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一首を切り裂く(031:てっぺん)

(久哲)
   凹側のてっぺんとしてマリアナ沖海溝1万1千メートル

 文句無しの巻頭である。
 「地球上の、海抜より高い所を<凸側>とし、低い所を<凹側>とする」といった発想は、まさに天才バカボン(失礼、バカボンは余計)久哲さんならではの、奇抜にして斬新な発想かと思われます。
 誰もが難渋する、お題「てっぺん」を詠むに当たって、このような奇抜な言葉を思いつき、他人の作品を貶すことを生き甲斐にしている鳥羽省三を脱帽させたのは、久哲さんが、あの宮廷歌人・○井某氏から言葉を掛けられて、メロメロとなるような軟で雑な男でないからでありましょう。
 おめでとう。久哲さん。
 今日の日の喜びを記念して、私・鳥羽省三は、五次元歌人・久哲さんに、次の一首を贈呈致します。
 この一首と巻頭の一首、「凹側のてっぺんとしてマリアナ沖海溝1万1千メートル」とを一対となし、ご自身の代表作として、幾久しく愛唱して下さい。
    〔答〕 凸側のてっぺんとしてのエベレスト現地の人はチョモランマと呼ぶ


(髭彦)
    てっぺんのさびしくなれる頭をばザビエル禿げと呼びしひとあり

 高校の社会科研究室に屯している面々は、校内切ってのうるさ型揃い。
 「ザビエル禿げ」という名誉あるニックネームを奉られたのは、非組で付き合いの悪い社会科主任なのかも知れない。
 同僚から奉られた、このニツクネームは、やがて全校生徒の知るところとなり、日本史担当の<ザビエル禿げ氏>が、ご本尊の名を口にする度毎に教室中から爆笑が起こるだろう。
    〔答〕 額髪の後退したる教師をば東京湾と名付くるが佳し 


(西中眞二郎)
   理容師の掲げる合せ鏡見ればてっぺんかなり薄くなりたる

 本作の作者・西中眞二郎さんが髭彦さんの同僚でなくてよかった。
 もし、同僚ならば、頭の「てっぺん」が「かなり薄く」なった西中真二郎さんは、「ザビエル禿げ一世」として、謎彦さんの元勤務校に君臨したことであろう。
    〔答〕 理容師も合せ鏡を掲げては自分の禿げの手当てしている


(磯野カヅオ)
   原罪をジェンガのごとく積み上ぐるカルペ・ディエムのてつぺんにをり

 「カルペ・ディエム」とは、イタリア人、マウリツィオ・アルティエ(1966年~)が設立した、靴、レザー製品などの製作工房の名称であったが、その後、その製品が服飾全般にまで拡大し、「カルペ・ディエム」の名は、今では、世界的人気ブランドとして知られるようになった。
 本作は、そのブランドを直接詠んだものではなく、その由来となったラテン語の意味、「今、この瞬間を生きる」、「その日を摘め」などの言葉との関わりで詠まれたのではないだろうか、とするのが私の考えである。
 もし、そうならば、作中のもう一つのカタカナ語「ジェンガ」は、立方体を積み上げていくゲームであるから、「恥多き人間・磯野カヅオが、生まれながらにして背負わされている原罪を、あのジェンガのように次々に積み上げて行くしか芸の無い私であるが、それにもめげず、今、この瞬間を、そのてっぺんに居て、私は生きているのだ」といった、小難しい意味になるのでは無いだろうか。
 サザエさんの愚弟めかしたお名前ながら、磯野カヅオさんの作品はいつも南海だ。
 四度目まして、磯野さん。
    〔答〕 <カルペ・ディエム─その日を掴む>磯野氏は、ダイニングバーなどまさか詠むまい


(花夢)
   三日月が夜のてっぺんを切り裂いて言いたいことがあふれてしまう

 「三日月が夜のてっぺんを切り裂いて」という上の句が秀逸。
 その鋭い形状から、「三日月」を鎌に見立て、その鋭利な<鎌>によって、「夜のてっぺん」である天空が切り裂かれ、その隙間から、作中の<わたし>の「言いたいことがあふれて(行って)しまう 」というのであろうか。
 暗黒の天空の隙間から「あふれてしまう」ところの「言いたいこと」とは、どんなことであろうか。
 夜空への賛美の言葉か?
 それとも、日常生活への愚痴か?
    〔答〕 満月が夜空の穴を塞ぐから私のメールは届くはずない


(こうめ)
   てっぺんを更新してゆくかき氷 蜜で崩れることを知りつつ

 「てっぺんを更新してゆくかき氷」という上の句の発想が素晴らしい。
 インターネット時代に生まれ合わせ、「更新」などという、味も素っ気も無い変な熟語を使い慣れているから、こうした発想が出来るのだろうか?
 この上の句を俳句として発表したならば、「かき氷」という季語も詠み込まれているから、あの金子兜太氏が絶賛するであろう。
    〔答〕 水際を更新して行く禿げ頭 金子兜太の兜が滑る


(ゆふ)
   組体操のてつぺんに立ちし子よそこから見ゆるものは何ですか?

