではウクレレは持てないから。
     〔答〕 右の手が空いているのは何のため虚空の風見鳥を指すため  鳥羽省三 


(詩月めぐ)
    手をつなぎ坂道走る高校生 セピア色した君と僕だね

 「題詠2009」出詠歌中の平均点的作品と言いたいところであるが、現実はそれほど甘くは無い。
 好みにもよりましょうが、評者の見立てによると、本作の出来は、出詠歌中の上層五パーセント以内に属す。
 何より、素朴でけれんみの無いところが佳い。
     〔答〕 もろともに坂転げ行く同級生古希の祝いののクラス会だよ  鳥羽省三


(ひいらぎ)
    坂道の途中で君が振り返るもう並んでは歩けないのに

 不倫関係があからさまになったのでしょうか。
 それでも忍び逢い、「坂道の途中で君が振り返」ったのは、その帰りの出来事でありましょう。
 「君が振り返る」のは未練か?
 「もう並んで歩けないのに」と目配せするのは媚態か?
 愛の終着駅での男女の駆け引きの激しさは、当事者にしか理解できない。
     〔答〕 もしかして兄妹でなかったかそれでも並んで歩けはしない  鳥羽省三


(ジテンふみお)
    おっちゃんも坂でともだち殴ったよ卒業証書もろて帰る日

 「おっちゃん」の名は車寅次郎。
 「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、卒業証書で尻拭い、通信簿ならアヒルの行列。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。」
 とは書いてはみたものの、自分のことを「おっちゃん」と言い、「卒業証書もろて帰る日」と言う話し方からして、どうやら、この「おっちゃん」は関西生まれらしい。
     〔答〕 おっちゃんの生まれは何処であろうとも暴力禁止卒業延期  鳥羽省三


(八朔)
    逢坂は爪先あがりわたくしの色づくものが喘いでのぼる

 「色づくもの」とは、逢いたいという衝動。
 その衝動の赴くままに、「わたくし」は「爪先あがり」の「逢坂」を「喘いでのぼる」。
 「恋は盲目」とも言い、「鯉の滝登り」とも言う。両者とも、なりふり構わずひたすらのぼるのだ。
     〔答〕 逢坂の爪先上がりは秋たけなわ柿も色づく吾も色づく  鳥羽省三


(梅田啓子)
    二の腕のみづみづとして若き母 坂の上から子を呼びてをり

 「みづみづとして」が生々しい。
 これは、男性的視点に立っての観察ではなかろうか。
 何はともあれ、梅田啓子さん久々の傑作。  
     〔答〕 二の腕の淡淡として幼な妻バルコニーにて見送りて居り  鳥羽省三

一首を切り裂く(061:ピンク)

(井手蜂子)
    てづくりのピンクッションに残された針を数える躾は抜けず

 「ピンクッション」とは、私の連れ合いが<針山>と呼んでいる、あの縫い針や待ち針たちの風待ち港のような役割りを果たしている品物のことでありましょうか。
 もしそうならば、私や私の連れ合いは、ここでも亦、自分たちの老いをまざまざと確認させられたことになりましょう。
 世代変われば呼び名も変る。
 ところで、本作の作者の井出蜂子さんは、私や私の愛妻にとっては<針山>以外の何物でもないあの代物を、「ピンクッション」などというハイカラな呼び名でお呼びになって居られるにも関わらず、そのピンクッションに刺している「針の数を数える」という、奥ゆかしい「躾」からいつまでも抜け切れないで居られる方なんですね。
 この作品に接して私は、「日本の若者たちもまんざら捨てたもんでもないわい」と、今さらながらに、本作の作者世代の人たちのことを見直し、自分たちの前途にもかすかな光明を見出せたような気になりました。
 とは書いてはみたものの、私の前にましますのは本作の作者・井出蜂子さんの御麗姿では無く、あくまでもよぼよほのノートバソコンに過ぎません。
 故に事の実情は杳として知れません。
 場合によったら、「はい、私が本作の作者の井出蜂子ですよ。針山をピンクッションと呼んでいる割にはあまりにも年嵩なので、鳥羽さんも吃驚なさったでしょう。でも、いくら後期高齢者だからと言って馬鹿にしないで。私のことを馬鹿にしたら、こうするわよ。」などと仰り、ピンクッションから縫い針ならぬ蜂の毒針を抜き出して来て、ひと刺し刺されたらお終いだから、これ以上は書かないことにする。
     〔答〕 針山も世代変わればピンクッション ピンクッション地獄で跳ねて遊ぼう  鳥羽省三


(かりやす)
    草食の忌まはしきかな手も触れずピンクレディーを飲むをとこのこ

 「手も触れずピンクレディーを飲む」が判らなかった。
 針山世代の私からすれば「ピンクレディー」と言ったらあの<ピンク・レディー>、即ち<ミーちゃん・ケイちゃん>の<ピンク・レディー>を指すものと思ったからなのです。
 それにしても、あの<ピンク・レディー>を「手も触れず」「飲む」とはどうしたものでしょうか。
 「手も触れず」とは惜しさも惜しいし、その上、この草食系男子が、あの<ピンク・レディー>「飲む」ことが出来るとは、到底思われません。
 小柄で細身のケイちゃんならともかく、大柄でブーツからはみ出すほどの太足をしていたミーちゃんは、とても飲めるもんではありませんから。
 と、ここまで書いて来て、私はハタと気が付いた。
 本作の作者の言う「ピンクレディー」と私の言う<ピンク・レディー>とは確かに違う。
 わ<かりやす>か、「・」の有り無しが。
 <かりやす>をハンドルネームとされる本作の作者は、あのカクテルの「ピンクレディー」を「手も触れず」に「飲むをとこのこ」を忌々しいと思うほどに嫌悪して居られるのでありましょう。
 <かりやす>というひらがな書きのハンドルネームは、いかにも草食系めいているから、もしかしたら、本作の作者は、激しい自己嫌悪の情をこの作品に託したのかも知れません。
     〔答〕 デュエットのピンク・レディーはカクテルのそれに由来す酔いそなカクテル  鳥羽省三 


(磯野カヅオ)
    目に映る遠景染むるピンク率高き渋谷に蝉囂し

 読者の中に「囂し」を「かまびすし」と読める者がいるかどうかを試すために、磯野カヅオ氏はかくもくだらない作品を投稿された。
 磯野カヅオ氏の衒学趣味、ここに極まれり。
 インドで暑気あたりして、色ボケしてしまったのかな?
     〔答〕 目を癒やす遠近(おちこち)の景 渋谷には緑化地帯が案外多い  鳥羽省三


(今泉洋子)
    あるがまま生きてもみたしもぢずりの螺旋をのぼる可憐なピンク

 なまじっか古典文学を聞き齧ったものですから、「もぢずりの螺旋」に眩惑されました。
 これは、曼荼羅模様にペンキを塗った螺旋階段なのですね。
 パチンコ屋かキャバレーの従業員出入り口になっている。
 それはそれとして、「可憐なピンク」に装った彼女たちは、必ずしも「あるがままに生きて」いるわけでは無いと思われます。
 「女が階段のぼる時」、彼女等は彼女等なりの上昇志向や苦悩などを抱えながら昇るのだと、私は思います。
     〔答〕 足取りも軽く階段昇りつつお腹の始末を考えていた  鳥羽省三
         還暦を過ぎれば後はあるがまま生きて行く他ないじゃないかな  々
 ものは序でともう一首。
         古希直ぐのやつがれなればそのまんま西へ行くしかないではないか  鳥羽省三

 
(月下燕)
    地図上の通勤経路を塗りつぶすピンクの蛍光ペンがかすれる

 ピンクの蛍光ペンは、その綺麗さと可愛らしさに惹かれてつい買ってしまいがちであるが、使い道は殆んど無い。
 そこで、さんざん机上のペン皿に晒した挙句、「地図上の通勤経路を塗りつぶす」時に使ったりするが、その頃には揮発成分のほとんどか失われてしまっているから「かすれ」てしまうのである。
     〔答〕 地図に無いカフカの城を辿るとき蛍光ペンは役に立たない  鳥羽省三


(花夢)
    遺された買い物メモをピンク色の蛍光ペンでゆっくりなぞる

 「ピンク色の蛍光ペン」を買ってしまう動機と、その使い道の無さについては上記と同じ。
 花夢さんは、その使い道の無いビンク色の蛍光ペンを、遣い残しの買い物メモの塗り潰しに使っていらっしゃる。
 暇潰しに塗り潰しをしていらっしゃるところはいかにも花夢さんらしいが、そうした行為は尊い青春の空しい使い潰しでしかない。
     〔答〕 遺された買い物メモはどなたかの伝言じゃなく使い残りだ  鳥羽省三


(一夜)
    夕闇が広がってゆくその前に ゴールドピンク黄昏の海

 黄昏刻の水平線の光景。
 今し、水平線上の空には夕闇が広がり、その手前の海はゴールドピンクの夕映えに染まる。

 「秋冬風全く凪ぎ、天に一片の雲無き夕、立つて伊豆の山に落つる日を望むに、世に斯る平和のまた多かる可きとも思はれず。日の山に落ちかゝりてより、其全く沈み終るまで三分時を要す。初め日の西に傾くや、富士を初め相豆の連山次第に紫になるなり。日更に傾くや、富士を初め相豆の連山紫の肌に金煙を帯ぶ。此時濱に立つて望めば、落日海に流れて、吾足下に到り、海上の舟は皆金光を放ち、逗子の濱一帯、山と云はず、砂と云はず、家と云はず、松と云はず、人と云はず、轉がりたる生簀の籠も、落ち散りたる藁屑も、赫焉として燃へざるはなし。斯る凪の夕に、落日を見るの身は、恰も大聖の臨終に侍するの感あり。莊嚴の極、平和の至、凡夫も靈光に包まれて、肉融け、靈獨り端然として永遠(イタルニテー)の濱の彳むを覺ふ。物あり。融然として心に浸む。喜と云はむは過ぎ、哀と云はむは未だ及ばず。已にして日愈〃落ちて伊豆の山々にかゝるや、相豆の山忽ちにして印度藍色(インジゴー)に變ず。唯富士の嶺、舊に仍て紫上更に金光を帯ぶるのみ。伊豆の山已に落日を衒み初めぬ。日一分を落つれば、海に浮べる落日の影一里を退く。日は迫らず、寸又寸、分又分、別れ行く世をば顧み勝に悠々として落ち行く。已にして殘一分となるや、急に落ちて眉となり、眉切れて線となり、線瘠せて點となり、忽ちにして無矣。眼を上ぐれば、世界に日なし。光消へて、海も山も蒼然として憂ふ。日は入りぬ。然も餘光の忽ち箭の如く上射し、西空金よりも黄なるを見ずや。偉人の沒後實に斯くの如し。日の落ちたる後は、富士も程なく蒼ざめ、やがて西空の金は朱となり、燻りたる樺となり、上りては濃き孛藍色となり、日の遺孳とも思ふ明星の次第に暮れ行く相模灘の上に目を開きて、明日の出日を約するが如きを見るなり。」
(徳冨蘆花著『自然と人生』「相模灘の落日~自然に對する五分時~」より)
     〔答〕 なにごとを言うも無駄なり今はただ徳富蘆花を熟読されよ  鳥羽省三 

     
(蓮野 唯)
    引退の記念にもらった花束のピンクもやがてセピアの思い出

 蓮野唯さんは、何の世界から、何の座から引退されたのでありましょうか?
 相撲界から? フイギュアースケート界から? 女子プロレス界から? グラヴィアクインの座から? 粉ワサビ捏ね係主任の座から?
 それらのいずれの座からの「引退」であろうとも、その折に頂戴したピンクの花束がセピア色に変わったとしたならば、次に占める座は極楽の蓮の座しかありません。
 唯々(ただただ)お覚悟召されよ。
     〔答〕 せりなずなごぎょうはこべら極楽の佛の座こそ揺ぎ無き座よ  鳥羽省三

一首を切り裂く(060:引退)

(西野明日香)
    「もうわしは引退やあ」と近頃は言わなくなった父が居眠る

 「引退」を口にするのも元気なうち。
 作中の「父」は、今さら自分が口に出して言わなくても、周囲の誰もが認めてくれるだろうと思っているのだろう。
 その父が居眠りしてる。
 その様を目にするにつけても、娘<明日香>は、未だ一人身の我が不孝を省みるのであった。
     〔答〕 嫁ぐ日は今日か明日かと思ひしにいよよ褪せ行く我が香なりけり  鳥羽省三


(原田 町)
    引退と胸張るほどの実績もなくてずるずる廃業となる

 そう、実績を残してこその引退。
 周囲の期待も空しく、さしたる実績も残せないまま宰相の座から退いた誰彼などは、引退などという晴れがましいことでは無く、さっさと廃業して、故郷の山口や群馬や福岡に帰り、田圃のあぜ道の草取りでもするべきだ。
     〔答〕 引退と胸張ることも無かりしが一首切り裂きご隠居仕事  鳥羽省三 


(tafots)
    「いい加減この子引退させようか」茶碗のひびをなぞれり母は

 昨今の女性は、本来は、人間の幼い者を指して言うべき語である「子」という語を、動植物や無機物を指して使うことが多い。
 曰く、「この子、動物病院に行って、去勢しちゃおうか。」
 曰く、「この子よりあの子の方がいいから、明日ユニクロに持って行って交換しちゃおーっと。」などなど。
 こんな、言葉の乱れの現行犯のような場面に出くわすにつけ、私は、こうした言葉遣いは若者の専売特許だとばかり思っていた。
 だが、そうした私の認識は浅かった。
 私は、現代の若者を必要以上に見くびっていたのだ。
 本作を見るに、昨今はいい年をした女まで、「茶碗のひび」をなぞって「いい加減この子引退させようか」などと言うのだ。
 いや、いい年をした女どころか、本作の場合はいい以上の年をした「母」なのだ。
 ひび割れた茶碗を捕まえて「いい加減この子引退させようか」と言ったのは。
 これには、さすがの私もすっかりお手上げだ。  
     〔答〕 ひび割れて股割り出来ず引退だ千代大海は来場所限り  鳥羽省三 


(bubbles-goto)
    探偵に引退決意させたのはアポロ月面着陸の記事

 探偵の引退決意とアポロの月面着陸の記事とは、必然的な関係は何ら無いようにも思えるが、あの聡明な<bubbles-goto>さんから、そう言われてみれば、そのように思えないこともない。
 <短歌の力>とは、このような事を指して言うのだ。
 これこそ、短歌の<リアリティ>と言うものだ。
     〔答〕 探偵に引退撤回させたのはアポロ計画疑惑の記事だ  鳥羽省三 


