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一首を切り裂く(021:くちばし)

(西中眞二郎)
   くちばしはなぜ鳥だけにあるのかと孫に聞かれて戸惑いており

 「孫を詠んだ短歌に傑作はない」とはよく聞く話である。
 可愛がりたい時には可愛がり、面倒になったらいつでもほっぽり出せるのが、祖父母にとっての孫という存在である。
 そこで、孫を題材にして歌を詠めば、いきおい自慢話めいた内容になり、先人の手垢に塗れた陳腐な語句を並べての平々凡々たる表現になってしまうのであろうか。
 本作が、そうした凡作であるかどうかの判断はひとまず擱いて置く。
 しかし、自分の血を引いた孫から何かについて質問をされて答に窮した、ということは、西中さんとほぼ同じ年代に属する私にも覚えがあり、そんな時、「うちの孫はなんて頭がいいんだろう」などと、思わず本音を漏らしたりして、周囲の者から爺馬鹿と笑われた経験さえ無いわけではないから、たとえ本作の作者に孫自慢の気持ちがあったとしても、一場の笑いを誘うことはあっても、創作動機が不純だなどと非難されることは無い、と私には思われる。
 ところで、 手元に在る辞書『大辞林』によると、「くちばし(嘴、喙、觜)」とは、「鳥類の口器。上下の顎が突き出して角質でおおわれたもの。主に歯と唇のはたらきをする。形態は習性に応じて異なる。哺乳類のカモノハシや爬虫類の一部にもみられる」ということである。
 したがって、「くちばしはなぜ鳥だけにあるのか」という作中の「孫」のおませな質問は、科学的知識を欠いたが故に発した愚かな質問とみなければならない。
 作中の<わたし>が、愛孫のおませな質問に戸惑ってしまったのは、そのことを知ってなのか知らないでなのかは判らないが、本作の面白さの一つは、その辺にもあるのであろう。
    〔答〕 よく聞けば無知が動機の質問で爺馬鹿チャンリン戸惑うばかり


(アンタレス)
   くちばしの如く唇とがらせて自己主張する幼かわゆき

 話者にとって、この「幼」は無条件に可愛いことだろう。
 でも、「三つ子の魂百までも」という諺もある。十年経ち、二十年経ったあかつきに、この子はいったいどんな少年になり、どんな青年になるのか?
 それは、その時のお楽しみ。
    〔答〕 幼児期のままにくちばし尖らせて親を脅迫する大学生 


(穴井苑子)
   どうせならドナルドダックのくちばしのようなマスクが流行ったらいい

 花粉症の最盛期もいつの間にか過ぎたが、つい先日まで、街の盛り場には、「立体型マスク」「超立体型マスク」「財前教授型超高級マスク」を嵌めた人たちが跳梁跋扈していて、某大学病院の手術室さながらの様相を呈していた。
 本作の<わたし>は、そうした世相を見てとった上で、人々がこんなにまでなりふり構わずに、先の尖がったマスクを嵌めたがるものならば、「どうせならドナルドダックのくちばしのようなマスクが流行ったらいい」と言っているのである。
 宜(むべ)なる哉。
    〔答〕 どうせならノコギリ鮫の鋸(のこ)のごと超とんがったマスクが欲しい


(秋月あまね)
   くちばしがばれないやうなマスクして二輌目辺りに座つてゐます

 「本日は○○電鉄の電車をご利用下さいまして、まことにありがとうございます。お客様にお願い致します。この電車の二輌目辺りに、ドナルドダックのくちばしのような形の薄気味悪いマスクをはめた女性が乗車して居られるとの情報が寄せられ、現在、安全確認のために、鉄道公安官が現場に急行しております。お客様方は、何卒、車輌内の安全が確認されてから、二輌目の車輌をご利用下さい。重ねて、お客様にお願い申し上げます・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 他の車輌でのそんな騒動を知らないまま、<秋月あまね>さん作品中の<わたし>は、相変わらず、ドナルドダックのくちばし型のマスクで顔を隠しながら、ミッキーマウス型の耳当てをした恋人の訪れを、今か今かと待ち焦がれている。
    〔答〕 耳当てで直ぐにわたしと分かるようピンクのりぼんを結んでいます