 学童を子として持つ者の気持ちが良く詠み込まれていて好感を持てるが、「立ちし子よ」という三句目中の助動詞、「し」の使い方に難有り。
 「し」は、過去の助動詞「き」の連体形であるから、眼前に進行中の景色を詠もうとしている本作の場合は、不適当な用法である。
 ここは、存続の助動詞「り」の連体形「る」を用いるのが適当であろう。
    〔答〕 組体操のてつぺんに立てる愛し子よそこから見ゆるものは何かな


(小早川忠義)
   鶴川の「てっぺん料理」の名物は無施肥無農薬野菜の御膳

 小早川さんの作品に詠まれている「てっぺん料理」 を、インターネツトで検索してみたところ、次のような記事が掲載されていた。そこで、それをそのままコピーして示す。

 町田市金井4-5、鎌倉街道「金井クラブ」バス停から路地を登り詰めたところにある、焼き肉と定食の店、てっぺん料理(電042・735・5073)で、自然食セットが好評になっています。 
 同店では2001年9月から「無農薬」「無施肥」の野菜にこだわり、北海道や新潟、千葉など全国の農家から直接仕入れた野菜を使った料理を提供。
 「無施肥」とは肥料も使っていないもので、「土と水と太陽でできた自然の味です」と斎藤文男店長は話します。 
 この自然食セット1000円の内容は日替わりで、旬の野菜をふんだんに使った家庭的な味わい。
 午後2時までのランチタイムには、「無農薬」のコーヒーまたはデザート付き。

 「てっぺん料理」については、これの他にもまだまだ沢山の記事が掲載されているが、それらのほとんどは、小早川さんの作品に見られる「てっぺん料理」の記述と一致している。
 しかし、それを以て、小早川さんの作品が、インターネットから取材して創作されたものと断定するわけではない。
 私が思うに、本作の作者・小早川忠義さんは、町田市辺りに住まいになられ、ご自宅の近くの「てっぺん料理」に、何回と無く足をお運びになられたのであろう。
    〔答〕 行きつけの神保町の「さぶちゃん」は<半ちゃんらーめん>の元祖なそうな  
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一首を切り裂く(030:牛)

(春待)
   蛞蝓に塩撒きながらホームレス蝸牛に見え止まる指先

 落ち目の朝日新聞のなりふり構わぬ商策によって、ホームレス歌人・公田耕一さんの名が全国的に知れ渡ってからというもの、敏感な私の身体は、「ホームレス」という言葉にアレルギー反応を示すようになった。
 そこで、お題「牛」を詠んだ百首余りの投稿歌を閲していて本作に出会った時、一瞬ギクリとし、体中に鳥肌が立ってしまった。
 でも、驚くに価しない。本作に登場するホームレス氏は人間に非ざる蛞蝓のこと。事の次第は以下の通りである。
 「蛞蝓退治には塩を撒くのがいちばん」と、何方かから承った作中の<わたし>が、蛞蝓の姿態も碌々知らないままに、自宅の庭の彼方此方に塩撒きをしていたら、突然、当面の仇敵の蛞蝓に出くわしてしまった。
 そこで彼は、「あっ、これは甲羅を持たない蝸牛だ。ホームレスの蝸牛だ。この蝸牛は、あの公田耕一さんと同じ身の上なのだ」と勘違いし、一瞬、塩撒く指を休めてしまった、というだけの話である。
 退治しなければならない蛞蝓を見て、甲羅を失った蝸牛と誤解したのは、作中の<わたし>の愚かなところではあるが、それを「ホームレス蝸牛」と言い換えて一首をものしたのは、その失点を挽回する手柄である。
 拠って、その差引勘定はプラマイ零。作品の出来もそれと同じで、所詮、冗談短歌の域を出ない。
    〔答〕 蜘蛛見たらホームレスヤドカリと言うのかな。宿が無いからヤドカリなのに。 


(jonny)
   友達の友達は牛 友達の友達は豚 ねえなに食べる?

