スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 ○  病廊を妓楼に見立てひねもすに過ぎれる娘(こ)らの値踏みして居り   鳥羽省三

 本作の動作主は、先年亡くなった私の叔父である。
 彼は戦時下の上海で某日刊紙の支局員を勤めていたが、終戦後間も無く着の身着のままで本土に引き上げて来た。
 引き上げ後の彼は、新聞社や雑誌社などからの引く手あまたの誘いを退けて、口を漱ぐ程度の手間賃稼ぎしかしないままに、細君と二人で東京・阿佐ヶ谷で陋屋暮らしをしていた。
 その彼が、都下のある総合病院の六人部屋のベットに臥したまま亡くなったのは、今から数えて三十六年前のこと。
 その半年前に、彼は、彼自身のただ一人の同居者であり、理解者でもあった細君を亡くしていたので、それから幾月も経たない中の彼の死亡は、言わば、細君への後追い心中のようなものだったとは、親戚中の専らの噂であった。
 片意地張った彼の性格は、親戚など周囲の者の意見を容易に受け入れず、実の姉である私の母を含めて、親戚筋のほとんどの者が、破産した旧家の土蔵を改造して作った狭い借家に蟄居する彼を相手とせず、彼もまた、私以外の親族を相手としなかった。
 私が、両親や周囲の人々の目を盗んで、彼の陋屋を訪れていたのは、その壁際に山積みされている古雑誌読みたさと、彼の上海生活の話を聞きたい、という気持ちが重なったからであった。
 本作の背景となった出来事は、彼の最晩年、彼の性格を好いていたとも思われないのに、生涯彼の元を去らなかった細君にも先立たれ、末期癌の身を、薄汚い総合病院の六人部屋のベットの上に横たえていた頃のことである。
 長い長い冬のある日、私が鯛焼きなどを手にして見舞いに行くと、「おお、省三か。今さら俺のところに来ても何も無いぞ。今の俺には、お前に渋茶一杯も注いでやれないのだよ。」などと言い出し、その後は、おもむろに、自分の過去の出来事などを話して聞かせるのであった。
 「上海の頃の俺は、いくらかお金も持っていたし、まだ独身だったから、女の体を求めて、夜な夜な危険な魔窟に足を踏み入れたものだった。その癖が、こんなざまになった今でも取れなくて、俺は、ついうかっりすると、この病室の前の廊下を娼妓たちの居る妓楼だと勘違いしてしまい、廊下を通り過ぎて行く看護婦や女の患者や見舞い客などを、この女の値はいくら、あの女の値はいくら、と値踏みしているのだ。今となっては、果てない夢だがね。」などと。 


 ○  逢合の帰途覘きしは田屋・ライオン・明治屋含めて都合六軒      鳥羽省三

 これ亦、叔父から聞いた話。
 「俺の楽しみは、あまり金のかからない女漁りと銀ブラ。」
 「つい先日も俺は、烏森のあいまい宿で、そうした女と一戦交えた後、銀座に出掛け、買うとも無しに、田屋のネクタイの感触を確かめ、それから、ライオンの壁画の前に陣取って昼食を取り、その後は、京橋まで足を延ばして、明治屋を冷やかしてきた。」などと、自慢げに語ったものだ。
 今から、四十年も前のことだ。
 女漁りと銀ブラ以外に、叔父は、もう一つの道楽を持っていた。
 それは、私なら一生かかっても一本も買わないような高級ネクタイの蒐集。
 最晩年まで叔父との付き合いを絶たなかった、私の狙いの一つもその辺に在ったのだが、「叔父逝去」の知らせを私がしたところ、それまでは鼻も引っ掛けなかった有象無象どもが親戚中から集まって来た。
 そして、叔父の住まいが借家だと知ると、彼等は、家中を引っ掻き回した挙句、私が密かに狙っていた高級ネクタイを鞄に詰め込み、ろくろく通夜も明けないのに、瞬く間に帰宅してしまったのだ。
 ほんの形ばかりのものだったとは言え、叔父の葬儀は私と家内とで済ませたが、その淋しかったことは、今になっても忘れられない。
スポンサーサイト

『題詠2009』への投稿作品と作者自身によるその注釈(そのⅢ)

021:くちばし(鳥羽省三)
 くちばしの黄色い秋刀魚が新鮮と妻は秋刀魚を血眼で選る

 今から四半世紀ほど前までは、 「お前という奴は、くちばしの黄色い分際でよく口出しをする」などと言って私を叱ってくれる人が沢山居たが、彼らの大半はあの世に旅立ち、生き残っている人たちも今ではすっかり元気を失ってしまった様子だ。かつての厚顔の美少年の私もそれだけ年取ったということかな。
 人間と同じように、秋刀魚も取れ立てで新鮮なうちは嘴が黄色い。
 いや、そういう言い方は本末転倒だ。新鮮な秋刀魚の嘴が黄色いことから、年若い人間を貶して「お前は嘴の黄色い分際で」などと言って叱ったのだ。
 でも、嘴が黄色いことは秋刀魚の場合はいいことなのに、人間の場合は良くないことなのは、どうしてだろうか?
 とか何とか言って、例によってかなり原稿料を稼いでしまったけど、我が家の奥方は秋刀魚が大好きで、私の嫌いな秋刀魚の塩焼きをむしゃむしゃ食べる。そして、食べる秋刀魚が無くなると、毎日でも魚屋に通って秋刀魚を買い求めて来る。
 魚屋のトロ箱から秋刀魚を選る時の奥方の目は真剣だ。少しでも嘴が黄色くて大きいものを、との一心で、血眼をして秋刀魚の識別をする。そういう時私は、秋刀魚の黄色い嘴と奥方の血眼とを、冷たい目をして見比べている。何を隠そう、ローマン主義的な歌ばっかり作って笑われている私の実態は、冷静な観察者なのだ。
 秋刀魚を選る時の奥方が血眼になる理由は二つ。
 一に、秋刀魚が好きだから。二に、亭主の私が無職、無収入だから。
 いや、「亭主の私が無職・無収入」というのは少し言い過ぎだ。こんなやくざな私でも、毎年毎年、減額されて行くばかりだけど、公務員共済会本部から二ヶ月ごとに送られて来る、年金ってものがあるからさ。だから、無職ではあっても無収入ではないわけだ。
 でも、それだけでは、とてもじゃないけどやって行けないから、最近、奥方はお犬様のご衣裳作りに励んで居られる。でもでも、お犬様のご衣裳は、作っても作ってもさっぱり売れないし、結局は友人や親戚の人などにただで進呈してしまうことになるから、自分が大好きな秋刀魚を選る時の奥方の眼は血眼になるわけさ。
 そういうわけだよ。これで奥方と秋刀魚のお話はおしまい。


