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今週の朝日歌壇から

○ 社員三人鬱病となしし社に勤め十六年をくたびれ果てぬ   (仙台市) 坂本捷子

「今日の世相そのものを体験に持った歌。作者も鬱情をまぬかれながら『くたびれ果てぬ』とうたう」と、選者の馬場あき子氏は評す。
 「社員三人鬱病となしし社に勤め」と言う上の句中で留意すべき語句は「なしし」である。
 「なしし」とは<過去に於いて為した>ということ。
 これに拘って、この一首を大袈裟に解釈すれば、作者は自分自身が十六年の長きに亘って勤務した会社の内情を暴露し糾弾していることになる。
 そのような会社に長く勤めていれば、自分とて無事で居られるはずはない。
 「自分は鬱病に罹りこそはしなかったが、この会社での十六年ですっかりくたびれてしまった」と作者は言っているのである。
 「十六年をくたびれ果てぬ」という下の句から読み取れるものは、「この十六年間、我慢に我慢を重ねて私は働いて来たが、今となっては、精も魂も尽き果ててしまった」という、作者の憤懣と諦念であろう。
 会社の実名こそ出してはいないが、この一首から、評者が、作者の内部告発的姿勢を読み取ったとしても、決して深読みとは言えないであろう。  
   〔答〕 鬱を病む社員三人首斬りて我が社の経営いよよ安泰   鳥羽省三 


○ 二羽の鳩三日つづけて訪ね来て四日目からは巣を作りおり   (町田市) 高梨守道

 「二・三・四と上ってゆく数詞の遊びが、鳩への親しみを楽しく伝える」とは、選者の佐佐木幸綱氏の評。
 単なる数字遊びに終らせず、「たった二羽でやって来て、しかもわずか三日通っただけで、四日目には、もう巣作りを始めてしまった。あの鳩たちの命の営みのなんと浅はかなことよ」といった、我が家の軒に巣を掛けた鳩たちに対する、話者のの驚きと憐憫の気持ちが表現されているのである。
 「四日目」から始まった巣作りの作業が終わると、やがてその巣の中には、五つの新しい命が誕生するはず。
 佐佐木幸綱氏の言う「数詞の遊び」は、<二・三・四>で終らず、そこに新たな<五>を加え、<六>を跳ばして、<七>にまで発展することが予測される。
   〔答〕 二羽で来て七羽で暮らす鳩たちの糞のこぼるる軒下を往く   鳥羽省三 


○ 渋滞の我が渋面を後続の運転席の顔で悟れり   (東京都) 佐藤利栄

 「渋滞」と「渋面」。
 <じゅう・じゅう>の渋くて重い音声の重なりが、交通渋滞への苛立ちの気持ちを表わしているのである。
 だが、ふと、バックミラーに視線をやったら、そこには「後続の運転席の顔」が映り、それは「渋面」であった。
 そこで作者は、自分もまた後続車のハンドルを握っている人と同じように、渋面を浮かべながら運転しているに違いない、と気が付いたのである。
 末尾の「悟れり」から、はっと気が付き、気を持ち直して「渋面」を止めようとした作者の気持ちの変化が読み取れる。
   〔答〕 後続の運転席の渋面をバックミラーに見つつ走れり   鳥羽省三


○ 冬空に池の金魚らじっとしてゼリーの中の蜜柑のように   (東京都) 古川 桃

 「ゼリーの中の蜜柑のように」という直喩が宜しい。
 「ゼリーの中」だから、ぎゅうぎゅうに縛られ、閉じ込められているわけではない。
 「ゼリーの中の蜜柑のように」という直喩は、単に、「冬空に」「じっとして」耐えている「金魚ら」の様子だけを表わすだけでは無く、その「金魚ら」を包む「池の水」の柔らかく白濁した様子と、晴れやらぬ「冬空」の様子をも表わしているのである。
 「ゼリーの中の蜜柑のように」は、視覚と触覚から発想された比喩なのである。
   〔答〕 冬空を映して清める池水の底にかそけき金魚の生きよ   鳥羽省三         