 らしくも無く、恋人と一緒に<jonny>さんご用達の吉野家に行った時の、作中の<わたし>とその恋人との会話。
 「(僕には、北海道と鹿児島に、それぞれ一人ずつ友達が居るんだけどー。その友達は二人とも変なヤツでねー、僕以外の人間とは付き合いが無いんだー。そんでー、北海道に居る)友達の友達は(人間でなくて)牛。(鹿児島に居る)友達の友達は(これも人間でなくて)豚。(ところで、)ねえ、(僕たちは)なに食べる?」
 「私は牛丼にするけどー。あなたは豚丼にしたら。もちろん、特盛りでねー。あなたの友達の友達を食べるみたいで悪いけどー。」
    〔答〕 もしかして<jonny>のあだ名が牛と豚 友達の友達は<jonny>のことだ


(ひいらぎ)
   牛丼を食べる横顔盗み見て友達以上になれる日を待つ

 <ひいらぎ短歌ワールド>とは、「結婚願望症候群に陥った女性の世界」の別名。もっと端的に言うと、「処女喪失願望症候群に陥った女性の世界」の別名である。
 故に、本作中の<わたし>は、「(吉野家で)牛丼を食べる(彼の)横顔(を、真向かいの松屋から)盗み見て(いても)、」「(帯広駅前の食堂で豚丼を食べる彼の姿を、自宅で想像していても、自分と彼とが)友達以上(の関係)になれる日を待つ」気分になってしまうのである。
    〔答〕 友達以上恋人以下の狭間には肌着一枚入る余地無し 


(音波)
   「牛さんって、心臓四つあんねんて!」・・・うん、それは胃のことじゃないかな?

 作中の<わたし>は、科学的知識に欠けた子供を持っているわりにはのんびりした性格であり、まるで牛みたいである。
 悠々と達観の境地を往く人・音波さんの傑作である。
    〔答〕 「父さんって、心臓四つあるのかな?」「馬鹿だね、それでは牛みたいだよ」


(原田 町)
   認識票ゆらしつつ牛は黙々と餌を食べおり食わるる日まで

 昨今は、猫も杓子も首から認識票をぶら下げている。
 そういうことで、先日、日本橋の某デパートで行われた「大北海道フェアー」に行って買った、木製の手作り杓子にも、「幸福を盛る杓子。札幌市手稲区前田1条8丁目8-88 電話:011-888-8888(代)・森田健作謹製」と、墨痕鮮やかな認識票がぶら下げられていた。
 さて、豚ウィルスが大暴れをしている今日だが、本作に登場する豚くんならぬ牛くんも、体毛に繋ぎ止められた「認識票(を)ゆらしつつ」「黙々と餌を食べ」ている。
 しかし、この牛くんが、そうしていられるのは、暴れる牛より獰猛な人間に「食わるる日まで」のことであり、束の間のことでしかない。
 それにしても、気になるのは、私が日本橋の某デパートで買った木製手作り杓子の製作者名の<森田健作>。
 森田健作さんお手製の杓子で、私は手前味噌でも盛ろうか。
 ところで、些細なことではあるが、一首全体として、口語・現代仮名遣い表記の本作に於いて、五句目を、「食われる日まで」としないで、「食わるる日まで 」としたのは何故だろうか。「食わるる」の「るる」は、文語の受身の助動詞「る」の連体形であるから、それを、口語動詞の「食う」の未然形「食わ」に接続させることは出来ない。ここは素直に、口語の受身の助動詞「れる」の連体形「れる」を用いるべきである。
 そうすると、本作は、「認識票ゆらしつつ牛は黙々と餌を食べおり食われる日まで」という、現代仮名遣いに統一された口語作品となる。
 観賞に価する作品が払底気味の今回、本作は投稿作品中の一、ニを争うような傑作であっただけに、こうした初歩的なミスはあまりにも惜しまれる。 
.    〔答〕 「食われる」が口語表現。「食わるる」は口語文語のチャンポン表現。 