022:職(鳥羽省三)
 「有職」は「故実知る」の意、世に謂へる「無職」とふ語の対義語でなし
 
 初稿は、「涜職に汚職に無職・管理職 職の付く語は碌なもの無し」という、かなり創作意欲を喪失した状態で作ったもので、それをそのまま投稿した。
 しかし、トラックバックをし終えた瞬間、憎悪感覚だけで作り、まるで反吐を吐くようにして詠み捨てたその作品に嫌気がさし、掲出作品のように改めて再投稿したのだが、時すでに遅く、再投稿作品は「題詠2009」の再投稿規程の範囲を越えているから、主催者の五十嵐きよみさんに見つかったら怒られるかも知れない。
 でも、五十嵐きよみさんを怒らせるのも面白いかも知れない。あの美人(?)が血相変えて怒って、スパニッシュ訛りか何かの日本語でまくし立てたら、どんなに怖いことだろうか。家内の妹の愛犬のクロちゃんだったら、震え上がってションベンちびるかも知れない。
 閑話休題。「有職」は<ゆうそく>と読み、「貴族社会や武家社会などの古くからのしきたりや行事に関する知識(を知ること、または人)」の意。通常は「有職故実」という四字語として用いられる。
 自慢して言うわけだけれど、筆者は、その昔、河鰭実英氏というその道の最高権威から、「有職故実」学を学んだ。
 その最高権威者の直弟子が、有職の反対(ではない)の無職とは、とほほほほほ。ああ、なんとなさけなや。
 

023:シャツ(鳥羽省三)
 身に合ったシャツが無いから浴衣着て下から読んでも山本山は

 初稿は、「ネルシャツを寝るシャツなどと覚え居し息子も今は二児の父なり」であったが、いくらなんでも、と思って投稿しなかった。
 「作品中の<わたし>≠作者の私」というタブーを破ってまで、敢えて問わず語りをするが、我が家の長男は、中学時代のある日、誰から授けられた知識なのか、ネルのシャツを買って来て、すまして言う。「このシャツは最近流行のネルシャツだ。これを着ていないと女の子にもてないから買ったのだ」と。
 ところが、ある晩、その長男がその自慢のネルシャツをパジャマ代りにしてベットに入っているのだ。それを見た妻が、理由を訊ねると、「寝る時に着るからネルシャツと言うんだ」と、真面目な顔をして答えたそうだ。妻は私に、「あれは冗談ではなくて、本当にそう思っているから、そう言ったんだよ」と言って、一件の披露に及んだ。 
 話を投稿作品に戻そう。
 昨今話題の、体重四分の一トンの、あの大相撲力士・山本山が浴衣を着て出歩くのは、身の丈に合ったシャツを持っていないからではなく、「力士たる君らは、ジャージーやTシャツなどを着て出歩いてはいけない。外出する時はきちんと浴衣を着なさい」という、理事長や親方の言いつけを守って、そうしているのだろう。
 そうと知りながら、「身に合ったシャツが無いから浴衣着て」と言ってしまうところが、この作品の作者の恍けたところであり、この作品の面白いところでもある。
 それに続けて、日本橋の老舗<茶舗・山本山>」の宣伝文句である「下から読んでも山本山」を、そのまま下の句としたのも秀逸である。
 自慢して言うのだけれど、私は、「題詠2009」の投稿作品の中のせめて5%くらいの作品が、このくらいのレベルの作品だと、主催者の五十嵐さんは、たちまちラスベガスに別荘を持てるような金満家になれるだろう、と勝手に思っている。


024:天ぷら(鳥羽省三)
 天ぷらや命あっての武勇伝 鳶ノ巣攻めではほとほと死にき
 
 一見、継ぎ接ぎだらけで、なにがなんだか分らない作品ではあるが、テキストを凝視していると、次第にある光景が思い浮かんで来る。
 先ず、「鳶ノ巣攻め」と「命あっての武勇伝」から、あの天下のご意見番・大久保彦左衛門が導き出され、そして、五句目の「ほとほと死にき」からは、「万葉集巻15」所収の狭野弟上娘子が恋人・中臣宅守に贈ったとされる相聞歌、「帰りける人来たれりと聞きしかばほとほと死にき君かと思ひて」と、その作者・狭野弟上娘子が導き出される。
 作品中の語句で残ったのは、初句の「天ぷらや」だけである。「天ぷらや」の「や」は、ひらがな書きをしているからには、まさか「天ぷら屋」の「屋」ではあるまい。おそらくは、「松島やああ松島や」の「や」だろうから、この際は関係ない。
 「天ぷら」関係で何かないか。「天ぷら」とこの作品中の他の語句や、他の語句から導き出された事柄とを関連させてもいい。
 こうして、あれこれ思案しているうちに、「天ぷら」と、先ほど導き出された大久保彦左衛門との関連で、一人の重要な人物が浮かび上がる。
 その人物とは、徳川家康、東照大権現様である。徳川家康は大久保彦左衛門の主君。
 そして、後々「天下のご意見番」として、一方には頼もしがられ、他方には煙たがられた大久保彦左衛門が、自分の武勇伝として語った、「一番乗り、一番槍」の大手柄を立てたのは、徳川家康の旗本として出陣した、「鳶ノ巣・文殊山の初陣」に於いてのことであった。しかも、その大久保彦左衛門の主君の徳川家康の死亡を巡っては、「天麩羅中毒説」が囁かれている、ことに気が付く。
 これで決定。
 後は、この三つの要素を適当に繋ぎ合わせて行けばいい。つまり、この作品は、徳川家康、大久保彦左衛門、そして万葉の狭野弟上娘子のコラボレーションないしはパッチワークなのである。
 主役の<わたし=話者>は、勿論、大久保彦左衛門。掲出作品の中身は、この大久保彦左衛門のモノローグなのだ。
 以下、彦左衛門の独白。
 「天麩羅か。天麩羅も食いたいけど、命が惜しい。なにしろ、わしの主君の東照大権現様には、天麩羅に罹ってお亡くなりになられた、という噂があるくらいだからな。そうなるとわしたち、徳川家の家臣にとって、天麩羅はお家に仇なす仇敵というわけだ。わしは今でこそ、天下のご意見番などと呼ばれて、調子づいたら、あの徳川三代将軍、家光公にまで意見を申し述べたり、武勇伝を語ってお聞かせ申しているけど、それも命あっての物種。天麩羅など食わずに摂生しているからだ。」
 「命あっての物種と言えば、わしがいつも語り草にする、鳶ノ巣文殊山の初陣には、少し裏話があるのだ。あの鳶ノ巣攻めでは、わしが一番乗り、一番槍の大手柄を立てたことになっていて、わしはこないだも、家光公にその話を語り申して、公の近頃の不摂生をお戒め申したが、本当のことを言うと、あの時、わしは、<ほとほと死にき>という状態だったんだ。」
 「待てよ。わしは今、なんと言った。なに、<ほとほと死にき>だって。<ほとほと死にき>といったら、あの万葉集にある、狭野弟上娘子の歌ではないか。確か、『ほとほと死にき君かと思ひて』と言って、彼氏に贈ったというやつだ。つまりは、『死ぬ、死ぬ』というわけか。わしも『死ぬ、死ぬ』って言わせてみたいな。若い娘っこに。」とかなんとか。
 私の作品は、解り易いの唯一の取り得なのだが、たまには、こんな解り難いのが在ってもいいだろう。
  