(久哲)
   手のひらにのせているものは何ですか「これはくちばし、たぶんあなたの」

 久哲短歌は「狂」と「真」との狭間に成立し、「虚実皮膜の境」をもう一歩「虚」側に踏み出した所に成立するものであるから、凡人に、「これが短歌だ」と認識させることは極めて困難なことである。
 その困難を除去し、常人をして、「久哲短歌こそ真の短歌ならん」と認識せしむる要件は、定型への厳然とした拘りと、鬼神の心胆をも寒からしむるが如き妙なる韻律である。
 その要件を欠いた時、彼の一行文は、童子の悪戯書き以下の雑文と看做される恐れがあるから、作者におかれてはよくよく覚悟して、日夜詠歌に励まなければならない。
 そういう観点からすると、本作は、二句目の字余りが惜しまれる。
 「のせているものは」が「のせているのは」であったら、口語表現ながら五七五七七の定型を遵守した短歌になり、「かなり危なく、かなり美味しい」久哲短歌の大傑作となったはずであるが、作者の怠惰な性格から、今一つの詰めを欠いたため、せっかくの牡丹餅が馬糞に化けてしまったのである。
 惜しみても余りあるのは、作者の茶乱歩乱な性格である。
 そこで、評者は作者に無断で、本作を次のように改作した上、その解釈を試みる。 

  (久哲)   
     「てのひらにのせているのは何ですか」「これはくちばし、たぶんあなたの」

 本作は、一組の夫婦の対話から成り立っている。仮に、上の句の話者を久哲さんとし、下の句の話者を久哲さんの奥さんとしておこう。
 パソコンを開いて、先程から何事かを思案中の久哲さんの書斎に、あのパブテスマのヨハネの生首を捧げたサロメのような腰つきと手つきをして奥さんが現れた。
 そこで久哲さんは、「(その怪しげな)てのひらにのせている(尖がったも)のは何ですか」と、奥さんに向かって問い掛けた。
 奥さんが書斎に入って来た時、久哲さんは、「題詠2009」に投稿するための、お題「妊娠」の作歌に行き詰まった挙句、普段なら夜遅く、家族全員が寝静まってからこっそりと観ることにしている、アダルトブログを開き掛けていたので、自分自身の心のやましさから、奥さんの掌に乗っているおやつのバナナを、サラセンの刺客が持つという鋭い短剣のように思ったのである。
 そんな意外なことを言われて、奥さんは一瞬ムカッと来た。奥さんにすれば、ご主人の久哲さんの、普段からのぐうたら振りには、いささか愛想づかし気味でないこともなかったが、今日のところは、一応、妻らしいサービスをしてやろうと、一房九百八十円のバナナの房の中の一本を持って来てやったのに、そんな警戒するような事を言われては堪らないと思ったからである。
 そこで、「これはくちばし、たぶん(減らず口の)あなたの(くちばし)」と、直ぐさまやり返したのである。
 口語で書かれた個性的な一対の会話の中に、普遍的とも思われる「家庭の闇、夫婦の危機」を垣間覗かせた、久哲短歌の傑作である。 
    〔答〕 グーグルで悩殺ポーズの女性など視てると歌が出来るのですか?  


(花夢)
   くちばしでつついてあなたを起こすとき前世をすこし思い出します

 本作に描かれているのは、房事の後のホテルのベッドの上での出来事である。不倫関係にある二人は、一交の後浅い睡眠に入った。
 しかし、お互いに配偶者有り子有りの身の上であれば、このままこのベッドで熟睡して、明日の明け方、覚めてから、もう一交を交わして朝帰り、というわけにも行かない。
 そこで、より眠りの浅い女性が、男性を起こしにかかる。と言っても、そこは、不倫関係とは言え恋人同士。
 「あなた、起きなさい。このまま眠ってしまって、朝帰りでもしたら、奥さんに分かられてしまって、貴方も私もおしまいですよ」などと、野暮な遣り方はしない。
 つい、先刻展開された房事の余韻を楽しむかのように、熟れた唇を尖がらせて、熟睡中の男性の、頬と言わず、耳と言わず、口と言わず、下半身と言わず、飼い主にじゃれる小鳥のように突っつくのである。 
 枕元の照明にしか視られていないベッドの上で、そんな淫らな行為に耽りながら、その愚かな女性は、ふと思ったのだ。
 「ああ、私は、前世に於いて鳥だったに違いない。私の前世は鳥だったから、今もその記憶にそそられて、私はこんなことをしているのだ」と。
 