(みぎわ)
    引退の後は図太く生きませう村山富市の伸びゆく眉毛

 彼は確かに図太い。
 彼は引退後ばかりではなく引退前も図太かったのだ。
     〔答〕 今頃は鼻毛も伸ばしているだろう村山富市おとこを下げた  鳥羽省三

一首を切り裂く(059:済)

(松木秀)
    人気ある土地分譲の広告があっという間に「済」で埋まりき

 北海道の土地が別荘地として脚光を浴びていた当時のことを回想しているのである。
 登別などの温泉つきの別荘地の広告が全国紙に掲載される。
 ところが、翌週になると、そのあらかたに「マル済」のマークが付けられて、それより更に条件の悪い土地の広告が載り、バブル景気の泡に塗れた俄か成金たちの購買意欲をそそり立てる。
 あの頃は、毎朝配達される新聞は土地分譲の広告で埋め立てられ、一介のサラリーマンに過ぎなかった私でさえ、時代に乗り遅れまいとして焦ったものであった。
 それが今になってみるとどうだ。
 北海道経済振興のエンジンのような役割りを果たしていた北海道拓殖銀行が潰れ、かつての別荘地も北キツネの棲家に帰してしまった。
     〔答〕 そのかみの温泉つきの分譲地 狐狸の棲家となりにけるかも  鳥羽省三


(ウクレレ)
    もう済んだことだと空に言い放つヒコーキ雲よ消えてなくなれ

 一首の意味はどうであれ、「もう済んだことだと空に言い放つ」、「空に言い放つヒコーキ」、「ヒコーキ雲よ消えてなくなれ」という、この言葉の運びに魅力があります。
 「もう済んだことだと空に言い放つ」という上の句と「ヒコーキ雲よ消えてなくなれ」という下の句との響き合いにもそれなりの必然性が感じられ、青春の空しさと憧れとをよく詠み得ている。
     〔答〕 大空に紙ヒコーキよ舞い上がれ我が憂鬱を吹き飛ばし行け  鳥羽省三


(理阿弥)
    使用済ゴムを持ち帰らせる癖シベリアに似た名をした女の

 「使用済ゴムを持ち帰らせる癖」という唐突な歌い出しには驚くも、それに続く「シベリアに似た名をした女の」にはがっかり。
 その様は、アプローチを気合いよく滑り出し、踏み切りも十分であったが、その勢いを空中で持ち堪えられなくなり、シャンツェの真ん中辺りにへたり込んでしまった失敗ジャンプを思わせる。
 老獪な作者はその失敗を糊塗すべく、「シベリヤに似た名をした女の」などと言う思わせぶりな語句を持ち出して、愚かな鑑賞者に、シベリア抑留者の性処理問題でも連想させようとしたのであろうが、その努力も所詮無駄。
 下手なジャンプは飛ばぬに似たり。
 話は変わるが、私の学生時代の友人にM君という法政大学の学生が居た。
 そのM君が未だ一年生で、神田川沿いの三畳一間のアパート暮らしをしていた頃、その隣室に、年の頃三十五、六歳の少し見られる女性が住んでいた。
 ある時、その少しは見られる女性がM君に向かって、「ねえ、あんた、Mさんと言ったかしら。あんた毎晩遅くまで勉強してるわね。でも、たまには気晴らしに私の部屋に来て、お茶でも飲まない。私も退屈してるから」と言ったそうだ。
 軟派学生のカタログから飛び出して来たような風体の私からすれば、硬い一方のM君ではあるが、そこは若者、詰襟の上着のフケを払って、早速その誘いに乗ったそうだ。
 ひと通りの挨拶の後、当たり前田のクラッカーなどを食べながら、人肌よりはかなり熱つめの紅茶を飲んだ。
 そのかなり熱めの紅茶を飲みながら、部屋の外を見ようとして視線をガラス窓の方に移したら、ガラス窓の敷居の上に、何か懐かしいような恥かしいような小さな袋状のものが十数個並べられていた。
 よくよく見ると、その袋状の物はあのゴム製品であった。
 そうと判ったとたんに、目のやり場を失ってうろうろしているM君に向かって、その女性は、「あら、悪いものを見られちゃったわね。でも、まあいいか。誰でも使うものだから。これ高いから、一回こっきり使って捨ててしまったらもったいないでしょ。だから、内側に歯磨き粉つけて干してあるのよ。内側に歯磨き粉つけたら衛生的でいいでしょ。歯磨き粉は、ライオンよりサンスターがいいみたい。滑りがいいみたいよ。」と言ったのだそうだ。
 その後、その少しは見られる女性とM君とがどうなったかについては、私は知らない。
     〔答〕 使用済みゴム製品を持ち帰り赤児の哺乳瓶にする気か  鳥羽省三


(髭彦)
    済をチェと州はジュと読む隣国の離島にむごき歴史ありけり

 今度は硬い話だ。
 髭彦氏は私に、付け入る隙は少しも与えない。
 「済をチェと州はジュと読む」、これに「島」を付けると「済州島」。
 今は、韓国きっての避寒地として賑わい、韓国本土の人々からは「東洋のハワイ」とも呼ばれている。
 その「済州島」の「むごき歴史」とは、長期間に亙った本土王朝や日本への「朝貢」の歴史や「済州島四・三事件」などを指して言うのでしょうか。
     〔答〕 衣手の呉善花の祖(おや)の島 済州島にカジノの多き  鳥羽省三
 

(yunta)
    一生の決済の日に天秤で量られるのは何の重さか

 「一生の決済の日に天秤で量られる」ものが在るとは、寡聞にして初耳。
 もし、そんなものが在るとすれば、それは、その者の為した悪事の総量ないしは苦悩の総量。
 そのいずれにしても、
     〔答〕 省三くん、君の重さは百キロ超ボクサーならばヘビー級だよ  鳥羽省三


(久野はすみ)
    済し崩しそれもまたよし柊の古木のごとく棘失いて

 「柊」の「棘」は「古木」になるごとに、「済し崩し」に失われて行くのですか。
 そして<久野はすみ>さんの「棘」もまた。
 されど、「それもまたよし」と仰る。
     〔答〕 歳々に我が哀しみは深くしていよよ鋭くなりぬる棘よ  鳥羽省三

一首を切り裂く(058:魔法)

(迦里迦)
    かぼちゃ馬車圧力鍋にその魔法煮崩れてシンデレラ帰れずじまひ

 シンデレラ姫の乗るかぼちゃの馬車というメルヘンの世界と、そのかぼちゃをあっと言う間に煮崩れさせてしまう圧力鍋という現実の世界とが、やや窮屈な歌い方ながら両立しています。
     〔答〕 煮崩れたかぼちゃの馬車に飛び乗りしシンデレラ姫あやうくセーフ  鳥羽省三


(ひいらぎ)
    たんぽぽが咲いただけでも嬉しくて魔法使いじゃなくて良かった

 「黄金の花よりたんぽぽの花」というところでしょうか。
 気の優しい少女の、現実に根を生やした生活から感じる喜びがよく表現されております。
 こんな作品を、世に「へたうま」と言うのでしょうか?
     〔答〕 たんぽぽの黄色い花が十万円金貨だったらもっと嬉しい  鳥羽省三


(野州)
    はつ夏の蝿の羽音の心地よさ悪魔法典読んでまどろむ

 読んでいるのが「悪魔法典」でなくても、初夏の午後の読書は、ついまどろみに誘われてしまうものです。
 そんな時に、生まれ出たばかりのハエの羽音が聞こえてきたら、もっともっと眠くなる。
     〔答〕 はつ夏の花壇の椅子のまどろみは蝿の羽音も子守唄のごと  鳥羽省三 
 

(理阿弥)
    外祖父は稀代のメモ魔法外な量の日記が土蔵に眠る

 「黄昏、玉の井辺りを散策。飾り窓の妓ら余が髭面を見て嘲笑すと雖も、余は恥づること無ければ一顧だにせず。両国橋を渡りて柳橋に至るに、河畔にて赤犬と黒犬の交接するを目にす。往来の学童ら目を皿の如くして見つめ、互ひに顔面を赤らめ居たり。」とかなんとか。
 理阿弥陀仏殿の御外祖父様の日記ともなれば、それは和本仕立ての美本にして、近代庶民生活の好個の資料たるべし。
 拠って珍重すべし。
     〔答〕 外祖母は稀代の借金魔にあれば行李の底から証文続々  鳥羽省三
  

(髭彦)
    湯を保つたかが壜にぞ魔法とて形容なせしこころを偲ぶ

 たかが熱湯の熱を保つための壜に過ぎないのに、それに魔法瓶と名付けた商策の巧みさに呆れているのだろうか?
 それとも、その素朴さに感動しているのだろうか?
 そのいずれにしても、言われてみれば「全くその通り」と、本作の作者の発見のすばらしさに感心すること頻りの評者ではある。
     〔答〕 水を保つただそれだけに数百億ダム濫造の悪政思ふ  鳥羽省三


(本田鈴雨)
    子供には触れさせざりし魔法瓶その湯で祖母は薬飲みゐき 

 されど魔法瓶。
 その魔法瓶を、「子供には触れさせ」ないで、魔法使いのお婆さんから賜わった宝物の如く珍重して、それに入れられた湯で薬を飲み、命を繋いでいた祖母もいた。
 これにもまた、感動すること頻りなり。
     〔答〕 触れさせぬ理由は強欲ならずして優しさなりき懐かしき祖母  鳥羽省三  


(西野明日香)
    魔法瓶の残り湯捨てて声にせぬ「おやすみ」シンクはボコンと応う

 問題作である。
 三句目の「声にせぬ」の「ぬ」は、接続から判断するに、完了の助動詞ではなく、打消しの助動詞であろう。
 ならば、「声にせぬ『おやすみ』」とは、「声としては出さない『おやすみ』の挨拶」ということになろう。
 すると、一首の意は、「作中の動作主は、そろそろベットに入ろうとして、魔法瓶の残り湯を台所のシンク(流し台)に捨てた。その時、声としては出さなかったが、動作主の気持ちの中には、誰に言うでもないが、『おやすみ』と挨拶の言葉を交わしたい気持ちが去来した。すると、動作主のそうした気持ちを察したかの如くに、ステンレススチール製のシンクが『ボコン』と音立てて挨拶を返した」ということになろう。
 独身女性の孤独な生活と哀切な気持ちとが反映された傑作である。
     〔答〕 玄関の鍵閉ざしつつ口にする「明日またね」と、返答は無し  鳥羽省三  


(原田 町)
    うつし世に魔法あらばと祈りつつ河野裕子の闘病歌よむ

 河野裕子氏の「闘病歌」。
 私もまた、何者かに祈念するが如き気持ちで熟読させていただきました。
     〔答〕 あの夏の逆立ちなどは見ぬもよしせめても一度怒れよ裕子  鳥羽省三


(流水)
    温もりがまだ残ってる魔法瓶寂しいものは優しいものだ

 前日に入れて、その半分以上も使ってしまった魔法瓶の湯。
 その湯の残った魔法瓶に手を当てたら、ほのかに温かかった。
 その時、本作中の<私>は、寂しさと優しさを感じた。
 「寂しいものは優しいものだ」は、小林一茶の句境を思わせて佳し。
     〔答〕 真夜中のお小水から湯気あがる淋しいものは優しいものだ  鳥羽省三


(ほたる)
    やわらかいオヤスミヒツジに誘われ毎夜眠りの魔法にかかる

 「オヤスミヒツジ」とは佳く名付けたもの。
 その「やわらかいオヤスミヒツジに誘われ毎夜眠りの魔法にかかる」、作者の童心に拍手を。
     〔答〕 お馴染みのほたる短歌に誘われ舌鋒鈍る一首切り裂き  鳥羽省三


(都季)
    はぜながら夏の魔法は解けてゆく 線香花火がぽたりと落ちて

  『線香花火』
          作詩・作曲 : さだまさし

ひとつふたつみっつ 流れ星が落ちる
そのたびきみは 胸の前で手を組む
よっついつつむっつ 流れ星が消える
きみの願いは さっきからひとつ
きみは線香花火に 息をこらして
虫の音に消えそうな 小さな声で
いつ帰るのと きいた

あれがカシオペア こちらは白鳥座
ぽつりぽつりと 僕が指さす
きみはひととおり うなづくくせに
みつめているのは 僕の顔ばかり
きみは線香花火の 煙にむせたと
ことりと咳して 涙をぬぐって
送り火のあとは 静かねって

きみの浴衣の帯に ホタルが一匹とまる
露草模様を 信じたんだね
きみへの目かくしみたいに 両手でそっとつつむ
くすり指から するりと逃げる
きみの線香花火を 持つ手が震える

揺らしちゃ駄目だよ いってるそばから
火玉がぽとりと落ちて ジュッ
                     (無断引用、篤くお詫び申し上げます)
     〔答〕 どうせなら鼠花火をやりなさい浴衣の裾が乱れてチュー  鳥羽省三  


(近藤かすみ)
    開けたれば裡に銀(しろがね)ひかりたる魔法瓶つねは闇を抱けり

 「裡に銀ひかりたる」と言い、「つねは闇を抱けり」と言い、作者は対象を良く観察し、その特徴を把握している。
 「つねは闇を抱」きつつ、「開けたれば裡に銀ひかりたる魔法瓶」は、優れた感性を持つ詩人の如し。
     〔答〕 花柄の衣装を纏い闇を抱く魔法瓶とはいかなる女性(にょしょう)  鳥羽省三 


(佐山みはる)
    この先に魔法使いが住むやうな古家がありてアロエ花咲く

 アロエの花とは、あの月下美人の花に似た、あの花のことであろうか。
 もしそうならば、本作の一、二、三句の「この先に魔法使いが住むやうな」という表現にも、並々ならぬリアリティが感じられる。
     〔答〕 この家に幸(さち)すくなかる女子(をみなご)が棲む如くして夕顔咲けり  鳥羽省三