025:氷(鳥羽省三)
 氷下魚(こまい)とてその身の白き魚あり凍れる海を割りて漁る

 初稿のまま投稿したが、投稿後に思いついた、「北洋に氷下魚とふ名の魚居て凍れる海を割りて漁る」と比較してどちらが勝るか。
 インターネット歌壇有数の論客として知られる水口涼子さんがわざわざメールを寄せられて、投稿作品の方に軍配を上げたから、そっちの方が良かったのだろう。
 

026:コンビニ(鳥羽省三)
 コンビニは真夜を灯して煌々と夢失ひし僕を誘ふ

 初稿は「『アノコンビニハカナワヌ』と遺書残し<かめの>は逝ったKⅠの朝」というお笑いネタだった。「かめの」は「鶴野」の裏。「KⅠ」については語るを要すまいが、空手ではないよ。お笑いだよ。
 初稿を作った時、私は、「コンビニ」と言っても「コンビニエンス・ストアー」の略称としての「コンビニ」ではない、カタカナの「コンビニ」は無いか、と無い知恵をさんざん絞った。その挙句、遺書の中身をカタカナ書きすればいいことに気が付いて初稿に行き着いたのである。
 でも、お笑いネタでは一笑に付してしまわれるだけだから、と思って没にした。
 掲出作品については、類想歌の存在が気になるが、コンビニエンス・ストアーの略称としての「コンビに」を詠めば、だいたいこんな内容のものになるだろうとも思う。
 コンビニの灯りは誘蛾灯の役割を果たしているのだ。目標を失ったコンビニ族は現代社会の「蛾」なのだ。
 作者の私は投稿作品を、「褒められもせず。苦にもされず」といった程度の作品か、と思っている。


027:既(鳥羽省三)
 「既往症無し」と記して澄ましてる未往症なら数え切れぬが

 うーん。分る。分る。世の中に病気持ちは多いからね。誰だって、病気の一つ二つを持っているからね。一つも持っていない奴は頭の病気とか。
 「未往症」とは、「未だ往かざる症(状)」ということで「未だ治っていない病気」のこと。
 これとは別に、「既発表になってしまうが気にせずに『2009』には佳作を出そう」という作品も作ったが没にした。吹けば飛ぶような作品を作って、「やれ既発表だ。未発表だ」などと、大真面目に騒いでいる、いわゆる「歌人ちゃん」たちを揶揄しようとしたのだが、その祟りが恐ろしいので止めたのだ。


028:透明(鳥羽省三)
 週末の息子はビニール身に纏ひ透明人間パパマン一号

 ああ、涙ぐましい。その昔、息子二人のために、私がやっていたことを、今、娘二人の親になった長男が夢中になってやっているのだ。その様を見ていると、私は、つい、「作中の<わたし>≠作者の私」という公式を忘れてしまうのだ。失態、失態。
 今日、家内の田舎に電話して、「<透明人間パパマン一号>の留守宅に、秋田こまち三十キロを送って下さい」とお願いした。勘定はもちろん、パパマン〇号持ち。
 透明人間パパマン一号は目下、大阪に単身赴任中。本当の透明人間になったのだ。

〔追伸〕 
 昨晩、透明人間パパマン一号宅から℡あり。孫娘二人も電話口に出て、「おいしいりんごありがとう。わたし丸ごと食べちゃった。それからね、昨日パパが大阪から帰ってきて、私のお弁当を作ってくれたの。でも、幼稚園では給食だったから、私二つとも食べちゃった」と次女。長女は「美味しいお米ありがとう。前に送ってもらったのがちょうど無くなりそうだったから、とても嬉しいと、ママも喜んでいたよ。りんごも美味しかった」と。
 小学二年生の子にお米の御礼を言われたのは初めてだ、と家内は喜ぶ。また送ってやろうかな。


029:くしゃくしゃ(鳥羽省三)
 くしゃくしゃの紙は丸めて捨つるより皺を展ばして尻拭くが良し

 少し汚かったかな。出た後は、よく手を洗っとけよ。
 これとは別に、「くしゃくしゃの人生だからと彼は言う ぐしゃぐしゃよりはいいではないか」という、惨めったらしいのも作ったが没。


030::牛(鳥羽省三)
 「うしの日にむなぎ召せ」とふ「うしの日」は「丑の日」にして「牛の日」でなし

 「石麻呂にわれもの申す夏痩せによしといふものぞむなぎとり召せ」という、万葉集の大伴家持の和歌に唱和したつもりであるが、果たしてどうか。 
 「十二支」の二番目の動物は、「丑」であって、「牛」ではない。それなのに、最近の鰻屋は「牛の日です。夏痩せしないように鰻を召し上がれ」などと書いた貼り札を貼っている。

『題詠2009』への投稿作品と作者自身によるその注釈(そのⅡ)