 前述の解釈とは別に、彼女が間もなく帰って行かなければならない世界、即ち、愛情の冷めた夫や子供たちの待っている自宅や、自宅での夫や子供たちとの生活を「前世」と解釈することも可能である。
 房事の後の浅い眠りから覚めた後、彼女は、未だ睡眠中の不倫相手の身体を唇で突っつきながら、これから帰って行かなければならない、自分の家や、その家での変わり映えのしない暮らしを、「前世」での出来事のように思い出しているのである。
    〔答〕 前世の私は良妻賢母にて卵料理が大の得意だ 


(鳥羽省三)
   くちばしの黄色い秋刀魚が新鮮と妻は秋刀魚を血眼で選る

(春待)
   くちばしが黄色い秋刀魚は新鮮と祖母は呟き大根も取る

 酷似した二作のうち、上のが私・鳥羽省三の作品。下のが<春待>さんという未知の方の作品である。
 酷似していて、投稿時期が私の方がかなり早いからといって、私は、<春待>さんが私の作品を模倣したとも、剽窃したとも思ってはいない。
 「くちばしの黄色い秋刀魚が新鮮」だ、と言うことは、男女を問わず、消費生活に無関心でない者にとっては、極めて一般的に知られたことであるから、お題「くちばし」を詠もうとした時、似たような発想をした者が二人居たとしても、何ら不思議でないからである。
 私はかつて、森岡貞香作「生ける蛾をこめて捨てたる紙つぶて花の形に朝ひらきをり」と、高野公彦作「悲しみを書きてくるめし紙きれが夜ふけ花のごと開きをるなり」の類似について、高野公彦氏と同結社の奥村晃作氏にお訊ねしたところ、奥村氏から「昨日、たまた高野公彦氏と一緒し、話す機会があったので、応答をお見せしました。基本的な考え方はおのずから高野・奥村は一致しました。製作時点で、高野氏は森岡作品のことは知らなかったとのことです。従って、〈本歌取の範疇の作〉ではなく〈類似の作〉と言うことになります。短歌(和歌)史上稀稀にこうしたことも起こるのですね」という、ご丁重なるご回答を頂戴したことがある。
 鳥羽作と春待作との類想・類似もまた、奥村晃作氏の仰られる通り、「短歌(和歌)史上稀稀にこうしたことも起こるのですね」ということになりましょうか。
    〔答〕 陰(ほと)拭きてくるめて棄てしティッシュペーパー朝は開きて牡丹の如し
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ありゃ

省三様。
なにはともあれ、本人は好きな歌なので
拾っていただいて、ありがとうございます。

いや、まあチャランポランと言うか
天邪鬼じゃくと申しましょうか

「のは」 → ん?省略語じゃないと思うが舌足らずだな

てな推敲をし過ぎた結果の詠みですよ。(事実です!)

しかし、省三様。
家の書斎、覗きました?
但し、キャラクター設定が逆ですよ。(本人はそう思う)

それでは、このあたりで
久哲でした。

はじめまして。

鳥羽様はじめまして。
春待と申します。

鳥羽様に、似通った一首を投稿してしまい、不快な思いを与えてしまったもではないかと申し訳なく思っております。

また私の模倣、盗作ではないことを書き添えていただきましてありがとうございます。(温かいお言葉がありがたいです。)

「くちばし」のお題に限らず、基本的に皆様の投稿歌をなるべく読まないようにして投稿していたので、後から驚きました。

この一首は、「くちばし」というお題から→黄色いのがサンマは新鮮→祖母が大根も買っていたという懐かしさを詠んでみました。

「短歌(和歌)史上稀稀にこうしたことも起こるのですね」ということで間違いありません。(汗)

これからもよろしくお願い致します。

では、失礼いたします。

ありがとうございます

いつか鳥羽様に長文の鑑賞をいただいたらステキだなぁ。と思いながら、拝読しておりました。
このたび夢が叶い、歌の世界が広がるようなストーリーを添えてもらうことができました。
嬉しいです。ありがとうございました。

No title

鳥羽省三様こんな拙い歌を取り上げて下さいまして有難うございました
実は女の子どおしおませなのか譲らず真剣に言い合いをしていたのを眺めながらこんな子どもにも自己主張があるのかと可愛く感じたのです、私は言いたい事も言えない性格なので。でも色々かんがえました。有難うございました。お体お自愛下さいませ。
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鳥羽省三

Author:鳥羽省三
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