(久野はすみ)
    父がまだ魔法使いでありし日の呪文をききしかヤツデの花は

  今となっては粗大ゴミ以外のなにものでもない、この鳥羽ですらそうだったのだから、「父がまだ魔法使いでありし日」は確かに存在した。
 その華やかなりし日、魔法使いであった父は、猫の額ほどの広さでもない庭に咲くヤツデの花に向かって、どんな呪文を唱えたのか?
 「あぶらかだぶら、私のボーナス袋よ、もっともっと厚くなり、女房子供を喜ばせろ」「ちちんぷいぷい、私の子供たちの通知表よ、5ばかり並べろ」などなど。
 「ヤツデの花」が宜しい。
 あの、いつ咲いたか咲かないかも判らない「ヤツデの花」なら、きっと「魔法使いでありし」「父」の唱える呪文を聞いているに違いないから。
 それともう一点。
 作者の<久野はすみ>さんは、かつてのクリスマスイブの日のご尊父さまのことを思い起こされて、「父がまだ魔法使いでありし日の呪文をききしかヤツデの花は」という、この一首をお詠みになられたのでありましょう。
 時あたかも、ヤツデの花の花盛りですから。
     〔答〕 吾がまだ魔法使いでありし日よ永久に帰らぬあの若き日よ  鳥羽省三


(HY)
    その腹にカラフルな花咲かせてる魔法瓶居た昭和懐かし

 我が家の食卓の上に鎮座まします魔法瓶のお腹にも、確かに「カラフルな花」が咲いていた。
 末尾を「昭和懐かし」としたのはやや安易な措置とも思われるが、「その腹にカラフルな花咲かせてる魔法瓶」が台所や食卓の上に「居た」風景は、いかにも昭和らしい風景であるから、それも致し方ないか。
    〔答〕 その腹にいかな策謀抱きつつ中国旅行したかなにがし  鳥羽省三

一首を切り裂く(057:縁)

(髭彦)
    見沼なる代用水の西縁にキツネノカミソリ群れ咲く夏よ

 この一首、私への激励のお言葉として頂戴いたしました。
 真に有り難く御礼申し上げます。
 「キツネノカミソリ」は彼岸花に似た朱色の花であるが、彼岸花に先駆けて真夏に咲く。
 その花の咲く夏を前にして私は病み、生死の境を彷徨った挙句やっと生還しました。
     〔答〕 見沼なる代用水の西縁に鎮座まします女體神社よ  鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
    ハンカチの白いレースの縁取りに似た美辞麗句ばかり言う人

 作者は、「ハンカチの白いレースの縁取り」の実用的価値を認めないのか?
 もしそうならば、その実用的価値の無い「ハンカチの白いレースの縁取りに似た美辞麗句ばかり言う人」とは、否定的人物ということになる。
 その否定的人物はどなたのことでありましょうか。
 この一首を、「美辞麗句ばかり」を並べ立てて称揚するのは簡単であるが、無名の私が、有名な五十嵐きよみさんの御作を褒め称えても、実用的価値は勿論、「ハンカチの白いレースの縁取り」ほどの装飾的価値も無いことでありましょう。
     〔答〕 横縞のタフタの織りのブラウスは肥満いや増す縦縞を召せ  鳥羽省三 


(青野ことり)
    初めての浴衣の帯が気になって それだけだった縁日の夜

 「八百万の神」という言葉が示す通り、この我が国には数え切れない程の神様がいらっしゃいます。
 神様の数がそれほどならば、縁日の数もそれほど。
 そのうちに、「それだけ」では済まない「縁日の夜」が到来しますよ。
 ご安心かつご注意を。
     〔答〕 君の着る浴衣の帯を解く時はたったそれだけそれだけでもう  鳥羽省三 


(ちょろ玉)
    3年間同じクラスで1回も話してないって縁だと思う

 それも確かに、何かの縁ではありましょう。
 しかし、そのままでは無縁という名の縁に終わってしまいますから、この際は覚悟を決めて当たりましょう。
     〔答〕 無遠慮も遠慮も何かの縁なればこの際遠慮無くして当たれ


(今泉洋子)
    獄窓を額縁として郷さんの見る空の絵に秋はいたるか

 「獄窓を額縁として」という発想は秀逸。
 しかし、「獄窓を額縁」として描いたら、ほとんどの景色が名画になってしまう恐れがありますから、私は郷隼人さんの作品を、あまり高く評価する気にはなりません。
 例えば、去る十月二十六日掲載の、

   獄中死遂げたる者が二人共我と同居をしたことがあった (佐佐木幸綱・馬場あき子選)
   夏時間おわり標準時となりぬただそれだけのこと秋は来にけり (永田和宏選)

 それぞれ、なかなかの出来栄えとは思われますが、これらの作品から、「郷隼人」という作者名と「獄窓」という「額縁」とを外してみたらいかなることになりましょうか。
     〔答〕 島秋人・坂口弘・郷隼人 朝日歌壇を飾りし綺羅星  鳥羽省三 


(佐山みはる)
    縁踏まぬ礼儀作法を教へるにぎこちなきわが歩みとなれり

 本作の作者<佐山みはる>氏のご職業は、小笠原流の礼法指南の先生ででもあられましょうか?
 「畳の縁と親父の剥げ頭は踏んではならぬ」とは、俗説にも言いますが、何か根拠の在ることでしょうか?
     〔答〕 ASIMOとふロボットにも似て花嫁の畳の縁を踏まぬ歩みよ  鳥羽省三


(田中彼方)
    縁起物ばかりあつかう雑貨屋の閉店セールに行ってみようか?

 「黒字倒産」ということだってありますからね。
     〔答〕 縁起物ばかり扱う人形屋かつては全国何処にも在りき  鳥羽省三 

一首を切り裂く(056:アドレス)

(こうめ)
    「せーのっ」て二人同時にアドレスを消せば思い出わずかに明るく

 使い方が通りいっぺんなものになりがちな<お題>「アドレス」を、よく生かした傑作です。
 歌い出しの「『せーのっ』て」が特に宜しく、また、それと末尾との照応もたいへん宜しい。
     〔答〕 「どっこいしょ」と声上げて立つ朝の卓 三度三度が今じゃ面倒  鳥羽省三                                


(磯野カヅオ)
    文字を書くそばから滲む夕立の日に教はりしアドレス 読めん

 「文字を書くそばから滲む夕立の日に教はりしアドレス」という言葉運びが宜しい。
 こうした言葉の運び方を、古典和歌の世界では「序詞」と言いますが、本作の場合は、「アドレス」以前の語句にも意味がありますから、「有心の序」に当たりましょう。

     〔答〕 そのかみのあたり前田のクラッカー藤田まこと氏再起不能と  鳥羽省三
 こちらは、「無心」と「有心」の境目か?
 その昔、有楽町駅前にビデオホールというテレビスタジオが在って、毎週一回、藤田まこと主演の『てなもんや三度傘』の生撮りが行われておりました。暇人の私は、毎回欠かさずその生番組の見物に出掛け、両の掌が痛くなるほどの拍手をしてました。あの藤田まことさんが再起不能とか。


(ほたる)
    ホルマリン液に浸け込むアドレスをいくつも永久保存している

 一、二句は、「ホルマリン液に浸け込む」ではなく、「ホルマリン液に浸け込み」ではないでしょうか?
 その違いはほんの些細なものですが、そこの辺りの微差に気づくのが、歌人の感性というものではないでしょうか?
 発想が優れているだけに、そうした小さな失着が惜しまれます。
 それはそれとして、寡聞にして私は、アドレスのホルマリン浸けは見たことがありません。蛍のホルマリン浸けは見たことがありますが。
     〔答〕 酔いどれてドブに漬け込みアドレスはお釈迦様でもご存じあるめえ  鳥羽省三 

 と、ここまで書いて、早速「公開」したところ、作者の<ほたる>さんから、ご丁重なるメールを頂戴した。
 そのメールに曰く。
 「鳥羽さま、こんばんは! 毎回、学習させていただいております。ありがとうございます!!私は『漬け込んだアドレス』を詠いたかったので『漬け込む』としました。確かに一字でずいぶん歌は変わりますね。私の言い方が間違っているのでしょうか? アドレス帳に残っているけれど塩漬け状態でずっとずっと使わないアドレスを表現したかったのですが・・・。 消すこともできず、ただただ私のアドレス帳に漂っている無数のアドレスのことを。。。2009-12-15 23:32 ほたる 」と。

 <ほたる>さん、私の拙く失礼な短評をご愛顧下さり、真に有難く、篤く御礼申し上げます。
 まして、「毎回、学習させていただいております。」とお書き頂いたことに及んでは、「穴が在ったら入りたい」とは、今の私の心境を表わした言葉ではないかとも思われます。
 ご挨拶はこの程度にして、本題に入ります。
 上掲のメールを熟読して推すに、作者は本作を二句切れの作品としてお詠みになられたらしい。
 しかし、それでは、「アドレスを永久保存するためにホルマリン漬けにする」という、動作主の「行為」を詠んだことになり、お申し越しの如くの「私は『漬け込んだアドレス』を詠いたかった」「アドレス帳に残っているけれど塩漬け状態でずっとずっと使わないアドレスを表現したかったのですが・・・。 消すこともできず、ただただ私のアドレス帳に漂っている無数のアドレスのことを」という目的は果たせないのでないでしょうか?
 私の改定案「ホルマリン液に浸け込みアドレスをいくつも永久保存している」は、「アドレスを永久保存するために、ホルマリンに漬け込みたい」ないしは、「アドレスを永久保存するために、ホルマリンに漬け込もう」という、作者の願望や衝動を詠んだというよりは、ややどっちつかずの面はありますが、「ホルマリン漬けにされて永久保存されているアルバム」を詠んだという側面が強いので、あのような提案をした次第でした。
 しかし、本作は、「漬け込んだアドレス」を歌うよりも、「永久保存するために、アドレスをホルマリン漬けにしよう(したい)」という、動作主の強い衝動ないしは願望を詠んだ方が、更に一段と良い作品になりますから、原作(二句切れ)に、少し手を加えて、次 のようにされたら如何でしょうか。
     〔答〕 ホルマリン液に浸け込む 我が胸に永久保存したいアドレス
 
     
(都季)
    「川岸の大きな栗の木の上」がひと夏だけの僕らのアドレス

 『トムソーヤーの冒険』や坪田譲二の童話などにそんな場面が無かっただろうか、とあれこれ思案してみましたが、思い当たりませんでした。
上の句中の「川岸の大きな栗の木の上」は、「大きな栗の木の下で、あなたとわたし、仲良く遊びましょう。大きな栗の木の下で」という、あの歌から発想したものでしょうか?
 ところで、私の経験からして、川岸に栗の木が生えている光景を見たことがありません。まして人が昇って小屋掛け出来るほどのは特に。
 そこで、本作に現実感を付与するためには、冒頭の「川岸の」を、「崖上の」とか「背戸裏の」とか「里山の」などに替えるとか、或いは、「栗の木」を川岸に生えるに相応しい木に替えたら如何なものでしょうか。

     〔答〕 里山の巨木の楢の木の洞(うろ)がこのひと夏の僕のアドレス  鳥羽省三
 などとすれば、「僕」とはクワガタかカブトムシか、などとの連想が広がり、一首全体にメルヘンチックな雰囲気を与えることが出来ると思うのですが。


(bubbles-goto)
    アドレスをいくつもたどりここに来たホームページに焚き火のあかり

 「焚き火のあかり」が灯っているような「ホームページ」があったなら、「アドレスをいくつ」辿ってでも出掛けたいと、私は想います。
 でも、そんなホームページはなかなか見当たりません。
     〔答〕 願はくば見沼田圃の畔にて焚き火のあかり灯さむと想ふ  鳥羽省三


(茶葉四葉)
    携帯のメールアドレス聞くほどの軽さでなくて重さでなくて

 「軽さ」はご当人たちのご性格。
 「重さ」はご当人たちの御仲。
 その性格もブライドも振り捨てて、「メールアドレス教えて」と茶葉四葉さんが言い出さない以上、事態は一向に改善されません。
     〔答〕 茶葉四葉の重さは所詮数グラム軽さも軽し風吹けば飛ぶ  鳥羽省三

今週の朝日歌壇から

○  すみませんすみませんといいながら人かきわけて老いてゆくなり   (瀬戸内市) 児山たつ子

 「一首目は謙虚に、だが遠慮もせずに生きぬいた来し方を酒脱に総括するようにうたってみせた。混んだ電車に乗るようなおかしさで、まだまだ老いには遠そうだ」とは、選者の馬場あき子氏の評。
付け加えるなにものも無し。
     〔答〕 すいませんすいませんなどと言いながら煙吹きかけ来る夫(つま)憎し  鳥羽省三


○  路上にはポインセチアの花ならぶ日暮れてあかき駅前花屋   (所沢市) 栗山雅臣

 「年越しテント村」必至、就職超氷河期のこの歳末に於いても、ジングルベルは鳴り響き、ポインセチアは艶やか。
 四句目の「日暮れてあかき」の「日暮れ」を一日の「日暮れ」とだけ解釈してはならないし、「あかき」を「赤き」とだけ解釈してはならない。
     〔答〕 クリスマスカクタス出荷に大わらわバーバはパパのお手伝いしてる  鳥羽省三 


○  霜消えて大根を干し、柿を干し、白菜を干す 雪虫が飛ぶ   (気仙沼市) 畠山登美子

 「霜消えて」の解釈には少し手間取りましたが、これは、「陽も高くなり、夕べ下りた霜が溶けて」ということでしょうか。
 一首の意は、「霜が溶けてすっかり晴れ上がった晩秋の一日、私は、納屋の軒下に大根を干し、柿を干し、そして白菜を干す。一日のそうした日課にひと段落が着いた頃、庭の辺りを雪虫が飛び交う。もうニ、三日したら、雪模様になるに違いない。」といったところでしょうか。
 「柿」は甘柿ではなくて渋柿。
 その渋柿の皮を剥き、串に刺したり、紐で結んだりして、納屋などの軒下に干すのであるが、その時に出る、渋柿の皮も捨てられることなく、大根漬けや白菜漬けに旨味を添えるために使われるのである。
     〔答〕 晴れた日はぶんぶんぶんと蜂が飛ぶ死に損ないの蜂が飛び交う  鳥羽省三 


○  水底に鳥のこえだけ今もするしずかなしずかなふるさとがある   (城陽市) 山仲 勉

       『水底の町』
                         作詩・作曲 : さだまさし

八幡様の境内の 楠にはリスが住んでいた
石段下の泉には 蛍が飛んでた夏の日
裏山へゆけばクワガタや カブトムシやアゲハチョウがいて
夕立のあと夏草の 匂いが死ぬ程 好きだった
遠くでお寺の鐘が鳴って どこかの焚火の煙が
狭い谷間に重なるように じっと蟠っていた
僕の育った小さな町は 五年前の今日 湖の底に沈んだ