011:嫉妬(鳥羽省三)
 嫉妬とふ単語に女ふたり居て互ひに嫉(そね)み妬(ねた)み合ひたり

 初稿は「嫉妬とふ言葉に女二人居て互ひに妬(ねた)み嫉(そね)み合ふとか」であった。末尾を「合ふとか(聞く)」とすることによって、「嫉妬という言葉の中に女が二人棲息して居て、その二人の女は互いに相手を嫉妬し合っている、と誰かから私は聞いた」という伝聞形式にしたのだ。
 この場合、作品全体の話者としての<わたし>は、「嫉妬とふ言葉に~~(中略)~~妬み嫉み合ふ」という話を、誰かから聞いた<わたし>であって、その<わたし>にその話を聞かせた<誰か>とは別人である。つまり、一作品の中に、作品全体の話者と、その話者にある話を聞かせた、その話の話者がいるのである。
 初稿を投稿して間もなく、私(=作者)は、伝聞形式のその初稿が気に食わなくなった。
 一作品の中に話者が二人存在する(それはよくあることだが)などというのはややこし過ぎるからである。
 そこで、作品の内容を「~という話を、誰かから私は聞いた」などという間接的な形にせずに、「私は~した」という直接的な形にしようと思った。
 掲出の作品、「嫉妬とふ単語に女ふたり居て互ひに嫉(そね)み妬(ねた)み合ひたり」は、こうした次第を経て出来上がった。
 伝聞形式から直叙形式に改めたわけであるが、ことのついでにと思って、「言葉」を「単語」に替え、「妬む・嫉む」の語順を「嫉妬」の文字順に合わせて入れ替えもした。
 「言葉」を「単語」に改めた件は、もしかしたら、初稿のままの方が良かったかも知れない。だが、「女(が)ふたり」の「ふたり」と「単語」の「単」とを比較対照化したいと思ったので、敢えて「単語」に改めた。
 「単語に女(が)ふたり居て」とは、「一軒の家に<女>が二人居て」、つまり、妻妾同居の形である。
 ところで、「題詠2009」のブログを開いて「011:嫉妬」という<お題>を見た時、私は困惑してしまった。何故なら、この「嫉妬」という語こそ、短歌にとって最大のテーマ、恐らくは「短歌そのもの」と言ってもいい語であると、かねがね思っていたからである。
 「蝌蚪生れし水のよろこび水の面に触れてかがやく風のよろこび」と、雨宮雅子氏は自然への嫉妬心をあからさまに歌う。
 「杖すでに用なくかへす傘立てにすとんと棒にかへりゆきたり」と、春日真木子氏は、生前にその「杖」を愛用していたご父君・松田常憲氏の死亡に伴って無用となってしまって、一本の棒と化してしまった「杖」にさえ嫉妬し、それわ歌に託して憚らない。
 「嫉妬心」を歌った作品の例として、女流歌人二人の作品を上げたのは、このお二人が、私が七回生まれ変わっても及ばないような優れた歌人だからである。彼女たちは、嫉妬の対象とされこそすれ、彼女らご自身が嫉妬するなどとは、私は思ってもみなかったからである。
 嫉妬心を短歌に託するのは、何も女流歌人ばかりではない。
 今や、歌壇の一方の旗頭となってしまった感のある、高野公彦氏の学生時代の作品に、「悲しみを書きてくるめし紙きれが夜ふけ花のごと開きをるなり」(『水木(昭59)』より)という、人口に膾炙した佳作があるが、高野氏がこの作品を発表される数年前に刊行された森岡貞香氏の歌集『白蛾(昭28)』に、「生ける蛾をこめて捨てたる紙つぶて花の形に朝ひらきをり」という、全く同趣向の作品が掲載されている。
 私は、これを以て、高野公彦氏が森岡貞香氏の作品を模倣したとは思わないが、もしかしたら、当時の大学生歌人・高野公彦氏の胸中に、森岡作品への嫉妬心があったのかも知れない、とは思っている。
 大学生歌人だけではなく、一人前、いやそれ以上に有名な大歌人だって嫉妬する。
 あの塚本邦夫氏に、「五月祭の汗の青年、病むわれは火のごとき孤獨もちてへだたる」(『装飾樂句(昭31)』より)という嫉妬心の権化のような作品があるが、それは若気の至りとしても、もう一つの、「雉食へばましてしのばゆ再(ま)た娶りあかあかと冬も半裸のピカソ」(『緑色研究(昭40)』より)は、彼の全盛期の作品であり、彼の代表作の一つであるだけに、絶対に見逃すわけにはいかない。
 このテキストから読み取れるものは、自分より強健で、自分より有名で、自分よりもかなり獣性に勝った同性への激しい敵愾心と燃えるような嫉妬心である。
 私の歌は彼、彼女らの手になる歌からすれば、まるで屁のようなものであろうから、こうして嫉妬心の火達磨と化してしまったような彼、彼女らの作品に接する時、まさか高野が、まさか塚本が、という思いに囚われてならない。
 この稿を書き進めながら、気分転換にと思って、たまたま「題詠2009」の投稿歌を見ていたら、水口涼子さんと仰る妙齢の女性(?)の方の御作として、「必ずや探し出されて君といるタイガーバームに嫉妬している」という傑作が目に入った。何と驚いたことに、この広い世の中には、あの塗り薬のタイガーバームに嫉妬している女性だっているのだ。しかも、その女性は、ひょっとすると変態と思われるかも知れない、ご自身のあまり褒めたものでもないご性格を、堂々と短歌に託して、満天下にご披露に及んでいるのである。
 ことほど然様に、「嫉妬」と短歌との関係は深いのである。
 と言うわけで、あれこれと悩みの尽きない私は、苦肉の策として、「嫉妬」そのものを主題とせずに、「嫉妬」という文字を題材にして一首をものすることに決めた。戦国時代の武将が、敵の正面からの攻撃が無理だと悟った時に、よくやる戦法だ。つまり、搦め手戦術というやつだ。
 おそらく古代中国人の仕業であろうが、彼らは迂闊にも、「ねたみ・そねみ」を意味する、「嫉妬」という言葉の、「嫉」の字も、「妬」の字も、「女偏」の字として作って下さった。これは、今ならばウーマン・パワーに一蹴されそうな大失敗であろうが、私は、この古代中国人のしでかした大失敗につけ込んで、上掲の一首を作ったのである。 
 「嫉妬」という一単語の中に二人の女が棲息しているという、このささやかな発見は、作者の私にとっては、コロンブスの卵にも、ニュートンの林檎にも等しい大発見であった。