○ 開けたなら閉めて出てゆけわが猫よこごと言いつつ年暮れ果つる   (豊中市) 玉城和子

 「こごと言いつつ年暮れ果つる」という下の句は、老境に達した作者の暮らし振りと心境とを覗かせていて、それだけで十分に面白いのだが、その「こごと」を「わが猫」に言う所が更に面白い。
 因みに、「開けたなら閉めて」とは、還暦を幾つか過ぎた私の連れ合いが、古希に達した私に向かってよく言う言葉である。
 私は、玉城和子さん宅のニャンコ並みなのか?
   〔答〕 「開けたなら閉めて行って」とまた言われ猫の尻尾を踏んで仕返し   鳥羽省三


○ 東洋の粟散辺地にわれはいてモーツァルトの楽を楽しむ   (八尾市) 水野一也

 この<世界三位の経済大国・日本>を言い表わすのに、事もあろうに「東洋の粟散辺地」とは、何たる言い様。
 さすが、八尾の<あほんたれ>の言うことは、他の人のそれとは違う。
 その口して、あの楽聖<ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト>様の「楽を楽しむ」とは、とんでもない。
 それでも、どうしても音を聴いていたいのなら、村田英雄や中村美津子の歌声か、勝新太郎のダミ声の科白を聴いたらいかが。         
   〔答〕 大阪の粟散辺地の八尾に居てモーツァルト聴くとはうそのよな話   鳥羽省三 


○ うっすらと埃のようにつもるだろうみんなで笑った今日の記憶は   (佐倉市) 船岡みさ

 「楽しかった一日、それすらも埃のような記憶として『つもるだろう』と言う。時間の生理と言えばそうだが、どこか将来の儚い影を暗示するような歌だ」とは、選者・永田和宏氏の弁である。
 だが、その一面、永田氏の言う「将来の儚い影」を意識するあまり、<楽しかった一日>をそれほどにも楽しめず、「みんなで笑った」その笑いの中にも、十分には溶け込めなかった話者の心情が覗き見られるのではないだろうか。 
   〔答〕 塵埃の底に沈める面影のふと甦る今朝の初雪   鳥羽省三  
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今週の朝日歌壇から

 今週もまた、公田氏及び郷氏へのオマージュ作品、都合三首あり。
 四十首中の三首は多いか少ないか?

○  三万の兵を増やして六千を棺とともに帰す国なり        (アメリカ) 西岡徳江

 オバマ大統領としては苦渋選択であろうが、しかし。
 選者・永田和宏氏の評言、「結句、『国なり』に単なる批判だけではない強い思いがこもる」に同感。
     〔答〕 大戦の幕を引かむと原爆を二発落とせし国ぞアメリカ  鳥羽省三


○  葦の間に鳩笛を吹くひとありて風にテグスのきらめく夕べ    (東京都) 倉地克次

 「風」の働きに注目しなければならない。
 「テグス」をきらめかせるのも「風」であるが、その背景となっている「葦の間に」吹く「鳩笛」を流し、響き渡らせるのも、その同じ「風」なのである。
     〔答〕 川の面にテグスきらめくこの夕べ葦の葉越しに鳩笛聞こゆ  鳥羽省三

 
○  君の呉れしライターにまだ火の鳥を一羽飼ひをり西日に点す   (東京都) 保坂 満

 「西日に点す」と「火の鳥」との関わりに注目。
 折からの「西日」の中に燃えるライターの火の赤さと輝きとが、「君の呉れしライターにまだ火の鳥を一羽飼ひをり」という、斬新なイメージを導き出したのである。
     〔答〕 ポケットに未だ籠もれる火の鳥の折に羽ばたく西日に向かひ  鳥羽省三