僕は都会のアパートで ささやかに独り棲んでいる
酒を借りては友達に 愚痴をいう日もあるけれど
何かこうして暮らすことが 長い夢をみているような
どこか本気じゃないような 思いになるのは何故だろう
本当の僕はどこかにいて 僕を捜しているようだ
ビルの谷間で夢たちが じっと蟠っている
僕を支える哀しい都会(まち)も とても大きな
湖に沈もうとしている

雨の少ない晴れた夏に ダムに立てば 八幡様と
立ち枯れた楠が 少しだけ見える日がある
実はあそこの床下に 少年時代の
宝が一杯つまっている 箱が埋めてあるんだ
今ふるさとが 僕にむかって 大丈夫かと
尋ねてくれている
大丈夫 大丈夫 大丈夫・・・・・
                                (無断引用、篤くお詫び申し上げます)
     〔答〕 水底に沈める鐘の響くごとダム湖の空の今朝は晴れたり  鳥羽省三


 
○  つけくれし廊下の隅の豆球を夜ごとにつけて亡き夫に逢う   (松山市) 曽我部澄江

 作者のご夫君は、自分たちの老後のことや、ご自身の亡き後のことを慮り、廊下の隅に豆電球を付けたり、階段に手すりを付けたりしたのであろう。
      〔答〕 「ああ、萬灯篭(まんどろ)だ、萬灯篭(まんどろ)だ」と声上げて廊下の隅の豆球灯す  
                                                  鳥羽省三


○  母だってなりたいだろう孫馬鹿と叔母を笑いし心の奥は   (東京都) 内藤麻由子

 作者の母の妹が「叔母」で、その叔母のことを、かつて母は「孫馬鹿」と言っていた。
 その「孫馬鹿」の姪である作者には未だ子が無いから、「孫馬鹿」の姉である作者の母は未だ「孫馬鹿」にはなれない。
 「孫馬鹿」になりたくてもなれないのだろう、と、作者は、子を持たないわが身を思い、孫を持たない母の身を思っているのである。
     〔答〕 祖母として抱いてもみたい我が孫を 孫馬鹿ちゃんりん娘を泣かす  鳥羽省三


○  もうこれで亡夫を想うは止めとする留守のわが家へ電話鳴らすは   (伊勢市) 正住喜三江

 誰も居るはずのない我が家に出先から電話をしてみるというのは、歌謡曲のフレーズにもある情景。
 本作の作者は、夫の亡き後、その情景を幾度か演じて来たが、これを限りに止めようとしているのである。
 その最後の電話のベルが突然途切れ、「もしもし、正住ですが」などとの男声がしたとしたら、それはもう、ホラー小説の世界である。
 「もうこれで」に込められた、作者の切ない思いを汲み取らねばならぬ。
     〔答〕 あれでもうやめたつもりの我が家への電話のベルをまた鳴らしてる  鳥羽省三


○  東京に慣れてきたけど地下鉄の線は今でも色で呼んでる   (奈良市) 杉田菜穂

 我が御用達の半蔵門線は「紫」。
 その「紫」を表参道駅で乗り換えて、銀座方面に向かうのが「オレンジ色」の銀座線と、私もまた、作者同様、東京都内の地下鉄を色で呼んでおります。
 一昨年、七年ぶりに首都圏にUターンしたら、かつての<営団地下鉄>が<東京メトロ>に替わっていたのにはびっくりしました。
     〔答〕 「紫」の神保町駅徒歩二分半ちゃんラーメンお馴染み「さぶちゃん」  鳥羽省三  

一首を切り裂く(055:式)

(ひいらぎ)
    緊張を隠して向かう入社式スーツは上手く着こなせぬまま

 「着る」と「着こなす」とはかなり異なる。
 「着こなす」に限らず、一般的に言って「~こなす」とは、「こなす」を補助動詞として従える動詞の示す動作を十分以上に為すことであるから、「着こなす」とは、例えばスーツならスーツを、完全に征服してしまっていて、彼を己の家来にしてしまっている状態を言うのである。
 それに対して、「着る」というのは、文字通り、ただ「着る」だけのことであるから、着ただけの状態で外出しようものなら、「あなた、上着の襟が立っていますよ。それにボタンを掛け違えていますよ。だいたい、あなたの顔は外出向きには出来ていないんですから。鏡を見なさい、鏡を」などと、連れ合いからたちまち罵倒されてしまうことだろう。
 曲名は失念してしまったが、どなたかの曲の歌詞に、「赤いランドセル背負ってか背負われてか」というのがあるが、本作の動作主は、言わば<赤いランドセルに背負われた>状態で「入社式」に臨もうとしたのである。
 そんなこととは別に、本作には、もう一つの疑問がある。
 それは、作中の動作主と作者との関係が今ひとつ判然としないことである。
 本作には、作中の動作主とは別に、作者とイコールの関係にある人物、即ち「私」が居て、その私が、「彼は、スーツも上手く着こなせぬまま、緊張を隠して入社式に向かう」と言っているのであろうか。
 それとも、彼と私とは同一で、「私は、スーツは上手く着こなせぬままま、緊張を隠して入社式に向かう」と言っているのであろうか。
 その点が、イマイチ明らかではない。
 とは言え、その点は必ずしも本作の欠点ではない。
     〔答〕 わたくしはパジャマの上にフリースを重ね着しつつ買い物に行く  鳥羽省三


(磯野カヅオ)
    正解を疑はぬ子に等式の向こう側ではチロの騒げり

 「正解を疑はぬ子」とは、「自分の書いた答案が正解だ」と信じている児童のことか?
 もしそうならば、その「子」は磯野家のご長男・磯野カツオ君のことでありましょう。
 あの子なら、さもありなん。
 正解を疑わぬ磯野カツオ君と等号で結ばれた先には、愛犬の「チロ」が居て、そのチロがまた先ほどから、「ワン、ワン、ワン」と鳴いて騒いでうるさいこと限りなし。
 カツオ君も馬鹿だがチロも馬鹿。
 故に、カツオ君とチロとは等号で結ばれている。
     〔答〕 正解は「ワン」ではなくて「ツー」である チロも間違いカツオも間違い  鳥羽省三


(祢莉)
    君と見た終業式のあとの空なんでもできる気がしてたよね

 二、三句目が「卒業式のあとの空」ではなく、「終業式のあとの空」でなければならないのは、どんな理由が在ってのことであろうか?
 「なんでもできる気がしてたよね」という、自由な気持ちになるのは、「終業式のあとの空」を見た時よりも、「卒業式のあとの空」を見た時の方だと、評者は思うのだが。
 本作の作者<祢莉>さんは密かに、卒業式の後の混乱、つまりは、不毛な浪人暮らしとか泥沼の失業状態を予測して居られたのかも知れない。
     〔答〕 このままに吸われて行けばと思ったね卒業式の後で見た空  鳥羽省三


(今泉洋子)
    千年紀など騒がれて去年よりも紫式部は艶めきて見ゆ

 「紫式部千年紀」などという朦朧とした言葉を創出して、出版社を先頭にしたマスコミが大騒動を現出しようと企てたのは昨年のこと。
 <お題054:式>の始末に困った挙句、本作の作者は、結社誌に載せ損なった旧作を持ち出して来て、緊急事態を乗り切ろうとしたのではあるまいか?
 「去年よりも紫式部は艶めきて見ゆ」はあくまでも主観。
 還暦を過ぎた女流歌人が、「私の肌が艶っぽいのは、鈴木その子の<美白化粧品>をつけているからなのよ」などと言っている現場に行き合わせたことがあるが、これまた<主観>と、私は思ったことであった。
     〔答〕 艶めいて見ゆるわけでもあらなくに美肌化粧を施す歌集  鳥羽省三
 たまたま目の前に在った、ある歌集のカバーが、美肌化粧を施したような色彩であったので、これを以って、御作への返歌とさせていただきたい。


(Ni-Cd)
    くさいねと笑ってそれから黙り込む紫式部の実をつぶしては

 叩き売って出て来た私の旧居の庭には、毎秋、紫色をした粒粒の実を枝もたわわに着ける潅木が植えられていた。
 それを紫式部だと教えて下さったのは、その実の盛りに我が家を訪れた『運河』所属の歌人であった。
 ところが、晩秋が過ぎ真冬になっても、この実に寄り付く鳥はただの一羽としていないのだ。
 私は、この度、本作に接して初めてその理由を知ることができた。
 即ち、紫式部の実は、小鳥も近寄らないほど「くさい」のだ。
 「くさいものには蓋をしろ」ということで、人間はおろか一羽の小鳥すらあの実には近づかなかったのだ。
 「くさいねと笑ってそれから黙り込む」という上の句が絶妙。
 本作の作者<Ni-Cd>氏は、人生の機微をご存じである。
     〔答〕 甘いねと言ってそれきりフォーク置き食べずに帰った手作りスイーツ  鳥羽省三
 

(kei)
    執着の葛(かずら)絡まる幾度も式子内親王の憂鬱

 「玉の緒よたえなばたえね長らへば忍ぶることのよわりもぞする」(『小倉百人一首』より)を初めとする式子内親王の恋歌を見ると、「執着の葛絡まる幾度も」という、本作の作者<kei>氏の認識の正しさがよく理解されます。
 いや、「執着の葛絡まる幾度も」というのは、単なる認識ではなく、卓越した写生でもある。
 謡曲『定家』に拠ると、式子内親王と藤原定家との間は、和歌道の師弟関係で結ばれていただけではなく、そこには、恋愛関係も存在したかのように描かれている。
 本作の下の句「式子内親王の憂鬱」の「憂鬱」とは、それ故の憂鬱を指すのであろうか?
     〔答〕 玉の緒よたえなばたえね長らへば貯め居る金の少なくぞなる  鳥羽省三 


(HY)
    泣き濡れて和泉式部の詠うごとこの身蛍になれと祈った

 本作は、和泉式部の代表作、「もの思へば沢の螢もわが身よりあくがれいづる玉かとぞ見る」(『和泉式部集』)を、<HY>氏流にご解釈なさり、それに基づいての創作であろうか。
 もしそうならば、その解釈は、あまりにもご都合主義に過ぎ、本作の拠って立つ根拠も希薄となるのではないだろうか?
 本作の一句目「泣き濡れて」は、「和泉式部」に掛るのではなく、「祈った」に掛るのであろう。
 それならば、「泣き濡れて」「この身」よ「蛍になれと祈った」のは、和泉式部と本作中の<私>ということになる。
 ところが、和泉式部が、「もの思へば沢の螢もわが身よりあくがれいづる玉かとぞ見る」と歌う時、彼女は「泣き濡れて」も居ないし、「蛍になれと祈った」のでもない。
 仮に、和泉式部に私が指摘した歌とは別の蛍の歌が在って、その中で、彼女は「泣き濡れて」いて、「この身」よ「蛍になれと祈った」としたら、どうなろうか?
 本歌取りの歌であれ、そこまでは行かずとも漠然と何かの歌に依拠して創った歌であれ、何かの歌、どなたかの歌に、依拠して歌を創る場合は、典拠となる歌は、多くの人に知られた歌でなければならない。
 少なくとも「題詠2009」に参加しているくらいの歌人なら、直ぐにそれと解るような歌を典拠としなければならない。
 ところで、「泣き濡れて和泉式部」「泣き濡れて京都」「泣き濡れて熊野古道」「泣き濡れて中ノ島」「「泣き濡れてハーモニー」「泣き濡れてサクラ」「泣き濡れて天城越え」と、「泣き濡れて」というフレーズを頭に載せた語句は、それらしく見えるからご用心のほどを。
 因みに申し上げますと、「熊野古道」以下は、本稿を執筆しながら耳にしていた、NHK総合テレビの「のど自慢」の出演者たちが歌っていた曲の名称を、そのまま順番に取り入れたのである。
     〔答〕 泣き濡れず『安芸の宮島』歌ってた水森かおりは今日のゲストだ  鳥羽省三  

一首を切り裂く(054:首)

(みずき)
    首塚に雪の降るらし敦盛の笛ひようびようと哭きて吹雪くや

 本作での「首塚」は勿論、無冠太夫<平敦盛>の首塚。
 したがって、本作の舞台となった場所は須磨寺でありましょう。
 この須磨寺には、かつて多くの文人墨客が訪れたが、それらの代表はなんと言っても、俳聖・松尾芭蕉(1644~1694)と、その後継者の与謝蕪村(1716~1784)でありましょう。
    
    須磨寺やふかぬ笛きく木下闇    松尾芭蕉

    笛の音に波もよりくる須磨の秋   与謝蕪村

 この二句に共通するのは「笛」。
 それも、現実には聞こえるはずもない笛の音なのである。
 芭蕉や蕪村が、この地を訪れてから幾世紀かが過ぎた平成の今日、この歌枕の地をもう一人の墨客が訪れる。
 その人の名は<みずき>さん。
 彼女もまた耳を澄まして、彼の青葉の笛の音を聞こうとするのだが、折り悪しくも時は真冬。
 聞こえて来るのは、「ひようびよう」として響く「吹雪」の音だけなのである。
 その吹雪の音を彼女は、彼の無冠太夫・平敦盛が泣きながら吹く、名笛・青葉の笛の音として耳を傾けるのであった。
     
     〔答〕 聞こえ来る音は青葉か然(さ)に非ず耳に入るのは吹雪の音ばかり  鳥羽省三
 あまりにも月並みな返歌で失礼致します。


(春待)
    膝枕すると何時でも母さんは首の後ろの黒子を撫でる

 これぞまさしく<なんちゃって短歌>。
 とは言っても、私は本作の価値を低めようとしているのではない。
 近世俳諧に芭蕉と蕪村の二人ばかりでなく、小林一茶(1783~1828)も居て、その奥行きを深くしているように、<なんちゃって短歌>もまた短歌であり、<春待>氏の作品もまた、必要条件を十分に満たした、立派な短歌作品なのである。
 「首の後ろの黒子」。
 これまで、誰にも見せたことのない黒子。
 作者自身さえ直接には目にしたことのない黒子を、「膝枕すると何時でも母さんは」「撫でる」。
 本作は「黒子」を歌ったのではなく、その黒子を撫でてくれる「母さん」を歌ったのである。
     〔答〕 母さんがかつて撫でてたこの黒子今宵あなたに撫でられて居る  鳥羽省三