(都季)
   知っていた、でも騙されていたかった いちご牛乳みたいな嘘で

 よくは知らないが、この作品の表現から推すと、市販の「いちご牛乳」には、イチゴの香りのする添加剤が入っているだけで、本物のイチゴは入っていないのではなかろうか。
 作中の<わたし>は、そのことを知らなかった頃は「いちご牛乳」が大好きで飲んでいたが、その秘密を知ってからは、イチゴ牛乳を飲まなくなってしまった。
 だから、誰かが「嘘」をつき、それが嘘だと発覚した時、彼女は「(あなたの言葉が嘘だと、私はずっと前から)知っていた、でも(出来ることなら)騙されていたかった。(あなたのついた嘘は)いちご牛乳みたいな嘘で」と感じたのである。
 初句「知っていた」の後に読点「、」を付したならば、ニ、三句「でも騙されていたかった」の後、及び四、語句目「いちご牛乳みたいな嘘で」の後に、句点「。」を付さなければならないはず。
 そもそも、短歌は、五句三十一音の一行詩であるから、本来的には、そういうものは入らないはず。
 どっちつかずの表記をしていてはいけない。
    〔答〕 知っていた でも騙されていたかった いちご牛乳みたいな嘘に
        大福には入っているけど牛乳には入っていないホントのイチゴ

一首を切り裂く(029:くしゃくしゃ)

(西中眞二郎)
   名人はくしゃくしゃ頭を掻きむしり碁盤の上に身を乗り出しぬ

 「名人」というからには棋士のこと。
 歴代の将棋名人で「くしゃくしゃ頭」の人物といったら、あの鬼才・升田幸三名人を指すのであろうか。
 本作の作者・西中眞二郎氏や私ぐらいの年齢の者なら知っているが、あの升田幸三氏は、「くしゃくしゃ頭」を盤上に突き出し、「身を乗り出し」て将棋を指していた。
 私は、前稿に引き続いて本稿でもまた、西中眞二郎さんの作品を鑑賞することによって、歌人・西中眞二郎氏の人となりを知り、私とは、人間の出来が違う西中氏もまた、木村・大山・升田の三名人が盤上に身を乗り出して覇権を争っていた時代の子であり、「透明人間」になることが出来たら、「あれもこれもしたいやりたい」と思っている人間であることを知った。
 短歌を詠み読み、「題詠2009」といった騒々しい世界に身を投じることの効能の一つは、こうして、自分とは異なる人のお人柄に接することにも在るのではないだろうか。
    〔答〕 くしゃくしゃの頭時折り掻き揚げて長考に入る升田名人


(jonny)
   くしゃくしゃに今日をまるめてポケットに突っ込んだのは君だけじゃない

 本作中の「君」とは、まさしく、私・鳥羽省三を指すのであろう。
 私の汚れた衣類を洗濯機に入れて洗った後、私の家内は決まったようにこう言う。
 「また、ズボンのポケットの中にティッシュペーパーを入れたままにして、洗濯機に放り込んだでしょう。お蔭で私の下着までティッシュペーパー塗れになってしまって、洗い直さなければならない。今度から注意してね」と。
 そうした時、私は言う。
 「私の愛する妻よ、私のズボンのポケットに入っていたのは、渋谷駅前で貰った武富士のティッシュペーパーなどではなく、くしゃくしゃにまるめた、今日という日の人生そのものなのだ。」と。
    〔答〕 魔羅拭いてくしゃくしゃにして棄てた紙 明け方見れば薔薇のごと咲く


(水口涼子)
   〇点の答案用紙くしゃくしゃに丸めて捨てた経験はない

 本作の作者・水口涼子とほぼイコールの関係にあると思われる、作中の<わたし>は、これまでの人生のいろいろな場面で受けた試験で、「〇点」を取ったことが無いのであろうか?
 それとも、「〇点」を取ったのは再々であり、彼女の小・中学時のあだ名は<〇点パー子>であったが、その「〇点の答案用紙をくしゃくしゃに丸めて捨て」ることもせず、後生大事に家に持って帰ってお母さんに見せ、今もまだ、フエルアレバムに貼って取ってあるのだろうか?
 一読者としては、そこのところが知りたい。
    〔答〕 〇点の答案用紙を捨てもせずコクヨのファイルに保存している 
 因みに言うが、私はペーパーテストの達人で、これまでに受けた試験の九割以上は満点であった。試験開始後、十分も経たないうちにさらさらと答を書き、得点欄に「100点」と書いて、教室を出て行く私のパホーマンスは、それぞれの学校の名物であり、私のそうした遣り方は、無能な教師たちの憎しみを買い、私はしばしば彼らから殴打された。