012:達(鳥羽省三)
 「達者でナ」なんて演歌もあった気が駿河銀行テッシュも呉れぬ

 「『達者でナ』なんて演歌」を三橋美智也が歌ってヒットさせたのははるか昔のことであって、今となっては、作詞者、作曲者の名前も忘れてしまい、歌詞さえ曖昧にしか覚えていない。
 掲出の作品は、その「達者でナ」という演歌のタイトルを含む一連の語句、「「『達者でナ』なんて演歌もあった気が」を、それと直結する掛詞の部分、即ち、「するが=駿河」を呼び起こす序詞として用いたものである。従って、この作品の意味のある部分は、「駿河銀行ティッシュも呉れぬ」という下の句だけということになる。
 但し、万葉時代に起源を持つ、この序詞には、作品中のある語を呼び起こす役割を主たる任務としながらも、それ自体にもなんらかの意味を持たせて使っている<有心の序>と、そうではない<無心の序>とがあり、拙作では、序詞に当たる「『達者でナ』なんて演歌もあった気が(するが)」という部分にも、作品中の<わたし>が、昔のことを懐かしむ、といったような何らかの意味を託していると思われるので、これは、どちらかと言うと<有心の序>である。
 そこで、この序詞の部分を有心とした上で、この作品の口語訳をするとこうなる。
 鳥羽の爺は未だに達者ということだが、そう言えば、かなり昔、『達者でナ』なんてタイトルの演歌があったような気がするが、今となっては、作詞・作曲者の名前はおろか、歌詞さえもうろ覚えになってしまったよ。待て、今、私はなんて言った。そうだ、「演歌があった気がするが」と言ったんだ。その<するが>で思い出したのだが、横浜の若葉台にある「駿河銀行」銀行、俺がせっせと貯金をしているのにティッシュも呉れない。しけた銀行だよ全く。
 作品中の<わたし>は、仕事仲間と二人で駅のベンチかどこかで、ワンカップでも空けているのだろう。すると、下の句の「駿河銀行ティッシュも呉れぬ」は、仕事の疲れから発する愚痴であり、日頃からサービスの悪い駿河銀行に対する、呪いの言葉でもあると思われる。そうなると、この七七は、「駿河銀行潰れてしまえ」と替えても差支えがないだろう。


013:カタカナ
 カタカナで書けば<ステキナワタシ>だが鏡を見ても素敵な私

 初稿は、「『カタカナで<カホリ>と書くが呼ぶときは<かおり>と呼んで』と妹は言う」であったが、あまりにも馬鹿馬鹿しく思われたので棄ててしまって、上掲の形で投稿した。でも、投稿した方がもっと馬鹿馬鹿しいカモ。
 でも、あの斉藤斎藤の歌をからかう役割は少し果たせたカモ。
 斉藤斎藤流にやれば、「カタカナで書けば<ステキナワタシ>だが漢字で書けば<素敵な私>」となるのだが、作品中の<わたし>は彼よりはかなり頭脳明晰だから、「カタカナで書けば<ステキナワタシ>だが鏡を見ても素敵な私」と、自惚れてみたのだろう。
 

014:煮(鳥羽省三)
 「小豆汁煮えた?」と問はれ「小豆汁煮えた」と言へば殺されるお噺

 子どもの頃に、真中で目隠しをして屈まっているオニの回りを、「あーぶく立った、煮えたった。煮えたか、煮えねか、食べてみろ」と歌いながら、手をつないだ数人の子どもたちが周り、歌い終わって外周の子どもたちが止まると、真中のオニが、「もう煮えた」か「まだ煮えね」かのどちらかの答えを言う。その時、オニの答えが「まだ煮えね」だったら、外周の者たちは再び歌いながら回り出すが、「もう煮えた」だったら、オニの直後に止まっていた者の身体を、目隠しをしたままのオニが触り、「あっ、これはおっぱいがおおきいからカズ子だ」「あっ、これはあそこが直立しているから、眞作だ」などと名前を言う。オニの言った名前が、言われた本人の名前と的中したら、その者が次のオニ。的中しなかったらオニの交代はなしで、また同じことが繰り返される、といったような遊戯があった。
 歌う歌詞は少しずつ違っていても、ゲームそのものは、それほど変化なく全国各地で行われていたと思われ、私とは郷里を異にする小島ゆかりさんが、この遊戯に取材したと思われる短歌を作っていた。だが、その内容は忘れてしまった。
 この遊戯で歌う歌の、私の郷里での歌詞は、「小豆かいかい、煮かいかい。煮れたか煮れねか、食べてみろ」だった。オニの答えは「もう煮れた」「まだ煮れね」。
 上掲の作品は、この遊戯唄の元となった昔話に取材したものである。
 この怖い昔話を、家の年寄りが子ども達に語ってくれるのは、決まって真冬。子ども達が囲んでいる囲炉裏の自在鍵に掛けられた大鍋の中では、前年の秋に畑で取れた小豆がぐつぐつぐつと何事かを呟いていた。その怖かったこと、恐かったこと。
 

015:型(鳥羽省三)
 「型枠を組めば仕事は半分さ」 左官屋さんは誇るがに言ふ

 「型枠」とは、家屋の土台のコンクリート打ちなどをする時に作る木製の枠。コンクリートが一定の形で固まるようにするための仕掛けである。
 左官屋さんとは、元々、家や土蔵の壁を塗るのが本業であるが、今となっては、白壁を塗った家などほとんど建てないから、昨今の左官屋さんは、大工の棟梁から頼まれてするコンクリート打ちを本業のようにしている。
 型枠組みの上手下手は、その後の作業工程や家屋の強度や工賃とも密接に関わるから、型枠組みを自分の思い通りにし終えた時、「『型枠を組めば仕事は半分さ』」と「左官屋さんは(自分の腕前を)誇る」ようにして「言ふ」のである。
 「誇るがに言ふ」の「がに」は、「~~せんばかりに・~~するかのように」の意味で用いられる副助詞である。この上代語を現代短歌の中で使うのは、なるべくならば避けたいと、私はかねがね思っていた。だが、この作品の場合は、他に適当な表現方法が見つからなかったのでやむなく使った。


016:Uターン(鳥羽省三)
 シャッター街はつばくらめのみ新しくUターンせし吾を斬るがに飛べり

 中村草田男の処女句集『長子』に、「町空のつばくらめのみ新しや」という名句があることは、どなたもご承知のことと思われる。掲出作品はその名句へのオマージュとして作った。
 もしも、お題に縛られなかったら、おそらく私は、この歌の第四句を「帰郷者われを」としたに違いない。しかし、投稿後によくよく熟慮したら、この一首はこのままでいいのだという結論に達した。
 何故ならば、「帰郷者われを」ではなく、「Uターンせし吾(わ)を」にしたことによって、「つばくらめ(燕)」の<直線的飛行>と、「吾」の<曲線的行動>」とが、具体的に比較され、それが、次句の「斬るがに飛べり」という後ろめたい感情を述べた語句を呼び起こすことになると思ったからである。
 ところで、短歌の解釈や鑑賞の基本は、テキストとした作品の徹底的な読みである。
 しからば、このテキストから何を読み取り得るか。ごく普通の人であれば、このテキストから読み取りうるものは次の四点であろう。
 ① 作品中の「吾」は都会から故郷にUターンした。 
 ② その時季は燕の飛び交う初夏である。
 ③ Uターンした故郷は、寂れてシャッター街と化していた。
 ④ 寂れた街並みに較べると、そこに飛び交う燕の姿は新鮮だった。

 この四点に基づいてテキストを解釈すれば、次のようになるだろう。
 
 初夏、久しぶりに帰郷した故郷は、すっかり寂れ、目抜き通りの商店はあらかたシャッターを閉めていた。そのシャッター街を燕が飛び交っていたが、シャッター街の暗さに比べ、飛び交う燕の姿は新鮮だった。