(nnote)
    首すじに夕日を連れて窓際のおとこのひとがきれいな市バス

 本作の観賞に当たっては、先ず、作者<nnote>氏の「市バス」の中での立ち位置を見定めなければならない。
 「首すじに夕日を連れて窓際のおとこのひと」とあるから、本作の作者は、その「窓際のおとこのひと」よりも後ろの座席、いや、作者は、その「窓際のおとこのひと」の斜め後ろ辺りに立っているのかも知れない。
 その「窓際のおとこのひと」の「首すじに」夕日が射していて、その「おとこのひと」は格別にきれいなのである。
 この「市バス」に乗り合わせたのは、作者にとっては、今日一日の締めくくりの<至福>であった。
 「首すじに夕日を連れ」た「窓際のおとこのひと」を見つめる作者の視線からは、決して<痴漢的視線>が感じられない。
     〔答〕 夕焼けを連れておとこの一人旅 市バスは今し真っ赤に染まる  鳥羽省三


(西中眞二郎)
    仰向けにマネキンの首寝かされて更けし床屋は練習時間

 孟子曰く、「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」と。
 NHK総合TVの大型ドラマ「天地人」が終わったのはつい先日のこと。
 あれから間もない今朝、私はこの作品に出逢った。
 何処かへお出掛けになられた帰路のことでしょうか。
 夜更けに床屋さんの前を通ったら、未だ照明を落とさないままであった。
 いつもなら、とっくに灯りを消しているはずの時刻なのに、今日に限ってどうしたことだろうと思って店の中を覗いてみた。
 すると、あろうことか散髪用の電動椅子が倒され、その上にマネキン人形が仰向けに寝かされていた。
 さあ、見てしまった。私は、この床屋の店主のとんでもない一面を見てしまった。
 今からあの電動椅子の上で、店主とマネキン嬢とのどんな絡み合いが展開されるのかと、恐いもの見たさ、見たいもの見たさにわくわくして見ている。
 すると、何のことは無い、その絡み合いはこの床屋のお弟子さんの練習時間に過ぎなかったのだ。
 多分、その時、その床屋さんの店主は剃刀を手にして、マネキン嬢の身体に身を寄せていたのでありましょう。
 そうした店主とマネキン嬢との直ぐ側には、通信教育で理髪師の免許を取得しようとしている、この店の若くて健気なお弟子さんが居たに違いない。

 その大多数が<なんちゃって短歌>とも思われる、「題詠企画」に寄せられた数万首の短歌作品の中から、優れた作品を選び出し、毎年、参加者の皆さんを励まされて居られる西中眞二朗氏であればこそ、短歌大明神は、この「天地人」の恵みのような光景を現出され、一首を成さしめられたのでありましょう。
 こうした作品を創る機会は、煩悩の塊のような私如きには、決して与えられないことと思いつつ、観賞文を記す筆を擱きます。

 私ごとながら、この度、西中眞二朗選『2009題詠100首百人一首』に、拙作「彼方此方(をちこち)の鬼遣る声に怯えつつママが目当てのスナックに行く」が、昨年に引き続いての入集の栄誉を賜りました。
 この場に於いて真に失礼とは存じ上げますが、選者の西中眞二朗氏に、篤く篤く御礼申し上げます。
     〔答〕 目出度いなああ嬉しいなこの栄誉今夜出掛けてママにも報告  鳥羽省三


(理阿弥)
    「俺は犬だ」伊勢線車窓にゲルニカの斬首されたる兵の眼をして

 理知に勝る阿弥陀様が「俺は犬だ」も無いでしょうに。
 この一首に接して、私は、あらためてピカソの名画「ゲルニカ」の写真を凝視しました。
 ああ、在りました在りました、「斬首されたる兵の眼」が確かにありました。
壁画の画面の右上辺りに描かれているのがそれですね。
 ところで、理阿弥さんをして、「俺は犬だ」と自覚せしめ、「ゲルニカの斬首されたる兵の眼をして」「伊勢線車窓」に寄らしめる原因は何なんでしょうか?
 人が人だけに、事は重大です。 
     〔答〕 「俺は鳥羽だ」と言わんばかりに今朝もまた一首切り裂き余念無き吾  鳥羽省三


(たざわよしなお)
    ふたりとも話題は尽きてラジオでは首都高4号線が渋滞

 こういうことって、よく在りますよね。
 この先、この大渋滞の中を新宿まで、このお二人は無言のまま、どうして行くんでしょうか?
 そのうち、無言のままでハンドルを握っている<よしなお>くんの態度を見て頭に来た彼女が、「ふん」と舌打ちでもしたら、たちまち喧嘩が始まりますよ。
 そして、前を行くベンツと衝突事故。
 そうなったら、何もかもお終いです。
 相手のベンツからはやくざ紛いのお兄さんが出て来て、「この始末を、いったいどう付けてくれると言うんだい。なんだったら、彼女のなにでなにしてもらいましょうか」とか何とか仰って。
 なにせ、首都高速四号新宿線は、名にし負う交通事故多発道路ですから。
 恐い、恐い、恐い。
     〔答〕 この場合、相手に先んじもの言うは年嵩立った君の役割り  鳥羽省三 


(久野はすみ)
    心にもなく選ばれし首都のよう震えてひらくカサブランカは

 「震えてひらくカサブランカ」の様を「心にもなく選ばれし首都のよう」と直喩で述べたのは大成功かと思われます。
 ところで、「心にもなく選ばれし首都」とは、いったい、何処の国の首都を指して言うのでしょうか?
 東京でもソウルでも北京でもワシントンでもロンドンでもパリーでもないし、モロッコの首都はカサブランカではなくてラバトであるし、不勉強な私には、そうした首都を思い当たりません。
 どうぞご教授下さい。
     〔答〕 他ならぬカサブランカをさて置いて心にも無く首都なるラバト  鳥羽省三

一首を切り裂く(053:妊娠)

 軽めです。出詠歌はいずれも軽めです。これでは、どなたかが主唱されている「かんたん短歌」みたいではありませんか?
 こんな歌ばかり目にしていると、私はとても悲しくなり、あの、「晩餐ののち鉄瓶の湯のたぎり十時ごろまで音してゐたり」と詠んだ方のことを思い出してしまうのです。
 そういう訳で、今日は、鬱のどん底に在る私自身を救うために、思い切って軽めの観賞をしましょう。


(小早川忠義)
    「妊娠」の項に付きたる開き癖我が家に残る医学辞典の

 我が家には、「医学辞典」と名乗るような立派なものは無かったのですが、その代わりを果たしたのが、婦人倶楽部の赤や黄色のページ。
 そのページにも、明らかな「開き癖」がついておりましたよ。
 「妊娠」とは無縁の、少年の私まで開いてみたりして。
     〔答〕 フランス装めかしてるのか数ページ袋閉じなるピンクの頁  鳥羽省三 


(星野ぐりこ)
    妄想を直ちに出産したいので誰か妊娠させて下さい!

 想像妊娠ならぬ妊娠妄想に捉われた挙句、「その状態から一日も早く脱却したいから、どなたか私に、本物の妊娠をさせて下さい」とせがむのは、妄想ならぬ暴走。
 犬に狂犬病の予防注射をするのとは違いますから。
 <ぐりこワールド>ただいま全開、絶好調、出血サービス中。
     〔答〕 妄想を出産するのは所詮無理まだ間に合うよ中絶したら  鳥羽省三


(うたよみブログ)
    妊娠を夫へ何と告げようか メールの件名「パパへ」と入力

 「メールの件名『パパへ』と入力」という下の句が絶妙の効果を上げている。
     〔答〕 昇格をワイフへ何と告げようか、メールの書き出し「課長夫人へ」  鳥羽省三
         「あなたへ」が「パパへ」と替わるケイタイのメールの件名待たれる帰宅   同


(蓮野 唯)
    縄を掛け重石引き摺る苦しみの妊娠後期ゴールは間近

 「重石」は<おもし>と読むのでしょうが、昨今の歌人ちゃんたちなら、そうは読めずに、「二句目の字余りが気になる」などと言い出しますよ。
 それに、「妊娠後期ゴールは間近」も聞き捨てになりません。
 私は、高齢出産に命取られた人の噂を沢山耳にしております。
 呉々も御身大切に。
     〔答〕 縄掛けぬ重石もたげるリハビリを毎週三度やらされてます  鳥羽省三


(陸王)
    妊娠のお題、男子は外へ出てソフトボールで三振・四球

 そういうことが確かありましたね、中学生の頃。
 あれは、女子生徒にとっては勿論、男子生徒にとっても、一種の<通過儀礼>に他なりません。
 「誕生・お七夜・七五三・小学校入学・同卒業・中学校入学」に続いての。
     〔答〕 教室を気にしてばかりでピッチャーがなかなか球を投げてくれない  鳥羽省三


(久哲)
    妊娠をしているような食感の水羊羹は夏に冷たい

 「妊娠をしているような食感」とは、<ピチピチ感>を言うのでしょうか?
 それとも、<ゾクゾク感>か<ふわふわ感>を言うのでしょうか。
 いずれにしても、とても新鮮な言い方です。
 和菓子屋のコピーとしても十分に使えます。
 夏は<水羊羹>、冬は<いちご大福>のコピーとして使えましょう。

     〔答〕 <妊娠をしているような触感>の<いちご大福>期間限定  鳥羽省三
 どうですか、久哲さん。
 あなたの元歌よりも、私の返歌の方がかなり上等でしょう?
 「食感」を<触感>と替えたのは、変換ミスではありませんよ。
 <水羊羹がいちご大福を産んだ>とは、このことを指して言うのでしょうか?


(ウクレレ)
    ラーメンを食べつつ妊娠告げられてナルト見つめる眼鏡が曇る

 「ナルト」が胎児に見えたのでしょうか?
 しかも、この妊娠は<婚外妊娠>ですな。
 「眼鏡が曇る」のは、あつあつのラーメンから立ち上る湯気のせいばかりではありません。
     〔答〕 目玉焼き食べてる時に告げたなら目玉が目玉を凝視するのか?  鳥羽省三


(ほたる)
    「妊娠」と書かれた箱が笹舟で運ばれている夢を見た朝

 実に叙情的かつ新鮮な感覚です。
 私は、本作に接して、あの尊いお方・モーゼが、葦の舟に乗せられてナイル川に流された、という旧約聖書の記述を思い出しました。
 我が国の古事記にも、それに類似する話が見られます。
 本作の作者は、おそらく其処までは意識されては居られなかったでしょうが、優れた一首の成り立ちには、古今東西のそうした伝承が微妙に絡んで来るのです。
 そして、それは、作者の実力であり、教養なのです。
 ほたるさんの作品は、一見すると、<なんちゃって歌人>の創った<なんちゃって短歌>のようにも思われますが、そこのところが、他の歌人ちゃんたちの作品とは異なるのです。
 でも、末尾を「朝」で逃げたのはいけません。いつもの手ですね。
     〔答〕 短冊に「いろはにほへと」と書かれてた。「ちりぬるを」と添え流してやった。  鳥羽省三


(みなと)
    一分でわかる妊娠検査薬つばめよつばめ 慈雨にぬれるか

 「一分でわかる妊娠検査薬」という上の句と、「つばめよつばめ慈雨にぬれるか」という下の句との微妙な響き合いが面白い。
 これを俳諧では、「匂ひ付け」と曰うのでしょうか?
     〔答〕 妊娠と判った朝は空翔る燕と共に濡れてもみたい  鳥羽省三 


(穂ノ木芽央)
    妊娠の自覚なかりきをさな妻緋色の毛糸玉もてあまし

 過去回想の助動詞「き」が効いている。
 あの頃は、何も知らない<ねんね>で、膝の上に転がる、「緋色の毛糸玉」など「もてあまし」てた。
     〔答〕 妊娠の自覚なければ幼な妻ゴム段などを軽く跳んでた  鳥羽省三


(斗南まこと)
    例えれば妊娠判定薬が出す陽性反応みたいな静けさ

 妊娠という<お題>は、決まり切った結論を導き易いだけに、面白くなく、厄介な<お題>であろう。
 それを苦にせず、「静けさ」の直喩としたのは作者の手柄である。
     〔答〕 例えれば百万石のお江戸入り小沢一行中国視察  鳥羽省三


(bubbles-goto)
    妊娠や堕胎のうわさ脱ぎ捨てて波打ち際を駆けるグラビア

 「グラビア」は<グラビア・クイン>などの略称か。
 いかなる醜聞も、一時の恥として綺麗に脱ぎ捨て、彼女らは恥も外聞も忘れて、繁華街や海浜に遊び、我が家のテレビの大型画面にも顔を映す。
     〔答〕 おめでとうクサナギ君も復活ねナカイ・キムタク彼に敵わぬ  鳥羽省三


(扱丈博)
    妊娠をしているようなひらがなをふたつ重ねた名前をもらう

 「妊娠をしているようなひらがな」とは何か?
 そして、それを「ふたつ重ねた名前」とは何か?
 「妊娠をしているようなひらがな」として怪しいのは、<な行>の三字、及び<ま行><や行>の二字。
 そして、それらを二つ重ねた名前とは、「なな・ねね・のの・みみ・もも・やや・ゆゆ」など。
 そんな名前の女性なら「妊娠をしているような」と言うよりも、本作の作者の<扱丈博>氏は、そんな名前の女性を「妊娠させたい」と思って居られるのでしょう。
 因みに、作者の姓の一字「扱」とは、「扱き紐」の「しごき」である。
     〔答〕 妊娠をさせる危険のある犬を連れて行くのは保健所かしら  鳥羽省三


(今泉洋子)
    小春日はかくもやさしくわが背(せな)に妊娠記憶よび覚まさせぬ

 お年がお年ですから、縁側では小春日に優しく労わられ、バスの車中ではやさしく席を譲られる。
 されど、「一首を切り裂く」者の扱いは、かくも容赦無し。
     〔答〕 すごろくに例えてみれば「上がり」だね小春日の刺す縁にて思う  鳥羽省三


(夢雪)
    妊娠をすることのなき少年を何度も愛して肌馴染みをり
(桶田沙美)
    妊娠を気にせず身体重ね合う女を愛する女で良かった

  「少年愛と同性愛とは布の綾目の表裏」ですから、二首まとめて観賞することにしよう。
 「摩るだけ、触るだけでは妊娠しない」などと言ったら、「お前は何も知らないな」と、その道の奥義を極めた方々に笑われてしまうでしょうか。
 察するに、<夢雪>さんも<桶田沙美>さんも女性でありましょう。
 女性が女性と「身体重ね合う」。
 大人の女性が「少年を何度も愛して肌馴染みをり」。
 恐ろしい恐ろしい、ここまで来れば世も末じゃ。
 作者と作中人物とを切り離して考えるのが、短歌観賞の常識であることは承知してはいるが、今の私は、身体の震えが止まらない。
     〔答〕 「あれれれ」と呆れてばかり居る私、鳥羽はなんにもご存じ上げぬ  鳥羽省三
    