(チッピッピ)
   くしゃくしゃな気分で歩くオケラ道 後ろ姿はみんな似ている

 中山競馬場の.南門を出て西船橋駅に向かうルート、通称<オケラ街道>を、私はいったい幾度、ポケットの中で外れ馬券をくしゃくしゃに握り締めながらとぼとぼと歩いたことだろうか。
 去年の暮れの有馬記念の日の日暮れ時もそうだったし、今年の四月十九日の皐月賞レースの日の午後もそうだった。
 夕暮れのオケラ街道を長く影を引いて歩く後ろ姿は侘しく、それは、私のであれ、<チッピッピ>さんのであれ、似たようなものである。
    〔答〕 生涯の願いの一つ 夕暮れのオケラ街道笑顔で歩む


(五十嵐きよみ)
   くしゃくしゃにしたりされたりした後に互いの姿を見て笑い合う

 「くしゃくしゃにしたりされたりした後」とは、男と女の濡れ場の後のことであろうか?
 それとも、いい年をした女性同士がコチョコチョとくすぐりごっこなどをした後のことであろうか?
 五十嵐きよみファンの一人としては、そこの辺りのご事情をお伺いしたい。
    〔答〕 くしゃくしゃにしつつされつつ泣き笑い組んで解れてほぐれて組んで  


(流水)
   新聞をくしゃくしゃにして読む癖をもう叱られぬ暮らしが続く

 悪癖が咎められるのも、咎めてくれる家族が居ればこそのこと。その家族に去られた今は、かえって悪癖を発揮する気にもならない。
    〔答〕 新聞をくしゃくしゃにして読む癖を咎める妻が居ればよかった


(虫武一俊)
   細切れの履歴書よりもくしゃくしゃにされた心の代わりがなくて

 百年に一度の大不況の真っ只中に立たされた今日、なけなしの一万九千八百円を叩いて、紳士服の青山で買ったスーツを着込んで臨んだ就職試験の結果を知らせる封書が届いた。
 不合格の通知と一緒に返却された履歴書は、腹立ち紛れにその場で細切れ状態に切り裂いてしまった。
 その履歴書の代わりは、105円ストアーに行けば買えるが、不合格通知によって「くしゃくしゃにされた心の代わりはなくて」泣くに泣けない。
    〔答〕 くしゃくしゃにされた心は治っても受ける会社がもう既に無い


(久哲)
   いかなごの釘煮の中にちらほらと見覚えのある顔がくしゃくしゃ

 「いかなごの釘煮」は、佃煮の一種で、瀬戸内海東部沿岸部(播磨灘・大阪湾)の郷土料理として知られている。
 その名称の由来としては、その形状や色合いが<錆び釘>に似ていることから名付けられた、という説が有力である。.
 私は、関西の人間ではないから、「いかなごの釘煮」を見たことは無いが、シラスなどに小海老や小蟹や小蛸などがなどが雑じっていることがあるが、本作、「いかなごの釘煮の中にちらほらと見覚えのある顔がくしゃくしゃ」とは、その<いかなご版>なのであろう。
    〔答〕 年若く素直な歌を詠む中に交じりて久哲ひねた歌詠む
 

(暮夜 宴)
   くしゃくしゃな夜に包まりすきまからひしゃげた月をぼんやり見てる

 「くしゃくしゃな夜に包まり」とは、「失恋したり、リストラの憂き目に遇ったりして、不幸のどん底に在る者が、夜の静寂に包まれて、その不幸を噛み締めている状態」を指して言うのであろう。
 その者が、そっと眼を開けて夜空を仰ぎ、「ひしゃげた」形の「月をぼんやり見てる」のである。
 「月」が「ひしゃげ」て見えたり、「夜」が「くしゃくしゃ」に思われたりするのは、そこに、自分の<ひしゃげて、くしゃくしゃな>心理が投入されているからであろう。
 本作の作者・暮夜宴さんは、本作の表現を通して、百年に一度と言われる不況下に生きる、庶民たちの逼塞した生活と、その哀感を述べようとしているのである。
    〔答〕 くしゃくしゃな夜に包まれ暮夜さんはひしゃげた顔で歌を詠んでる 

一首を切り裂く(028:透明)