○  相続の話ながなが聞きながら鍋の大根時どきいじる       (瀬戸内市) 児山たつ子

 囲炉裏端で交わされる財産相続を巡っての長話に呼応するが如く、ブリ大根はぐつぐつぐつと音を立てて煮えている。
     〔答〕 相続の話ながなが続く時ブリ大根は煮崩れて行く  鳥羽省三


○  仙覚の万葉注釋畢へし跡テニスコートとなりて久しき      (埼玉県) 澤野朋吉

 選者・佐佐木幸綱氏の評言をそのまま写す。
 「埼玉県小川町の中城址と呼ばれる城跡に、仙覚律師の記念碑と律師堂がありテニスコートがある。仙覚は鎌倉時代の天台宗の僧で、万葉集研究に大きな業績を残した人物。一首、ゆったり無常感をうたって心に残る。」
 補足すべき事項無し。
     〔答〕 仙覚の名を知りにしは二十歳過ぎ小林教授の国語学特講  鳥羽省三


○  ときながく光あつめし黄葉の地におちてなほひかりをたもつ   (ひたちなか市) 篠原克彦

 作者・篠原克彦氏は、冬樹、新緑、緑陰、黄葉、落葉と、一日に幾度と無く、この樹下に佇み、過ぎり、この樹の巡りの景色の変遷と、その葉を揺るがす光陰とを見つめ続けて来たのである。
     〔答〕 地に落ちて光失せにし公孫樹葉の一つ一つに置ける朝露  鳥羽省三   

今週の朝日歌壇から

 永田和宏選の末尾に、ホームレス歌人・公田耕一へのオマージュめいた作品が二首も掲載されている。
 「冬のタイガのデルス・ウーザラ想ふ時重なる姿は公田耕一」(千葉市・甲本照夫)、「カップ麺買わずに朝刊買ひしとふ歌にて我の投稿始まる」(加古川市・湯田摩耶)。
 これら二首が、わずか十個しかない永田和宏選の入選枠に納まるような傑作かどうかについての判断は保留して置くとしよう。
 しかし私は、このことから推して、ホームレス歌人・公田耕一氏の作品を賛美する朝日歌壇への投稿者の多いことと、「叶うならば、夢よもう一度」と、公田耕一氏の朝日歌壇への復活を願っているかの如き朝日新聞社の姿勢、及び朝日新聞社から投稿作の選定を委託されている、当歌壇の選者たちの姿勢などを伺い知ることが出来、いろいろと興味が尽きない。
 ところで、これは言わずもがなのことかも知れないが、引用した二首の作品のうち、<加古川市・湯田摩耶>氏作の仮名遣いが混乱しているのではないだろうか?
 作中の「カップ麺買わずに朝刊買ひし」の部分は、かつての公田耕一氏の入選作からの引用部分かと思われるが、その中の「買わ」と「買ひ」との二語は、共に動詞「買う」ないしは「買ふ」の活用形であろう。
 湯田摩耶氏の作中には、これらの語とは別に、「といふ」の省略形である「とふ」が用いられているから、前述の二語の中の「買わ」は「買は」と訂正すべきかも知れない。
 何故ならば、かつてあれほどの短期間に、ほとんど毎週のように傑作を寄せられ、数十万、或いは数百万の読者たちを感動させた、あのホームレス歌人・公田耕一氏が、そのような初歩的な文法ミスを含んだ作品を投稿したとは思えないからである。
 また、仮に公田耕一氏がそうした文法的ミスを含んだ作品を投稿したとしても、歌壇の名だたる目利きである、選者諸氏が、それを見逃して入選させたとは思われないからである。
 私のそうした推測が正しいとすると、当該作品は明らかに朝日歌壇の入選作とするに相応しくない。
 にも関わらず、これを入選作に加えた永田和宏氏はどうかしていらっしゃる。
 永田和宏氏と言えば、同氏は「歌会始の儀」の撰者のお一人でありましょう。
 近頃の永田氏は「歌会始の儀」への投稿歌の選定に追われて居られ、朝日歌壇ごときの投稿歌の選定には、心が向かわれなかったのかも知れません。
 