(田中ましろ)
    精子らが卵子と出会う瞬間に小田和正が流れて妊娠

 本作に接した瞬間、私はあの名曲のあのフレーズを思い出してしまいました。
 「もう終わりだね、君が小さく見える」(小田和正『サヨナラ』より)
 でも、そうではありませんね。
 「あのことが果てた後、君の君が小さく見えたから」なんてことではありませんね。
 私としたことが、つまらない妄想に耽っていました。本当に失礼致しました。
 寝室の中でCDやMDの音楽を流したまま眠ることがよくあります。
 この頃の私は、さだまさしの「ソフィアの鐘」を流したまま眠ります。
 本作の作者<田中ましろ>さんの場合は、パートナーの方を懐妊させたと思しき場面でのBMが、小田和正の曲だったのでしょう。
「ラブ・ストーリーは突然に」か何か。
    何から伝えればいいのか 分からないまま時は流れて
     浮かんでは 消えてゆく ありふれた言葉だけ
      君があんまりすてきだから

 あの曲はなかなか宜しい。
 そうそう「生まれて来る子供たちのために」という、場面にピタリのもありましたよね、確か。
     〔答〕 何事も伝えない儘このままに観賞文を閉じます失礼  鳥羽省三 
 

(理阿弥)
    弱腰の釈明として妊娠の重さを諭し 今この空気

 理阿弥さんちにも年頃の娘(或いは孫娘)さんがいらっしゃるらしい。
 「阿弥子や、お前、妊娠とはこのお腹の中に一個の生命を宿すことだよ。子供が子供を産むなんて、これは見たことも聞いたことも無い。結婚はお前にはまだ早い。そうそうに始末しなさい。」とかなんとか諭した挙句のこの始末。
 と、書いてはみたものの、理阿弥さんは意外に若く、未だ婚前交際中の若者なのかも知れない。
 すると、
 「阿弥子さん。いずれ私は、貴女と結婚したいと思ってはいますが、まだパパになる自信も生活力もありません。だから、だから、だから、・・・・・・・」なのかも知れない。
     〔答〕 いずれにせ、諭した挙句のこの空気、梅干食う気はあるのかしらん  鳥羽省三  


(髭彦)
    妊娠をもたらすことの生涯にひとたびにして子もひとりなり

 「妊娠をもたらすことの生涯にひとたびにして」の意味がやや不分明です。
 この一文は、ややもすると、「女性に妊娠をさせてしまう結果に到るような行為を、私は、生涯に一度しか為したことがありません」とでも、読まれかねません。
 でも、まさかねー。
 先生が神様であった時代はとうに過ぎ去ってしまったのですから。
     〔答〕 甥と違ひ婚姻は一度せしのみなれど男子(をのこご)二人持ちたり  鳥羽省三


(のびのび)
    「妊娠は可能なのです、なのですが」事務的に告ぐ産科医の声

 「なのですが」が効いている。
     〔答〕 「なのですが、母体が細腰、骨盤が」後は朦朧語尾を濁せる  鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
    妊娠はあした見る夢 海からの風に翻弄されるパーカー

 あのご仁が、『太陽の季節』なる三文小説をものしてから、いったい何年になるのかしら。
 近頃は、都民の迷惑顧みず、またぞろ五輪を口にして。

 「海からの風に翻弄されるパーカー」という瀟洒なフレーズに刺激され、つい愚痴を零してしまって失礼。
     〔答〕 知事からの無常な風に翻弄され悩み耐えない都民ぞ我ら  鳥羽省三 


(美木)
    妊娠したかもと言ったら笑ってた 違ったと言ったらもっと笑った

 前者の笑いは苦しい笑い。
 後者の笑いは嬉しい笑い。
     〔答〕 「合格したかも」と言ったら怒ってた「<かも>は無いだろはっきり言え」と  鳥羽省三 


(おっ)
    弁当にレモンが入っているだけで妊娠疑惑に沸いた教室

 あまりにも平和過ぎる学園風景。
 この光景をどこかの大統領が見たら、「この平和は、我が国の核抑止力と、貴国と我が国との安保条約に守られた平和だ」などと言い出しかねませんよ。
 折しも、今日は、ノーベル平和賞の授賞式が。
     〔答〕 梅干が一粒だけの弁当を<日の丸弁当>と言ってた頃よ  鳥羽省三

一首を切り裂く(052:縄)

(nnote)
    月光の中の縄跳び果てもなく円の輪郭刻み続ける

 作者の観察眼は鋭く、空中に描かれた半円の輪郭と地上に描かれた半円の輪郭との両方を見つめ続けている。

    幾時代かがありまして
    勝手気儘な人が居て
    気儘な暮らしをしてました
   
    昼は寝ているばかりだが
    夜ともなると起き出して
    月の光を浴びながら
    今夜庭でのひと盛り
    ゆあーんゆよーんと縄回し
    今夜ここでのひと盛り

    ゆあーんと回す縄の影
    ゆよーんと回る縄の跡
    地上と夜空の両方に
    くっきり描くの見えました

    それ見て月がにっこりと
    にっこり笑っておりました
    今夜庭でのひと盛り
    今夜ここでのひと盛り
    縄跳び遊びのひと盛り

     〔答〕 望の夜の大縄跳びの果もなく空と地上に円弧描きて  鳥羽省三


(アンタレス)
    故郷の荷物なつかし麻縄で心むすびし今はビニール

 クロネコもペリカンも居なかった頃の昔、麻縄で縛られた荷物が届くのは、故郷を離れて暮す者の大きな楽しみでした。
 その麻縄を解きながら、私は、「自分と故郷の人々とは、この麻縄できつく繋がっている。それは、<愛情>としての緊縛でもあるが、<束縛>としての緊縛でもある。だから、自分は、一日一日の生活を大切にしなければならない」などと思ったものでした。
 その、心がこもり血の通った「麻縄」が、今では、無機質なビニール紐に替わってしまった。
     〔答〕 故郷の荷物なつかし停車場にそを出す時の母の心よ  鳥羽省三 
         故郷と自分を結ぶ麻縄がビニール紐に替わった代償   同
         代償は過疎と子殺し親殺し故郷の村は廃屋ばかり    同


(みずき)
    見えぬ縄ぐるり自縛の思ひして辛夷の朝をひとり欝なる

 「辛夷の朝をひとり欝なる」が絶妙。
 白でもない乳白色でもない。
 紫でも紅でもない。
 あの淡い独特の色彩で辛夷の花が咲いている朝は、どんな健康な人だって憂鬱を感じたものです。
 しかも、その季節の朝は、決まってどんよりと曇った朝だったりして。
     〔答〕 曇天に身体も魂(たま)も誘(いざな)はれ辛夷の朝をひとり欝なる  鳥羽省三


(西中眞二郎)
    沖縄の夜明けは遅し ほの暗き外眺めつつ朝食を摂る

 つい先日、標準時が一つの中国と、標準時が四つのロシアとを比較しての論を、朝日新聞で読んだばかりですので、大いに興味を引かれた作品です。
 大相撲九州場所が開かれていた福岡では、結びの一番が終わってからも西空が明るいのですね。
 十一月末だというのに。
     〔答〕 入り悪しき九州場所は横綱が負けた後でも空が明るい  鳥羽省三


(穴井苑子)
    やみくもにきみを傷つけたくなくて専門店で選んでる縄

 「きみ」を絞め殺すつもりなのでしょうか? 
 「専門店」で買った「縄」で。
 そういう土壇場に立たされても、「やみくもにきみを傷つけたくなくて」と思うのは、やはり愛情なんでしょうね。
 <悪女の深情け>と言う。
     〔答〕 どの縄で絞め殺されても痛むのは身体の傷より心の傷だ  鳥羽省三
 

(庭鳥)
    種子島火縄の島は平成もシャトルを飛ばしその名知らしむ

 そう、あの種子島は、戦国の昔も平成の今も時代の脚光を浴びているのだ。
 しかし、種子島でのスペースシャトル実験は、事業仕分けの対象にされたのではありませんでしたか?
     〔答〕 庭鳥が二羽遊んでる庭に居て織田信長は実弾射撃     鳥羽省三
         真帆ちゃんが臍を噛んでるリンクにて織田信成は四回転半  同


(わだたかし)
    大縄に入っていけないもどかしさ 「好き」が言い出せないもどかしさ

 そう、どちらももどかしい。
 「大縄に入っていけない」ような自分だから、「好き」の一言が「言い出せない」。
 「好き」の一言が「言い出せない」ような自分だから、「大縄」にも「入っていけない」。
 庭鳥さんが先か、わだたかしさんが先か?
     〔答〕 大縄に入って行けぬも恥かしく入って行った時も恥かし  鳥羽省三


(森山あかり)
    タイミング合わせられずに俯いて回り続ける縄を睨んだ

 運動神経が鈍いと言うか、度胸が無いと言うか、私も亦、あの大縄には飛び込めませんでした。
 でも、別に「回り続ける縄を睨んだ」りはしませんでしたけど。
     〔答〕 大縄に入れぬままに故郷を出でし悲しみ消ゆる時なし  鳥羽省三 


(蓮野 唯)
    縄跳びが飛べない事の言い訳を聞いてもらえぬ体育の授業

 尻取り短歌とは言え短歌。
 短歌だから、当然と言えば当然のことですが、この一首には、<行間>というものがありませんね。
 「詠んで字の如く、読んで字の如し」の作品です。
 一目瞭然、これ以上申し上げることはございません。
     〔答〕 体育の授業で文句たらたらと述べる教師は嫌われていた  鳥羽省三


(迦里迦)
    「かがなべて夜にはここの夜・・」縄なひつ歌ひつ焔に笑む爺がゐた

 一瞬、記紀歌謡の世界に迷い込んだようにも思ったが、それは錯覚で、この一首は、作者<迦里迦>氏の幼時の実体験なのかも知れません。
 でも、元の国文学徒としては、<かんたん短歌>の密林の中でこんな作品と出逢ったのは、シルクロード沿いの街のバザールの中の人込みの中で、<ふるさとびと>に出逢ったようで嬉しかった。
 とても嬉しかった。
 ぼく嬉しかったよ。
     〔答〕 かがなべて夜には二晩 あまりにもなう縄多く批評難渋  鳥羽省三


(ひいらぎ)
    強引に縄で繋いだ赤い糸ではあまりにも頼りないから

 <ゆっくり短歌>の<ひいらぎ>さんに、「強引」は似合わない。
 し慣れないことをすると、赤い糸が途切れますよ。
 せっかく好いて好かれたご主人様ではありませんか。
 ほどほどの弛みを持たせて泳がせるのが鵜飼いの極意だと聞いています。
 それとは別に、<かんたん短歌>の世界で、<二句切れの短歌>とは珍しい。
 お宅様のご主人様と一緒で、この世界では、<絶滅危惧種>と申しても宜しいでしょう。
 しかも下の句では、<句割れ><句跨り>という離れ業を使っていらっしゃる。
 大事にしなさい。ご自分の才能を。ご主人さま同様に。
     〔答〕 強引に縄で繋いだつもりでも山羊は食べるの荒縄などは  鳥羽省三 


(はづき生)
    縄投げをするカウボーイ今市のウエスタン村野外劇場

 <日光江戸村>に行くつもりで出掛け、その手前の「今市のウエスタン村」に入ってしまって失敗した、という話を聞いたことがあります。
 この両者を比較してみると、入場料金は「ウエスタン村」の方が断然安いのですが、面白さという点では、「ウエスタン村」が「江戸村」に<イマイチ>敵いません。
 そのせいでしょうか、最近、「今市のウエスタン村」の入場料金が、以前よりイマイチもイマニも下がったそうです。
     〔答〕 あの入りじゃ早晩廃村するかしら? 「ウエスタン村」ホールドアップ  鳥羽省三


(理阿弥)
    そぼ濡れた子が眺め遣る廃屋に虎斑の縄のぐるり廻りて

 こちらは廃村ならぬ「廃屋」風景。
 「虎斑の縄のぐるり廻りて」が、事態の哀れさを印象づけている。
 「そぼ濡れた子」は、そんな哀れな光景を、どんな気持ちで「眺め遣る」のでしょうか。
     〔答〕 竹矢来張り巡らせし阿部屋敷想ひ出さする炭住廃屋  鳥羽省三
 「阿部屋敷」とは、あの森鴎外の『阿部一族』が立て篭もる屋敷のことです。  


(たざわよしなお)
    FREEDOMと書いたTシャツ脱がせれば腰に縄目の日焼け跡あり

 「FREEDOMと書いた」が効いている。
 その「Tシャツ」を脱がせるのも「FREEDOM」。
 さらに進んで、なにするのも「FREEDOM」というわけですか?
 でも、その「Tシャツ」を「脱がせれば腰に縄目の日焼け跡あり」。
 「縄目の日焼け跡」は、その女性が海辺でも外さなかった、縄目文様のベルトか何かの跡でしょうが、江戸時代の<島抜け女>をも思わせて面白い。
     〔答〕 諸肌を脱げば桜の花吹雪「悪党往生しろ」との声が  鳥羽省三


(かりやす)
    喪服の腰に藁縄しめる習はしを祖母の葬儀で初めて知りぬ

 民俗学的興味から選ばせていただきました。
 我が国の、何処かの集落の葬送習俗の一つとして、そんな風景が未だに見られるのでしょうか。
 私は、柳田国男氏の最晩年の弟子と言われる先生から、日本民俗学のほんのサワリを教わっただけの者ですが、本作と出合って、あの頃を思い出しました。
     〔答〕 荒縄で棺桶吊った葬列に出逢ったことが私にはある  鳥羽省三


(冥亭)
    荒縄を解きてヨハネのバプティズマ永久にイエスを愛にて縛す

 <運命的な出逢い>ということが在って、「私と彼女との出逢いは、まさにそれでした」などと、何処かの国の宰相が仰ったとか、仰らないとか?
 でも、そんな出逢いはあまりにも小さくて、羨ましがるにも批難するにも値しない。
 本作で描かれている、「バプティズマのヨハネ」と「イエス」との出逢いこそ、まさに、人類史上最高にして至高の<運命的な出逢い>。
 その<運命的な出逢い>の瞬間、イエスは永久にバプティズマのヨハネの「愛」にて縛られた、という断定に、私も賛同します。
 もっとも、それと似た考え方を、あの「薔薇族」の方々がかなり昔からしておりましたけれど。 
     〔答〕 吾は汝(な)にヨルダン河で出逢わねばゴルゴダの丘登らなかった  鳥羽省三
         究極の愛で縛せし者にのみ天が与える茨の冠            同


(春待)
    縄抜けを覚えたけれど規則には縛られたままネクタイ締める

 「縄抜けは覚えたけれど」とは、<島送り>の運命に立たされた江戸時代の盗人の言った言葉でしょうか?
 それとも、某国の少数民族の雑技団の少年が言った言葉でしょうか?
 そのどちらにしても、その彼らが、日本の現代社会にぽっかりと現れ出て、「規則には縛られたままネクタイ締める」とは面白い。
 計算された、そのミスマッチが面白い。
     〔答〕 ネクタイを締めるの辞めたこれからは縄抜け芸で生きていこうか  鳥羽省三


(のびのび)
    観光に来るのとここで暮らすのは違うよそれでも沖縄に住む?