(jonny)
   見せたくて見せたくなくて見せたくて半透明のビニール袋

 「半透明のビニール袋」には、複雑な性格が備わっている。
 例えば、何か袋に入れて家庭ごみをごみ集積場に出す場合、中に入っている物が役所の指示通りに分別した物だからという意味では「見せたく」もなるが、それは、言わば、自分の家の恥部を曝け出すことにもなるのだから「見せたくなく」もなる。そうした矛盾した願望を一挙に解決してくれるのが、「半透明のビニール袋」なのである。
 また、ビニール袋に商品を入れて陳列棚に並べる場合、経営者としては、さまざまの意味合いから、その中身を「見せたく」もなるが、「見せたくなく」もなるし、また「見せたく」もなる。そうした経営者の複雑怪奇な願望を叶えてくれるのも、そのビニール袋が半透明なものであればこそである。
 「半透明のビニール袋」の持つ、そうした性格にいちはやく気が付き、それを一首に仕立てた<jonny>さんの頭脳の冴えはなかなかのものであり、この作品を、あの奥村晃作氏に示したら、奥村氏は、この作品こそ、氏ご自身の開拓された「なるほど(納得)短歌」の大傑作として絶賛され、本作の作者<jonny>は、老い先短い奥村晃作氏の後継者として、短歌界に君臨するのも夢ではないであろう。
 「題詠2009」の投稿レースも四半分を過ぎ、スタート時は元気満々だった参加者のほとんどは、今や腑抜けの如き作品を投稿して、喘ぎ喘ぎ走っているのが実情である。
 そうした中に在って、鬼才<jonny>さんのこの傑作は、燦然と輝いている。
 私は、この人の作品を、スタート当初から、何か見所、見せ所の在る作品として注目して来た。
 そうした次第で、私は、一昔前に、銀だ銅だ灰色だと色々な話題を提供してマスコミから再三注目されたが、それでも足りずに、今も時々マスコミに顔を覗かせている、あのスポーツ選手のように、「自分で自分を誉めて上げたい」ような気分である。と冗談を言えるのも、<jonny>さんのこの傑作に出会えた御蔭。
  <jonny>さんよ、有難うお元気で。
 最後はスーパー・イオンのレジ嬢の如き口上となりました。
    〔答〕 見せたくて見せたくなくて見せたくて胸の谷間の見えるブラウス
 《陰の声》 <jonny>さんと鳥羽さんにひと言。
 「半透明のビニール袋」と言ってますけど、もしかして、それは、「半透明のポリ袋」のことではないですか。もし、そうだとすると、知ったかぶりの鳥羽さんも見逃したわけね。
    〔答〕 世間には、未だにあれを「ナイロンの袋」だなどと言う人もいる。
    〔答の答〕 だからとて、見逃すわけにいきません。 ミスは素直に認めなさいよ。


(西中眞二郎)
   あれもしたいこれもやりたいことばかり 透明人間になれるものなら

 観賞対象歌払底の折、百十数首の中から選んだ秀歌五首中の一首であるから、四の五の言わずに賞賛の言辞を並べ立てれば宜しいのであろうが、いくら何でも、それでは作者に失礼というものであろう。
 そこで、作者から叱られるのを承知で、本作に対して抱いている私の不満点を申し述べよう。
 初句に「あれもしたい」とあり、二句目に「これもやりたい」とある。
 「あれ」と「これ」との対比に問題は無く、初句の「したい」を、二句目で「やりたい」と言い換えるのにも格別問題は無いのであろうが、これら四つの語句が、このままの位置に置かれていては、五音・七音の音数合わせの苦しい表現と見られはしないだろうか。
 そこで、私なら、これらの配置を替えて、「あれもこれもしたいやりたいことばかり 透明人間になれるものなら」とするが、作者の西中眞二郎さんは、いかがお思いでありましょうか。
 それはそれとして、私・鳥羽省三ならともかく、西中眞二郎さんともあろうお方が、「あれもしたいこれもやりたいことばかり」「透明人間になれるものなら」と、言挙げなさったのには吃驚。
 人間、一人一人性格や業績は異なるものの、ガキの頃から悪戯根性を失ってはいないものだと知る。
    〔答〕 生還が出来るものなら地獄にも行ってみたいな罪咎無くて


(小早川忠義)
   透明の糸を繰りつつつぎはぎの服をまとふが天衣無縫ぞ

 と、いうことになりますると、「無縫」と称する「天衣」もまた、「縫製品」ということになりましょうか。糸は透明であっても。
 それは冗談として、本作は、作者・小早川忠義さんの面目躍如たる傑作である。小生も、小早川さんに見習って、
    〔答〕 雲間からオペラグラスで濯ぎ女(め)の尻覗くのが仙人である
 小早川忠義さんと比較すると、私の方が、格段に俗塵塗れの俗人に見えて恥かしい。