 前置きが長くなりましたが、そろそろ本題に入りましょう。 

○  「結婚は、どちらでもいい、七割」の朝刊広げ足の爪切る (東京都) 二村吉光

 括弧書きされた「結婚は、どちらでもいい、七割」は、朝日新聞朝刊の見出しであろうか?
 もし、そうならば、朝日新聞社もなかなか抜け目ないし、それと知ってか知らないでか、本作を入選作とした、高野・佐佐木両氏も亦、なかなかである。
 新聞記事などの見出しを、そのまま歌中に折り込むという離れ業は、かく言う私もよくやることではあるが、成功の確率は極めて低い。
 考えてみるに、その失敗の理由は、それと組み合わせる、引用部分以外の表現の魅力の無さにあるのではないだろうか。
 本作の場合は、「朝刊広げ足の爪切る」という下の句の軽妙な味わいが、上の句の引用部分を引き立てているのである。     
     〔答〕 朝刊の折込付録を切り抜いてお年玉袋を作れり妻は  鳥羽省三
 本日の朝刊に掲載されたヤマト運輸など三社の全面広告がそのまま、正月用のポチ袋を作れるような体裁になって居りました。 


○  テレビに映る観客席の片すみに亡き夫がいてラグビー見おり (東京都) 木田治子

 配偶者に先立たれた女性の、日常生活の一端を覗き見たような気がした。
 境遇の如何に関わらず、私たちがテレビのスポーツ放送を観ている時は、試合のみならず、時折り映る観客席をも注視しているのだ。
 ましてや、熱烈なラグビーファンであったご夫君に先立たれた作者の場合は、なおさらなのだ。
     〔答〕 長男に其の面影が通ふとて野茂のファンになりにき妻は  鳥羽省三 


○  いさかいし夜温かき缶コーヒー飲むためだけの家出しており (和泉市) 星田美紀

 初句の「いさかいし」の係りがやや不明確である。
 夫婦喧嘩の挙句、「わたし、そんなあなたとはこれからやっていけませんから」などと、大見得切って家を出て来たものの、駅前のベンチに座って、自動販売機で買った「温かき缶コーヒー」を飲んだだけで帰ってしまった、などというのはよく聞く話だ。
 ご夫君の方も、長い間の経験から、そのような顛末になることを知っているから、後を追わなかっただけの話だ。
     〔答〕 ときたまに「クロの顔見て来るから」と妹宅へ行くは家出か?  鳥羽省三
 「クロ」とは、徒歩、約ニ十分の距離の<美しが丘西>に住んでいる、妻の妹宅の飼い犬である。


○  枇杷の花ひしめき咲けば思い出す子ら多き日の押競饅頭 (福山市) 武  暁

 私の考えでは、「枇杷の花」の属性は、下記の二点である。
 一点目は、咲いても目立たないから、いつ咲いたのか分らないこと。
 二点目は、無数の小さな花が群がって咲くこと。
 本作は、上記二点の中の二点目に着目しての作である。
 一首全体、なかなか宜しいが、「押競饅頭」が特に宜しい。
     〔答〕 一クラス六十人も居た頃の我らを詠める作かもこれは  鳥羽省三 


○  あのころは壁の向こうの月の出も「東」のニュースのように見ていた (ドイツ) 西田リーバウ望東子

 本年は、「ベルリンの壁崩壊・二十周年」という記念すべき年だそうですが、その記念すべき年も、残す所あと三日。
 その今年を、「あのころは」と回顧してみる時が訪れるのだろうか、私たちに。
     