 わずか三十一音に過ぎない、この一首から読み取り得る情報としては、これで充分かとも思われるが、私の考えでは、この一首を真に鑑賞したと言うためには、もう一つ二つ何かが欠けているのではないだろうか。

 その欠けている一つ二つとは何か。それは次の二点である。
 ⑤ 作品中の「つばくらめのみ新し」という語句は、中村草田男の処女句集『長子』の句「町空のつばくらめのみ新しや」からの抜粋であること。
 ⑥ 「つばくらめ」「斬るがに飛べり」という語句から、あの佐々木小次郎のつばめ返しが呼び起こされ、そこから作品中の「吾」の抱いた罪悪感が呼び起こされること。

 上掲の①②③④に加え、この⑤⑥を考慮に入れて、この一首を解釈すれば、次のようになり、ようやく鑑賞の域に達する。

 初夏、これまで都会に出て働いていた私は、何かと気苦労の多い都会暮らしを止めて、久しぶりに故郷に帰って来た。だが、私を迎える故郷の街はすっかり寂れ、目抜き通りの商店のシャッターは軒並み閉じられたままで、その街並みを燕が飛び交う様だけが新鮮であった。燕と言えば、私は直ぐ、あの中村草田男の有名な句を思い出すが、私を出迎えてくれるこの街の燕たちは、中村草田男を出迎えてくれた、松山の燕とは異なって、何故か、その飛び交う様子が鋭く、まるでUターンした私を斬り裂くような感じなのだ。ああ、この街を故郷として帰って来た私は、家の長男として、一体何を為し得るのだろうか。 
 
 語法的なことについて述べると、またしても「がに」である。「ごと」か「がに」かの選択を迫られたのであるが、音感の関係でやむなく「がに」を使ってしまったのである。

   
017:解(鳥羽省三)
 人質の解放待てるテントからどっと上がった喜びの声

 クーベルタン精神の発揮。投稿することに意義があると感じて作っただけの作品だ。私の脳裡に在ったのは、あの「在ペルー大使公邸占拠事件」であったが、あまりにも旧聞に属することなので、「題詠2009」への参加者のほとんどの方の記憶には残ってはいないだろう。
 これとは別に、「人質の解放などは二の次で犯人逮捕を急げとの沙汰」というのもあるが、これの解説をすると、国家機密を暴露しかねないので已めた。


018:格差(鳥羽省三)
 国民に格差在りやと謂ふがごと元旦参賀の日の丸の波 

 テレビ画面でしか見たことはないが、毎年行われている、あの元旦参賀って凄いよな。人、人、人、人、人、人、人、何処まで行っても続く人の波だ。旗、旗、旗、旗、日の丸の旗。どの人も、どの人も、日の丸の旗を振っているのだ。
 あの光景を目にしたら、皇室の方々がいくら頭脳明晰でいらっしゃったとしても、「民の竈は賑わいにけり。朕が民草に格差などなし」と来ちゃうよな。別に憎かったり、羨ましかったりして言うのではないよ。要は、ご皇室の方々もお忙しくて大変だ、と申し上げたいのだ。


019:ノート(鳥羽省三)
 ノート型PC抱き売りに行くときPCは啼くに非ずや

 初稿は、「ノート型PCを抱き売りに行くときPCは欲情せずや」であったが、五句目中のニ文字・「欲情」が、<goo>ブログの検問に引っかかることを危惧して、掲出の形に変えて投稿した。
 韻律の良さを佳作の条件としている、私の作品としては珍しく、初句と二句目及び四句目と五句目に句跨りが見られる。節操に欠けた私は、そこがまた気に入っている。
 どなたかから、寺山修司の「売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき」の本歌取りではないか、とのご指摘をいただいたが、中世の歌学書などをひも解くと、本歌取りの歌という場合は、本歌から取る語句が何句以上、何句以下でなければならないなどと、いろいろ喧しい規定があるようだ。拙作は、それらの条件を満たしているとは思われないので、本歌取りの歌だと主張するつもりはない。
 でも、吾ながら上手く詠んだものだなあ。寺山作の場合は「柱時計」だから「鳴る」。鳥羽作の場合は「ノート型PC」だから「啼く」か。でも、今ひとつ何かピンと来ないなあ。柱時計とノート型パソコンと、一体どっちが人間に近いだろうか? どっちの体温が温かいだろうか? えっ、パソコンだって。それはないよ。お前のパソコンは過熱しているからだ。
 

020:貧(鳥羽省三)
 我が村の<貧>を象徴せる如く村のワンコは冬着まとはず

 本当のことを言うとね。あの犬に着せる冬着は、どんな高価なものだって窮屈なんだって。高価になればなるほど窮屈で着てられないんだってさ。ドレス着たワンコが鳴き喚くのはそのせいだってよ。嬉しいからではないよ。苦しいからだ。だから、脱がしてやりなよ。
 でも、この歌は傑作だなあ。横浜市の田園都市線の沿線あたりでよく見かける、犬にふかふかのドレスを着せて威張って散歩している、あの肉襦袢を着たようなスタイルのおばさんたちのことを風刺しているみたいだ。こないだなんか、まるで鹿鳴館のダンスパーティに行く時に着るドレスみたいな衣装を身につけたワンコがいたからな。そのくせ、手綱を握っているおばさんは国技館から出て来たような格好してさ。
 犬に衣装を着せている人は、本質的に教養の無い田舎者なんだよ。そこは村なのさ。

『題詠2009』への投稿作品と作者自身によるその注釈(そのⅠ)

                       〔序〕
 文芸作品を彫琢に数年数月を要する彫刻に例えたのは評論家の某氏であるが、もしも短歌作品が文芸作品の範疇に入り得るものならば、そのような短歌作品とその短歌作品を電波に乗せて送らせ、その速さを競わせているような「題詠2009」の企画とは明らかに矛盾する。
 そう思い、それを悪しとするならば、それに参加しなければいいだけの話であるが、私はそれを格別悪しとも思わないし、そこに別の意義を見出せるとも思うので、ここに、この企画に参加させていただき、いち早く拙作百首の投稿を終えた。
 しかし、私の投稿作品の中には、碌々推敲しなかったが故の失敗作もあり、また、必ずしもそうとばかりも言えない作品もあるかと思う。
 そこで、この度、一に自己確認の為に、二に存在するかどうかも分らない拙作の鑑賞者の為に、「『題詠2009』への投稿作品と作者自身によるその注釈」と題して、雑文を書き散らすことにした。
 短歌を書いて恥をかき、その弁解をしては恥をかく。近頃の私は、有り余る暇に任せて、ただ書きに書くばかりである。
 かくかくかく、文を書くのも「かく」と言い、恥をかくのも「かく」と言う。いずれ「かきかく」ものならば、在るか無きかの読者方への義理欠かぬよう、頭掻きつつ、四角い画面に我はかく書く。
 ご期待あれ。