(髭彦)
   行く末の不透明なる時代にぞ吾ら去りゆき子らは生き行く

 教職歴四十年余の髭彦さんにして、この弁有り。
 「座間を見ろ。ケッケッケッ」といったご心境でしょうか?
    〔答〕 座間市には未だ米軍キャンプ在り核弾頭のミサイル飛ばむ

一首を切り裂く(027:既)

(庭鳥)
   手作りが既製品より安い国旅した日から捨てられず、モノ

 庭鳥さんはご存じないであろうが、私の記憶では、我が国もつい最近まで、工業製品たる「既製品」より手作りの品物が安い国であった。
 例えば、農家のお年寄りが冬の手仕事として半日がかりで作った藁沓が八十円。工業製品である、月星印のゴム長靴が五百円前後で販売されていた時代の話である。
 昨年の夏、私は、東北地方を自動車で旅行したが、その途中、岩手県のある町の道の駅に立ち寄ったところ、私が小学生の頃、私の父が作って、学童を持つ近所の非農家の人にわずか八十円で頒けてやっていた藁沓よりも格段に見栄えのしない藁沓が、伝統工芸品という名目で、五千二百五十円で売られていた。
 売り子さんの説明によると、藁沓そのものの価格は五千円で、あとの二百五十円は消費税だそうだ。
 この売り子さんのお話を聴いた時、私は今さらながら、父を失ったことが恨めしく思った。何故なら、私の父は、藁細工の名人で、他所の家のお年寄りが一日に二足しか作れない藁沓を、一日に四足も五足も作ることが出来たからである。
 父の作った藁沓が、仮に、一足五千円で売れて行ったとしたら、一日、五足作って、我が家の日収は二万五千円。その頃のサラリーマンの初任給は五千円以下であっただろうから、我が家は、町内一、いや、県内一の大金持ちになっていただろう。(笑い)
 観賞対象とする作品が本作一首なのに気を許して、思わず馬鹿話をしてしまったが、推してみるに、庭鳥さんは私よりはお年がかなりお若く、今ならば、一足、五千円以上で販売されている藁沓が、ゴム長靴の六分の一以下の値段で売り買いされていた時代のこと、手作り品の価値が工業製品よりもずっと低く見られていた我が国のことをご存じないのであろう。
 お題「既」を詠んでの投稿作品が百二十首。
 「題詠2009」の参加者の方々も、歌詠みに疲労困憊疲されてしまったご様子で、「これは!」といった感じで、私が飛びついて行くような作品は見受けられない。
 そうした中に在って、私がこの作品を選び、それに事寄せて思い出話に耽っているのは、単なる、昔懐かしさからであろうか。
 それはどうでも、消費が美徳とされ、人間が「モノ」を大切にしなくなってから久しい。
    〔答〕 その昔八十円の藁沓が今は五千二百五十円 

一首を切り裂く(026:コンビニ)

(jonny)
   コンビニにおでんのにおい立ち込めてチョコもアイスもおでんのにおい

 熱々のおでんはコンビニの売れ筋商品なのだそうだ。
 だから、冬のコンビニに入ると、狭い店内いっぱいに醤油味の「おでんのにおい」が「立ち込めて」いて、「チョコ」や「アイス」などのおでん以外の商品の匂いが個性の強いおでんのにおいに消されてしまっている。
 コンビニのそうした様子を目と鼻でよく観察し、同じコンビニを題材にしながらも、個性的かつユーモアに富んだ一首を為し得たのは、作者<jonny>さんの不断の努力の賜物である。
 「チョコもアイスもおでんのにおい 」という、下の句のひねりがよく効いている。
    〔答〕 コンビニの隣りが露天の魚屋でチョコもアイスも魚のにおい


(ぽたぽん)
   「今きみの家の近くのコンビニに着いたよ。なにか欲しいものはある?」

 口語で書かれた会話文を短歌作品と看做せるかどうかの基準の一つは、定型と韻律であろうと私は思っている。
 短歌として示された会話体の文章が、五七五七七の定型の枠に収まり、韻律を持っていれば、それは短歌、そうでなければ短歌ではない、と私は認定したいのである。
 私のそうした認定方法は、かなり乱暴な方法ではあろうが、今の私は、その線から一歩も退こうとは思わない。
 そういった私の考え方からすると、本作の五句目「欲しいものはある」の字余りはあまりにも惜しまれる。
 これを含んだ一文は、「なにか欲しいものはある?」とするよりも、「なにか欲しいものある?」とした方が、会話文としては一般的なのではないだろうか。
 それを、そうせずに、杓子定規に、題目語には、助詞「は」が付く、という法則を杓子定規に捉え田結果、この魅力的な口語会話体の作品のニ文目を、「なにか欲しいものはある」とすることによって、韻律と定型という大きな味方を失ってしまったのは、明らかに作者の不勉強、詰めの甘さによる。
    〔答〕 「いま君の投稿作にケチつけた。何か文句が御ありですかな。」