     〔答〕 あの頃はフォークソングに夢中にて井上陽水追っかけていた  鳥羽省三

 ベルリンの壁が崩壊したのは1989年。
 その1989年は亦、井上陽水の『最後のニュース』がシングルカットされた年でもありました。


      『最後のニュース』     井上陽水作詞・作曲

    闇に沈む月の裏の顔をあばき 
    青い砂や石をどこへ運び去ったの
    忘れられぬ人が銃で撃たれ倒れ 
    みんな泣いたあとで誰を忘れ去ったの
    飛行船が赤く空に燃え上がって 
    のどかだった空はあれが最後だったの
    地球上に人があふれだして 
    海の先の先へこぼれ落ちてしまうの

    今 あなたにGood-Night 
    ただ あなたにGood-Bye

    暑い国の象や広い海の鯨 
    滅びゆくかどうか誰が調べるの
    原子力と水と石油達の為に 
    私達は何をしてあげらるの
    薬漬けにされて治るあてをなくし 
    痩せた体合わせどんな恋をしているの
    地球上のサンソ、チッソ、フロンガスは 
    森の花の園にどんな風を送ってるの

    今 あなたにGood-Night 
    ただ あなたにGood-Bye

    機関銃の弾を体中に巻いて 
    ケモノ達の中で誰に手紙を書いてるの
    眠りかけた男達の夢の外で 
    目覚めかけた女達は何を夢見るの
    親の愛を知らぬ子供達の歌を 
    声のしない歌を誰が聞いてくれるの
    世界中の国の人と愛と金が 
    入り乱れていつか混ざりあえるの

    今 あなたにGood-Night 
    ただ あなたにGood-Bye

今週の朝日歌壇から

○  下茹でを終へて真白き大根をおでんの中に沈めゆくかな         (京都市) 才野 洋

 煮込みおでんに懸命な<私>が居て、それを眺めている<わたし>がいる。
 <わたし>が<私>に話しかける。
 「あんたは、この頃ずいぶん腕を上げたが、それは何か、定年離婚を想定しての勉強かね」と。
 <私>が<わたし>に応える。
 「そうでもあるとも言えるが、そうでもないとも言える。下茹でされた、この大根の沈んで行く様をゆっくりと見てみろ。これは大根役者の登場では無くて、千両役者の登場だ。身体を揺すり揺すりしながら、おでん鍋という花舞台の一番真ん中に座を占めるようにして、ゆっくりゆっくり沈んで行くのだ。これを見つめている、今という時間が貴重なのだ。定年後のことなどは、二の次、三の次さ」と。
     〔答〕 糸コンがふるる震えて沈むとき竹輪の穴はしとど濡れてる  鳥羽省三
 

○  マネキンはマネキンなれど怖々とスカート覗く少年がゐる        (東京都府中市) 市川きつね

 その昔、「十代の性典」という映画があったことを思い出しました。
 主役は、たしか若尾文子。
 インターネットで調べてみたら、1953年製作とありました。
 その年、わたくし鳥羽省三は十三歳。
 健気にも、光座という大映映画専門の二番館の硬い椅子に腰掛け、数十年後の参議院議員選挙に泡沫候補として立候補される女性の半裸体に見とれて居りました。
     〔答〕 マネキンはマネキンなれば怖々とスカートめくるまではせざりき  鳥羽省三 
 


○  何ごとか背広に赤子背負いたる主任が部長室におりたり         (調布市) 水上香葉

 「おりたり」は、「居りたり」とも「降りたり」とも解釈できる。
 もし前者ならば、話者の<私>は、取締役営業部長の女性秘書という想定なのか?
     〔答〕 仕事着に赤子背負った主任来て暇な部長とひそひそ話  鳥羽省三 