001:笑(鳥羽省三)
 あの憎いお笑い野郎にコマサレて何故に孕むか藤原紀香
 
 「題詠2009」の主催者の五十嵐きよみさんが加入している<goo>ブログには、投稿上の規則というものがあって、例えば、差別的な表現とか性的な表現を含んでいる記事は投稿できないのだと言う。
 現に、私が、<お題>「003:助」について詠んだ作品の初稿、「「助さんも格さんも居ぬ平成の我は天下の人工肛門」は、私が散々手を尽くしてトラックバックを試みても投稿先のブログの画面に一向に反映されず、結局、投稿を諦めざるを得なかった。
 察するに、この作品中の「人工肛門」という語が、差別的な表現または性的な表現に該当していると判断され、コンピューターから門前払いを食らわされたのであろう。
 こうした措置は、<goo>ブログが示した一つの見識であり良識であろうから、これをとやかく言うつもりは今の私には無い。むしろ逆に、たかが詠み棄て短歌一首の投稿のために、「人工肛門」などという、当事者にすれば絶対に眼にしたくない言葉を電波に乗せようとした、私自身の良識の無さを恥じるばかりである。
 そのことが明らかになった時、私は、「001:笑」のお題について投稿したはずの上掲の作品のことが心配になった。
 何故ならば、この作品中の「お笑い野郎・コマサレて・孕む」が、<goo>ブログの言う、差別的な表現、性的な表現に該当しているかも知れないし、この作品の内容自体が、一種の差別意識や性的劣情に基づいて作られていると判断されても致し方の無い側面を持っているからである。
 しかし、この作品は「題詠2009」の画面に間違いなく記録され、私の心配は杞憂に帰した。
 それはそれで良しとしても、そうした事態に直面して私は思うのである。
 それは、「お笑い野郎・コマサレて・孕む」が差別的な表現でも性的な表現でもなくて、「人工肛門」が差別的な表現もしくは性的な表現であると判断された<goo>ブログの基準とは、一体いかなるものか、ということである。
 そして、<お題>「003:助」についての私の作品、「助さんも格さんも居ぬ平成の我は天下の人工肛門」が、<goo>ブログには見事にはねつけられて、「題詠2009」への投稿作品として日の目を見なかったが、私の加入している<FC2>ブログには、格別な拒否反応もしめされないで、ここにこうして記録され公開されているのは、一体、ブログ業界全体の、どんな基準及び協定に基づいてのことであろうか、ということである。
 この作品自体については、格別な解説は要さないとは思われるが、私はこれまで藤原紀香ネタの短歌を連発して来た。
 その中の比較的真面目なのを示せば、「身の丈があまりに高くこの僕に似合うはずなし藤原紀香」となるが、「あのお笑い野郎と離別した後の紀香となら、少しぐらいの身長の差を無視しても結婚したいな」などと言っているのは、勿論、作品中の<僕>であって、そうした無節操でチビな彼と現実の私とは一切関わりがありません。

002:一日(鳥羽省三)
 一日に百万円も遣えたら友だちの友だちも友だち

 いささか旧聞に属するが、例の「<簡保の宿>の払い下げ拒否問題」で、一躍<男>を上げ、近頃元気の無い自民党議員の中で、異例の壮健振りを発揮している鳩山邦夫現総務省が、「私の友だちの友だちはアルカイダである」などと奇怪な発言をして<男>を下げたことがあり、また、それで<男>を下げたはずの鳩山邦夫氏が、何を隠そう「一日に百万円ずつ使っても、一生使い切れない大金持ち」である、という新聞報道がなされたことがあった。
 上掲の作品、「一日に百万円も遣えたら友だちの友だちも友だち」は、その鳩山邦夫氏のそうした一連の事績に取材して作った、私の旧作である。
 現在の私は、一日に百万円どころか、その千分の一も使えないので、友だちらしい友だちはほとんど居ない。だが、その御蔭で、こんな素晴らしい短歌を創作できる余暇に恵まれているので、鳩山邦夫氏の金満ぶりを羨んでいる作品中の<わたし>と、この作品の作者である私とを等号で結ぶのはご勘弁願いたい。
  
003:助(鳥羽省三)
 助さんにも格さんにも見限られ印籠持たず何処行く首相

 上述のような事情で、お題「003助」についての作品、「助さんも格さんも居ぬ平成の我は天下の人工肛門」の投稿を諦らめざるを得なかったので、その代りにと、ほんの数秒で作ったのがこの作品。
 「印籠持たずに何処行く首相」の「首相」とは、言うまでも無く、あの<未曾有>のお方を指すが、「助さん」「格さん」については、読者諸氏よ、それぞれ任意にお決めなされ。
 
004:ひだまり(鳥羽省三)
 ひだまりをひざげりと読む児らの居てわが教室の春まだ浅し

 初稿は、「ひだまりをひざげりなどと読み違い支持率落すな総理大臣」であったが、「003:助」に続いて、またもや<未曾有>ネタなので、急遽、上掲の作品に変えた。その間、ほんの十秒。作品中の<わ>≠作者の私。
 私のかつての勤務先は、ガリ勉コチコチの生徒ばかり居る受験校であったので、私は、こんな教室風景とは無縁であった。私の元の同僚の某教諭の話に拠ると、高校には、<受験校>と<事件校>があるそうだ。
  
005:調(鳥羽省三)
 我が職は人事部付けの調査役 人は私を窓際と呼ぶ

 私は、池井戸潤氏の銀行小説の愛読者である。彼の小説には、必ず、上掲の作品の「我」のような人物が出て来て、悪巧みに長けた銀行幹部を退治する。
 初稿を以て投稿作としたが、「我がポストは人事部気付調査役 人は私を窓際と呼ぶ」と改めてもいいかな、とも思っている。いずれにしても<詠み捨て作品>に違いない。

006:水玉(鳥羽省三)
 水玉のシャツ着て街を行くときは何故か弾けてステップを踏む

 この作品の創作には実質一時間を要した。いざ詠まんと身構えても、「水玉のシャツ」とか「水玉のエプロン」とかの月並みな語句しか思い浮かばなかったからである。
 結局は、その月並みの「水玉のシャツ」で詠い出すことになってしまったが、「水玉」→「弾ける」→「ステップ」の連想ゲームには、いささか自負するところがある。
 この一首を思いついた時には、「俺の脳味噌もそれほど腐れてはいないな」と思った。
 