(ひいらぎ)
   待ち合わせ場所はコンビニだったよね友情抜け出し恋に落ちた日

 内容の軽さ、もっと端的に言うと、社会性や批評性がこれっぽちも無い点に於いては、本作は、直前
の<ぽたぽん>さんの作品と同列に置いていいが、私が本作を是とし、前作を否とする理由は、定型を遵守する姿勢と韻律の有無に拠るのである。
 「待ち合わせ」「場所はコンビニ」「だったよね」「友情抜け出し」「恋に落ちた日」と、本作の作者の<ひいらぎ>さんは、いつもいつも、「五」「七」「五」「七」「七」と、指を折って数えるようにして短歌を作っている。
 こうした謙虚な姿勢で詠んでいる間に、今はまだ往年の日活の青春映画程度のものでしかない、<ひいらぎ短歌ワールド>の領域はどんどん広がり、その中味も次第に深化して行くことであろう。
    〔答〕 打ち合はせ場所もこのコンビニにせむ君と僕との熟年離婚 


(梅田啓子) (今日のうた)
   野のなかのコンビニの灯(ひ)に集ひ来る蚊・蛾・虻・蜘蛛・物の怪たちが

 近頃のコンビニは、土地代の関係なのか、自動車社会を反映してなのか、日中さえ人通りの少ない、原野の中の一本道の畔に建っていたりする。
 そんなコンビニでも、灯りを煌々と灯して深夜営業している。
 コンビニの灯りは誘蛾灯の役割りも果たすから、そこには、蛾を初め、「蚊・蛾・虻・蜘蛛」などが集まり、時には、隣接する墓場や洞穴から、幽霊や「物の怪たちが」も集まって来るかも知れない。
 この作品の面白さは、初句から四句目までに、「野のなかのコンビニの灯に集ひ来る蚊・蛾・虻・蜘蛛」と、「野の中のコンビニ」の夜景を活写しながら、五句目に「(集ひ来る)物の怪たちが」という五句を付け加えることによって、単なる叙景歌であることから脱して、現代社会の風俗への批判の目を向けていることである。
 即ち、夜の「野の中のコンビニの灯に」誘われて「集ひ来る」人々は、作者の考え方からすると、まさしく 「物の怪たち」に他ならなく、作者は、人生の目標も生き甲斐も喪失してしまったかのように見受けられる、そうした人々に対して、冷たく厳しいを目を向けると同時に、少なからぬ愛情をも感じているのであろう。
 「題詠2009」も四半分を過ぎて、参加者たちの多くは、中弛み状態に陥ったかの如く私には思われる。そうした中にあって、梅田啓子さんのこの健闘ぶりは賞賛に値する。
 梅田啓子さんの投稿歌百首の中から、秀歌十首を選ぶのは、私にとってかなり難しい作業ではあるが、この作品こそは、間違いなくその中にしかるべき位置を占める作品であろう。
    〔答〕 街中の墓場にも似たサンクスの灯りに群れる若き亡者ら
 

(久哲)
   美しい実として尻を映すのみコンビニエンスストアの床は

 痴漢的発想に立っての作品。
 今の久哲さんにとっては、歌に詠んではならない言葉も風景も無い。
 狭いコンビニエンスストアの床面は、パートタイマー店員の手によって、鏡面の如くピカピカに磨かれている。
 その鏡の如き床面に、女性客の尻が映るのを、「美しい実(=餌食)」として眺めている人物が居るのだ。
 その人物とは、本作の作者・久哲さんその人と言ってもいい作中の<わたし>。
 彼は、女性の敵。人類の敵なのだ。
    〔答〕 梅田作の「物の怪たち」の一人なる久哲さんは今宵もお出まし


(ことり)
   コンビニはさびしき魚礁仄白く発光すればウミユリが揺れる

 「コンビニはさびしき漁礁」という上の句は秀逸。
 「仄白く発光すればウミユリが揺れる 」という下の句にやや難有り。
 そこで、私なら、こうする。
    〔答〕 コンビニはさびしき漁礁ほの白き光に揺れてウミユリが咲く 
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