○  ノルマ果たせぬ友が気負いし忘年会泥鰌すくいのしみじみとして     (吹田市) 小林 昇

 ご本人が一所懸命なだけに、友人として見ても居られない無残な光景なのでしょう。
     〔答〕 安来よいとこ、あらエツサッサ、褌はずれて鯰が顔出した  鳥羽省三


○  ゆるやかに残像回る 天を突く大観覧車ありし虚空を          (岡山市) 光畑勝弘

 岡山市にも不況の波が押し寄せ、遊園地の「大観覧車」が撤去されたということを知って驚きました。
 瀬戸内の浜に打ち寄せる波はさざ波だとばかり思っていたのに。
 「天を突く大観覧車」が撤去された後も、ついうっかり元の観覧車の在った辺りの空に視線をやり、その時、失われたはずの「大観覧車」が「ゆるやかに」回っているように感じた、ということはいかにもありそうなことです。
 「虚空」とは、単なる空間を指すものではなく、「天を突く大観覧車」が失われた「虚しい空」の意。
     〔答〕 ゆるやかに波打ち寄せる砂浜に影を落として回れ観覧車  鳥羽省三 


○  酔い痴れて真夜の階段のぼるとき冥き底より綾蝶(ハブラ)舞い来たり   (奄美市) 浜田ゆり子

 本作を入選作とされた高野公彦氏は、この作品について「酩酊感の象徴のような綾蝶」と述べて居られる。
 私も、高野氏の弁と同じような感想を覚えるが、もう一つ付け加えると、本作での「綾蝶」とは、美しい翼を持った蝶を指す「綾蝶」であると同時に、沖縄地方独特の弦楽器、「綾蝶」と呼ばれる三線の音色とそれに合せて唄われる「綾蝶節(エエ四)」では無いかと思われます。
 もしそうならば、作中の<私>が、真夜中に酩酊状態で酒場の階段を昇っている時、下階の闇の底から、綾蝶節の妙なる調べが聞こえて来た。酒に酔い痴れた状態でその音を聴いた<私>は、かつて目にしたことのある、翼の美しい「綾蝶=ハブラ」が暗い闇の底から舞い上がって来るような感じだと思った、と言うことではないでしょうか。
     〔答〕 酔い痴れて綾蝶(ハブラ)叩けば舞い上がるリュウキュウアサギマダラの蝶が  鳥羽省三    


○  こんこんと眠る幼なのこんこんが聞こえてきそう冬の訪れ        (高槻市) 有田里絵

 雪国で暮らしていた者の実感として、「こんこんと眠る幼なのこんこんが」、本当に「聞こえてきそうな」冬の日があることを感じます。
 でも、作者の居住地が大阪府高槻市であることにはいささか奇異な感じを覚えます。
 私の弟一家も高槻市の住人ですが、大阪府の内陸部、摂津地方では、降雪が無くても急激な気温の変化などで、「冬の訪れ」が実感され、「こんこんと眠る幼なのこんこんが聞こえてきそう」な日があるのでしょうか。
     〔答〕 こんこんと眠りし子らも出で行きて暮れには帰り来んかとぞ待つ  鳥羽省三