 沖縄観光のPRの決まり文句は、「青い海と空、美味しい食べ物、のびのびとした暮らし」。
 だが、その実情は、「広い基地、耳を劈く爆音、目に余る米兵の横暴」。 
     〔答〕 のびのびと暮らせるなんて思うなよ今ではハブも首竦めてる  鳥羽省三


(七十路ばば)
    釣瓶井戸縄朽ちたれば父さんと新縄綯(な)いしも昔語りよ

 釣瓶井戸の縄が朽ちた秋は、父さんと一緒に新藁使っての縄ない。
 大雪が窓を塞ぐ冬は、息子と一緒に汗を流して雪かき。
 でも、今となっては、それも夢のまた夢。
 父さんは十年前に亡くなり、息子はもっと前に東京に出て行った。
     〔答〕 父さんが夜なべをしてなった縄その縄朽ちて釣瓶使えず  鳥羽省三


(祢莉)
    首に縄つけるくらいでちょうどいい誰か私を飼いならしてよ

 「とかく御し難いのは暴れ馬とじゃじゃ馬」。
 <御す>とは乗りこなすことであり、<じゃじゃ馬>とは、親の言うことを聞かない娘のこと。
  また、<暴れ馬>と同様に、「首に縄」もつけられないのが<じゃじゃ馬>のじゃじゃ馬たる所以。
     〔答〕 首に縄つけられないから困ってる飼いならすのはそれからのこと  鳥羽省三


(五十嵐きよみ)
    縄跳びに次つぎ入る気安さで集まり家族と呼び合えばいい

 その昔、「千石イエス」という持て持て男が居て、広げた大風呂敷の中に「次つぎ」に入って来る女性たちを家族と呼び、気安い暮らしをしていたことを思い出しました。
     〔答〕 千石の舟も船頭舵無くば波に揺られて流されるまま  鳥羽省三


(石焼妹子)
    縄とびを飛んでる皆を隅っこで見ているようないつもの合コン

 さだまさしのご令妹の令子さん。
 ついこないだ見たら、眼鏡など掛けて、「元旦は両国国技館にどうぞ」などと書いた看板を持って突っ立っておりました。
 あの方も、いい加減に禿げ兄貴の世話など辞めて嫁に行けばいいのにね。
 でも、兄貴の背負った借金返しで忙しいから、「合コン」にも行けないのかしら。
 それとも、<石焼妹子>さんと一緒で、合コンに行っても、いつも会場の「隅っこ」で突っ立っているばかしなのかしら。
     〔答〕 大縄を飛んでる皆を尻目にし綾取りしなよ彼と二人で  鳥羽省三 


(磯野カヅオ)
    梅雨冷えに井の汲みがたき心地せば釣瓶の縄を深く下ろせり

 田舎家の庭の梅雨時の風景を詠むかに見せかけて、実は、冷え切った妻の心に悩む動作主の心理を詠んでいるのである。
「梅雨冷えに井の汲みがたき心地」とは、インド帰りの自分に冷淡に振舞って、最近碌々ものも言わない妻の態度に脅えている作者の気持ち。
 <疑心暗鬼を産む>とはこのこと。
 そんな彼女の心を読み取ろうとして、磯野カヅオ氏は、釣瓶井戸の桶の水漏れを防ぐために「釣瓶の縄を深く下ろ」すが如く、沈思し黙考するのである。
 それとは別に、使わない釣瓶井戸の桶は水に沈めて置くのが鉄則。
 そうしないと、桶が乾燥してしまって水が漏るからである。
 「梅雨冷えに」が佳い。
 妻の冷淡は、梅雨時の一時的な現象なのである。
     〔答〕 梅雨冷えに汲み難き井なら尚更に汲んで茶を立て心温めよ  鳥羽省三


(tafots)
    図書室の縄文土器のレプリカを毎日撫でていた夏休み

 「保健室登校」とか「図書室登校」とか言う言葉がある。
 何かの事情で登校しても教室に居られない生徒が、保健室や図書室に行って勉強することを指す。
 本作の動作主の場合は、それとは少し事情が異なるだろうが、他の生徒たちが海へ山へ予備校へと出掛け、青春を謳歌し苦悩しているのに、この生徒は夏休みじゅう図書室登校をして、事もあろうに「縄文土器のレプリカを毎日撫でていた」とは、異常も異常、これ以上無いくらいの異常である。
 夏休みはかくあるべし。
 「 麦藁帽子はもう消えた/田んぼの蛙はもう消えた/それでも待ってる夏休み// 姉さん先生もう居ない/きれいな先生もう居ない/それでも待ってる夏休み// 絵日記つけてた夏休み/花火を買ってた夏休み/指折り待ってた夏休み// 畑のトンボはどこ行った/あの時逃がしてあげたのに/一人で待ってた夏休み// スイカを食べてた夏休み/水まきしたっけ夏休み/ひまわり夕立蝉の声」(『夏休み』吉田拓郎)
     〔答〕 どうせなら女土偶のお尻でも撫でりゃ良かった君の夏休み  鳥羽省三


(ほたる)
    聞こえないふりをしたくて縄編みのニットキャップは耳まで覆う

 勝手にしなさい。
 「耳まで」覆おうが目も覆おうが尻も覆おうがほたるさんの自由です。 
     〔答〕 聞こえないふりをしててもラブゲーム手編みニットは耳を塞がぬ  鳥羽省三


(キャサリン)
    網走の網で網潜り沖縄の縄で縄跳びどっちでいいわけ

 そりゃー「沖縄の縄」での「縄跳び」の方がいいに決まってる。
 この寒い冬に、「網走の網で網潜り」などしてたら、凍えて死んでしまうから。
     〔答〕 琉球の球での野球 埼玉の玉でのパチンコ遊んでばかり  鳥羽省三


(月下燕)
    「おかえり」と迎えてくれる屋久島の縄文杉のようでありたい

 冬になると、「燕」は屋久島に帰るんですか。
 「おかえり」と言って迎える、縄文杉に逢うために。
     〔答〕 「お帰り」も言わず迎えるくちなしの花の盛りはまた北へ飛ぶ  鳥羽省三 


(遥遥)
    縄文の時代に縄はなかったから大人はうそつきだいっ嫌いだ

 日本史の教科書に拠ると、稲作が始まったのは弥生時代。
 したがって、それよりも更に遡る縄文時代には、稲藁でなった縄は無かったはず。
 本作の作者の呈した疑問は、一面的には、的を得ているとも言えよう。だが、
     〔答〕 芦の穂や棕櫚にてなった縄も在る縄文土器の縄目はそれか?  鳥羽省三


(風天のぼ)
    冬の夜の波にのまれるここちして大縄跳びにまだ飛び込めぬ

 「冬の夜の波にのまれるここちして」という比喩が宜しい。
 だが、「冬の海の波に飲まれる心地して」とする手も在ったのではないでしょうか?
     〔答〕 煉獄の炎に呑まれる心地して未だ飛び込めぬバンジージャンプ  鳥羽省三
 

(眩暈丸)
    父親の仕事は縄師SMの俺は会社に縛られている

 SMの縄師の仕事は、知的労働に当たるか?
 単純作業に当たるか?
 作業としては極く簡単だが、観客の目を奪うのはなかなか頭の要ること。
     〔答〕 父親の仕事は旗師出物屋の俺は旗振り工事現場の  鳥羽省三


(橘みちよ)
    火縄銃かつぎて山野かけめぐるマタギの生活おもひみるべし

 現代文壇のマタギ小説の大家・熊谷達也氏作の『相剋の森』『邂逅の森』などに登場するマタギたちの使っている銃は、確か「火縄銃」ではなく、村田銃であったように思いますが、マタギが「火縄銃」を担いで「山野」を駆け巡っていた時代があったのでしょうか?
 もし、あったとすれば、火縄銃の火持ちの悪さと、発射までの時間の長さとが相俟って、彼らの「山野」での「生活」は艱難辛苦を極めたものであったに違いありません。
 まさに、「マタギの生活おもひみるべし」でありましょう。
     〔答〕 真夏でもスーツ着こなし就活の彼らの苦悩を想いみるべし  鳥羽省三  

 
(花夢)
    これまでに摘み取ってきた愛情を縄で縛って軒下に干す

 「縄で縛って軒下に干す」という下の句は、一気呵成のスピード感が佳し。
 それとは別に、「愛情」を「摘み取ってきた」とは、どんな意味ですか?
 そもそも、彼女は彼に愛情を持っていたんですか?
 それとも、持っていなかったんですか?
 「縄で縛って軒下に干」した愛情は、愛情の干物。
 その干物の愛情を水で戻せば、愛は復活するんでしょうか?
     〔答〕 これまでに君に貢いだ現ナマをそっくりそのまま返しておくれ  鳥羽省三


(遠藤しなもん)
    連れてく気ないなら言うな 沖縄でハブに噛まれてしまえばいいわ

 そんなにふて腐れなくても宜しいんじゃございませんこと。
     〔答〕 歳末の大売り出しの籤当たり今度はハワイ今度はカップル  鳥羽省三 


(桑原憂太郎)
    月曜の朝に起こつた案件の縄を編むうち金曜になる

 喫煙のお仕置きは縄吊りの刑ですか。
 授業に、生徒指導に、部活にと、教師の生活は忙しく、あっという間に金曜日になってしまう。
 ところで桑原先生。
 私が現役の頃は<週六日制>で、土曜日も仕事でした。
 今は、土曜日も休みですか。
     〔答〕 現役を退きしいま毎日が暇な日曜暇だ寝てよう  鳥羽省三

    
(bubbles-goto)
    要するにみんなで縄をなうわけだ さいばんいんのつうちがとどく

 いいえ、みんなで愛の鞭を作るのです。
 裁判員裁判制度とは。
     〔答〕 縄なうも愛の鞭(しもと)で鞭打つもみんなでやれば恐いことない  鳥羽省三


(笹本奈緒)
    わからないなりに言いたいフレーズは お控えなすって お縄ちょうだい
 
 今は斜陽の「任侠路線」、そして「捕り物帳路線」ですか。
 「お控えなすって」、かっこいい。
 「お縄ちょうだい」、これも言ってみたいですね。死刑にならないなら。 
     〔答〕 わからないなりに食べたいスイーツは<パティスリーサン・ミシェル>謹製「とろーり苺のフロマージュ」
                                                 鳥羽省三
                        

(お気楽堂)
    禍は足りているからこののちは福が来ないと縄が綯えない

 「福・禍・福・禍・福・禍・福・禍・福・禍・福・禍・福・禍・福・禍」。
 「わーい、今度は福の番だ。歳末宝くじを十枚買うぞ。」
     〔答〕 順番に「福・禍・福・禍」と来るならばお気楽なこと「福」で死ねば「禍」だ  鳥羽省三


(おっ)
    結び目が重しになっていつもより風を多めに裂いた縄跳び

 「結び目が重しになっていつもより風を多めに裂いた縄跳び」という着想が秀逸。
 <FⅠ>が風を裂いて走るように、「縄跳び」の縄も亦、風を裂いて回るのか。
 また一つ物識りになった。
     〔答〕 オランダの風車が風で回るとき画家のゴッホは胸を裂かれた  鳥羽省三

 
(近藤かすみ)
    太毛糸の編み目たまゆら休ませて縄に捩じりぬともしびの下

 <着てはもらえぬ>ブランドのセーターの製作手順を説明したものである。
 さすが、近藤かすみさん。
 何をどう詠んでも歌になる。
     〔答〕 編み棒の動きたまゆら休ませて歌を考じる近藤さんは  鳥羽省三


(惠無)
    身の丈を知りつつくぐる注連縄に今年こそはと祈る平穏

 この場合の「身の丈」とは、文字通りの「身の丈」と、もう一つ「身の丈ほどの願い事」の「身の丈」。
 その昔の神社の注連縄は、参拝者の姿勢を低くさせ、ご神体の価値を相対的に高めるために、出来るだけ低く張り渡したものだ、と聞く。
 「参拝者の姿勢と物価は低ければ低いほどいい」とは、<まるビ>印の評者の弁。
     〔答〕 注連縄に祈ってみても叶わない平穏祈るは賽銭箱前  鳥羽省三 


(今泉洋子)
    杵島山の竪穴の奥の暗闇に縄文人が隠れてゐさうな

 「杵島山の竪穴の奥の暗闇に」隠れているのは「縄文人」ではありません。
 それは、本作の作者の秘めごと。
     〔答〕 名も知らぬ杵島山の竪穴の闇に交はせし秘め事ゆかし  鳥羽省三  


(月原真幸)
    縄よりも細い たとえばカタン糸みたいなものでつながっている

 「カタン糸」に具体性が感じられる。
 だが、「カタン糸」にも色々在って、この場合は極細の120番手のカタン糸でしょうか。   
     〔答〕 太ければ良いのは神社の注連縄で赤い糸なら細くても佳い  鳥羽省三


(内田かおり)
    人混みの中のひとりの足取りに小さく作る縄張りがある

 作者の観察眼は鋭くて細かい。
 人込みの中の人の足取りを見ているのだ。
 人込みの中の一人一人の足取りは、それぞれ、「此処から此処までが私の縄張りだぞ。だから、わたし以外の者は、この範囲には踏み込むな」とでも主張しているようにも見える。
     〔答〕 足元と肩とで縄張り主張して誰もが歩む人込みの中  鳥羽省三 


(kei)
    腕いっぱい回す縄跳び十人が順に飛び込む異界の扉

 大縄跳びの縄に身を投じた瞬間、人は誰でも、異界の扉の向こうに身を投じたことになる。
 その扉の向こうには、鬼が居るのか蛇が居るのか?
 十人が十人とも、大縄の前でたじろぐのは、そのせいである。
     〔答〕 青空を縁取って回る大縄は現世来世の境目として在る  鳥羽省三