007:ランチ(鳥羽省三)
 「ギャル曽根やランチ食うとき口開ける」 あいた口から蝿が飛び込む

 大食いネタのテレビ番組はほとんど視たことがない私であるが、ギャル曽根という見るも卑しき大食いタレントがいることぐらいは知っている。
 ところで、今は亡き俳人・西東三鬼に「広島や卵食ふとき口ひらく」という傑作がある。
 上掲の歌の初稿が出来た時、私は、あの卑しき食うだけタレントの醜態を詠むだけのために、私の尊敬する三鬼大先生の名句を下敷きに使うのはもったいない、と思った。その思いに殉じて、三鬼句の「口ひらく」を「口開ける」に変えた。
 「口ひらく」よりも「口開ける」の方が、ギャル曽根のギャル曽根振りが一層引き立つと思ったからでもある。 

008:飾(鳥羽省三)
 神持たぬ我が窓にまで光(かげ)寄せて虚飾電飾聖しこの夜

 「題詠2009」のブログを開いて、「008:飾」という文字を目にした瞬間、私は、このお題には井上陽水ネタを使ってやろうと思い、そう思った瞬間、「<飾りじゃないのよ涙は>なんちゃって、泣いたふりしてダイヤねだるの」という一首が、ほとんど完成していた。
 でも、私にとってこそ井上陽水は天才であり神様であるが、「題詠2009」の参加者や読者にとって、今の彼は、NHKの語学番組に七光り出演している生意気な娘の馬鹿親に過ぎないのではないかと思った。その瞬間、私の胸には、ある別の思いが走り、初稿は結局棄てられる運命となった。
 私の胸(と言ったって、あの巨乳とか言う奴ではないよ、別に)に走った「ある別の思い」とは何か。
 それは、私には「008」のお題「飾」を使った作品のストック、しかも将来、歌人・鳥羽省三の代表作と言われるかも知れない大傑作のストックがあることである。
 去年のクリスマス頃の夜、この土地に転居して間もない私は、自宅近辺を徘徊した。すると、つい先日、「ドレス着て犬がおめかしせぬ代りをんな着膨れ冬のさいたま」と私に馬鹿にされたばかりの「さいたま市」の家々の外壁に、煌々と灯りが灯っているではないか? 
 何と驚いたことに、それはクリスマスの電飾なのだ。クリスマス時季に民家の外壁が電飾で彩られる光景は、前住地の横浜で飽きるほど目にしているが、まさか、この<さいたま>で、寒風吹き荒ぶ冬になっても愛犬に胴巻き一つ買って与えられない人々ばかりが住む、この<さいたま>で、民家の外壁の電飾を拝めるとは思わなかった。しかも、濃厚な電飾で彩られた外壁で囲われた民家の中には、某宗教団体を集票源とした、あの政党の委員長様のポスターを貼っている家もあるのだ。
 私には、「虚飾」としか思われない「電飾」の「光」は、クリスチャンでも(一時代前ならこの後、<アグネスちゃんでも>と続けるのだが、あの方も、とうとう正確な日本語を話せないまま老境に入られてしまったから止めた)ない私の家の窓辺にまで押し寄せて来て、ただでさえ寝不足の私を益々寝不足にさせたのであった。
 「虚飾・電飾・聖しこの夜」、このごつごした語句の転がりがなんとなくいいなあ。「聖しこの夜」の「聖」が、あの広告塔歌手を思い出させて少し嫌だけど。
 あんまりいいからもう一度転がしてみるか。「虚飾・電飾・聖しこの夜」、ああ、ビリビリと来る。感電かしら? 寡聞にしてこの鳥羽省三、これ以上快調にして、意味有り気な「転がし」には、生まれてからこの方、出会ったことがない、と、自分で言っていれば世話はないけど。
 でも、棄ててしまった、「飾りじゃないのよ涙は~~」もなかなかいいよ。誰か拾ってくれないかな。もったいないから俺が拾っちゃお。ちゃおちゃおバンビーノだってば。

009:ふわふわ(鳥羽省三)
 ふわふわと飛んで行ったりしないでね。お姑様から叱られるから。

 「ふわふわ」という、何と無く<ふわふわ>した擬態語に惑わされて、真面目に歌を作る気になれなかった。だから、あくまでも繋ぎとして即興で作った、この一首を仮投稿しておいた。
 「題詠2009」の開催期間は、私にとっては、気が遠くなるほど永いから、そのうちに本格的な作品を再投稿しよう、と思っている。
 一首の意は、「あなたー、お願いだから、こないだみたいに、ふわふわと何処かへ飛んで行ったりしないでね、お願いだから」「こないだなんか、大事な息子のあなたが居ないからって、わたし、お姑(かあ)さまからコテンコテンに叱られちゃった。あの婆ったら、自分が生んだ上等息子が家に居ないからって、他人のこのわたしを叱るのよ、いつも。わたしトサカに来ちゃった」と、近ごろ認知症気味のダンナさまを、その奥さまがお叱り遊ばしている図柄。そ・れ・だ・け。

010:街(鳥羽省三)
 長春市大同大街ニッケビル父母の出会ひしオフィスありき
 
 初稿は、「新京市大同大街ニッケビル母を見初めし父のオフィス」であったが、投稿しようとしてトラックバックを試みたら、<goo>ブログのコンピューターめが門前払いを食らわした。
 中国がアメリカに対抗し得る程の経済力と軍事力を備えた昨今、旧満州に関わる地名を口にするのはタブーなのだろうか。
 それにしても、同じ業界に居ながら、五十嵐きよみさんが加入している<goo>ブログと、私の加入している<FC2>ブログとが歩調を合せていないのは何故か。
 作品中の<わたし>が、現実の私と別人の架空の人物だから、作品中の「父母」もまた架空の人物。もっとも、私の周辺に日本毛織株式会社の社員がいたことは事実だが。
 でも、その事とこの事とは一切関係が無い。
 今の長春市、元の新京市の、今の人民大街、元の大同大街のニッケビルには、設立当時の満映の事務所が置かれていた。そこでこのビルには、満映の理事長であったあの甘粕正彦など、多数の著名な日本人が出入りしていたことが考えられるし、満映が撮った映画に出演した女優なども出入りしていたことが考えられる。
 そこで私は、掲出作品の背景として、それらの人物間の恋愛を想定した。
 例えば、甘粕正彦と李香蘭。そうなると、作品中の<わたし>は、甘粕正彦・李香蘭夫妻(内縁関係)の子どもということになる。
     蟹工船・小林多喜二・大震災・獣に劣る甘粕大尉     鳥羽省三
プロフィール

鳥羽省三

Author:鳥羽省三
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。