○  二十余年英語の獄舎で和歌を詠む郷氏は英語も抜群にうまい       (アメリカ) 大竹幾久子

 私は今さら、「新聞は社会の公器だ」などという俗説を信じているわけではない。
 新聞社と言えども、ただの一営利企業に過ぎないから、社説やコラムで主張できないことを「声」欄や「歌壇」「俳壇」の投稿記事や作品に代弁させるようなことは間々在り得るに違いないが、それも程度問題であろう。
 ひと頃、朝日歌壇を賑わせたホームレス歌人の公田耕一氏の作品や、アメリカ西海岸の獄窓から投稿して来る、郷隼人氏の作品には、私も大いなる感動を覚えることがある。
 しかし、彼らとて短歌大明神の化身ではないから、時には欠詠することもありましょうし、投稿したけれども、選者のお眼鏡に適わずに掲載されなかった、ということもありましょう。
 そうした時、私は、「あれ、今週は公田さんのも、郷さんのも載ってない。公田さんは定職に就かれて、ホームレス歌人でなくなったのかしら。郷隼人さんは、この頃、アメリカ西海岸で悪性の風邪が流行っているらしいから、そのせいではないかしら」などと心配したりもする。
 そんな時、私の目に着くのは、彼らの境遇を哀れんだり、彼らの感情に共感を覚えたりしているような内容の作品や、彼らの作品に対するオマージュめいた作品である。
 そうした作品が、文芸たる短歌として、真に観賞に値するような作品ならば文句をつけようも無い。
 また、彼らの作品が掲載されていないとき、一種の話題作りめいた策略として、その種の作品が掲載されることは、新聞歌壇も一種の記事に違いないから、或いは許されることかも知れない。
 しかし、それも当該作品の出来如何であり、程度問題である。
 私が思うには、最近の朝日歌壇のやり口は、明らかにその程度を越えている。
 そして、その種の作品の出来栄えも、当歌壇の入選レベルに達しているものばかりとは、決して思えない。
 前口上が長引いてしまったので、そろそろ本題に戻そう。
 大竹幾久子さん作の上掲の作品に接しての私の感想は、「それもそうでしょうね。郷隼人さんの滞米生活もずいぶん長いから。でも、それでどうしたの。」といった程度のものなのである。
 何故ならば、其処には、優れた短歌作品として必要な、言葉と言葉との新鮮な衝突も認められないし、キラリと輝く新発見も認められないからである。
 それは、私の感性の鈍さに起因するものかも知れないし、好みの問題なのかも知れない。
 しかし、今日の私には、当該作品を本気になって推奨したい気持ちがいささかも無いのである。
     〔答〕 郷さんの薩摩訛りの発音が看守の耳に逆らひゐし日々  鳥羽省三

今週の朝日歌壇から

○  すみませんすみませんといいながら人かきわけて老いてゆくなり   (瀬戸内市) 児山たつ子

 「一首目は謙虚に、だが遠慮もせずに生きぬいた来し方を酒脱に総括するようにうたってみせた。混んだ電車に乗るようなおかしさで、まだまだ老いには遠そうだ」とは、選者の馬場あき子氏の評。
付け加えるなにものも無し。
     〔答〕 すいませんすいませんなどと言いながら煙吹きかけ来る夫(つま)憎し  鳥羽省三


○  路上にはポインセチアの花ならぶ日暮れてあかき駅前花屋   (所沢市) 栗山雅臣

 「年越しテント村」必至、就職超氷河期のこの歳末に於いても、ジングルベルは鳴り響き、ポインセチアは艶やか。
 四句目の「日暮れてあかき」の「日暮れ」を一日の「日暮れ」とだけ解釈してはならないし、「あかき」を「赤き」とだけ解釈してはならない。
     〔答〕 クリスマスカクタス出荷に大わらわバーバはパパのお手伝いしてる  鳥羽省三 


○  霜消えて大根を干し、柿を干し、白菜を干す 雪虫が飛ぶ   (気仙沼市) 畠山登美子

 「霜消えて」の解釈には少し手間取りましたが、これは、「陽も高くなり、夕べ下りた霜が溶けて」ということでしょうか。
 一首の意は、「霜が溶けてすっかり晴れ上がった晩秋の一日、私は、納屋の軒下に大根を干し、柿を干し、そして白菜を干す。一日のそうした日課にひと段落が着いた頃、庭の辺りを雪虫が飛び交う。もうニ、三日したら、雪模様になるに違いない。」といったところでしょうか。
 「柿」は甘柿ではなくて渋柿。
 その渋柿の皮を剥き、串に刺したり、紐で結んだりして、納屋などの軒下に干すのであるが、その時に出る、渋柿の皮も捨てられることなく、大根漬けや白菜漬けに旨味を添えるために使われるのである。
     〔答〕 晴れた日はぶんぶんぶんと蜂が飛ぶ死に損ないの蜂が飛び交う  鳥羽省三 