(兵庫ユカ)
    友だちになって下さい風の中わたしが垂らしている縄梯子

 その「縄梯子」は、まるで釣り糸みたい。
 掛ったら最後、「友だち」として愛撫され、二度と自由の身になれない。
     〔答〕 友だちになれると信じ食いついた後は刺身か照り焼きにされ  鳥羽省三


(田中ましろ)
    縛りあげ鞭をうならせ果てたあと放課後みたいに解かれる

 「放課後みたいに解かれる」が効いている。
     〔答〕 SMの果てにし後の静寂は放課後に似て何故か安らぐ  鳥羽省三


(勺 禰子)
    導かれたるごと道にまよひ来れば注連縄めぐりて楠鎮まれり

 「楠鎮まれり」が絶妙。
 何者かの手によって導かれたような思いで辿り着いた鎮守の杜。
 そこは安息の場であり、異界でもある。
     〔答〕 蒼々として広ごれる楠の葉はこの世鎮むる禊の衣装  鳥羽省三


(里坂季夜)
    八ヶ岳・沖縄・台北すこしだけ星が近くに降りてきた場所

 沖縄や台北の夜は、八ヶ岳の夜のように暗く、星が身近に見えるのですか?
     〔答〕 汐留の夜はきらきら輝くもあれは星でも未来でもない  鳥羽省三


(フワコ)
    静かなる山の納骨堂の中縄文土器の欠片も眠る

 本作の作者の<フワコ>さんは、「山の納骨堂」に、亡き人のお骨と一緒に、縄文式土器の破片を葬って来たのでしょうか?
     〔答〕 縄文の土器の破片は温かく亡き人々の魂(たま)も慰む  鳥羽省三

〔追い書き〕
 上記作品の作者<フワコ>様から、十二月二十三日の早朝、次のようなメールを頂戴した。

 遅ればせながら
 取り上げていただきありがとうございます。

 わたしは某婦人保護施設に勤務しているのですが、ここに教会と納骨堂があり前施設長夫妻、帰るところのない利用者らの遺骨が安置されています。そして、敷地(旧日本軍用地だった山です)から出て来たという縄文土器の欠片や近くの海辺で拾ったらしい貝殻などが入ってるガラスケースもあって。
 なかなか良いところですが私は納骨堂より土に還るほうがイイなぁ~と思います。

 <フワコ>様、大変有り難うございます。
 御作について、ほんの一言、オマージュを寄せたというご縁で、かくも丁重なるメールを賜わりました。
 この年の瀬に、お仕事、大変だとは思われますが、何卒、お体には十分にご注意なさってお働き下さい。
 また、「見沼田圃~」わ宜しくお願い申し上げます。  
                         鳥羽省三


(星川郁乃)
    わが裡にうすく流れる縄文の血を呼んでいるこの森の奥

 縄文人は弥生人と比較して、かなり凶暴で動物的なイメージが強い。
 本作の作者・星川郁乃さんの身体にも、そうした縄文人の血がうすく流れているのでしょうか?
 その「血」を「呼んでいるこの森の奥」。
 そこに待っているのは何か?
     〔答〕 その森の奥に待つのは惨劇か? 星川郁乃絶体絶命  鳥羽省三


(ME1)
    破綻した論理を一糸ずつ紡ぐ糾える縄 禍福混色

 「禍福混色」のネクタイ、つまり白と黒のまだらのネクタイを私は持っています。
 結婚式用と葬式用を兼ねるつもりで買ったのですが、未だ出番が無く、この頃はすっかり色褪せました(笑い)。
     〔答〕 破綻した論理を紡ぐ方法をどうぞ私に教えて下さい  鳥羽省三


(寺田ゆたか)
    糾へる縄のごとくに寄り添ひし四十九年のときの短さ

 この度の奥様のご逝去、衷心より哀悼の意を表します。
 「禍福は糾える縄の如し」などと申し上げてもお気休めにもならないとは存じますが。
     〔答〕 寄り添いて四十九年の歳月を四十九日で送る空しさ  鳥羽省三  

今週の朝日歌壇から

○  三角のニ辺を通るほかはなき京の真中のまたしぐれけり    (神奈川県) 中島さやか

 上の句の「三角のニ辺を通るほかはなき」は、京都という街の特徴を表わしているものであろうが、下の句中の「またしぐれけり」も亦、この季節の京都の気候の特徴を表わしているものであろう。
 決して見逃してはならない。 
     〔答〕 神奈川の師走のそれに較らぶれば京の師走の時雨の多き  鳥羽省三


○  土曜日はサンダルの底ひきずりて時速2キロでゴミ出しに行く  (川崎市) 川島隆則

 「サンダルの底ひきずりて時速2キロで」は、「ゴミ出し」という仕事に対する気持ちの在り方を示しているのでありましょう。
 でも、「ゴミ出し」は、昨今、最も注目を浴び、拍手喝采をされている仕事、即ち「事業仕分け」の一種でもありましょう。
 恥じるに足らず。
 臆するに足らず。
 歩武堂々と進め。
     〔答〕 隔日に足音軽くゴミ出しに行くのが僕の決まった仕事  鳥羽省三

 
○  満月に投網を掛けるごとくにも寄せては返す椋鳥の群れ    (南アルプス市) 中島利夫

 「満月に投網を掛けるごとく」とは卓越した直喩。
 「寄せては返す椋鳥の群れ」は写生として素晴らしい。
     〔答〕 ステージを紗幕で閉づる如くにて刹那に曇る湖の景  鳥羽省三


○  霜月の湾の日暮れのはやきこと声掛け合いて釣竿納む     (舞鶴市) 吉富憲治

 私の記憶では、本作の作者・吉富憲治氏は、つい先ごろまで米国に滞在していて、彼の地から朝日歌壇に傑作を寄せられていた。
 その吉冨憲治氏の傑作を、舞鶴市在住者の作品として読ませていただいていることの不思議さ。
 「声掛け合いて」が一首の効き目。
 この「声掛け合いて」は、釣り師たちの礼儀でもあろうが、自分が釣竿を納めた直後に、未だ竿を納めていない者の釣竿に大物がかかって、釣竿を納めてしまった者が悔しがった、というのはよく聴く話。
 その「よく聴く話」を未然に防ぐため、釣り師たちは、「そろそろ竿納めと行きませんか」などと、お互いに声を掛け合うのだそうだ。
     〔答〕 霜月の舞鶴湾の寒きこと五枚重ねで朝釣りに行く  鳥羽省三


○  鍵せざる家にして日々闖入者 滑子・大根・葱・ブロッコリー  (佐渡市) 小林俊之

 本作の作者は、「鍵せざる家に」「日々」、「滑子・大根・葱・ブロッコリー」などの「闖入者」が現れることを、嬉しいこと、田舎暮らしの素晴らしさ、と捉えて一首を成しているのであろう。
 だが、それを、ある日突然、煩わしいこととして捉えなければならないことにもなるから、田舎暮らしは、時に素晴らしく、時にままならぬものである。
 「闖入者」に、作者のユーモア精神が感じられ、「滑子・大根・葱」と漢字ばかりを並べた後の「ブロッコリー」というカタカナが効いている。
     〔答〕 鎖さざれば犬・猫・鼬、時として獅子舞なども入り来る我が家  鳥羽省三  


○  雨降ればハロワへ行けぬ寝転びてひとりながめる小津安二郎   (福岡市) 人捨 無

 職業安定所が<ハローワーク>という呼び名に変わったことを、つい最近、知ったばかりの私ですから、その「ハローワーク」を「ハロワ」という略称で呼ぶ歌人の登場には吃驚しました。
 「人捨無」という作者名にも驚嘆。
 公田耕一氏の再来かも知れない。
     〔答〕 無為徒食ごろり寝転びビデオ見る毎日日曜気ままな暮らし  鳥羽省三 

一首を切り裂く(051:言い訳)

(蓮野 唯)
    言い訳が更なる災い呼び起こす謝罪は一言「ごめんなさい」で

 言い訳けにはなりますが、尻取り短歌として、これほどの傑作を見落としていたのは、私の不徳、不勉強の致すところでした。
 こめんなさい。
     〔答〕 ひとことの「ごめんなさい」を記し添え、この一文を巻頭に置く  鳥羽省三 


(久哲)
    おしっこで溶いた紅から流れ出す空の彼方の言い訳小焼け

 夕焼けにも、大胆で潔い夕焼けとそうでない夕焼けがある。
 その日、久哲氏が遭遇した夕焼けは、どうやら後者の方の夕焼けだったのでしょう。
 お気の毒さまでした。
 あまりにもささやか過ぎて、子供仲間のお誕生会に招かれながら、プレゼントとして、駄菓子屋の<うまか棒>しか持ってこなかった坊やの「言い訳」みたいな夕焼け。
 「おしっこで溶いた」食紅から流れ出す、赤い色のような貧弱な夕焼け。
 「こんな始末では、皆さんに顔向け出来ない」なんて、夕焼け自身が「言い訳」しているような夕焼け。
 そんな可愛そうな夕焼けに出逢ってしまったのでしょう。
 重ね重ねお気の毒さまです。
     〔答〕 おとついの鱈子ご飯のささやかな朱色にも似た淡い夕焼け  鳥羽省三
         夕焼け小焼けで日が暮れて鳥羽はオケラで金がないから帰ろそろそろ  同
 

(野州)
    開店の祝ひのタオル渡されて言ひ訳の多い料理店を出る

 脱サラした旧友が中華料理店を開いたという噂。
 <その嘘ホント>てな気持ちでいたら、間も無くご当人から、「どうぞおみ足をお運び下さい」などと書いた手紙を頂戴した。
 そこで、その噂を耳にして、私同様に<その嘘ホント>てな気持ちになっていた友達三人と一緒に、ささやかな開店祝いの品なども携えて出掛けてみた。
 すると、掘っ立て小屋みたいな建物を、自分一人でリフォームしたような店構えで、そのオーナーたる旧友は、「いゃー、申し訳ない。こんな無様な店構えで申し訳ない。私の作った酢豚もイマイチで申し訳ない。それなのに、お祝い
までいただいて申し訳ない。本来ならば、料金など頂戴すべきでないのに頂戴して申し訳ない」などなど、終始一貫しての言い訳ばかり。
 そして、お帰りの段に及ぶや、「ほんの気持ちばかりの品ですが」などと、またまた言い訳をしながら、何か薄っぺらな物を手渡した。
 最寄り駅で帰りの電車を待つ間に、熨斗紙つきのポリ袋を破ってみたら、「中華料理店・ダツサラ」と染め分けた、貧弱なタオルであった。
     〔答〕 閉店の噂を聞いて出掛けたら、「ご愛顧感謝」の札がぶらぶら  鳥羽省三


(理阿弥)
    美濃菊の態とがましき大輪は去年(こぞ)の不義理の言い訳なるらむ

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に拠る、「美濃菊」の解説。

 曰く、「美濃菊(みのぎく)は、菊の品種のひとつである。古典園芸植物江戸時代中期に各地方の権力者により保護奨励され、地域独特の品種改良が行われ現代に至る「古典菊」に分類される。主に美濃地方で発達したものであることから「美濃菊」と命名されている。優雅に広がる大輪と帆立て花弁の珍しさから全国に広まり、各地で美濃菊の展示会が行われ保存会が組織されている。また、そのイメージから日本酒などの商品名に採用される場合が多々見られる。」と。
   (無断引用、深く深くお詫び申し上げます。)

 それまで知らなかったことを、何かのきっかけで知るようになったりすることは、この世に生きている人間の幸せの一つである。拠って、本作をお詠みになられ、無学な私に、「美濃菊」を知るきっかけをお与え下さった、<理阿弥>氏にも深謝。
 
 それはそれとして、美濃菊の開花にも、他の作物と同様な<隔年現象>が在るのでしょうか?
 「美濃菊の態とがましき大輪は去年の不義理の言い訳なるらむ」という一首は、そうした私の推測が、あながち間違ってもいないことを証拠立てて下さる。
 「美濃菊の態とがましき大輪は」の「態とがましき」が佳く、「去年の不義理の言い訳なるらむ」の「不義理の言い訳」も亦、佳し。
     〔答〕 長男が<美濃菊・飛水>を呉れたのは脛を齧ったお詫びなるらむ  鳥羽省三 


(水口涼子)
    親を呼ぶメジロの雛を木の又に戻していたと言い訳されて

 何かの不始末の「言い訳」として、動物の世話はよく使われる手である。
 「いつもいつも遅刻してばかりなので、今日こそは定刻前に行って、会場設営のお手伝いをさせていただこうかと思って、玄関先まで出たら、なんとあなた、今日も今日、猫の額ばかりの寓居の庭に生えている柿の木に巣を架けていたメジロの雛が地面に落っこちちゃって、それでも親鳥を呼んでるらしくて、悲しそうな声でさえずってるんですよ。わたしゃ亦、お見かけ通りのお節介焼きなもんですから、巣まではともかく、せめて巣の下の<木の又>まで戻してやろうと思ってさ、・・・・・・」などなど、言い訳されて。
     〔答〕 「今日も亦、遅刻でした」の言い訳に飼いもしてないメジロまで出す  鳥羽省三


(龍庵)
    二時間も言い訳すれば絶対にシェークスピアの語彙は越えてる

 「シェークスピアの語彙」は、一体、どれ位のものなのかしら? と思ったのであるが、その種の書物は、今回の転居に際して、全て灰燼に臥してしまったので、手も足も出なかった。
 インターネットで調べても、それらしい記事に出会わなかった。
 で、どうしたもんでしょうね、龍庵先生。
 どうぞ、ご教授下さい。
 
    〔答〕 持ち時間のあらかた使い言い訳をしているばかりの禿の歌い手  鳥羽省三
 と言っても、私が最近、解剖は始めた、あのお方のことではありませんよ。
 歌手の老齢化が進行し、今や、その三分の二くらいがアデランスのお世話になっているという情報もあるんですよ。
 でも、彼等の頭の中は空っぽだから、「言い訳」はしようにも出来ない。
 だから、やっぱり、「禿の歌い手」とは、あのお方ということになるのかしら。
 

(わらじ虫)
    言い訳とキスが上手になっていた赤の他人じゃないだけのひと
 
 「赤の他人じゃないだけのひと」とは、どういう「ひと」なんでしようか?
 彼女と彼との関係は、どの程度までの関係なんでしょうか?
 なかなかに面白い言い方です。
     〔答〕 それなりに深い縁(えにし)のやつだけど言い訳ばかりじゃキスもさせない  鳥羽省三
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