○  水底に鳥のこえだけ今もするしずかなしずかなふるさとがある   (城陽市) 山仲 勉

       『水底の町』
                         作詩・作曲 : さだまさし

八幡様の境内の 楠にはリスが住んでいた
石段下の泉には 蛍が飛んでた夏の日
裏山へゆけばクワガタや カブトムシやアゲハチョウがいて
夕立のあと夏草の 匂いが死ぬ程 好きだった
遠くでお寺の鐘が鳴って どこかの焚火の煙が
狭い谷間に重なるように じっと蟠っていた
僕の育った小さな町は 五年前の今日 湖の底に沈んだ

僕は都会のアパートで ささやかに独り棲んでいる
酒を借りては友達に 愚痴をいう日もあるけれど
何かこうして暮らすことが 長い夢をみているような
どこか本気じゃないような 思いになるのは何故だろう
本当の僕はどこかにいて 僕を捜しているようだ
ビルの谷間で夢たちが じっと蟠っている
僕を支える哀しい都会(まち)も とても大きな
湖に沈もうとしている

雨の少ない晴れた夏に ダムに立てば 八幡様と
立ち枯れた楠が 少しだけ見える日がある
実はあそこの床下に 少年時代の
宝が一杯つまっている 箱が埋めてあるんだ
今ふるさとが 僕にむかって 大丈夫かと
尋ねてくれている
大丈夫 大丈夫 大丈夫・・・・・
                                (無断引用、篤くお詫び申し上げます)
     〔答〕 水底に沈める鐘の響くごとダム湖の空の今朝は晴れたり  鳥羽省三


 
○  つけくれし廊下の隅の豆球を夜ごとにつけて亡き夫に逢う   (松山市) 曽我部澄江

 作者のご夫君は、自分たちの老後のことや、ご自身の亡き後のことを慮り、廊下の隅に豆電球を付けたり、階段に手すりを付けたりしたのであろう。
      〔答〕 「ああ、萬灯篭(まんどろ)だ、萬灯篭(まんどろ)だ」と声上げて廊下の隅の豆球灯す  
                                                  鳥羽省三


○  母だってなりたいだろう孫馬鹿と叔母を笑いし心の奥は   (東京都) 内藤麻由子

 作者の母の妹が「叔母」で、その叔母のことを、かつて母は「孫馬鹿」と言っていた。
 その「孫馬鹿」の姪である作者には未だ子が無いから、「孫馬鹿」の姉である作者の母は未だ「孫馬鹿」にはなれない。
 「孫馬鹿」になりたくてもなれないのだろう、と、作者は、子を持たないわが身を思い、孫を持たない母の身を思っているのである。
     〔答〕 祖母として抱いてもみたい我が孫を 孫馬鹿ちゃんりん娘を泣かす  鳥羽省三


○  もうこれで亡夫を想うは止めとする留守のわが家へ電話鳴らすは   (伊勢市) 正住喜三江

 誰も居るはずのない我が家に出先から電話をしてみるというのは、歌謡曲のフレーズにもある情景。
 本作の作者は、夫の亡き後、その情景を幾度か演じて来たが、これを限りに止めようとしているのである。
 その最後の電話のベルが突然途切れ、「もしもし、正住ですが」などとの男声がしたとしたら、それはもう、ホラー小説の世界である。
 「もうこれで」に込められた、作者の切ない思いを汲み取らねばならぬ。
     〔答〕 あれでもうやめたつもりの我が家への電話のベルをまた鳴らしてる  鳥羽省三


○  東京に慣れてきたけど地下鉄の線は今でも色で呼んでる   (奈良市) 杉田菜穂

 我が御用達の半蔵門線は「紫」。
 その「紫」を表参道駅で乗り換えて、銀座方面に向かうのが「オレンジ色」の銀座線と、私もまた、作者同様、東京都内の地下鉄を色で呼んでおります。
 一昨年、七年ぶりに首都圏にUターンしたら、かつての<営団地下鉄>が<東京メトロ>に替わっていたのにはびっくりしました。
     〔答〕 「紫」の神保町駅徒歩二分半ちゃんラーメンお馴染み「さぶちゃん」  鳥羽省三  
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